世界遺産に登録されたところでそれがたま駅長並みの経済効果を生み出すことはない。つまり無駄だ。これはODAにも言える。日本はそろそろこういった金で日本の名誉や地位を手にいれるのではなく、実利で努力をしていきたいものだ。漫画、アニメやゲームという消えもの文化を世界にごり押しするのではなく、芸術としての文化を広めるのが先だ。日本文化を通じて日本という国の歴史と土台となる和を尊ぶ文化を知ってもらいたい。そのためには漫画、アニメやゲームに対しても適正かどうかの審査があってよいはずなのだが、それがない。だから児童ポルノうんぬん、暴力うんぬん、と叩かれる。これではまったくの逆効果となり、日本の漫画、アニメやゲームは暴力を賛賞して危険だとなる。
海外からの留学生で芸術という分野を確立し、その中で日本文化を専門に学んでもらう。これが漫画、アニメやゲームでもよい。もちろん、古来からの能、歌舞伎、文楽や雅楽、神楽などを軽視してはいけないのだ。古来からの文化を継承し、保護することは日本の長い歴史とともに日本文化の土台になっているからだ。西洋音楽、芸術ばかり教育する学校ばかりだが、そういった面でも日本政府は日本文化を軽んじていると感じる。地方では古来からの伝承文化として祭りや神楽を守るために継承している。そういった地域への補助こそ、地方活性につながる。
日本人ならまずはこういった古来からの文化に触れる機会を教育現場を通じて広めるのが先だ。これは思想教育ではなく、自国の文化、歴史教育の一環だ。戦争のネガティブ面ばかり教育したところで、そこから経済効果が高い何かを生み出すことはない。こういった点を考慮して、教育はされるべきだし、他国や思想、宗教に関与される教育は本当の教育にならない。何が日本の未来にとって必要か。判断できるだけの思考、調査能力をつけさせるのが教育の目的のはずだ。歴史は事実を教え、決して思想偏向を教育現場でしない。これで日本が再び武力を重視した侵略国となる、というのならそれはそれで日本の未来を選択しただけのこと。この世に誰もが平等だとか、納得出来る状況など存在しないのだ。まずは自分たちがどうしたいのか、論理的に思考し、思考のために集める情報の真偽、有益性を判断できるだけの調査能力。
明治時代の産業革命は、日本人にとっては重要な遺産だが、他国にとってはどうでもよい遺産。英国の産業革命は誰もが知っているのだが、その革命に関与した遺産を残すことが日本人の利益になるのか。否。芸術的価値があるのなら人類すべての利益になるのだが、金をかけてまで残す価値はない。せいぜい、記念のなにかを残せばよい。
これが時代の流れで残せる最大の成果だ。過去の歴史上、現代の自分たちが遺産として価値があるような場所、建物ならば、日本国内の博物館なりで保存すればいいだけだ。今回の騒動で、もっとも腹ただしいのが、こんな下らないことに金を投じても、地方再生の効果はゼロだ。地方行政の長にしても、経済効果、芸術効果がないような事象で税金を使う場合は、地方選挙または地方住民投票などで費用対効果を住民に問いてから実現させたいものだ。
これは国も同じ。こんなことに金を使わないで、自然保護のために金を使ってもらいたい。富士山が遺産登録されて、ますます多くの観光客がくるようになりどうなったのか。自然を保護とは誰も訴えない。金のためというのなら、自然を遺産登録などしなで頂きたい。きちんと保護し、守る覚悟がないのなら、まさにこういった行為こそ、日本と日本文化の価値を落とすだけだ。
朝鮮半島との交流などを断行できるのは、民間の活動しかない。そろそろ自分たちが被害を被ることがわかっていながらいい顔をして交流などしなければいいのだ。距離を保つことは双方にとってマイナスにはならない。何故なら日本にとって当選半島との交流が必須という訳ではないからだ。文化、経済としての交流で不可欠なのは中国、ロシアであり、そこには共に平和を維持することで手に入るメリットが多いからだ。もし、中国やロシアが日本国に対して、朝鮮半島に関与する文化、政治などで日本国に対してなんらかの行動をするのなら、これに対して日本政府は公的に拒否する。やるなら徹底する。拉致問題解決というが、過去の問題解決をしたところで、それが日本や日本人の未来にとってなにか利益を生み出すのか。拉致問題を解決したところで、日本国と朝鮮半島との間に平和は訪れない。だが、これに拘る。すでに時間もたち、拉致された人たちだって生きているいれば日本人ではない文化で生活している。家族が拘るのも理解できるのだが、日本国が武力を酷使してまで拉致された日本人を奪回できないのだから、これ以上は解決する手段はないのだ。話し合いとは、金で人を買うような行為を許すだけで、拉致はなくならない。南北朝鮮はどちらも同じ国だったという点から考えるのなら、日本が新たな方法として朝鮮半島全体へどう圧力を加えるのか、そういった視点からの解決手法も考えたい。性善説ではなく考えてそろそろ結論を出そう。外国からすれば日本の態度は、決してまともとは見えない。自国民が拉致されても救済するだけの武力がないのだから。
海外からの留学生で芸術という分野を確立し、その中で日本文化を専門に学んでもらう。これが漫画、アニメやゲームでもよい。もちろん、古来からの能、歌舞伎、文楽や雅楽、神楽などを軽視してはいけないのだ。古来からの文化を継承し、保護することは日本の長い歴史とともに日本文化の土台になっているからだ。西洋音楽、芸術ばかり教育する学校ばかりだが、そういった面でも日本政府は日本文化を軽んじていると感じる。地方では古来からの伝承文化として祭りや神楽を守るために継承している。そういった地域への補助こそ、地方活性につながる。
日本人ならまずはこういった古来からの文化に触れる機会を教育現場を通じて広めるのが先だ。これは思想教育ではなく、自国の文化、歴史教育の一環だ。戦争のネガティブ面ばかり教育したところで、そこから経済効果が高い何かを生み出すことはない。こういった点を考慮して、教育はされるべきだし、他国や思想、宗教に関与される教育は本当の教育にならない。何が日本の未来にとって必要か。判断できるだけの思考、調査能力をつけさせるのが教育の目的のはずだ。歴史は事実を教え、決して思想偏向を教育現場でしない。これで日本が再び武力を重視した侵略国となる、というのならそれはそれで日本の未来を選択しただけのこと。この世に誰もが平等だとか、納得出来る状況など存在しないのだ。まずは自分たちがどうしたいのか、論理的に思考し、思考のために集める情報の真偽、有益性を判断できるだけの調査能力。
明治時代の産業革命は、日本人にとっては重要な遺産だが、他国にとってはどうでもよい遺産。英国の産業革命は誰もが知っているのだが、その革命に関与した遺産を残すことが日本人の利益になるのか。否。芸術的価値があるのなら人類すべての利益になるのだが、金をかけてまで残す価値はない。せいぜい、記念のなにかを残せばよい。
これが時代の流れで残せる最大の成果だ。過去の歴史上、現代の自分たちが遺産として価値があるような場所、建物ならば、日本国内の博物館なりで保存すればいいだけだ。今回の騒動で、もっとも腹ただしいのが、こんな下らないことに金を投じても、地方再生の効果はゼロだ。地方行政の長にしても、経済効果、芸術効果がないような事象で税金を使う場合は、地方選挙または地方住民投票などで費用対効果を住民に問いてから実現させたいものだ。
これは国も同じ。こんなことに金を使わないで、自然保護のために金を使ってもらいたい。富士山が遺産登録されて、ますます多くの観光客がくるようになりどうなったのか。自然を保護とは誰も訴えない。金のためというのなら、自然を遺産登録などしなで頂きたい。きちんと保護し、守る覚悟がないのなら、まさにこういった行為こそ、日本と日本文化の価値を落とすだけだ。
朝鮮半島との交流などを断行できるのは、民間の活動しかない。そろそろ自分たちが被害を被ることがわかっていながらいい顔をして交流などしなければいいのだ。距離を保つことは双方にとってマイナスにはならない。何故なら日本にとって当選半島との交流が必須という訳ではないからだ。文化、経済としての交流で不可欠なのは中国、ロシアであり、そこには共に平和を維持することで手に入るメリットが多いからだ。もし、中国やロシアが日本国に対して、朝鮮半島に関与する文化、政治などで日本国に対してなんらかの行動をするのなら、これに対して日本政府は公的に拒否する。やるなら徹底する。拉致問題解決というが、過去の問題解決をしたところで、それが日本や日本人の未来にとってなにか利益を生み出すのか。拉致問題を解決したところで、日本国と朝鮮半島との間に平和は訪れない。だが、これに拘る。すでに時間もたち、拉致された人たちだって生きているいれば日本人ではない文化で生活している。家族が拘るのも理解できるのだが、日本国が武力を酷使してまで拉致された日本人を奪回できないのだから、これ以上は解決する手段はないのだ。話し合いとは、金で人を買うような行為を許すだけで、拉致はなくならない。南北朝鮮はどちらも同じ国だったという点から考えるのなら、日本が新たな方法として朝鮮半島全体へどう圧力を加えるのか、そういった視点からの解決手法も考えたい。性善説ではなく考えてそろそろ結論を出そう。外国からすれば日本の態度は、決してまともとは見えない。自国民が拉致されても救済するだけの武力がないのだから。