The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

民主主義国家に存在する独裁政権を目指す政治家たち

2015-04-20 06:33:27 | Weblog
民主主義の主権は国民だ。しかし、国民といってもいろいろな主義主張を持つ人がいる。その一つに体制に反対して、自らの集団や組織による独裁政治を目指す政治家たちだ。民主主義で独裁政治? その通り。日本はかつて暗黒の3年間、政権交代という名目でめちゃくちゃな政権運営を経験した。何故、大震災があってもなんとか乗り切れたのか。たぶん、政治よりも運営のプロである官僚が仕事をきちんとしていたからだと言われている。リピートワークならそれでいい。しかし、日々、世界状況は変わり、経済もナマモノとなると、責任を持った判断ができる上司が必要になる。だから、あの原発事故でリーダがきちんと仕事をしてないおかげで、ひどい事故になった。こういったインフラをすべて民間企業のみの責任となると、こういった事故発生時などにきちんと対処できない。それでも民営化の波は止まらないのなら、民営化しても、緊急時に対応できるような組織をきちんと構築し、常時訓練をするのも必要だろう。こういった意見も反省もできなかった暗黒時代。に度とごめんこうむりたい。

言論、思想や信教の自由は、前提条件があって保障される。例えば、国民すべてがヒステリー状態になったとしても、国民が望むような方向に進めば、戦争になり、負けるとなれば、政治家は国民の声を聞いてはいけない。国民から選ばれた政治家だとしても、土台にあるのは日本国とその国民を守ることが最優先だからだ。実はこの戦争についても、悪とする世論も如何なものか。侵略されてそのまま何もせずに、無条件降伏し、適度に国民が殺されたり、国民の資産や財産が略奪される程度なら、武力で応じるより御身は大丈夫、という判断があるのかもしれない。そうでないのなら、何故、武力で侵略されても反撃しないでよい、という発想になるのか、説明頂きたい。話し合いがいかに無駄か、ここ数年の近隣諸国のトップの態度でよくわかる。話し合いとは、双方で問題を認識し、解決するには双方で協力が必要という認識がない限りは、実施できない策だ。そもそも近隣諸国と関係が冷えたとか、悪化した原因をすべて現政権のリーダとしているところに無理がある。リーダが誰であれ、民主主義で選ばれたリーダなのだから、日本国民のそれこそ民意と言えるはずだ。それを無視し、ひたすらリーダが歴史修正主義でうんたら、となる。民主主義の議会制政治で選ばれた首相って、そんなに独裁ができるのだろうか、と疑問がある。なにせ、自民党という政党そのものが思想のごった煮というか、意見も立場も大きく違う政治家の集まりだ。だから、しょっちゅう揉めている。反面、野党といえば、自分たちの政治資金疑惑騒動を忘れて、他人の政治資金に文句をつけて、本来、議論すべき議題をあと周しにしている点がなんとも言えない。

それにしても、地方政治で引っ越しをしてまで投票する、という選挙対応について、なんとかできないものだろうか。同時に政治家の立候補する地域についても、実際に住んでない地域からの立候補は辞める。そもそも移動してまで選挙に立候補ってのがおかしな話だ。住んでもない地域からの立候補となれば、そりゃ投票する側からしてもおかしいな、と感じるはずだ。世襲うんぬんには大騒ぎするのに、どうしてこういったおかしな状況を改善しようと誰も言わないのか、不思議だ。そもそも政治家は大量の人を惹きつけ、まとめるスキルがなければなれる職業ではない。また、一生政治家をやるのも簡単ではない。しかし、プロとしてのスキルを持ってももらわないと困る職業でもある。

沖縄の米軍基地反対運動を見ていると、過去の成田空港反対運動みたいに、過激さを増していきそうで怖い。学生運動と言えば、日本の場合、棒を持って暴れる姿はまさに戦闘態勢だし、火炎瓶など危険物を使う姿勢も単なる抗議デモとは見えない。しかし、当時はこういった集団を警察機動隊が対処していただけだ。他国の場合、警察だけではなく軍が出動するケースもある。市民運動も同じ。大音量を出し続けてデモする姿は、大音量という武器を使ったデモとしか見えない。プラカードにしても、本来の意図する内容が見えてこない。
まあ、デモを散歩とか、イベントとして捉えている人も多いようだ。ところで、歴史的にこういった市民などのデモが、暴力的なら死傷者が出るぐらいに危険だ。それでも警察は大音量、大人数の行進を許可するのはどうか、と思う。これは公園などで集まる集団も同じ。
集会を開く場所なら、いくらでもある。何故、わざわざ公園などの共有場は特定の思想、信教による集会に使ってはいけない。これこそ差別だ。特に大音量など、体調が悪い人などはそれこそ心臓発作も起こしかねない。子供の声がうるさい、というのも、限度次第だろう。運動会とか、何かやらない限り、大勢の子供が一斉に大声を上げることはほとんどない。それともしつけができてないから、どこでも大騒ぎするのだろうか。まさに大人も同じ。大声でシュプレヒコールすることも、大音量で音楽を奏でることも、やめて頂きたい。
おまけに見苦しいような言動が書かれたプラカードや大人数が行進する道にしても、繁華街などは避けて頂きたい。利用する客からすれば迷惑この上ない。

そろそろ沖縄の米軍基地反対運動を継続する人たちのために、監視カメラとマイクの設置をして、常時監視状況にすることを提案したい。工事を進めている現場もだ。尖閣諸島についても島に監視カメラとマイク、スピーカーを設置する。今年はこのぐらいの進歩をしたいものだ。判断するのは政府だけではなく、日本国民全体でなければいけない。ならば、きちんと記録を取って、報道は記録をできるだけ編集せずに公表することだ。インタビューにしても、特定意見に偏向せず、双方の意見が同じレベルになるように集めて公表する。
日本もそろそろこういった正義だとか、平等とか、人道どか、平和とか、言葉だけで実際の行動がまったく違うような集団行動を起こしている人たちをどうにかしようと、考えなければいけない時期だと感じる。世界がテロを許さないように、日本もこういった自分たちの意見を正当化するために起こす暴力的な行動へ、NOをつきつけたいものだ。
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