とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

一山

2010-08-26 22:58:49 | 日記
一山



 今月二日のことである。職場で私は出雲市出身の俳人原石鼎にちなんだ「俳句大会・俳画展」の作品募集のパンフレットを見ていて、石鼎の代表作の一句をふと思い出した。
 蔓踏んで一山の露動きけり
 「一山!」。私は思わず呟いた。そして、その言葉に関わるある出来事を思い出し、動揺しだしたのである。
 二十日くらい前に、職場に信州から不思議な人物が訪れた。画家、文士と名乗る初老の男性であった。事務室に通すと、お茶を一杯すすり、茶菓子を美味そうに食べた。そして、やおら、「紙と筆記用具を準備してください」と言った。私は言われるまま筆ペンと三色のソフトペンとA4の用紙を差し出した。「おっしゃるものを何でも描きます」とその人は言った。
「信州なんですから、山を描いてください」と私は頼んだ。すると、その人は、用紙に筆で「一山」と書いた。私は不満に思い、「実際の山をお願いします」とまた頼んだ。「そうですか。では……」と言い、今度は一筆書きの山と鳥を描いた。私はまだ不満だった。画家としての才能を疑っていた。だから、「今度は色を使って、この机の上の蝋梅(ろうばい)を描いてください」と重ねて頼んだ。すると、「そりゃ面白い」と言って、暫らく思案していたが、ペンを執ると、こすりつけるように動かして、黄色い蕾をことさら大きく描いた抽象的な構図の鮮やかな絵を仕上げた。私はやっとその人の腕を信用した。
職場を去っていくその人の後ろ姿を見送っていて、私はその自由な生き方に憧れた……。
 「こりゃ大変だ!」と私は言いながらパンフレットを机に置くと、「一山」の文字と一筆書きの山の絵をもう一度出して見直したのである。何と、石鼎の句の大胆な発想と相通じるものが感じられるではないか! 
 ……不明なり。私はその放浪の芸術家の持つ世界の奥行きを感じ取る力に欠けていた。
                     (2006年投稿)

伊丹堂異聞

2010-08-26 22:53:19 | 日記
伊丹堂異聞



 一畑電鉄大寺駅の近くの斐伊川堤防に「伊丹(いたん)堂」という小さなお堂が建てられている。その由来について次のような二つの話がある。
 私は以前こう理解していた。
 十三歳のお定は近村切っての器量よしという評判であったが、眼の不自由な母と二人暮らしだった。お定は毎朝斐伊川の土手を下って平田まで通って板箕(いたみ)を売り、家計を支えていた。ところが、ある朝土手に掘った大きな穴の中に落ちて、埋められてしまう。お定が知らないうちに、朝一番に通りかかった者を人柱に立てるということになっていたのである。その後、お定の霊を慰めるためにお堂が建てられ、「板箕堂」(「伊丹堂」の元の名か?)と土地の人は呼んだ。
 しかし、現在、現地に行くと、「伊丹堂」の由来を書いた立て札があり、概略次のように書いてあった。
 松江藩主松平直政が、斐伊川堤防づくりに力を注いでいた頃のある日、河原で鷹狩りをしたとき、かわいがっていた鷹が行方不明になってしまい、悲しんだ直政は、渡橋の観音様に「お礼にお堂を建ててさしあげますから」と祈願した。鷹は間もなく帰ってきたが、直政は祈願したことを忘れてそのまま江戸に参勤交代に出てしまった。ある夜直政の夢の中に、観音様のお使いとして地蔵様が出てこられ「お堂を建ててください」と言った。そこで直政は、慶安元年に渡橋の観音堂の改築を行い、続いて、完成した斐伊川の堤防に瓦葺のお堂を建て、堤防を守る仏として堤防下にあった地蔵様を移してまつった。
 さて、どちらが正統の伝説であろうか。私は、今、伝説の迷路をさまよっている。
                                 (2006年投稿)

ヤツデの季節

2010-08-26 22:50:21 | 日記
ヤツデの季節



 「ソテツは金を食うけんのー、どこでも植えられんがー」。子どもの頃父の友人が言った言葉をまだ覚えている。ソテツは鉄分を好むので錆びた釘などを根元に埋めておくと元気になると言う。そこから「お金」を食うので縁起が悪いと思われるようになったらしい。
 普通の民家には通常植えない樹木を「忌み木」と呼ぶ。ヤツデも地方によってはそう考えられているようだ。近所に北九州から転住してきた人がいた。その人が私の家の玄関脇に植えてあるヤツデを始末するように強く勧めた。ところが、私は聞き入れなかった。葉が手のひらの格好をしているので人を招くと言って縁起がいいと聞いていたからである。
 だから、今も大きな手のひらをたくさん広げて人を招いている。成長が早いので何度かばっさりと剪定した。しかし、数年経つとすぐに元の通りになる。冬が近くなると枝先に白い茎が伸びて、小さい白い花がいくつも丸まって咲く。特に目立つ花ではないが、それでも、ああ、冬が今年もやって来たと感じさせる。
 そして、初夏になると緑の実がびっしりと付き、黒く熟すとぼろぼろ落ちてそれが散らばる。小鳥の好物で、密かにやって来て食い散らす。散らばった実はやがて発芽し、あちこちに子どものヤツデが芽を出す。繁殖力旺盛である。
 ヤツデは漢方薬にも用いられる。乾燥させた葉を煎じてその煮汁を風呂に入れると体が温まり血行がよくなる。だからリュウマチなどに薬効がある。飲めば風邪薬にもなる。
そんなヤツデを「忌み木」にした理由は何だろうか? 私はそう思いながら、朝新聞を取りに出たついでにヤツデを改めて見つめると、不思議な木のような気がした。
                                  (2006年投稿)

ひまわり焼酎

2010-08-26 22:45:32 | 日記
ひまわり焼酎



この二十日、斐川町の「ひまわり祭り」に妻と出かけた。今年は見事に咲きそろっていた。花がすべて南東を向いているので、出雲空港から県道空港線を西に車で走ると夥しい数の黄色い花が迎えてくれて圧巻である。
 しかし、暑い。車から降りて歩き出すと汗が吹き出てくる。二人は切花を少しばかり買うと、花見もそこそこにビニールハウスの中の休憩所に入った。喉が渇いていたのでカキ氷を作ってもらって二人はむさぼるように食べた。おや、ウドンも売っている。「ひまわりウドンいかがですか!」。ひまわり油で揚げた肉もある。外の店がにぎわっていた。そういえば、「ひまわり焼酎」も発売されている筈だ。そう思い始めると、私は矢も楯もたまらない気持ちになってきた。「ひまわり焼酎ありますか?」。私は店の人に尋ねた。「ここにはありませんが、道の駅で売っているはずです」という返事。しめた!
 家に帰るとすぐに出かけて買い求めた。そして晩酌に飲んでみた。いままで飲んだ焼酎とはまるで違う味と香りだった。どう言っていいか表現に困るが、レモンか何かによく似た独特の香りがした。涼やかな刺激が心地よい。製造元は鳥取県北栄町の梅津酒造である。好奇心の強い私は翌日その会社に電話した。「種の油は抜いて使うんですか?」。「いや、そのままです」。「あの香りは種の成分の関係ですか?」。「いや、それはよく分かりません」。「で、年間何本生産されますか?」。「八百本です」。
発注者は「ブランド斐川」である。ひまわりで町おこし。その意気込みを評価したい。それにしても八百本では採算が取れないのでは…? 事情が呑み込めていない私は単純にそう思った。   (2006投稿)

バナナの断面

2010-08-26 15:58:14 | 日記
バナナの断面



ある研修会に参加したときの話である。講演会で講師先生が何の前置きもなく「バナナの断面を配布資料の裏に書いてください」とおっしゃった。参加者は一様にとまどいながら描き始めた。私は、何だ簡単じゃないかと思いながら先ず皮の部分を楕円形に描いた。ポイントは果肉の中心の模様だ。次にそう思ってそこの部分だけていねいに描いた。
 「みなさん描きおわったようですね。それじゃ、周りの人の絵と比べてください」。講師先生は続いてそうおっしゃった。私は恐る恐る覗いて見てほっとした。大体同じような形だったからである。講師先生は机間巡視をしながらうなずいておられた。そして、「みなさんの絵はほとんど間違いです」と指摘された。私は合点できなかった。「いいですか。バナナの皮の部分には五本の線があります。切るとその部分が五つの突起になります。そこに着目すると皮の形は五角形ですね」。そう言われても私はまだ信じられなかった。
 実は、私は毎朝バナナを朝食に食べていた。だから簡単だと思ったのである。五角形と言われてから、私は朝食のときにしげしげと切り口を見つめるようになった。しかも、皮が五枚になるように角の部分からむいた。ついでに果肉の部分もほぐすように割いた。ゆっくり割くときちんと三つに分かれた。その果肉を皿に並べながら「もともと六角形だったかもしれませんが……」という講師先生の言葉を「検証」した。
 生きものの造型には実に整然とした秩序があることを改めて知らされた。いやその前に身の回りのものの形をきちんと見ていないことに気づかされた。講師先生の真の意図はそこにあったのである。(2006年投稿)