とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 68  火の鳥

2016-12-30 00:07:55 | 日記
HINO TORI


手塚治虫の不朽の名作「火の鳥」。この作品が教えるものは何か。Aは、まだ掴めていないのです。しかし、実に壮大で美しい。Aは貸本屋で「複眼人間」を借りて読んでからフアンになりました。

手塚治虫が漫画家として活動を始めた初期の頃から晩年まで手がけられており、「火の鳥」は手塚治虫がライフワークと位置付けた漫画作品。古代からはるか未来まで、地球や宇宙を舞台に、生命の本質・人間の業が、手塚治虫自身の独特な思想を根底に壮大なスケールで描かれる。物語は「火の鳥」と呼ばれる鳥が登場し火の鳥の血を飲めば永遠の命を得られるという設定の元、主人公たちはその火の鳥と関わりながら悩み、苦しみ、闘い、残酷な運命に翻弄され続ける。
雑誌「COM」以降の連載作品では過去・未来・過去・未来と交互に描き、手塚本人が死亡した瞬間に作品が完結するという構想で描かれていた。
この作品に多くの漫画家が影響を受け、数多くの映像化・アニメ化・ラジオドラマ化が行われた。




火の鳥

人智を超えた存在である超生命体。炎をまとった鳥の姿をしている。100年に一度自らを火で焼いて再生(幼くなる)する事で永遠に生き続ける。人語を解し、未来を見通す。火の鳥の血を飲めば永遠の命を得る事ができるため、多くの人間がその生き血を求める。呼称は鳳凰・火焔鳥・フェニックス・不死鳥などとも呼ばれる。時空を超えて羽ばたく超生命体として描かれる。その身体は宇宙生命(コスモゾーン)で形成されており、関わった人々の魂をも吸収して体内で同化し生かし続ける事も可能。話によっては人間との間に子供をもうけていたりもする。『エジプト編』の設定では元々は天上界にいたが人間界に降りたことになっている。火の鳥は一羽だけではなく、『ギリシャ編』ではチロルと呼ばれる火の鳥の娘が登場する。チロルはややわがままな性格をしており、他の編の火の鳥がチロルかどうかは不明。
手塚治虫はストラヴィンスキーのバレエ「火の鳥」を見て、その中の火の鳥の精を演じるバレリーナの魅力に心を奪われたのが本作の漫画「火の鳥」を描くきっかけだったとしている。また手塚はソ連の映画「せむしの仔馬」のファンでもあり、この映画にも「火の鳥」は登場する。(Wikiより)

いや、その貸本屋ですが、私が手塚治虫のものばかり借りるので主人に顔を覚えられました。また、意外な人がフアンだったのです。女の子でした。ですから、私はその人と並んで本選びをしていることが多かったのです。ある日「貴方もフアンですか」と勇気を出していいました。するとその人は驚いたような、というか怖いものを見るような表情になったのです。・・・それがきっかけでしょうか、もうその貸本屋で出会うことは無くなりました。

あちこち「SYOWA」 67 River Of No Return ( 1954 ) - MARILYN MONROE - Lyrics

2016-12-27 01:08:45 | 日記
River Of No Return ( 1954 ) - MARILYN MONROE - Lyrics


『帰らざる河』(かえらざるかわ、River of No Return)は、1954年のアメリカの西部劇映画である。
この作品までのモンローは「グラマラスで美人だが、少々頭の悪い金髪美女」のキャラクターを演じることが多かったが、本作では生身の女性を演じ、役者としての転機となった。

ストーリー
ゴールドラッシュで沸くアメリカ北西部の町に、9歳になる息子マークを探してマットがやってくる。マークは酒場の歌手ケイが世話をしていた。マークを引き取ったマットは新しく手に入れた農場でマークと2人の生活を始める。
ある日、マットは農場の近くを流れる河の急流に流されている筏を見つける。筏に乗っていたのはケイと夫のハリーだった。マットは2人を救う。ハリーはギャンブルで手に入れた金鉱を登記するために先を急いでいたが、筏で河を下るのが難しいと知ると、マットを脅し、銃と馬を奪う。抵抗したマットを気絶させたハリーに、ケイは「ケガ人と子供を残しておけない」と言い、そこにとどまる。しかし、ハリーが去ると同時に農場が先住民に襲撃されそうになったため、危険を承知の上で、マットとマーク、そしてケイはケイたちが乗っていた筏で河を下る。(Wikiより)



Aはモンローはあまり好きではありませんでしたが、この映画のでは人間性が色濃く出ていてフアンになりました。少し汚れていてワイルドな感じがいいと思ったのです。
これは付けたりですが、彼の野坂昭如氏が「マリリン・モンロー・ノー・リターン」という退廃的な唄を唄っていたのを思い出しました。モンローの死は謎に包まれています。JFKとの関係もあったと言われています。髪の色を変えてからブレイクしたとか聞いています。

マリリン・モンロー(Marilyn Monroe、1926年6月1日 - 1962年8月5日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の女優。本名、ノーマ・ジーン・モーテンソン(Norma Jeane Mortenson)。洗礼名、ノーマ・ジーン・ベイカー(Norma Jeane Baker)。20世紀を代表するセックスシンボルとして広く認知されている。(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 66 丹羽文雄という作家

2016-12-23 00:29:10 | 日記
まほろば 2015年4月1日放送分


丹羽 文雄(にわ ふみお、1904年(明治37年)11月22日 - 2005年(平成17年)4月20日)は、三重県出身の日本の小説家。

三重県四日市市北浜田にある浄土真宗専修寺高田派の崇顕寺(現在の浜田保育園)で住職を務める父・教開の長男として生まれた。母・こうは、文雄が4歳のときに旅役者の後を追って出奔した。この母への思慕と追憶が、文雄の作品世界には投影されている。母の出奔は、婿養子に来た父が、母の母つまり祖母と男女関係を結んでいたからである。丹羽はのち『菩提樹』にこのことを書き、『ひとわれを非情の作家と呼ぶ』でより平明に説明している。この原体験が、丹羽をして人間の業を見つめる作家となし、その救いを浄土真宗に求める結果となった。

1929年に早稲田大学文学部国文科を卒業後、生家の寺で僧職に就く。同人誌『新正統派』に発表した小説「朗かなある最初」が永井龍男によって評価され、その依頼で書いた「鮎」が文壇で注目され、僧職を捨てて上京し、早稲田大学時代の同棲相手の家に住んだ。新進作家として注目され、『中央公論』や『文藝』の新人特集に『贅肉』『百日紅』が相次いで掲載された。

執筆に行き詰りを感じていた時に亀井勝一郎から「(丹羽の小説は)親鸞から逃れようとしているが、結局は親鸞の足元で遊んでいる」と指摘されたことをきっかけに自らの宗教観について付き詰めて考え始め[2]、のちに『親鸞』『蓮如』などの宗教者を描いた小説を多く残した。文壇の大御所的存在で、後進との交流にも熱心であった。1950年代には同人誌『文学者』を主宰、瀬戸内寂聴や吉村昭、津村節子たちを育成した。また舟橋聖一とは自他共に認めるライバル関係だった。1956年から日本文藝家協会理事長、61年会長を兼任、69年理事長を辞任し、72年まで会長を務めた。
1977年に文化勲章受章、文化功労者。(以上Wikiより)

Aが小説を書くきっかけとなった作品が丹羽文雄の出世作「鮎」であります。小倉の古書店で手にした「藝文書院版・現代文學 丹羽文雄集」の中の冒頭の短編です。書き出しの「海棠と夕顔に雨が降っていた。熊笹の庭を渡っていくと・・・」という書き出しは今でも覚えています。それから次々と読んでいきました。「小説作法」もバイブルとして熟読しました。俳句は止めよう。これから小説だ。そう思いました。そして書いたのが「紅いもの」(原題「子である或る日」)。自伝小説です。大学の新聞で少しばかりいい評価を受け、それから自信のようなものが自然に湧いてきました。文学賞にも応募をし始めました。「出雲文学」という同人誌を発刊し、友達と活動を始めました。

「鮎」あらすじ(すごく感心しました。上手くまとめてあります)
石橋正雄の「生き方上手じゃないけれど」より

津田は実母の和緒から呼び出される。
理由は愛人の守山から入籍を求められ困っているということだった。

和緒は以前、津田が4歳のとき旅芸人と駆け落ちし津田とは離れ離れだった。
しかしその後、いろいろな男を転々としお互い一年に数回顔を合わせるようになるが今は守山の愛人だった。

津田は和緒の17歳のときの子供で母親の面影もなく何年か後に再会しても母親とは思えず年齢の離れた姉弟のように感じた。
しかし自分を捨てたという感情も湧かずそれどころか42歳のわりには色気を感じ自分でも不思議に思っていた。

和緒は過去の行為は詫びつつも津田に対し終始自己弁護で言っているほど反省しているようには見えなかった。
津田は和緒は母親としての自覚より女性の本能を維持していると感じていた。

和緒は守山の愛人としていたが本妻が亡くなったから守山から入籍して欲しいとのことだった。
困った和緒は行方を1ヶ月ほどくらましていたが守山は探していた。
しかし見つからず守山は悲しみのあまり自殺してしまう。

和緒は津田と二人で葬式に出席するが和緒は特に悲しむ様子もなくそれどころか仕方がない、といい食事も平然と平らげる無神経ぶりに津田は辟易する。
今後どう面倒をみたらいいか頭を抱えてしまう。


あちこち「SYOWA」 65 ベン・ケーシー 

2016-12-19 16:17:59 | 日記
Ben Casey ベン・ケーシー サンプル動画


1961年10月2日から1966年3月21日まで、アメリカABCで1話60分、全153話が放送された。日本でも1962年5月4日[3]から1964年9月25日までTBS系列で放送されて、最高テレビ視聴率が50%を超えて大ヒットした海外ドラマである。オープニングの「♂ ♀ * † ∞」(「男、女、誕生、死亡、そして無限」と吹き替え)という、語りながら黒板にチョークで書く場面は有名である。
日本において第1回放送(1962.5.4)は視聴率16.4%だったが重厚な内容が人気を呼び、やがて第5回放送(1962.6.1)で30.9%の上り、その後視聴率は毎週40%前後で推移、第37回放送(1963.1.11)では、50.6%の最高視聴率(ビデオリサーチ・関東地区調べ)を記録している。この数字は2016年現在でも日本で放映された海外ドラマの視聴率ナンバー1である。

ヴィンセント・エドワーズ


(Wikiより)

このドラマの主役のヴィンセント・エドワーズは、1928年、イタリア移民の夫婦の下に双子で生まれた。
高校時代は水泳選手として活躍し、奨学金をもらってオハイオ州立大学に入学。オリンピックを目指すが、虫垂炎の手術により断念。
アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで演技を学び、ニューヨークの舞台に立つ。
パラマウント映画と契約し、1951年の映画『Mr. Universe』で映画デビュー。3本目に出演した翌1952年の映画『Hiawatha』では初主演を果たす。その後、いくつかの映画やテレビドラマに主演や準主演で出演するが、特に目立った活躍を見せることはなかった。
俳優以外にも歌手として活動して、各地のクラブで歌ったこともあった。そしてやがてビング・クロスビーに見出されて、そのビング・クロスビープロダクションが製作したのが『ベン・ケーシー』であった。
1961年に放送が始まった『ベン・ケーシー』に主演として抜擢されて、このドラマの大ヒットにより、米国だけでなく、日本でも人気スターとなる。また同作においては多くのエピソードで演出も担当している。更にドラマの人気にあやかり、6枚のレコードアルバムを発売するなど歌手としても活動し、ニューヨークやラスベガス、ロサンゼルスで行なったショーは完売となった。
その後もテレビドラマや映画「勝利者」「コマンド戦略 」に出演し、『宇宙空母ギャラクティカ』(1978年、1980年)などのテレビドラマの演出も担当するが、ベン・ケーシーのイメージが強すぎたためか、役柄が限られて特に目立った活躍を見せることはなかった。
1996年、膵臓癌により死去。(以上Wikiより)

AはNHKの「ドクターG」をよく見ています。身体的にやや弱い面があるので、納得しながら観ているのです。
この「ベン・ケーシー」は若いころ胸をワクワクさせながら観ていました。とにかくカッコイイ。子どもの頃医者なることに憧れていたことも原因かもしれません。毎回楽しみに見ていました。ヴィンセント・エドワーズは上記のように真逆の戦争映画にも出ていて、Aは少し違和感を感じました。

あちこち「SYOWA」 64 逆さに地図を眺めていると・・・。

2016-12-17 00:31:40 | 日記
 小松左京の文章に「逆さに地図を眺めてごらん」というタイトルの一章があります。小松氏は大陸を下にして大きな海を上に眺めていると、世界が開放的に見えると述べていました。
 Aはユーラシア大陸を下にした地図をしばらく眺めいるといろいろなことが合点できたような気分になりました。



 ロシア、中国、北朝鮮、韓国、台湾等そして反対側のアメリカと日本の関係が透けて見えてきました。

ロシアは北方四島を軍事的にも拠点化し、政策を極東にもシフトしています。日本のアメリカ基地を意識しているものと思われます。日本の領土として返還すれば、アメリカの軍事基地が出来る可能性を懸念しています。中国は尖閣諸島の領有権を主張しつつ、沖縄の基地に出口を塞がれていることに息苦しさを感じています。北朝鮮は日本やアメリカへの攻撃能力の拡大を図っています。韓国は、日米韓の連携を頼みに北朝鮮へ圧力をかけいます。台湾は日本との友好関係を頼みにし、アメリカの後ろ盾を望んでいます。アメリカは日本、韓国と親密な関係を保ち、日本国内の基地を足場に中国、ロシア、北朝鮮の軍事的な力を抑止しようとしています。もし、もし、今後いつか、世界的な規模の戦争が起きれば、日本はたちどころに壊滅的な打撃を被ると思われます。
 小さな島国は今微妙なバランスを保っています。このバランスが崩れないことをAは祈っています。こういう状況下にある小さな島国に生まれたことをとても不安に思っているのです。