1985年 - 1989年
1985年、1月公開の映画『愛・旅立ち』で近藤真彦と共に主演を務める[9][50]。3月、11枚目のシングル「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」を発売[29]。この楽曲は、同年末に行われた第27回日本レコード大賞にて日本レコード大賞を受賞し、この年のオリコン年間チャートで2位を記録した[51]。4月には7枚目のスタジオ・アルバム『BITTER AND SWEET』を発売する[35][52]。6月発売の12枚目のシングル「SAND BEIGE -砂漠へ-」では、新人の作家によるデビュー作を起用するなど[53][54]、作家のジャンルや有名無名にとらわれない楽曲提供を受ける。この楽曲は同年の同社年間チャートで7位を獲得した[48]。8月には『D404ME』が8枚目のスタジオ・アルバムとしてリリース[35][55]。同作は第27回日本レコード大賞の優秀アルバム賞を獲得した[51]。
1986年、2月に14枚目のシングル「DESIRE -情熱-」をリリース[54]。この楽曲は1986年のオリコン年間チャートで2位を記録し、第28回日本レコード大賞で前年に続き日本レコード大賞を受賞した[56][57]。これにより中森は、女性ソロ歌手として史上初の2年連続となる日本レコード大賞受賞を果たした[58]。4月にはデビュー曲「スローモーション」から「SOLITUDE」までのシングル曲を収めたベスト・アルバム『BEST』をリリース[59][60]。このアルバムは、第1回日本ゴールドディスク大賞のThe Grand Prix Album of the Yearを受賞した[61]。5月に発売した15枚目のシングル「ジプシー・クイーン」は同年の同社年間チャートで7位を記録[54][56]。8月に発売した9枚目となるスタジオ・アルバム『不思議』では、アルバムのプロデュースを自身で担当する[59][62]。以降、楽曲やアルバムのセルフプロデュース作品を発表し、アーティスト性を発揮していく。12月には10枚目のスタジオ・アルバム『CRIMSON』を発売し、第29回日本レコード大賞の優秀アルバム賞を獲得した[63][64]。
【公式】中森明菜/飾りじゃないのよ涙は (Live in '87・A HUNDRED days at 東京厚生年金会館, 1987.10.17) AKINA NAKAMORI
1987年、3月に行われた1986年度第1回日本ゴールドディスク大賞でアーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞する[61]。4月、TBS系列ドラマ『ベスト・フレンド』でテレビドラマ初主演を務めた[65][66]。8月発売の11枚目のスタジオ・アルバム『Cross My Palm』では、全曲英語詞の楽曲に取り組む[59][67]。同年末には、日本有線大賞の最多リクエスト歌手賞を1983年以来5年連続で受賞する[68]。さらに、この年発売したシングルの「TANGO NOIR」、「BLONDE」、「難破船」の3曲は、この年のオリコン年間シングルチャートでトップテン入りを果たし、それぞれ年間で2位、7位、6位を記録[54][56]。オリコンの年間アーティスト・トータル・セールスには、歴代最多の4度目(1983年、1985年、1986年、1987年)となる首位を獲得した[69]。
1988年、3月にシングル候補曲として制作されていた楽曲を集めた12枚目のスタジオ・アルバム『Stock』をリリースする[47]。5月には21枚目のシングル「TATTOO」をリリースし、オリコン週間ランキングで1位を獲得、これにより同チャートでの連続1位記録が15曲となった[56]。また、TBS系の音楽番組『ザ・ベストテン』でも1位を獲得し、同番組で1位週数69週を記録、番組史上最多回数となった[70]。加えて、この番組での最多1位獲得曲数も17曲の歴代1位で、「ベストテンの女王」の異名を持っている[70][71]。8月にはジョン・リンド、ピーター・フランプトンら海外アーティストを起用した13枚目のスタジオ・アルバム『Femme Fatale』を発売[72]。12月には、「DESIRE -情熱-」から「I MISSED "THE SHOCK"」までのシングル曲を収録したベスト・アルバム『BEST II』を発売し、売上枚数は80万枚を突破した[73][38]。こうした歌手としての記録や受賞を重ねるだけにとどまらず、アイドルの枠を超えてセルフ・プロデュースを手掛け[74]、衣装や踊りの振り付けもすべて自分で決めていた[75]中森のファッション性への評価も次第に高まり、同世代の女性達からの支持も得た[76][39]。
1989年、4月にシングル曲のみで構成されたデビュー8周年を記念したスペシャル・ライブAKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversaryを開催[77]。7月11日、当時交際をしていた近藤真彦[78]が住むマンションにて命を絶とうとしたが助かり[79][80]、芸能活動を約1年間休止する[81]。この間、7月25日には14枚目となるスタジオ・アルバム『CRUISE』をリリースし、このアルバムはオリコンで3週連続1位を記録[38]。中森は、1982年からこの1989年の8年連続で同チャートでアルバム首位を獲得した[38]。11月にはAKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversaryのライブ・アルバムとライブビデオとなる『AKINA EAST LIVE INDEX-XXIII』がそれぞれリリースされた[36][77]。このライブビデオは、'89ビデオ・オブ・ザ・イヤーで最優秀ミュージックビデオ賞を獲得する[36]。その後中森は、12月28日に新事務所「コレクション」設立を発表[80]、デビュー以来所属していた芸能プロダクション研音から独立[80]。12月31日には「元気な姿を見せたい」と近藤も同席して記者会見を行った[81][82][83]。
1993年 - 1999年
1993年、MCAビクター(現在:ユニバーサル ミュージック ジャパン)に所属レコード会社を移籍し、MCAがマネジメントの実質的な業務窓口も担う[100][82]。また、個人事務所NAPCを設け、5月には2年ぶり27枚目となるシングル「Everlasting Love ・ NOT CRAZY TO ME」を発売し、9月には、昨年来制作していた15枚目のスタジオ・アルバム『UNBALANCE+BALANCE』を4年ぶりにリリースした[100][97][101]。このアルバムの楽曲である「愛撫」は有線チャートで最高順位3位を記録し、翌年にはシングルカットされた[102][103][101][104]。
デビュー20周年目を迎えた2001年、5月にMusic@nifty内のインディーズレーベル@easeにて、40枚目のシングル「It's brand new day」を音楽配信で先行リリースする[131]。6月からは20周年記念ツアーの第1弾としてALL ABOUT AKINA 20th Anniversary IT'S BRAND NEW DAYを開催した[131]。
2005年 - 2009年
2005年、7月より品川のclub eX(450席)にてスペシャル・ライブツアーAkina Nakamori Special Live 2005 Empress at CLUB eXを開催[7][146]。カバー・アルバム歌姫シリーズである『歌姫』、『-ZEROalbum- 歌姫2』、『歌姫3 〜終幕』の3作を中心に構成され、同シリーズを締め括るライブとなった[146]。
2006年、デビュー25周年目。4月より日本テレビ系列の連続テレビドラマ『プリマダム』に出演[65][147]。自身にとって7年ぶりの連続テレビドラマ出演となる[148]。また、同ドラマのテーマ曲として46枚目のシングル「花よ踊れ」を5月にリリースした[149]。6月には、3年ぶりとなった22枚目のスタジオ・アルバム『DESTINATION』を発売し、同作を携えたツアーAKINA NAKAMORI LIVE TOUR 2006 〜The Last destination〜も開催した[150][151][147]。さらに同月には、パチンコメーカー大一商会から自身をモチーフとしたパチンコ台『CR中森明菜・歌姫伝説』が導入され、ヒット機となる[152][153]。
2007年、デビュー満25周年。1月にカバー・アルバム歌姫シリーズのベスト・アルバム『歌姫ベスト 〜25th Anniversary Selection〜』をリリース[144]。同作は、1月29日付のオリコン週間アルバムランキングで『Akina Nakamori〜歌姫ダブル・ディケイド』以来4年ぶりにトップテン入りする[144]。6月には、自身初となる演歌楽曲をカバーしたアルバム『艶華 -Enka-』をリリースし、こちらも同チャートでトップテン入り、第49回日本レコード大賞で企画賞を受賞した[154][155][156]。12月31日には、初のファンクラブ限定カウントダウン・ディナーショーAKINA NAKAMORI 25th ANNIVERSARY COUNT DOWN DINNER SHOW 2007-2008を開催した[157]。
2009年、カバー・アルバム『ムード歌謡 〜歌姫昭和名曲集』、『フォーク・ソング2 〜歌姫哀翔歌』、3年ぶり通算23枚目のスタジオ・アルバム『DIVA』と6月から8月にかけて3か月連続でアルバムをリリースする[161]。また、8月より、3年ぶりのスペシャル・ライブツアーAKINA NAKAMORI Special Live 2009 “Empress at Yokohama”を行った[162][161]。このライブは、カバー・アルバムフォーク・ソングシリーズの『フォーク・ソング〜歌姫抒情歌』、『フォーク・ソング2 〜歌姫哀翔歌』の2作を中心に構成され、2005年に行われたEmpressライブに続く第2弾として開催された[161][163]。NHK・SONGS(第102回・第103回)に2009年8月12日、8月19日の2週連続で出演[164]。9月には3年ぶり47枚目となるシングル「DIVA Single Version」を発売した[165]。
2010年 - 2013年・芸能活動休止
2010年、7月13日にパチンコ台の第2弾となる『CR中森明菜・歌姫伝説〜恋も二度目なら〜』(大一商会)の9月導入が発表された[166][167]。加えて、この『CR中森明菜 歌姫伝説〜恋も二度目なら〜』のために書き下ろされた楽曲「Crazy Love」が、48枚目のシングルとして自身初の配信限定でリリースされた[168]。同年10月28日、体調不良により当面芸能活動の無期限休止を発表した[169][170]。この発表直後の2010年12月22日には、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に中森が出演した際の映像をまとめた『中森明菜 IN 夜のヒットスタジオ』が6枚組のDVD-BOXで発売された[169][171]。
2015年、先行配信されていた楽曲「Rojo -Tierra-」を1月21日にDVD付き・通常盤の2形態でリリース[176]。「月華」以来20年4か月ぶりにオリコン週間シングルトップテン入りする[177]。曲名「ロホ・ティエラ」はスペイン語で「赤い大地」という意味。1月28日には、カバーアルバム『歌姫』シリーズの最新作『歌姫4 -My Eggs Benedict-』をリリース[176]。オリコン週間ランキング5位を記録した。第29回日本ゴールドディスク大賞では(ザ・ベスト・演歌/歌謡曲・アーティスト)を受賞。9月30日、シングル「unfixable」(初回限定盤DVD付と通常盤)をユニバーサルから発売。「unfixable」は全編英語詞のシングル。カップリング曲「雨月」は日本語詞。同日、4枚組DVDボックス『中森明菜 PREMIUM BOX LOCUS 〜NHK紅白歌合戦 & レッツゴーヤング etc.』もユニバーサルから発売。デビュー以来、NHKの音楽番組『レッツゴーヤング』『ヤングスタジオ101』に出演した映像や、これまで8回出演したNHK紅白歌合戦の映像が収録されている。12月30日、アルバム『FIXER』(初回限定盤DVD付と通常盤)をユニバーサルから発売。2014年夏から1年かけて制作された6年ぶりのオリジナルアルバム。今年リリースされた4曲のほか新曲「FIXER -WHILE THE WOMEN ARE SLEEPING-」、「kodou」、「Re-birth」など11曲と、ボーナストラック2曲が収録。EDM、ラテン、バラードなど、この30年で培った実績と技の集大成であり、復帰後の自由で新しい創作方向を示す内容になっている。
2016年、2月24日にシングル「FIXER -WHILE THE WOMEN ARE SLEEPING-」をユニバーサルから発売。昨年末リリースされたアルバム『FIXER』に収録されている同名曲のシングルバージョン。この楽曲は2月27日公開の映画『女が眠る時』のイメージソングとして採用されたため、ニューアレンジされての先行リリースとなった。また、カップリング曲「ひらり-SAKURA-」は、アルバム『SHAKER』(1997年)収録の「桜(びやく)」以来、2度目の桜ソングである。宗本康兵が作曲、ポルノグラフィティの新藤晴一が作詞を担当した。5月4日、5月1日のデビュー34周年記念日に合わせて7枚組DVDボックス『1994-2009 THE LIVE DVD COMPLETE BOX』がユニバーサルから発売。1994年から2009年までに行われたライブ映像が収録されている。また、これに先行して4月23日から4月30日まで角川シネマ新宿で上映会も行われた。7月13日、51歳の誕生日に合わせて全世界1,000セット限定 中森明菜アナログセットが歌姫レコーズから発売。Amadana Musicの中森明菜バージョンプレーヤーと、歌姫レコーズ既出のシングル18タイトルをアナログ化したレコードがセットになっている。シリアルナンバーNo.1は中森明菜に贈呈された。11月30日、カバーアルバム『Belie』(初回限定盤DVD付と通常盤)をユニバーサルからリリース。山口百恵「謝肉祭」(1980年)、薬師丸ひろ子「ステキな恋の忘れ方」(1985年)、ポルノグラフィティ「サウダージ」(2000年)、小田和正「たしかなこと」(2005年)などポップス・ロックナンバー10曲が収録。DVDは全曲歌唱映像で構成されている。12月21日、カバーアルバム『Belie + Vampire』(UHQCD+アナログレコード)を発売。11月30日のCD音源を高音質化したものと、アナログ専用に録音したものをセットにして限定生産された。アナログレコードの収録曲はCDとは別で、山本リンダ「どうにもとまらない」(1972年)、Char「気絶するほど悩ましい」(1977年)、アン・ルイス「あゝ無情」(1986年)など6曲が収録されている。また、2016年には7年ぶりにディナーショーを開催。12月4日(ファンクラブ会員限定)を皮切りに、12月29日まで全国7都市10会場にわたって行われた。当初は7日間の予定であったが、ファンの熱望に応えて3日間追加公演された。
2017年、5月1日にデビュー35周年を迎える[178][179]。前年に続きディナーショーを開催。AKINA NAKAMORI DINNERSHOW 2017 CLUB NIGHTと題し[180]、11月13日・11月14日のハイアットリージェンシー大阪を皮切りに、12月24日・12月25日のグランドニッコー東京台場でのクリスマス・ディナーまで全国を回った[178][180]。会場は7都市を追加して全国14都市18会場に増え、前年は公演がなかった九州(福岡・鹿児島)、四国(徳島・高知)、神戸、金沢、宇都宮でも開催[178][180]。2017年はファンクラブ会員限定公演はなく、全会場で一般販売となった[178]。
同10月1日には、今までの発表曲を集大成したCD3枚組(初回のみボーナスディスク入りの4枚組)のベストアルバム『Expressions』が発売された。このベストアルバムの選曲にあたり、公式サイトで楽曲のファン投票を行い、NHK『SONGS』1周年記念特別番組にて発表している。10月23日には、東京国際フォーラムで開かれた作・編曲家 林哲司の活動35周年記念のコンサートにサプライズゲストとして登場し、林が手がけた「September」「象牙海岸」の2曲を生披露した。12月28日、大阪フェスティバルホールで開かれた夫・山下達郎のフェスティバルホール最後の公演に、「私もフェスティバルホールにさよならをさせて欲しい」との意向でアンコールのサプライズゲストとして出演し、「人生の扉」「September」を披露したのに加えて、ダブルアンコールでは山下とのデュエットで「LET IT BE ME」を披露した。
2010年代前半
2010年8月14日に北海道で行われた野外フェス『RINSING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO』に山下が出演した際、バックコーラスの一人として全曲に参加。同年12月4日、10年ぶりの本格的なライブである『souvenir again』(日本武道館)の初日にピアノ弾き語りで「いのちの歌」を披露した。これは連続テレビ小説『だんだん』において主題的な意味を持つ重要な曲で、「作詞 Miyabi、作曲 村松崇継」ということになっているのであるが、実は「Miyabi」は竹内のペンネームであるということをその場で明かした(※『名義』も参照)。
2012年4月6日、結婚30周年(真珠婚)を迎えた同年9月2日、『SWEET LOVE SHOWER 2012』に山下が出演した際、スペシャルゲストとして登場し、「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」「元気を出して」を披露した。
2014年、7月デビュー35周年アニバーサリイヤーを飾るシングル「静かな伝説(レジェンド)」リリース。竹内自身の発案で桑田佳祐、原由子をコーラスに迎え、山下達郎も加えた4人での楽曲制作が「蒼氓」以来26年ぶりに実現した。同年9月、7年ぶりのアルバム『TRAD』をリリース。オリコンチャート2週連続で1位獲得。第56回日本レコード大賞「最優秀アルバム賞」を受賞した。また、同年11月から12月にかけて1981年以来33年ぶりに6都市9公演の全国アリーナツアー『ケンタッキーフライドチキン presents 「souvenir2014」supported by JAPAN FM NETWORK』も開催した。同年11月19日、ムーン移籍後最初のアルバムである『VARIETY』の30周年記念盤をリリースした。
詳細は「プラスティック・ラヴ#海外でのブーム」を参照
同年10月17日には、デビュー40周年を記念してシングル「小さな願い/今を生きよう」をリリースし、11月18日には初のファンミーティングを開催した。11月21日からはデビューアルバム『BEGINNING』の40周年記念リマスター盤が発売されたことを皮切りに、RCA/RVC時代のカタログが最新リマスターとボーナストラック付きで順次発売された[31]。11月23日からデビュー40周年を記念して製作されたライブ・ドキュメンタリー映画『souvenir the movie~MARIYA TAKEUCHI Theater Live』が、期間限定で全国ロードショー(後述)。
2019年3月、芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。同月、デビュー40周年記念特番「竹内まりやMusic&Life〜40年をめぐる旅」がNHK総合で放送された。39年ぶりにNHKスタジオにて歌唱。ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ映画『ダンボ』(ティム・バートン監督)にて日本版エンディングソング『ベイビー・マイン』を歌唱。同年5月、「関ジャム完全燃SHOW(テレビ朝日系列)にて竹内まりや特集がオンエア。前年公開された映画『souvenir the movie~MARIYA TAKEUCHI Theater Live』がアンコール上映される。同2019年9月、40周年記念アルバム『Turntable』をリリース。オリコンチャート1位を記録し、これにより「昭和・平成・令和3時代で1位を獲得した初の女性アーティスト」となると同時に、「女性最年長1位獲得アーティスト」(64歳6か月)となった。10月、映画「最高の人生の見つけ方」(犬童一心監督・吉永小百合・天海祐希共演)主題歌「旅のつづき」を書き下ろし、シングル・リリースする。11月、『第61回輝く!日本レコード大賞』にて「特別賞」を受賞。12月31日にはNHK紅白歌合戦の特別企画・竹内まりや×第70回紅白「未来へつなぐいのちのメッセージ」に出演し、「いのちの歌」を歌唱した。
2020年代
2020年1月1日発売の「いのちの歌」(スペシャル・エディション)が13日付オリコン週間シングルランキングで第1位獲得。64歳10か月での1位獲得は歴代最年長記録となった。これにより、「カムフラージュ」以来21年1か月ぶりの1位インターバル記録を樹立した。11月18日、初の映像作品「souvenir the movie~Mariya Takeuchi Theater Live (special edition)~」をDVD、Blu-rayで発売。《Disc 1》には、デビュー40周年を記念して2018年11月に劇場公開され大ヒットしたライヴ・ドキュメンタリー映画『souvenir the movie 〜MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜』を、《Disc 2》には、これまでに制作されたほとんどのミュージック・ビデオと、映画では未公開だったライヴ映像を4曲収録。さらには、山下達郎とのスペシャル対談やライヴ写真を掲載した80ページのブックレットが封入されている。「オリコン週間DVDランキング」、「オリコン週間Blu-ray Disc(以下BD)ランキング」で、ともに初登場1位を獲得。音楽作品のDVDとBDを合計した「ミュージックDVD・BDランキング」でも、合計売上6.2万枚で初登場1位を獲得し、3部門同時1位となった。 初めての音楽映像作品でオリコンチャート3部門1位は史上4組目である。