とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

白い道

2010-08-17 16:15:25 | 日記
白い道



 人は歌とともに生き、四季それぞれに似合ったメロディーを胸のうちに秘めている。私にも冬のテーマ曲がある。渋滞と凍結の中、神立橋を渡る苦しさから私を救ってくれた曲である。
 その年の冬も猛烈な寒波が当地を襲ってきた。橋(北神立橋かどうか思い出せない)の東西はいつもの通り何キロもの渋滞。私は車の中で白い巨大な冷凍マグロのようになって並んでいる車の列を眺めていた。すると突如、この閉所から、いや、私を取り巻くすべてから逃れたい!      という衝動を抑えきれなくなってきた。そこへカーラジオから軽やかな若い女性歌手の歌声が流れてきた。「どこまでも白い/ひとりの雪の道/遠い国の母さん今日も/お話を聞いてください……」
 メロディーに聞き覚えがあった。ヴィヴァルディの協奏曲集「四季」の中の第四番「冬」に違いなかった。車窓の外に広がる凍結した出雲平野を白く貫いている大小の農道を見つめながら曲を聴いていると、衝動的な気持ちがしだいに癒されるのを感じていた。
 後でその曲のことを調べてみた。NHKの「みんなのうた」の「白い道」だった。私がその時聞いたのは定時の放送ではなかったかもしれない。だが、歌詞の全体が分かった。三番の初めは、「あしたもこの道/歩きますひとりで/母さんが歩いたように/風の中も負けないで……」。「遠い国」へ旅立った優しい「母さん」を偲びながら、「白い道」を踏みしめて、私も「母さん」のように生きていきます。そういう娘の決意を爽やかに謳いあげた曲であった。
……私はその時、渋滞の車列の中で、新聞や米の配達をしながらバイクでひた走って父亡き後も働き続けている母の姿が、凍てついた白い農道の中から浮かび上がってくるのを感じていたのである。その母は、平成九年に「遠い国」の人になってしまった。(2005年投稿)
 
 

流れ着いた仏

2010-08-17 09:40:00 | 日記
流れ着いた仏



 斐川町荘原公民館が発行した『荘原歴史物語』(編著者池橋達雄)をときどき開いて読むことがある。私が生まれ育った土地の歴史と文化が分かりやすく記述してある。かねてから斐伊川と派流の新川の歴史に強い関心を持っていたので、ある日昭和九年の大洪水の部分を調べていた。新川はその年直江の法華経土手が決壊し、荘原地区は大被害をこうむった。我が家にも荘原の町を舟が通っている写真がある。この水害がきっかけとなり、新川は閉ざされることになった。
 私は、そのページを読みながら、ふと私の実家の仏像のことを思い出した。
 建て直す前の私の実家の台所の水屋の上には小さい仏壇があった。そこには真っ黒にすすけた親指大の仏像が安置してあった。そのいわれをいつか祖母に尋ねたことがあった。「この仏さんは、あの大水がひいたときに、泥の中で寝とらっしゃったが」。私はその言葉から仏縁の不思議を感じ、尊いみ仏だと思うようになったのである。
 で、そのみ仏を迎えた後の我が家の運命であるが、必ずしも波静かではなかった。家族の早死に、商売のつまずき……。不運を挙げればきりがない。しかし、ものは考えようである。そのみ仏が更なる不幸を防いでくれたのである。私はそう思っている。仏のご利益は仏教説話の世界では理想的に描いてある。しかし、現実はそうすべて旨くはいかないようである。それにしても、実家が建て変わってからそのみ仏のお姿を見ない。古材とともに燃えたのか。それとも壊されたときに土に埋もれたか。
 いや、それよりも……、と私は思い返す。私はその仏壇の賽銭(さいせん)をくすねていた。古銭欲しさに供えてあった珍しい硬貨を二十枚くらいこっそり貰ってしまったのである。私こそが一番の仏罰を受けるだろうか。(2005年投稿)