とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」(番外)We Are E-girls☆さよならE-girls FNS歌謡祭① /20191204

2019-12-22 18:07:03 | 日記
E-girlsが解散 !!!!! 生きる望みがなくなりました。これは大袈裟ですが、まことにショックです。紅白に出ないと私は不機嫌になっていました。まさか・・・。2020年までとか。しっかり見ておきたいと思います。Dream、Happiness、Flower。この名前は決して忘れません。


We Are E-girls☆さよならE-girls FNS歌謡祭① /20191204


E-girls(イー・ガールズ)は、日本のガールズダンス&ボーカルグループ。LDH JAPAN所属。レーベルはrhythm zone。

略歴

2011年
4月24日、イベント『E-Girls SHOW』を開催。LDHに所属する3つの女性グループ、Dream、Happiness、Flowerを中心に構成されるプロジェクトとして始動。
12月28日、シングル「Celebration!」でデビュー。

2017年
7月15日 - 7月16日、『E-girls LIVE 2017 〜E.G. EVOLUTION〜』をもってDreamが活動終了となり、3つのグループを中心としたプロジェクトとしては終了。11人組の1つのグループとして始動。

2019年
12月22日、2020年末をもってグループを解散することを発表。

メンバー

SAYAKA(Happiness)
楓(Happiness)
藤井夏恋(Happiness、元ShuuKaRen)
YURINO(Happiness、スダンナユズユリー)
須田アンナ(Happiness、スダンナユズユリー、元EGD)
鷲尾伶菜(元Flower)
坂東希(元Flower)
佐藤晴美(元Flower)E-girlsリーダー(2017年10月 - 2020年)[10]
石井杏奈(元bunny)
山口乃々華(元bunny)
武部柚那(スダンナユズユリー 、元bunny、元Rabbits)[11]
過去のメンバー[編集]
Sayaka(元Dream)
MIMU(元Happiness)
木津玲奈(元EGD)
水野絵梨奈(元Flower)
杉枝真結(元Happiness)
武田杏香(元bunny)
武藤千春(元Flower)
萩尾美聖(元bunny、元Rabbits)
稲垣莉生(元bunny、元Rabbits)
生田梨沙(元EGD、元Rabbits)
中嶋桃花(元Bunnies)
渡邉真梨奈(元EGD、元Rabbits)
市來杏香(元Flower)
Erie(元Dream)
Shizuka(元Dream、元DANCE EARTH PARTY)
Aya(元Dream)E-girlsリーダー(2013年11月 - 2017年7月)[12]
Ami(元Dream)
MIYUU(Happiness)
川本璃(Happiness)
藤井萩花(元Flower、元ShuuKaRen)
重留真波(元Flower)
中島美央(元Flower)

概要

グループ名について

E-girlsの“E”は、所属事務所の先輩であるEXILEに由来する。
グループ名の表記は1stから3rdシングルまでは「E-Girls」であったが、4thシングルから「E-girls」となった]。「e-maのど飴」のタイアップ曲が「e-girls」となった時期があった。

活動方針について

3rdシングルから全員参加ではなくなった。
「VOCAL BATTLE AUDITION 3」の参加者で結成したEGDは2ndシングルから、合格者で結成したbunnyは3rdシングルから一部のメンバーがE-girlsに参加していった。4thシングルでbunny・EGDという表記が消えた。
2013年から2017年まで所属事務所運営のダンススクールEXPG内に、E-girlsの下部組織として育成・修行の場となるグループ、Rabbits(高校1年以上)、Bunnies(中学3年以下)を設けていた。2015年1月27日に正式に発表された。E-girls→下部組織→EXPGといった「E-girls Pyramid」に伴い、メンバーの構成は毎年見直され異動していた。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」662 誰が為に鐘は鳴る / イングリッド・バーグマン

2019-12-14 23:29:44 | 日記
イングリッド・バーグマンという世界的な美人女優を知った私は、当分の間ボーッとしていて何も手に着かない状態でした。それほど衝撃を受けたのです。

誰が為に鐘は鳴る(For Whom The Bell Tolls,日本語字幕) part2



イングリッド・バーグマン(典: Ingrid Bergman, 1915年8月29日 - 1982年8月29日)は、ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優。Ingrid Bergman はスウェーデン語ではインリド・ベリマン [ˈɪŋːrɪd ˈbærjman] と発音される。


業績[編集]
アカデミー賞を3回、エミー賞を2回、トニー賞の演劇主演女優賞の受賞経験があり、AFI(アメリカ映画協会)選定の「映画スターベスト100」の女優部門では第4位となっている。バーグマンが演じた役でもっとも有名な役と言われているのが、ハンフリー・ボガートと共演した『カサブランカ』(1942年)のイルザ・ラント役とケーリー・グラントと共演した『汚名』(1946年)のアリシア・ヒューバーマン役である。

バーグマンはアメリカで女優として成功をおさめる以前から、スウェーデンでは名を知られた女優だった。バーグマンがアメリカ映画に初出演したのは、スウェーデン映画の『間奏曲』をリメイクした『別離』(1939年)である。その際立った美貌と知性でアメリカ映画に「北欧からの瑞々しい息吹」を吹き込んだバーグマンは、すぐさま「アメリカ人女性の理想」となりハリウッドを代表する女優の一人となったと『ポピュラーカルチャー百科事典』(en:St. James Encyclopedia of Popular Culture)に記されている。

映画監督ヴィクター・フレミングがリメイクした映画『ジキル博士とハイド氏』(1941年)に出演したバーグマンは、後に自身をハリウッドへ招くことになる映画プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックに認められた。セルズニックはバーグマンのことを、今までともに仕事をしてきた中で「もっとも完成された誠実な女優」と評価している。セルズニックはバーグマンに7年間の出演契約を提示し、その後の女優活動をプロデューサーとして支えていくことになる。バーグマンがセルズニックとは無関係に出演した映画には『カサブランカ』(1942年)、『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)、『ガス燈』(1944年)、『聖メリーの鐘』(1945年)『汚名』(1946年)、『山羊座のもとに』(1949年)があり、独立系映画としては『ジャンヌ・ダーク』(1948年)がある。

ハリウッド進出以来、10年間にわたってアメリカでスター女優の地位を守り続けたバーグマンは、1950年にロベルト・ロッセリーニが監督するイタリア映画『ストロンボリ/神の土地』に主演した。この作品がきっかけとなり、バーグマンとロッセリーニはともに既婚者であったにも関わらず、不倫関係を持つようになる。この不倫関係とその後の二人の結婚は大きなスキャンダルとなり、バーグマンはその後の数年間アメリカに戻ることができなくなった。1956年の『追想』でハリウッドに復帰したバーグマンは、この映画でアカデミー主演女優賞を受賞するとともに、旧来のファンもバーグマンを許したといわれている。バーグマンに関する私生活や映画関連の文献は、ウェズリアン大学のシネマ・アーカイブが多く所蔵している。


『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)

バーグマンは1943年に、自身初のカラー映画作品となる『誰が為に鐘は鳴る』にマリア役で出演し、初めてアカデミー主演女優賞にノミネートされた。『誰が為に鐘は鳴る』は、アメリカの文豪アーネスト・ヘミングウェイの同名小説『誰がために鐘は鳴る』を原作とした映画である。原作の映画化権がパラマウント映画に売却されたときに、原作者のヘミングウェイは「この役を演じるのはバーグマン以外にありえない」と言い切った。

ヘミングウェイはバーグマンと面識はなかったが、アメリカでの初主演作『別離』でバーグマンのことを知っていたのである。数週間後この二人は顔を合わせ、バーグマンのことを理解したヘミングウェイは「貴女はマリアだ!」と叫んだ。(「Wikipedia」より)


あちこち「SYOWA」(番外) 第12回カペラステークス(GⅢ)藤田菜七子騎手日本人女性騎手初JRA重賞勝利!!!

2019-12-09 00:33:40 | 日記
藤田菜七子、やってくれました !!! 孫のように思って今まで見守っていました。何、「孫のように」 ??? いや、言いすぎでした。とにかく大変なフアンです。何度も場外馬券売り場で「がんばれ」の馬券を買いましたよ。感激です。 


【4K現地撮影】第12回カペラステークス(GⅢ)藤田菜七子騎手日本人女性騎手初JRA重賞勝利!!!

あちこち「SYOWA(番外)BE TOGETHER / 鈴木あみ

2019-12-02 17:47:09 | 日記
或る日何気なくTVを視ていたら、見たことのある歌手が出ていて、自分の貧しくて苦しかった過去の生活を詳細に述べていました。鈴木あみ。ああ知っている。・・・聞いているうちに思わず引き込まれました。何というか、この美しい人にそんな過去があったなんて。私はそれ以来忘れられない歌手として記憶の底に位置付けたのでした。・・・「紐の付いた靴」に憧れていたんですね。泣けてきました。


BE TOGETHER / 鈴木あみ



鈴木 亜美(すずき あみ、1982年2月9日 - )は、日本の歌手、女優、作詞家。本名同じ。旧芸名、鈴木 あみ(読み同じ)。愛称はあみ〜ゴ、亜美ちゃん。極度の激辛好きが世間に知られたことで、激辛アミーゴ,カラミーゴと言った別称も付けられている。エイベックス・マネジメント所属、レコード会社はavex trax。身長159cm、血液型A型。
神奈川県座間市出身。日出女子学園高等学校卒業。


来歴

1998年 - 2001年:ソニー時代

1998年2月、『ASAYAN』(テレビ東京)の『ボーカリストオーディション・ファイナル』の最終電話投票審査で304万140票中80万2157票を集め1位となり、小室哲哉のプロデュースでの歌手デビューが決定。同年4月、番組内でSMEJの丸山茂雄代表取締役社長の許へ小室と訪ね、丸山はその場で同社からのCDリリースを快諾。所属事務所は1997年まで小室のマネジメントを担当したエイベックス子会社のプライムディレクション(現:エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ)内「TKルーム」のマネージャーが設立したサテライトポイントグループのエージーコミュニケーション に決まった。

小室の提案により本名の鈴木亜美ではなく、芸名「鈴木あみ」となった。
1998年7月1日にSMEJ Associated RecordsのSony Recordsレーベルからシングル『love the island』でプロデビュー。「あみ〜ゴ」(=アミーゴ)の愛称で若者から人気を集め一躍アイドルとなった。また、同シングルはオリコンの集計では30万枚近いセールスを記録するヒットとなった。

1999年1月25日にワニブックスから写真集『amigo』を発売、徹夜組500人を含め5000人のファンが銀座福家書店に握手を求めて集まった。写真集は発売から6日で早くも20万部を突破する異例の売れ行きとなった。2月発売の『Nothing Without You』からレコードレーベルをSMEJ Associated Records内のTRUE KiSS DiSCに移籍した。 週刊ファミ通 1999年4月30日号の表紙を飾った。

1999年3月6日に発売したファーストライブのチケットは数分で完売。3月25日発売のファーストアルバム『SA』は、オリコンの集計では約180万枚を売り上げミリオンセラーとなり、夏に発売されたシングル『BE TOGETHER』、『OUR DAYS』はオリコン週間ランキング1位を獲得した。さらに年末の第50回NHK紅白歌合戦にも初出場し、『BE TOGETHER』 を歌唱。シングルとしては自身最大のセールスとなった。また同年1999年12月22日「HAPPY NEW MILLENNIUM」は共作ながらも本人による初作詞であり、以降の楽曲で作詞家としてのデビュー作となる。

2000年2月発売のアルバム『infinity eighteen vol.1』もミリオンセールスを記録。3月にライブツアーの合間を縫って高校を卒業した。4月に発売したシングル『THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY』もオリコンで1位となり、連続リリースのアルバム『infinity eighteen vol.2』も1位となった。夏に全国アリーナツアーを果たし、NHK総合テレビのドラマ『ドラマDモード深く潜れ〜八犬伝2001〜』でテレビドラマに初主演するなど活動の幅を広げ、絶頂期を迎えた。(「Wikipedia」より)