サー・トーマス・ショーン・コネリー(英: Sir Thomas Sean Connery、1930年8月25日 - 2020年10月30日または31日)は、イギリス・スコットランド出身の映画俳優。『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で有名。公称身長188cm。2000年、英王室よりナイト(サー)に叙任。
1961年、コネリーはジェームズ・ボンド役として5本のボンド映画に出演する契約を交わし、翌1962年の『007 ドクター・ノオ』で知名度は世界的に上昇した。『ロシアより愛をこめて』『ゴールドフィンガー』『サンダーボール作戦』『007は二度死ぬ』など5作出演の契約を履行した。『ロシアより愛をこめて』は特に評価が高かった。その後、コネリーが希望する映画2作の製作費を負担するという条件をユナイテッド・アーティスツが受け入れたことで、1971年の『ダイアモンドは永遠に』でボンド役に復帰、1983年、ワーナーが制作したボンド映画、『ネバーセイ・ネバーアゲイン』でもボンドを演じ、計7本の作品でボンド役を務めた。これらはすべて成功をおさめ、AFIから"アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100"の3位に選ばれている。また、コネリーは自己紹介の台詞「The name is Bond, James Bond.」を初めて使い、以来2作を除く全作で使われるようにした張本人でもある。
音楽活動をやめることを考えていた20歳のときに、最後に何か音楽活動の証になることをしようと思って「フォーク音楽祭」に参加したところ、予選を次々と突破。関西四国決勝大会でグランプリを獲得し、全国大会にてスカウトされた。1976年、コロムビアからデビューLP「あとりえ」が発売され、都会派ニューミュージックの歌手として注目されるようになる。2年後の1978年には代表曲「飛んでイスタンブール」が大ヒットとなり、同年大晦日の『第20回日本レコード大賞』中山晋平賞(のち作曲賞)を受賞、及び『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。ほか庄野のヒット曲には、1978年の「モンテカルロで乾杯」「マスカレード」、1980年の「Hey Lady 優しくなれるかい」などがある。