キャラメルを食べて本を集める。これにはまっていた時代がありました。懐かしい「カバヤキャラメル」です。点数集めをして送ると珍しい表紙絵の本が届きました。恐る恐る開いて読みました。読んでみると何だかわかりにくいストーリイで、小学校低学年では理解しにくい内容でした。しかし、本というものが珍しかったので、小遣いをねだってキャラメルを食べ、本が増えるのを楽しみにしていました。田舎の道にカバの形をした自動車が姿を現しました。珍しくて取り囲んでワイワイ騒いでいました。
カバヤ文庫(カバヤぶんこ)は、カバヤ食品の創業時の看板商品だった「カバヤキャラメル」の景品。キャラメルの箱の中に封入されていた「文庫券」(点数カード)を50点集めて、目録で「カバヤ児童文庫」(世界名作小説集)のタイトルを希望してカバヤ本社に郵送すると、希望通りの本が送られてくるというもの。1952年(昭和27年)から1954年(昭和29年)までの3年間、キャラメルの販促キャンペーンとして実施した。(「Wiki」より)
とにかく駄菓子屋はAにとって夢のような場所でした。
出雲では「あてもん」と言っていたくじ引きがありました。5円出して小さな籤を1枚引き抜き、なめると当たりとがスカという文字が浮き出てきました。当たると、大きな飴玉が貰えたり、力士や俳優の大型のプロマイドが貰えました。これにもはまってしまい、5円くれ、5円くれ、と言い続け、祖母を困らせました。商売のお金は祖母が管理していました。祖母はAに甘かったのでダメだということはあまりありませんでした。
ある日、その日の小遣いを貰って飴玉をしゃぶっていると、力士の大きなプロマイドが欲しくなりました。祖母がいないときに悪魔が乗り移りました。全箱の蓋をこっそり明けて10円ほど盗みました。それで「あてもん」をしましたが、見事スカ。小さな駄菓子のようなものを貰いました。それを食べていると後ろめたい気持ちがこみあげてきて、祖母と顔を合わせないようにしていました。
「おい !! お前という奴はいつから泥棒になったんだ !!」
とうとう祖母に見つかりました。Aは押し入れの中に閉じ込められて出られないようになりました。
「お祖母ちゃん、許して、ごめん、許して、ごめん、こめん」と言いながら戸を内側から叩きました。しかしなかなか開けてくれませんでした。泣きつかれて座っていると戸が開き、祖母の怖い顔がぬっと現れました。Aはまた大声で泣きました。
それ以来、祖母とは口を利かなくなり、駄菓子屋に行く楽しみがなくなりました。
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