とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」762 The Platters - Only You

2023-09-30 18:14:09 | 日記
唄も好きですが、何と、この映像。私は昔の映画館に飛び込みたくなりました。モンローの映画を一時に思い出してしまいました。

The Platters - Only You


マリリン・モンロー(Marilyn Monroe、1926年6月1日 - 1962年8月5日)は、アメリカ合衆国の女優、モデルである。様々な映画で典型的な「金髪美女」(ブロンド・ボムシェル Blonde bombshell)の役を演じ、1950年代から1960年代初頭にかけて最も人気のあるセックスシンボルの1人であり、同時代の性の革命の象徴でもあった。

1962年に不慮の死(英語版)を遂げるまで活動期間はわずか10年ほどにすぎなかったが、彼女の出演した映画は総計2億ドル(2021年の貨幣価値に換算して20億ドルに相当)の興行収入を上げた。

死後も重要な大衆文化のアイコンとなり、数多くのアート作品や映画の題材となっている。 1999年、AFIの「アメリカ映画100年 映画スターベスト100」で女優部門の第6位。

概要
ロサンゼルスで生まれ育ったモンローは、幼少期のほとんどを里親家庭や孤児院で過ごした。彼女は16歳で最初の結婚をした。第二次世界大戦中に軍需工場で働いていたときに、陸軍第1映画部隊のカメラマンと出会い、ピンナップモデルとしてキャリアをスタートした。

その後、20世紀FOXとコロンビア ピクチャーズとの短期間の映画契約を結ぶ。マイナー映画への出演後、1951年からのFOXとの新たな契約の下での2年間で『素晴らしき哉、定年!(英語版)』『モンキー・ビジネス』を含むいくつかの喜劇作品、そして『熱い夜の疼き(英語版)』『ノックは無用』といったドラマ作品に出演して注目され、人気を博した。この頃、無名時代にヌード写真を撮っていたことが明らかになるというスキャンダルに見舞われたが、ダメージを受けることはなく、逆に彼女の映画への関心が高まることとなった。

1953年に主演した『ナイアガラ』『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』で「賢くはないが溢れるばかりの性的魅力をもつ女性」、いわゆる「ダム・ブロンド(英語版) ("Dumb blonde") 」のヒロインを演じて大成功を収め、自身のイメージを確立するとともにハリウッドを代表するスター女優のひとりとなる。同年、彼女のヌード写真が雑誌『プレイボーイ』創刊号のセンターフォールドに起用された。

しかしモンローは、映画会社が同じような役柄ばかり彼女に振り当てることや、出演料の低さに不満を持ち、1954年初めに映画出演を拒否して活動停止処分を受けた。翌年『七年目の浮気』の主演で復帰すると、同作は彼女の出演作品の中で最大の興行収入を上げた。

1954年後半には映画制作会社「マリリン・モンロー・プロダクション (MMP) 」を設立。1955年からはアクターズ・スタジオでリー・ストラスバーグの下で演技術(メソッド演技法)を学び直している。 同年後半、FOXはモンローの技量を認め、出演料の値上げと映画製作に彼女の意見を反映させることに応じた。その後は1956年の『バス・ストップ』での演技を絶賛され、1957年の『王子と踊子』では初めてプロデューサーも務めた。1959年『お熱いのがお好き』でゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ映画部門主演女優賞を受賞した。

その華やかな私生活はメディアで大きな注目を集めた。野球の元スター選手ジョー・ディマジオ、劇作家のアーサー・ミラーと結婚しているが、いずれも離婚している。一方で、彼女は薬物乱用、うつ病、不安障害に悩まされていた。

1962年8月4日、ロサンゼルスの自宅でバルビタールの過剰服用により36歳で死去(謀殺説については#死をめぐる諸説節を参照)。1961年の映画『荒馬と女』が遺作となった。(Wikipediaより)


あちこち「SYOWA」(番外) 蓮井朱夏 ZOO 愛をください 菅野美穂

2023-09-25 19:48:44 | 日記
えっ、菅野美穂さん唄ってる。驚きがどっと。私の永遠のアイドルです。「守ってあげたい」。忘れません。

蓮井朱夏 ZOO 愛をください 菅野美穂


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

かんの みほ
菅野 美穂


略歴
1992年、中学3年生の時にテレビ朝日のバラエティ番組『桜っ子クラブ』の番組内ユニット「桜っ子クラブさくら組」のオーディションに合格して芸能界デビュー。同番組のレギュラー出演を継続しながら、テレビドラマやCM、雑誌のグラビアなど徐々に番組の外での活動を増やしていく。

1993年、『ツインズ教師』(テレビ朝日)の生徒役で女優デビュー。1995年にはNHK連続テレビ小説『走らんか!』の準主役に抜擢、そして1996年、テレビ朝日『イグアナの娘』で主人公・青島リカ役を演じ、演技力が高く評価される。1997年末のテレビ朝日系『君の手がささやいている』では、聴覚障害者が困難を乗り越えて家庭を築いていく様を演じ、人気女優としての地位を確立する。同番組は1998年第15回ATP賞のグランプリとなり、菅野も1998年エランドール賞新人賞の第3回大賞を受賞する。また、2001年末にかけて全5編の続編が毎年制作された。

1997年8月22日、20歳の誕生日にヘアヌード写真集『NUDITY』を発売。記者発表の席で唐突に涙を見せたり、事前に内容を暴露した週刊誌を批判したりする騒動も起きたが、写真集は出版科学研究所調べ・2003年6月までの集計で54万部、一説には82万部 のベストセラーとなった。

一方でソロでの音楽活動も行う。1995年3月に「恋をしよう!」で歌手デビューし、翌年にかけて定期的にシングルをリリース。2000年にはドラマ『愛をください』(フジテレビ)の役名・「蓮井朱夏」名義でリリースした「ZOO 〜愛をください〜」が50万枚を超える大ヒットとなるが、以後のリリースはない。

2003年6月、ドラマ『大奥』(フジテレビ)で天璋院篤子役で主演。初の時代劇出演を果たし、新境地を開く。その後は時代劇にも出演していく。

2004年に放送されたテレビドラマ 『愛し君へ』(フジテレビ)では、フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ(月9)に初主演した。

一時期、バラエティ番組への出演は準レギュラーのフジテレビ『サタ☆スマ』のみだったが、2005年4月より、同局の『ブログタイプ』でレギュラー出演し、再現VTRでミニドラマを演じた。

2006年4月にタニ・プロモーションから研音に移籍。

2009年8月『24時間テレビ』(日本テレビ)で、チャリティパーソナリティーを務めた。

2010年10月ドラマ『ギルティ 悪魔と契約した女』(関西テレビ)に主演。連続ドラマでは1999年の『恋の奇跡』(テレビ朝日)以来、11年ぶりに悪女役を演じた(単発ドラマを含めると2006年の『里見八犬伝』以来4年ぶり)。

あちこち「SYOWA」(番外) Akb48 - Heavy Rotation LIVE

2023-09-20 00:08:43 | 日記
この唄さえもう懐かしくなりましたね。時間の経つのはまことに早い。私も80歳に手が届くような後期〇〇〇になりました。嗚呼。

Akb48 - Heavy Rotation LIVE


AKB48(エーケービーフォーティーエイト[注釈 1])は、日本の女性アイドルグループ。秋元康のプロデュースにより、2005年に東京・秋葉原(東京都千代田区外神田)を拠点として活動を開始した。運営会社および所属事務所は株式会社DH、所属レーベルはEMI Records(ユニバーサル ミュージック)。

概要

ドン・キホーテ秋葉原店(ミナミビル)8階にAKB48劇場がある
AKB48は、東京・秋葉原に専用の劇場である「AKB48劇場 (AKB48 Theater) 」を持つ。「会いに行けるアイドル」をコンセプトにこの劇場にて、ほぼ毎日公演を行うことを特徴としている。マスメディアを通した遠い存在ではなく、ファンがメンバーを身近な存在として感情移入し応援して、その成長過程を共有するスタイルがファンの支持を得ている。

グループ名は「AKB48」であるが、メンバーは48人ではなく、正規メンバーと研究生を合わせて約60人のメンバーが在籍している(現在のメンバー数は「AKB48のグループ構成#AKB48の構成」を参照)。2010年11月には正規メンバーが48人、2013年3月には全メンバーが88人でギネス世界記録に認定された。

姉妹グループとして日本国内にSKE48・NMB48・HKT48・NGT48・STU48が、日本国外にJKT48・BNK48・MNL48・AKB48 Team SH・AKB48 Team TP・CGM48がある。AKB48に姉妹グループを含めた場合には「AKB48グループ」、「AKBグループ」、または「48グループ」と総称される。

詳細は「#姉妹プロジェクト」および「#「AKB48」の名称適用範囲」を参照 (Wikipediaより)

おにぎり

2023-09-11 17:02:13 | 創作
おにぎり             瀬本あきら

 母とハハ。かえは何度も呟いてみる。すると、やはりハハを母と思えと言われてもMURI、となる。そして、この店に逃れる。おばちゃんが居るからだ。母でもないその人はかえが大好きだった。その店は駄菓子屋、夜になると酒も出す店になる。
 かえはお客というわけでもない。アルバイトの立場というわけでもない。その店にもう一年以上前から通っている。その店に泊まることもあった。
 ハハは優しくしてくれた。時々小遣いも貰っていた。ハハの実家は資産家だと聞いていた。だから、父は働かなくてもお金には困らなかった。いつも父とハハは家にいた。これといって不満があるわけでもなかった。ハハの優しさが息苦しい。あえて逃れる理由をあげれば、そのことだった。稀に自分か消えてしまえばいいと思うこともあった。高校を中退したのもそのことが理由だった。もう子どもという年齢ではないのに生きる目標をつかむことができないでいた。

 「かえちゃん、おっちゃんに酒注いでくれる」
 夜になると常連のお客が集まってきた。立秋を過ぎてもまだ夜も暑かった。
 かえは言われると素直に徳利を傾ける。もうそれが習慣になっていた。この店の夜の客の人気者だという自覚がかえを辛うじて支えていた。
 「おい、そこのおっちゃん、その子未成年だからね。わかってるね」
 おばちゃんが薄笑いを浮かべて言った。
 「ママ、十八は子どもじゃないぜ」
 「まだ子どもだよー。私のかわいい子どもだよー」
 「おお、そういう意味か。じゃ、一杯だけにしとく。ありがとね」
 すると、別のお客が突然叫んだ。
 「おい、ママ、ムシャク、無錫(むしゃく)だ。唄うぞ」
 白髪頭の男だった。
 「ほいきた」
 おばちゃんはそう言ってマイクを投げて渡した。この店にはカラオケなどはない。だから、マイクはラップの芯の先にテニスボールを取り付けたものだった。その男はマイクを受け取ると「無錫旅情」を唄いはじめた。滑らかな声質の歌声が店いっぱいに響いた。
 「上海、蘇州か、行ってみたいなあ」
 奥のほうからそう言う声が聞こえた。
 「十八番、オハコだよ。やっちゃん、よくやるよ」
 おばちゃんはさっきとは違う笑顔になった。
 「うちの専属歌手だよ、やっちゃんは……かえちゃんもうまかったよね。唄う」
 そう言われて唄いたくなったが、かえは返事の言葉を飲み込んだ。急に思い出したことがあったからだった。それは、ウサギのことだった。
 「おばちゃん、餌やってくれた」
 おばちゃんは慌てたような顔になった。
 「あっ、忘れてた」
 「じゃ、ちょっとやってくるね」

 裏の勝手口の横に小さな小屋がしつらえてあって、そこに茶色のノウサギが一羽住んでいた。やっちゃんが一人住まいのママが寂しいだろうからと言ってくれたものだった。おばちゃんはあまり関心がないらしく餌の草をやり忘れることがよくあった。だから、自然とかえが飼育係になっていた。
 「ちゃこ、ごめんね。お腹すいた」
 オスかメスかわからないので、頭に浮かんだ名前を仮につけてみたのだが、いつのまにか固有名詞として定着していた。
 「夜だから少しだけだよ」
 昼に採っておいた空地の草の湿気を布で丁寧に拭いて、戸を開けて入れておいた。ウサギは湿った草を食べさせるとすぐお腹を壊すので、いつもそうしていた。喜んでいるような仕草で食べはじめた。その姿を見ているとかえは幸せの気持ちを味わうことができた。かえの気持ちを分かってくれていると信じていた。

 「今夜は泊まるね」
 おばちゃんは促すようにそう言った。だから、かえは誘われるまま泊まることにした。畳の部屋は一間しかなかった。
 「同じものばかりで悪いけど、またおにぎり作るからね。少し待ってて」
 やがて、大きなおにぎりが二つちゃぶ台に乗っかった。食べると中から具が出てきた。おかかと高菜の漬物だった。
 「おいしい」
 かえは、こみ上げてくる嬉しさとともに飲み込んだ。
その夜はいつものように二人並んで寝た。

 翌日の朝、かえは家に帰った。
 玄関を恐る恐る開けると、父が待ち受けていたように私を手招きして居間に誘い入れた。かえは身構えた。また説教か。そう思った。
 「かえ、いままで黙ってたけどさ、出来たんだよ、妹が。いや、まだ男か女か分からない。けど、医者は女の子でしょうと……。」
 かえは予想していたことが意外と早く現実になったことに、嫉妬のような不安のような気持ちが膨らんでくるのを抑えきれずにいた。いよいよわたしはこの家には要らない人間になった。心の中でそう呟いた。……また、あの日の電車の音が遠くから聞こえてきた。……わたしは消えた方がいい……。
 「でね、かえ。これから母さん大変になるからさ、少しでも多く家に居てほしいの、分かる」
 かえは黙っていた。そうする他に仕様がなかった。
 「お前の家はここしかないよ」
 「……」
 「あのおばちゃんちで、お客の相手をしているの」
 「……」
 「子どものすることじゃないよ」
 「わたしは、子どもじゃない」かえは叫んだ。思いをぶちまけると、自分の部屋に駆け込んで鍵をかけた。すると、携帯の呼び出し音が高く鳴り響いた。おばちゃんだった。
 「あっ、かえちゃん、大変だよ。ウサギが、動かなくなった」
 「ちゃこが、ちゃこが死んだの」
 「いや、まだ、まだ温かい。息をしてるみたい」
 「すぐ行くから。で、やっちゃんおじさんに連絡したの」
 「今、ここにいるよ。様子見てる」
 「すぐ行くから」
 かえは廊下を音をたてて走りぬけると外に出た。家の中から父の大きな声が聞こえてきた。

 ちゃこの小屋の前で三人はしゃがんで一様に中を覗き込んでいた。
 「わたしは猟師の資格はあるけど、獣医師の資格はないのでよく分からない。多分小屋が狭いこととそれから餌かな。野生動物だからな。普通のウサギとは飼い方が違う。わたしが悪かった。ママが寂しいだろうと思って……。もうだめかも知れない」
 「いや、ありがとね、やっちゃん」
 おばちゃんはそう言いながらやっちゃんの肩に手を置いた。
 
 翌日の夕方かえはウサギ小屋を覗き込んだが、からっぽだった。
 「おばちゃん、ちゃこは」
 「死んだよ」
 「えっ、それで捨てたの」
 「いや、捨ててはいないよ」
 「じゃ、どうしたの」
 「ははっ、いまに分かるよ」
 「どういうこと」
 「……」
 かえはそれ以上問いたださなかった。
 その日も泊まることにしたかえは、いつもと違って落ち着かなかった。ちゃこを失った喪失感に苛まれていた。「ちゃこ、どこに行ったの」。心の中で一心に行方を想像していた。「墓の中に……」。そうだといいのだけれど。毎日でも参ってあげる。
「今日のおばちゃんのおにぎりは特別美味しいよ」
そう言って、おばちゃんはまた大きなおにぎりを二個ちゃぶ台に乗っけた。
 「食べてごらん」
 かえはお腹がすいていたので大口でかぶりついた。いつもと違う具の深い味がした。
 「美味しいでしょ」
 「うん、とっても」
 「よかった」
 かえは美味しかったので、すぐに完食してお茶をすすった。経験したことのない幸福感を覚えた。「おばちゃんのおにぎりは格別だ」。
 「分かったでしょ」
 「えっ、何が」
 「今日のおにぎりの具」
 「えっ、何にも」
 「ははっ、ウサキだよ」
 「うっ、ウサギ」
 「そうだよ」
 「すると、ちゃ、ちゃこ」
 「その通りだよ」
 「おばさんが捌(さば)いたの」
 「いやね。猟師の……」
 「やっちゃんおじさんが」
 「さすが、巧いもんだよ。包丁捌きが」
 かえは突然吐きそうになって台所の流しに行った。喉に指を入れても出てこなかった。
 「どうしたの」。おばちゃんの声を背後に聞きながらかえは外に飛び出した。

 電車道沿いにかえは歩いていた。今までも何回もここを歩いて、これからどうしたものかと迷っていた。電車が音をたてて何度も通り過ぎて行った。車内の灯りがかえをその都度照らした。踏切のないところから線路に出て、レールに耳をつけて近づいてくる車両の音を聞いたこともあった。「このままひかれてもいい。わたしの本当の居場所はここかも知れない」と思ったこともあった。
 かえは電車道の隙間を見つけると誘われるように線路の上に出た。
靴の底から電車の響きを感じた。次第に近づいてくる。かえは動く意志を失っていた。「このまま死んでもいい」。
 そう思った瞬間、「かえちゃーん」と呼ぶ声が聞こえてきた。「おばちゃんだ」。次第に声が大きくなって、姿が見えてきた。
 「危ないからすぐに出なさい」
 「ここに居たい」
 「ばか、死ぬよ」
 おばちゃんはそう言うと、線路に入ってきて、平手でかえの頬っぺたを殴った。そして、手を強く引っ張って線路からかえの体を出した。 
 「ばか、ばかだ、かえは」。そう言いながらおばちゃんはかえを抱き締めた。
 「……」
 「わたしを一人にするつもり」
 「……」
 かえの手を握りしめながら、おばちゃんは歩き始めた。
 かえはその手があったかいと思った。
 「おかあちゃん」
 泣きながらかえは、おばちゃんに必死にしがみついた。体温が伝わってきた。
 「おにぎり美味しかった」             (了)


あちこち「SYOWA」761 六本木心中 アン・ルイス with SHOW YA 1990

2023-09-07 18:01:47 | 日記
リリースした曲目はまことに多い。その中で一番人気があったのはこの曲だと思う。パワフルでかっこいい。彼女のエネルギーはどこから生じるのか。

六本木心中 アン・ルイス with SHOW YA 1990


アン・ルイス(Ann Lewis、本名:アン・リンダ・ルイス、1956年6月5日 - )は、日本の歌手。兵庫県神戸市出身。ロサンゼルス在住。

アイドル歌手としてデビューした後、歌謡ロックの第一人者として活躍した。(Wikipedia)