とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

笹巻

2010-08-14 12:25:10 | 日記
笹巻



 今年も親戚、知人から戴いて、笹巻を食べることができた。ありがたいことだと心から感謝している。
 私の家では昔母や祖母が元気だったときは、笹を山から採ってきて家族総出でこしらえた。ワイワイ言って粉を練って団子を丸めたり、串を挿したり、笹で巻いたり、出来たものを束ねたりしたものである。食べると笹の香りがほわっと口に広がる。そこに季節感を感じる。笹を採りに山奥へ出かける楽しさ、笹巻を作る楽しさは格別だった。他の食べ物と違って形に野趣があり、皮を剥いて食べるときめきがある。吊るして乾せば保存食にもなる。
 さて、そのササマキだが、端午の節句を祝う五月に作って食べる風習に私は何の不思議も感じなかった。ところが、『日本民俗事典』(弘文堂)で調べてみると、粽(ちまき)の項目の説明に、「山形・秋田などでは笹巻といって正月の食品としている。鹿児島県では、盆の食物としている所がある」と説明してあった。私は、食文化という観点から非常に興味を持った。端午の節句だけではなく、正月、盆などの年中行事と関わりをもっていたのである。鹿児島県のある地方では、「盆踊りをしながらこれを食べる」と同書には記してある。笹、茅、真菰(まこも)、葦の生葉は腐敗を防ぐことから邪気を払うと信じられていたそうである。また、汨羅(べきら)の渕に身を投じた楚の屈原の霊を慰めるために、楝樹(れんじゅ)の葉で米を包んで水に流したという中国の故事にその起源を求める説もある。
 ……山野に生える植物の葉で食べ物をくるむ。その知恵の背景には長い歴史と生活文化が息づいているのである。                 (2005年投稿)

硬貨

2010-08-14 12:16:23 | 日記
硬貨



 スキミング、フィッシング、振り込め詐欺などと金に関わる犯罪の手口は最近多様かつ巧妙になってきている。おまけに、通貨偽造も紙幣だけではなく、硬貨にまで及んでいる。これも国内外の経済的な混迷に起因しているのだろうか。
 先日、若い頃に収集していた古い硬貨を骨董市で鑑定して貰おうと持って行ったが、「こんなもの……」といったそっけない扱いをされたので、私はがっかりして持ち帰った。都合百枚くらいの硬貨を家で改めて全部広げてみた。たとえ価値は低くても、実に個性豊かな表情で私を見つめていた。
そして、ふと、同じ一銭硬貨でも時代とともに小さくなっていることに気づいた。そこで私はその形状を比較してみた。
①明治十八年のものの直径は二・七㎝。②大正八年、十年と昭和十年、十二年のものが二・二㎝。③昭和十四年、十五年のものが一・七㎝。④昭和十九年が一・五㎝。材質は①・②が銅でやや重く、③・④はアルミなのか非常に軽い。絵柄については裏だけに注目すると、①は龍、②は桐の紋、③は波と鳥。ところが④は「大日本」の文字だけである。
 私が所有している硬貨だけで判断するのは早計だが、それぞれの時代背景、貨幣価値を反映していて興味深い。絵柄、形状を見る限り、明治、大正、昭和初期のものには何とも言えない風格がある。それに対して、現行の貨幣は何かしら「通貨」然とした面貌をしている。記念硬貨にしてもデザインは美しいが、心の奥に響いてくるものがない。    
 硬貨の美? そんなことを考えること自体、だいそれたことだろうか。(2005年投稿)