とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

潰れても咲く

2011-04-30 21:41:25 | 日記
潰れても咲く


ノースポール



ハボタン



チューリップ



 
 東北新幹線開通おめでとうございます。沿線から熱烈な歓声が湧き上がった。私は涙を流しながらその光景を見ていた。復興の象徴として私の眼には映じたのである。
 そして、始業式を迎えた子どもたち。まだまだ障害が立ちはだかっているが、溌剌とした姿は被災者に大なる力を与えることだろう。パンと牛乳だけの給食でも笑顔で食べていた子どもたち。被災地の未来はその笑顔が切り拓いていくだろう。
 松島の遊覧船が震災後初めて運航された。これも明るい動きである。観光資源が残っている。このことは不滅の光となってこれから被災地を照らすことと思う。
 漁港では漁が再開されたところもある。海の幸に富む三陸の海は、港の整備作業が済めばこれから徐々に賑わうことと思う。
 避難所で皇后様に被災地で咲いた水仙の花束を渡した女性がいた。押し寄せる濁流が引いた後で健気にも息を吹き返した水仙。生命の復活。その命は被災者の未来を物語っている。
 私の家の狭い庭にも今たくさんの花が咲いている。昨年から今年の初めにかけて出雲地方は厳しい寒波が襲来した。長い間、雪に閉ざされた。屋根からはひっきりなしに雪ずりがした。この植物たちはその度に潰され、ぐちゃぐちゃになった。しかし、こうしてしっかりと花を咲かせた。強い。強い。私はこの花を見て、そう感じた。
 潰れても、潰れても、より強くなり花を咲かせる。
 偉大な力を秘めている花花。私は、この花たちを見ていると何も言えなくなるのである。  

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政治の良心

2011-04-27 23:46:38 | 日記
政治の良心


<東日本大震災>第1次補正予算案成立へ ほぼ全党足並み 毎日新聞 4月27日(水)20時7分配信

 東日本大震災の被災地復旧を中心とする今年度第1次補正予算案は与野党の圧倒的多数の賛成で成立する見通しとなった。自民、公明両党に加え27日には社民、たちあがれ日本も賛成方針となったため。また、自民、公明両党は財源の裏付けとなる財源確保法案にも賛成する調整に入り、復旧第1弾ではほぼ全党の足並みがそろう。

 私はこの記事を見て、ほっとした。早く補正を成立させないとすべてが前に進まないので政治不信はは増大すると思っていた。
政治家の良心は「復旧第1弾では」復活したと思う。ただ今後の第2次補正ではこう旨くいくか不透明である。
 私は誰が国政の推進役になってもいいと思っている。ただこのことだけは言いたい。戦後最大の国難を完璧な形で乗り切るリーダーはいないだろうということである。連帯・連携して智恵を出し合い、正・反・合の道筋を尊重することである。
 日銀の白川総裁が言っていた。日本の企業には素晴らしい「現場力」がある、必ず近い将来復興する。この力が国政の世界でも発揮されることを願っている。

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「小名浜風力3」

2011-04-24 21:57:16 | 日記
「小名浜風力3」





         小名浜港(「マピオン大百科」より)

 私の耳の奥から子守唄のように響いてくる言葉がある。

 「小名浜風力3」

 この言葉である。子どものころ深夜、ラジオの天気概況で必ず小名浜が出てきた。「おなはま」という言葉の響きが何ともいえない円やかな感じで耳をくすぐった。私はまだ見ぬ小名浜というところを素晴らしいパラダイスのように思っていた。
 その地名をこの度の震災でまた聞くことになった。どこにある。その測候所は。被害はどうだったのか。私はひどく動揺した。
 調べるといわき市にあった。HPには次のように記してある。


 小名浜測候所は、1910年(明治43年)4月28日から、福島測候所小名浜出張所として福島県水産試験場で気象観測を開始しました。 1923年(大正12年)に現在地(いわき市小名浜船引場)に移転。1937年(昭和12年)に国営移管、翌1938年、小名浜測候所と命名され 観測通報等を実施してきました。
 平成20年10月より無人化となり、小名浜特別地域気象観測所として気象観測を継続しています。


 また、次のような記事も見つかった。


 福島県いわき市小名浜で9日、津波で一時浸水した桜(ソメイヨシノ)が咲き、地元の市民団体が「開花」を宣言した。
 咲いたのは、無人化された旧小名浜測候所敷地内の桜。かつての標本木に、6輪の花があるのを「小名浜まちづくり市民会議」が確認した。小名浜港に近い旧測候所にも津波は押し寄せ、桜の木も30センチほど水に漬かったという。例年通りに咲いてくれるのかと心配されていた。


 そうか。浸水したのか。
 それでも桜の木が春を告げてくれたようだ。よかった。よかった。

 「小名浜風力3」

 この言葉は永遠に私の耳の奥で響くことだろう。


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仙台笹かま販売開始

2011-04-22 23:03:55 | 日記
仙台笹かま販売開始



 

 仙台で「笹かまぼこ」の販売が再開された。私はそういうニュースを知り、急に食べたくなった。
 早速HPから少しばかり注文した。「販売再開おめでとうございます」。そういうメッセージを付けた。輸送状況がまだ正常化していないようで日時の指定はできないそうだ。でも、早く食べたい!!

 「笹かまぼこ」を『Wiki』で調べた。

 伊達家の家紋「竹に雀」その形状から、元は「木の葉かまぼこ」「手のひらかまぼこ」「平かまぼこ」「ベロかまぼこ」などと呼ばれていた。仙台市一番町に1935年(昭和10年)創業した阿部蒲鉾において、旧仙台藩主伊達家の家紋「竹に雀」の笹に因んで「笹かまぼこ」と呼ぶようになってから、旧仙台藩地域で次第に名称が統一されていったという。現在では「笹かま」との省略形でも通用する。
 全国的には「仙台市の特産品」との認識もあるが、名称の由来からも「旧仙台藩の特産品」であり、特定第3種漁港(全国的重要漁港)を擁する気仙沼市・石巻市・塩竈市のほか、宮城県内の太平洋沿岸の港町でも生産は多い。なお、阿部蒲鉾との違いを出すため、現在も「手のひらかまぼこ」の商品名を用いる企業もある。
 現在の製法は、笹形の木枠あるいは鉄製枠にすり身を入れておおよそを成型し、贈答品などではその後手で細かな成形をする工程を入れて、竹串に刺して焼いて作られる。


 ここで個人商店の宣伝をしているわけではない。ただ、食べたくなったついでに調べただけである。参考までにリンクをはっておいた。

  阿部蒲鉾

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桜は今年も咲いた

2011-04-19 15:03:07 | 日記
桜は今年も咲いた




 桜は毎年咲く。当たり前のことであるが、被災地の今年の桜は殊に美しかった。
 私は津波で横倒しになった無残な姿の桜が今年も咲いている姿を見て、色々なことを重ね合わせて胸が締め付けられるような気がした。その側には男の子と父親が感慨深げに見つめていた。瓦礫の山に取り囲まれた樹だが、自然の運行はきわめて平等だということを証明していた。それがまた痛々しいほど美しかった。
 三春滝桜(みはるたきざくら)という名木がある。所は福島県田村郡三春町である。樹齢1000年以上の紅枝垂桜の古木である。 「三春の滝桜」、または単に「滝桜」とも呼ばれている。
 この度の東日本大震災では折れた小枝がいくらかあったものの大きな損傷はなかったそうである。避難所にいる被災者がたくさんお花見に訪れた。
 「力を貰いました」
 「あんな地震があってもちゃんと咲くんだねえ。ありがたいことです」
 そう言いながら涙ぐんでいる女性もおられた。花は変わらず咲いている。このことが大きな力を与えたに違いない。
 この桜が咲いたことが再生への大きな力になるだろう。
 私は桜を見て泣いたことはない。しかし、分かるような気がした。
 因みに国の天然記念物に指定されている。同時に指定された他の4本の桜とともに「日本五大桜」と呼ばれている。そのうちの3本は「日本三大桜」と呼ばれている。
 三大桜は、滝桜のほかに「根尾谷淡墨ザクラ」(岐阜県本巣市)、「山高神代ザクラ」(山梨県北杜市)が、五大桜は、そのほかに「狩宿の下馬ザクラ」(静岡県富士宮市)、「石戸蒲ザクラ」(埼玉県北本市)がそれぞれ指定されている。

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