とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」619 鉄橋をわたると涙がはじまる/石橋正次

2019-03-30 00:43:28 | 日記
『夜明けの停車場』もいいですが、私としてはこの唄がジンときます。伯母の家が旧国鉄の鉄橋近くにありましたので、一層感じるところ大なるものがあります。・・・ほんとに、今唄っても涙が出てきます。いい声です。歌詞もいいです。私の片思いの人が鉄橋の近くに住んでいました。

鉄橋をわたると涙がはじまる/石橋正次



石橋 正次(いしばし しょうじ、1948年11月12日 - )は、日本の俳優・歌手。本名、石橋 正次(いしばし まさつぐ)。
大阪府大阪市東住吉区出身。大阪電気通信高校(現・大阪電気通信大学高等学校)電子工業科卒業。ホリプロ、児山美栄事務所などを経て、町田英子事務所所属。


来歴・人物

高校卒業後、上京。1967年10月、新国劇に入団し、舞台俳優の道へ。
1970年、藤田敏八監督に見出され、日活映画『非行少年 若者の砦』の主人公の少年役に起用される。同年、当時の人気最高潮のボクシング劇画『あしたのジョー』の舞台化、映画化の双方に主演。また、クラウンレコードから『明日の俺は』で歌手としてもデビュー。

1971年には最高視聴率は55.2%、平均視聴率は47.4%という驚異的な人気を誇ったNHK連続テレビ小説『繭子ひとり』に主人公繭子の生き別れの弟役で出演し、国民的人気となった。 歌手としても『夜明けの停車場』はオリコン3週連続1位、1972年度の年間ランキングでも第11位で49.3万枚を売り上げた大ヒットとなった。同曲で第23回紅白歌合戦に出場している。

学園ドラマの不良少年役から特撮、時代劇、テレビドラマ助演男優、刑事ドラマの刑事役、舞台俳優など多種多様の活躍を見せるバイプレーヤーであり、映画では名匠・中川信夫監督の『怪異談 生きてゐる小平次』やテレビドラマ『飛び出せ!青春』などが代表作。現在は舞台に主な活躍の場を移している。

脚本家の佐々木守と親交が深く、『アイアンキング』への出演を依頼された時は「佐々木守が脚本を書く」という条件で承諾したという。また、『仮面ライダー』の一文字隼人役で知られる佐々木剛とは親友であり、火事による重傷で俳優業から去っていた彼の舞台復帰にも関わっている(詳細は佐々木の項目を参照)。

既婚で、五男一女あり。子供を家庭菜園や育児を通じて育てることでも知られ、『SWEET BABY』(主婦と生活社)、『子育て6人奮闘記』(日刊スポーツ)などの著書があり、家庭問題のシンポジウムなどで度々発言している。次男は俳優の石橋正高。
趣味は、スキー。特技は、柔道、殺陣。(「Wikipedia」より)



あちこち「SYOWA」618 竹内 まりや / 山下 達郎 - 家に帰ろう ~マイ・スイート・ホーム~

2019-03-27 17:21:56 | 日記
2019年3月、芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。ほんとにほんとにおめでとうございます。島根の出身ということもあって、ずっと応援していました。以下の紹介は不十分ですが、延々と続くので、途中で略させていただきました。デビュー当時の唄は通勤途上テープでいつも聴いていました。すごい、すごい島根もすごい、と誇らしく思っていました。


竹内 まりや feat. 山下 達郎 (Takeuchi Mariya) - 家に帰ろう ~マイ・スイート・ホーム~ (Uchi ni Kaerou ~My Sweet Home~)


竹内 まりや(たけうち まりや、1955年3月20日 - )は、日本のシンガーソングライター、ミュージシャン。通称「シンガーソング専業主婦」。本名:山下 まりや(旧姓:竹内)。所属レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。所属事務所はスマイルカンパニー。
島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身で、実家は1877年創業の老舗旅館、竹野屋旅館。父親は実業家・元大社町長である竹内繁蔵。6人兄弟の三女。夫はシンガーソングライター・ミュージシャンの山下達郎。山下との間に一女がいる。血液型はA型。

年少時代 - デビュー直後

島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身。生家は出雲大社正門前に位置する老舗旅館『竹野屋旅館』。4女2男の6人兄弟の三女。世界で通じるようにとの父の考えから「まりや」と名付けられる。

高等学校在学中に、AFS交換留学制度によりアメリカ・イリノイ州のロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクールに留学。
高校卒業後は慶應義塾大学文学部の英文学科へ進学。在学中に音楽サークル「リアル・マッコイズ」に所属。リーダーは杉真理だった。このサークルで竹内は鈴木慶一の従妹らとともにバックコーラスを担当。杉の作ったバンド「ピープル」でキーボードとコーラスを担当し、第8回ポプコン関東・甲信越大会(1974年9月7日中野サンプラザ)に「踊りに行こう」という曲で参加しているが、同大会には別グループとして佐野元春(バックレイン元春セクション)、庄野真代、桐ヶ谷仁(フェードイン、後に松任谷正隆の経営する音楽学校講師を務める)も参加していた。

1978年、ビクターより発売された『ロフト・セッションズ(1)』に參加。「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」の2曲を録音する。この「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」はプロモ・オンリーの7インチシングル盤でシングル・カットされた。

1978年11月25日にRCA/RVCよりシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』でデビュー。アイドル不在の時期と重なったため、当初はそのルックスもあいまってアイドル歌手のような役割を担った。大学では英文科に進んだが、厳しいことで有名な唐須教光のゼミと音楽活動の両立ができなくなり留年。のち、1979年のシングル「SEPTEMBER」で第21回日本レコード大賞新人賞を獲得、1980年のシングルで資生堂化粧品CMソングとなった「不思議なピーチパイ」などがヒットする。当初は安井かずみ・加藤和彦夫妻や松本隆などが提供する曲を歌っていたが、これに飽き足らず自らも作詞・作曲を手がけるようになった。

この頃にアレンジャーとして竹内の前に現れたのが、後に公私にわたるパートナーとなる山下達郎である。もっとも、デビュー以前からシュガー・ベイブや山下のライブを見に行っていたと語っており、特に自らのデビューライブ直前に見た山下のライブには大きなインパクトを受けたという。当初、山下は竹内のレコーディングにアレンジャーとして起用されたが、同じRVC所属のシンガーのレコーディングに際しては、双方がコーラスに起用されるなど、その関わりは密になっていった。

竹内まりやの結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、加藤和彦、細野晴臣、告井延隆(センチメンタル・シティ・ロマンス)、大貫妙子、林哲司、伊藤銀次、杉真理、安部恭弘、浜田金吾といった作家が提供している。(以下略「Wikipedia」より)




あちこち「SYOWA」 (番外)後藤真希 ガラスのパンプス (2007年)

2019-03-26 11:49:43 | 日記
いろいろありました。でも、唄の迫力・旨さは相当のものですね。この実力を素直に認めます。乗り越えてください。


後藤真希 ガラスのパンプス (2007年)



後藤 真希(ごとう まき、1985年9月23日 - )は、日本の歌手、タレント。ハロー!プロジェクトの元一員で、モーニング娘。の元メンバー(3期)。旧姓は同じ。結婚後の本名は非公開。愛称はごっちん、ゴマキ。
東京都江戸川区出身。血液型O型。身長159cm。体重43kg。エイベックス・マネジメント所属。
元歌手のユウキは実弟。甥は俳優の勧修寺保都、勧修寺玲旺。


略歴

1999年

8月、モーニング娘。第2回追加オーディションに合格してモーニング娘。3期メンバーになる。
本来2人追加される予定だった(1999年9月9日に9人になると発表された)が、つんく♂曰く「10年に1人の逸材」「才能が飛び抜けていた」として後藤1人が合格した。

9月、加入直後に発売されたシングル「LOVEマシーン」で、グループのセンターポジションを担当。
11月、保田圭・市井紗耶香と3人でグループ内ユニット「プッチモニ」としてもデビュー。シングル「ちょこっとLOVE」は110万枚の売上げを記録。

2000年

4月、テレビ東京にて『ハロー!モーニング。』スタート。初代司会者に就任。

2001年

3月、シングル「愛のバカやろう」でソロデビュー。オリコン初登場1位。
7月 - 9月、連続テレビドラマ初出演『マリア』(TBS)で、4姉妹の末っ子の役を担当。

2002年

9月23日、17歳の誕生日にモーニング娘。を卒業。前日の9月22日にはテレビ東京にて『生中継!後藤真希・モーニング娘。卒業!ファイナルステージ』と称する特別番組が組まれた。中山秀征・中澤裕子の2人を司会に据え、さらに夏まゆみ・市井紗耶香の2人をゲストに迎え13人での最後のテレビ出演を無観客状態の横浜アリーナから生中継。
11月、松浦亜弥・藤本美貴とユニット「ごまっとう」を結成。シングル「SHALL WE LOVE?」をリリース。

2003年

ミュージカル『けん&メリーのメリケン粉オンステージ!』、映画『青春ばかちん料理塾』でそれぞれ初主演。

2004年

10月、安倍なつみ、松浦亜弥と、ユニット「後浦なつみ」を結成。シングル「恋愛戦隊シツレンジャー」をリリース。
10月・12月、テレビ朝日の音楽特番で『特捜戦隊デカレンジャー』との競演を安倍なつみと松浦亜弥とで果たす。

2005年

大河ドラマ『義経』出演(能子役)。
1月10日、「110番の日」、警視庁にて一日通信指令センター長を務める。110番通報を受けるデモンストレーションを行う。
10月、安倍なつみ、松浦亜弥、石川梨華とともに「DEF.DIVA」を結成、シングル「好きすぎて バカみたい」を発売。オリコン初登場1位(5つの名義での首位獲得を達成)。このユニット名で『歌笑HOTヒット10』に出演。

2006年

2月、急性胃腸炎を発症し、舞台『ハロ☆プロ オンステージ!』(2月15日 - 19日)を降板して休養。同21日に復帰。
6月、「後藤真希シークレットライブ」(シングル「ガラスのパンプス」購入者特典イベント)において、初めてライブハウスでのソロライブを行なった。
9月、韓国で現地のファン1200人とイベントを開催。併せて韓国で発売するベストアルバムのプロモーション活動を実施。
11月、韓国で自身初の海外ライブを開催。
12月、SanDisk(デジタルオーディオプレーヤーSansa、フラッシュメモリ製品)のイメージキャラクターに起用される。

2007年

1月24日、モーニング娘。結成10周年を記念するユニット「モーニング娘。誕生10年記念隊」に3期メンバーとして参加、シングル「僕らが生きる MY ASIA」をリリース。
3月13日、北京で行われた「日中スーパーライブ」(日中国交正常化35周年を記念する「日中文化・スポーツ交流年」の開幕イベント)に参加。
4月11日、総理大臣官邸で開催された中華人民共和国・温家宝国務院総理(首相)来日歓迎夕食会に参加し、温家宝や当時の内閣総理大臣・安倍晋三の前で「僕らが生きる MY ASIA」をソロで披露。
4月24日 - 30日、劇団シニアグラフィティの舞台『昭和歌謡シアター 横須賀ストーリー』で初座長を務める。
10月28日、 ハロー!プロジェクトを卒業

2008年

6月1日、事務所をアップフロントエージェンシー(現・アップフロントプロモーション)からエイベックス・エンタテインメントに移籍したこと、レコードレーベルをPICCOLO TOWNからrhythm zoneに移籍したことをそれぞれ発表。
6月22日、エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社の第21回定時株主総会後のシークレットライブに出演。
8月24日、みなと堺グリーンひろばで開催された「a-nation'08」にシューティング・アクトとして出演。ダイアナ・キング (Diana King) のカバー曲「Shy Guy」と、後藤が自ら作詞した楽曲『Hear me』を披露。
8月31日、味の素スタジアムで催された上記同公演に出演。堺公演と同様のセットリストを披露。

2009年

1月5日、J-WAVEの番組『PLATOn』内のコーナー「SWEET BLACK GIRLS」がスタート。ナビゲーターを務める。
3月7日、東京ガールズコレクションにモデルとして出演。
3月8日、神戸コレクションに出演。
3月22日、日本ファッションウィーク (JFW) 前夜祭に出演。
5月 - 7月、HOUSE NATION Ruby tourにゲスト参加。
8月7日、あつぎ鮎まつり前夜祭のトリで登場。 「Candy」、「TEAR DROPS」、「CRAZY IN LOVE」、「Golden LUV」を歌う。
8月、「a-nation'09」にシューティングアクトとして出演。愛知公演と東京公演では「Candy」と「Golden LUV」を、大阪公演では「Candy」と「QueenBee」を歌う。
8月19日、「TEAR DROPS」がmixiドラマ『おんにゃ。』の主題歌に決定。
9月25日、「Queen Bee」(ミニアルバム収録曲)が『ダウンタウンDX』の10月・11月のエンディングテーマに決定。
9月30日、ラジオ番組『SWEET BLACK GIRLS』が終了。
10月2日、「with...」(ミニアルバム収録曲)がテレビ東京のドラマ『嬢王 Virgin』のエンディングテーマに使用される。
10月11日、高崎音楽祭 2009 Love&Live!!に出演。「Candy」、「TEAR DROPS」、「CRAZY IN LOVE」、「Golden LUV」、「with...」を歌う。
11月2日、自身が所属するレーベルのクラブイベント Rhythm Nation -night moods-に出演する。
12月12日、S Cawaii! NIGHT X'MAS PARTYに参加。
公式ページによると初の女性限定イベントに出演。「Fly away」、「With...」、「CRAZY IN LOVE」を歌う。
12月23日、NEXT MOVEMENT GRAND FINAL にゲストライブで参加。「Fly away」、「CRAZY IN LOVE」を歌う。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」617 ガロ 「学生街の喫茶店」

2019-03-21 10:57:48 | 日記
ボブ・ディランが突然出てくるので、当時無知な私は誰だろうと思っていました。しかし、いい曲ですね。フォークロックグループと言う言葉も初めて知りました。

ガロ 「学生街の喫茶店」



ガロ(GARO)は、1970年から1976年まで活動した日本のフォークロックグループ。

メンバー

堀内護(MARK(マーク)1949年2月2日-2014年12月9日)
ボーカル、コーラス、ギター、マンドリン、シタール、ピアノ、スペリオパイプ
日高富明(TOMMY(トミー)1950年2月22日-1986年9月20日)
ボーカル、コーラス、ギター、マンドリン、琴
大野真澄(VOCAL(ボーカル)1949年10月23日-)
ボーカル、コーラス、ギター、マンドリン、ピアノ

概要

堀内護(愛称MARK)、日高富明(愛称TOMMY)、大野真澄(愛称VOCAL) の3人グループとしてデビュー。全員が生ギターとボーカルを担当するのが基本的な編成。ガロという名前は、当時ザ・タイガースのマネージャーで三人の世話役でもあった中井國二が自分の子供にと考えていた「我朗」から名付けられた。

1973年に「学生街の喫茶店」、「君の誕生日」、「ロマンス」と立て続けにヒットを飛ばし一世を風靡した。
元々はCSN&Yやブレッドの影響下にあったバンドであり、それらのグループの楽曲もレパートリーに加えていたこともあり、卓越したコーラスワークとギターテクニックにより「和製CSN&Y」と称された。


近年は「ソフトロック」というジャンルにおいて、またアルバム『CIRCUS』『吟遊詩人』ではプログレッシブ・ロック的な、『三叉路』ではハード・ロック的なアプローチをしたこともあり、ロックバンドとしても再評価されている。
1976年に解散。

「学生街の喫茶店」(がくせいがいのきっさてん)は、GARO(ガロ)の3枚目のシングル。1972年6月20日発売。発売元は日本コロムビアのマッシュルームレーベル。

解説

セカンドアルバム『GARO2』からのシングル・カット。リリース時は「美しすぎて」がA面、「学生街の喫茶店」がB面というスタイルであった。レコード発売は1972年6月20日であったが、7月にTBSラジオ『ヤングタウンTOKYO』の「今月の歌」にB面の「学生街の喫茶店」が選ばれた。ただ発売間もないレコードのB面推しということで関係者は困惑したという。しかし、このことがきっかけとなって有線放送やラジオを中心に人気が出たため、1972年12月前後からジャケット写真はそのままに、「学生街の喫茶店」のタイトルが目立つようにレイアウト変更されたリニューアル・ジャケット盤に切り替えられていった。

日本コロムビアの金子充孝ディレクター(1972年当時)によると、同年の11月末頃から売れ出し、翌1973年の1月末にガロがテレビ出演したことでヒットの勢いがついた。最もヒットしていたのは1973年の春先で、オリコンヒットチャートでは2月19日から4月2日まで7週連続で1位を獲得。1973年の年間ヒットチャートで第3位を記録し、同年を代表するヒット・ソングのひとつとなった。累計売上はミリオンセラーを記録。

『第24回NHK紅白歌合戦』でも本楽曲を披露。当時のフォークグループとしては、紅白出場歌手に選出されたこと自体も珍しいことであった。また、『日本有線大賞』では新人賞を受賞している。

作曲は、GS関連曲のヒットメーカー、さらに1980年代以降にはテレビゲームソフト・ドラゴンクエストシリーズのゲームミュージックを手がけたすぎやまこういちによる。上記の第24回紅白ではガロの出演時、指揮者として出演を果たしたほか、間奏で演奏される楽器「コール・アングレ」についてもアナウンス解説者によって紹介された。

楽曲の舞台となった喫茶店は東京・御茶ノ水の明治大学付近にあった喫茶店『丘』など諸説があったが、作詞者の山上路夫は具体的に参考にした店はないとしている。また、山上路夫自身に大学生活の経験はない。

2018年2月現在、大野真澄のみ存命であるため、ひとりでテレビに出演して「学生街の喫茶店」を披露することがある。また、発売は日本コロムビアであったが、原盤権はアルファレコードが所有している関係で、復刻盤CDはソニー・ミュージックエンタテインメントの関連会社「ソニー・ミュージックダイレクト」から発売されている(2006年11月29日発売の『GARO BOX』など)。

2018年のNHK連続テレビ小説『半分、青い。』にて、劇中歌として本曲が登場する場面が放映された。(「Wikipedia」より)







あちこち「SYOWA」616 よろしく哀愁 (1974)

2019-03-17 00:22:05 | 日記
可愛いすぎるアイドルとして一世を風靡しまた。今こうして若いころの映像を視ていてもほんとに可愛いと思います。


よろしく哀愁 (1974)



郷 ひろみ(ごう ひろみ、1955年10月18日 - )は、日本の男性歌手、俳優、タレントで新御三家の1人。本名は原武 裕美(はらたけ ひろみ)。血液型A型、身長178cm。
福岡県出身。所属事務所はバーニングプロダクション。2014年10月よりマネージメントをエヴァーグリーン・エンタテイメントに委託し業務提携。 既婚。


デビュー〜アイドル全盛期

1971年、銀座であった映画オーディションでジャニー喜多川にスカウトされてジャニーズ事務所へ所属する。
高校一年のとき、家族で日比谷に映画を観に行った帰り、フォーリーブスのマネージャーにスカウトされ、彼らの合宿所に出入りするうちジャニーズ事務所所属となる。

フォーリーブスのバックダンサーとして出演して多くのファンを獲得する。芸名は、ファンからの声援「レッツゴーひろみ」から借名して「郷ひろみ」になり大阪でファンクラブが発足する。
1972年1月2日、NHK大河ドラマ『新・平家物語』に平清盛の弟、経盛役で俳優デビュー(現在までNHK大河ドラマ合計4作品に出演) する。

4月3日 - 9月25日、フジテレビ系の森田健作主演・青春ドラマ『青春をつっ走れ』と『あしたに駈けろ!』に連続して出演する。
8月1日、CBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)所属の歌手としてデビューする。
9月25日、デビュー曲「男の子女の子」がオリコン週間チャートのベストテン入りを果たし、11月には第14回日本レコード大賞・新人賞を受賞する。

1973年、ブロマイド年間売上実績No.1となり、西城秀樹、野口五郎と共に新御三家と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。
11月20日、「裸のビーナス」で第4回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞、12月2日には「小さな体験」で第6回日本有線大賞・大衆賞を受賞する。

12月31日、第24回NHK紅白歌合戦に初出場し、前年のデビュー曲「男の子女の子」を歌う(以後1985年まで13年連続出場する)。
1974年10月28日、初主演テレビドラマ『ちょっとしあわせ』の主題歌「よろしく哀愁」で、自身初のオリコン週間チャートの第1位を獲得する。

1975年6月6日 - 9月26日、主演TBSテレビドラマ『あこがれ共同隊』で、同年ブロマイド年間売上実績No.1の西城秀樹、桜田淳子と共演する。
バーニングプロダクションへ移籍する。
1976年、『さらば夏の光よ』で映画初主演する。
11月、「あなたがいたから僕がいた」で第18回日本レコード大賞・大衆賞を受賞する。

1977年、TBSテレビドラマ『ムー』出演でコミカルな一面が注目され、再びブロマイド年間売上実績が男性部門でNo.1となる。
1978年8月10日、TBSテレビドラマ『ムー一族』の挿入歌「林檎殺人事件」が『ザ・ベストテン』で自身初の第1位を獲得する。
1979年4月 - 1980年4月、日本テレビ系のバラエティー番組『カックラキン大放送!!』に野口五郎と(以降は1年)交替でレギュラー出演する。

8月、『明星』「アイドル人気投票」で7年連続で1位獲得し、日本テレビ音楽祭・トップアイドル賞を受賞する。
11月15日 - 12月13日、TBSテレビドラマ『家路』の挿入歌「マイレディー」が『ザ・ベストテン』で5週連続1位を獲得する。
1980年7月21日、新御三家で初のCMソングとなる「How many いい顔」が発売される。
1981年12月6日、「お嫁サンバ」で第14回日本有線大賞・有線音楽賞を受賞する。

1982年7月17日、外国曲のカバーで、自身初のスロー・バラード「哀愁のカサブランカ」が発売され、「よろしく哀愁」以来2度目の売り上げ50万枚超(オリコン週間チャート第2位)のヒット。
フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』では同曲を号泣しながら歌う姿が再三見られた。歌詞が自身の過去の実体験とオーバーラップしたという。

1984年2月25日、郷を形容するのに「ジャパ〜ン」という表現が使われるようになった、日本国有鉄道キャンペーン・ソング「2億4千万の瞳」が発売され、20万枚超のヒット。
1985年1月、交際していた松田聖子が破局会見を行う。9月には二谷友里恵と出会う。(「Wikipedia」より)