とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

ミクストメディアの「予感」

2013-10-27 23:00:30 | 日記
ミクストメディアの「予感」




グルジアのヴァニで発見された女神ニケの像(「Wiki」より)


私はこの像を初めて見て、女神のポーズ、全体的な造形から現代彫刻ではないのかと思った。サモトラケのニケの復元模型を見たことがあるが、比べものにならないほど面白い。翼も見事である。ある神事の一場面を想像させる。


 私はこの数日間身動きがとれないほど病的に疲労して、佐山医師に診て貰いながら床に就いていました。横になっていて考えたのは妻のことでした。俺は妻を不幸にしてはいないか。結婚とは何か。これから二人はどうなるのか。などと考えていました。看病というか世話をしてくれる妻がまことに哀れに思えました。しかしどうしたらいいのか。いい考えは出てきませんでした。
 それから朦朧とした頭に浮かんでは消えていった場面はあの国立新美術館での出来事でした。それを振り返りながらこれから展開する周囲のドラマを思っていました。春陽展の展示場に入ると一つの絵の前に人だかりが出来ていて、カメラのフラッシュが時々煌いていました。私と長柄さんは後ろから覗き込んで驚きました。大型の作品の横に佐久良さんがいました。カメラマンの求めに応えてポーズをとっていました。そして、各新聞社等の記者のインタビューに明るく答えていました。京子たちはどこにいるんだ。長柄さんが言いました。確かにその作品は京子さんのものに違いありません。しかし本人はどこにもいません。インタビューなら作者本人が中心のはず。しかしその場面の状況はあたかも佐久良さんが作者のように思えたのです。私は近くの人に尋ねました。今日は凰さんだけの取材ですか。すると、この絵のモデルが意外にも有名な俳優の凰だったので、今日取材をお願いしたんです、という答え。私は唖然として次の言葉が出てきませんでした。


 「予感」というタイトルですが、どういうイメージを予感しているのですか。

 タイトルについては作者にお尋ねください。予感ですか、・・・この絵をじっと見つめてください。理由が分かるはずです。

 これは明らかにニケですね、佐久良さんがモデルですね。このコスチュームもいいですね。輝いています。・・・でも、翼がない。

 ええ、そうです。・・・しかしよくご覧ください。何か見えてこないですか。

 何も見えませんが。

 そうですか。じゃ、角度を変えてご覧ください。

 ・・・おっ、何かかすかに見えてきました。・・・あっ、翼です。見えました。

 ありがとうございます。本体は油彩ですが、背景は岩彩です。重ね塗りの下地に翼が描いてあります。遠くからは本体だけしか見えません。

 いずれ翼が生え、大空に飛び立つ。それを導くのが天使たちですね。天使たちの姿も効果的ですね。

 ええ、出雲の山にニケの像が立っています。夜だけ現れるニケです。

 ほほう、幻想的ですね。

 佐久良さん、最近、夜、出雲の空に不思議な鳥が現れたとか聞きますが。・・・別の記者が尋ねました。

 ええ、そうです。・・・あ、その話はもう止めてください。

 どうしてですか。何か都合が悪いことでも・・・。

 いえ、何もないです。

 じゃ、どうして隠すんですか。

 理由はありません。ただ、その話を聞くと私は気分が悪くなります。

 えっ、そう仰ると余計に聞きたくなるんですが。

 ですから、止めてください !!

 あっ、どうも。

 じゃ、出雲の劇団に移られた理由は・・・。

 それも、ノーコメントです。

 京子はどうしたんだ。あいつまるで作者みたいな口の利き方じゃないか。・・・と長柄さんが私の耳元で言いました。すると、人ごみを掻き分けて京子さん夫妻が現れました。
すると、京子さんに質問が集中しました。佐久良さんをモデルに選ばれたのはどうしてですか、とか、どういうご関係ですか、というような絵とは関係のない質問だったので、京子は憮然とした表情になりました。

 みなさんは芸能関係の記者ですね。美術関係のお方はいらっしゃいませんか。・・・京子さんが周りを見て言いました。すると手を挙げた男の人がいました。

 私は独立展で受賞されたときから取材していました季刊芸術の坂井と申します。この度の特選おめでとうございます。質問ですが、予感をミクストメディアで表す手法が成功していると思いますが、今までの家庭的な雰囲気の作品から神話の世界に転換された理由をお聞きしたいのですが。

 ありがとうございます。あまりにもストレートな質問なので答え難いのですが、・・・絵の道から逃れようとした時期がありました、助けてくれたのはここにいる夫でした、それから、一緒に仕事をしてくれた友達にも随分励まされました。それから、出雲への先入観を打ち破るよような出来事が周囲で起こり、もうそれが大きなうねりになっています。あるお方が新しい神話の創生ということを仰いました。私はその言葉に強い示唆を受けました。これだ、新しい神話、神話の神々は世界に羽ばたく、国際的な舞台で純粋な日本的なものを描くのも一つの方法ですが、世界の神々を出雲に招く、これだと思ったのです。

 よーく分かりました。早速記事にさせていただきます。

 記者たちはその言葉を聞くと、囲みをほどいて帰り始めました。

 さすが京子。美術館を出るときに長柄さんが呟きました。・・・それから帰り道、京都で降りて、新阿国座の本部を訪ねました。三朗がすぐに里見オーナーを呼びました。それからオーナーの案内で京都見物をして、夜、料亭に案内されました。すべて初めてのことなので二人は緊張のし通しでした。

 
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変化の予感

2013-10-22 11:14:57 | 日記
変化の予感




藤島武二 『 蝶 』 1904 (M37) 

 この作品は非常に人気がある。作中の少女が今にも蝶たちに連れ去られる、というか、自身に羽根が生えて飛んでいく場面を想像してしまう。あるいはこの少女は蝶の世界の女王かもしれない。という風にいろいろな想像力を刺激する。絵の試みの無限大の広さを感じさせる作品である。


 思い屈したときは遠出するに限る。長柄さんがそう私を促したので、弥次喜多道中を決め込むこととなりました。目的地は東京の国立新美術館。そこで新陽展が開催されていました。会期末が迫っていたので長柄さんは私を急かせました。京子さん夫妻の入選作品が掲げてあるはず。何が描いてあるか。私は全く予備知識がないまま出かけました。岡山に出て新幹線乗り場に行くと、近くの乗車口に佐久良さんが立っていて私たちは驚きました。おお、佐久良さんじゃないですか。そう長柄さんが呼びかけると、向こうもびっくりした表情で、お揃いでどちらまで・・・、と聞きました。美術展ですよ、京子の。そう長柄さんが答えると、ええっ、私もです、という返事。奇遇とはこのこと。私も驚いて、じゃ、ご一緒に・・・、と言いました。すると、お二人のお邪魔をしては悪いですから、も一つ向こうの車両に乗ります、美術館でまた・・・。そう言ってどんどん走って行きました。二人はしかたなく隣の車両に乗り込みました。すーっと扉が閉まりました。私はいつものように閉塞感に襲われそうになりました。

 おい、大丈夫か。・・・長柄さんが尋ねました。

 こういう時には気を紛らわすに限る。元気薬がここにある。・・・私は内ポケットからウイスキーのポケット壜を取り出して一口飲みました。喉が焼けるような刺激を感じました。

 病は気から。すぐに収まる。

 お前はややこしい男だな。

 四十二の厄年のころから私に取り付いてしまった。もう、私の一部になった。・・・そう言ってまた二口飲みました。すると、発作が起きる気配が収まりました。

 もう大丈夫だ。ごめん、ごめん、心配かけて。

 美味そうだな。俺にもくれよ。

 どうぞ、どうぞ。・・・私は壜を差し出しました。すると、一気にごくごく飲み始めました。

 強いな。そんなに続けて飲んでいいのか。

 ははっ、平気だ。・・・とうとう二人はすっかりいい気持ちになり、口数が多くなりました。

 なあ、あの佐久良、年寄りを旨くかわしたな。

 いいじゃない。将来のある若い女性なんだから。

 いやな、今度の絵だけどな、彼女がモデルらしい。冴子情報だ。だから彼女気になるんだよ。

 へえー、モデル。

 そうだよ。京子は佐久良がいた前の劇団の公演を見たらしい。まあ、女が女に惚れるってやつだな。すぐ楽屋に言ってモデルを頼んだらしい。そこで意気投合。だから随分前から京子のアトリエに通っていたらしい。そりゃ、公演もあるし、いろいろ忙しい体だから、京子が向こうに出かけることもあったらしいけど・・・。だから、出雲に住みたいという気持ちはその時から持ち続けていたんだ。そのころ彼女もいろいろ悩んでいたと思う。京子は励ましていたんじゃないのか。

 佐久良さんから画家として直感的に感じるものがあった。・・・それはもしかして、オーラのようなもの。ぼくは、自然にあの夜の出来事を思い出す。

 いや、俺も冴子さんからいろいろと聞いたとき、そのことを思った。京子は鋭い勘を持っている。

 ということは作品の絵柄が予想できるような気がする。

 なんだって、・・・じゃどういう絵だ。

 変化だ、へんげ。

 へんげ。

 そうだと思う。・・・変化する予感を定着する。

 何に変化するんだ。
 
 それはわからない。楽しみだ。・・・その予感を描くのは至難の業だと思う。

 お前、すべて分かったような言い方をするなあ。もし違ってたらどうする。

 いや、見えてくるような気がする。

 お前、酔っ払ったんじゃないのか。

 いや、そんなことはない。・・・ただ、「母」の声が聞こえてくるだけだ。

 母 !!

そうだ。「母」だ。

 ふん、なにが母だ。お前のおっかさんは死んだんじゃないか。

 いや、生きている、ずっと離れたところで。

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新しき神話の創生

2013-10-15 15:28:04 | 日記
新しき神話の創生




 WATTEAU, Jean-Antoine (1684-1721 French Painter Rococo style)「Summer」

 この絵はヴァトーの友人にしてパトロンでもあったフランス財務長官ピエール・クロザの邸を飾っていたことから「クロザの四季」と呼ばれている四季連作の1枚です。
  夏の収穫物である麦を司るところから、夏の寓意像として頻繁に描かれる農耕の女神ケレス。穀物の冠を戴き鋭い鎌を手にした女神は、その手で刈り取った麦の束にもたれて悠然と雲に座しています。
  女神の周りには、伝統的に夏の星座と見なされてきた蟹座(陰になっているのでわかりにくいですが画面左下にかすかに見える黒いザリガニのことです)・獅子座・乙女座が描き込まれ、寓意を強める働きをしています。
  「クロザの四季」にはこの他にも《春》と《秋》があったことが知られていますが、このうち花の女神フローラと西風の神ゼフュロスを描いた《春》は1966年に火災で焼失してしまいました。《秋》は小さな鎌を手にして果物を収穫する若い娘(おそらく果実の女神ポモナ)とキューピッドを描いた作品で、現在ルーヴル美術館に収蔵されています。
(HP「テオポリス」http://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/index.html より引用)


 ご縁劇場の整備事業に続いて、ご縁美術館の整備が行われました。校舎の美術館の部分だけ屋根を高くして天井を上げ、間取りも教室を繋げて広いスペースが確保されました。
館長は元学芸員の坂本竜太郎が選ばれ、他に2名の女性スタッフが採用されました。これに合わせて、ギャラリー・スペースも作られ、地元ばかりではなく全国の作家の美術活動の援助をすることになりました。他の販売事業等のスペースも大幅にセンスアップしました。こういう一連の作業は本部から派遣された経営顧問根上康夫の構想に基づくものでした。・・・かくして第1期のハード面での作業は終了し、人事面での配置も完了したので、事実上公益社団法人ご縁市場が誕生しました。残る絵画、陶芸部門についても将来的には法人組織に繰り入れする方針だと聞きました。
 秋の晴天に恵まれたある日、新ご縁市場の開所式が開かれました。参列者はご縁市場の所長とそれぞれの部門の代表者、従業員、それに新阿国座の幹部、市関係者でした。私と長柄さんも一般の参列者に混じって後ろの方に座っていました。セレモニーでは最初に出雲市地域振興部長の祝辞とご縁市場代表の古賀所長の謝辞が述べられ、最後に根上顧問の挨拶がありました。

 皆さんご多忙の中、多数ご出席いただきましてありがとうございます。皆さんのご支援、ご協力によりまして、新しいご縁市場が誕生しました。この出雲の地に産声をあげたご縁市場は新しい地域興しの拠点として今まですばらしい活動をなさっています。この度衣替えしたご縁市場もその趣旨を受け継いでいきたいと思っています。
 ハード面では出来るだけ親しみを持っていただけるように工夫しました。組織的には普通の会社ではなく、公益法人の形をとりました。ですから新阿国座の傘下に入ったものの利益を私たちが吸い上げる訳ではありません。効率よく経営し、生まれた利益はすべて地元地域にいろいろな形で還元したいと思います。
 中央の劇団と地方の地域興しの施設が協力するというケースは初めてだと思います。両者が最善の形で溶け合い、ここ出雲の地に新しい神話を作り出したいと思います。芸術、文化をベースにして人的な面での大きな流れを生み、物流の面でも一層大きな規模に膨らませ、全国から注目される。・・・これが新しい神話の創出です。近く完成する新阿国座のメイン劇場の活動とあいまって出雲の土地から全国に羽ばたく大きなうねりを作り出しましょう。私たちはそのために最善を尽くします。・・・ご清聴ありがとうございました。

 続いて舞台で記念のアトラクションが始まりました。雪月花の3組のすべてのメンバーが息の合った総踊りを披露しました。勿論、出し物は阿国踊りです。華やかな新しい風が観客を魅了しました。

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三つ巴

2013-10-10 04:15:13 | 日記
三つ巴



ROMNEY, George(1734-1802)「キルケに扮したハミルトン夫人」

 ジョージ・ロムニーはイギリスの肖像画家である。同時代のトマス・ゲインズバラやジョシュア・レノルズと並び称された著名な画家であった。他の人物像のほとんどが所謂記念撮影的な固い表情のものであるが、この作品は豊かな身体的な表情にあふれている。何か話しかけてくるような雰囲気が漂う。絵も演劇と同じである。溢れる表現力が胸を打つ。

 
 私がまた例のごとく身体的な不調で家に閉じこもっていた間に、ご縁市場の改修工事がどんどん進捗していました。外観も整って見違えるようになりました。特にご縁劇場には座席が設けられました。後部座席を高くしてあるので千人はゆったりと座ることができる劇場兼稽古場になっていました。それに劇場関係者の宿舎も隣に建築中でした。
 それから、かねてから問題となっていた湖笛関係者同士の紛糾の解決策も親劇団の方から提示されました。それはキャストを3チームに分け、各チームにリーダーを選任して統率し、チーム間で競わせるというやり方でした。そのチーム名は、雪、月、花の3つ。雪組のリーダーは親劇団から選ばれた市川麗華、月組は遊木笙子、花組は凰佐久良。逸材と評価されているベテランの麗華が親劇団から派遣されることで統制がとれるという判断からなされた方策でした。
 座長には親劇団と兼務の喜多川信夫、舞台監督には松江賢治、脚本担当には長山真一郎がそれぞれ任命されました。3つの組の人数は10数人で、合計40数名が一度に稽古し、舞台の主導権を握る組はその結果を見てから審査するという厳しい方法が取り入れられました。・・・見回り隊の活動を長らく中止していましたので、長柄さんが心配して私の家にやってきました。


 おい、おい、ご縁市場がどんどん新しくなっていく時に閉じこもっていたんじゃ自称守る会として立場がないじゃないか。

 すまん。ときどき私は元気がなくなので、どうしようもない。

 いろいろと情報が入っていると思うが、新しいメンバーで稽古が始まっている。それに新阿国座のメイン劇場の建築も始まった。もう、じっとしておられないじゃないか。・・・それに、京子が旦那と一緒に入選した。

 えっ、入選、それは初耳だ。

 出雲画廊の千賀子さんからの情報だ。冴子さんも喜んでいる。綾乃さんの力もたいしたもんだ。自分はわき役に回って、いつも二人を刺激していた。天国の両親が喜んでいると思う。

 そりゃ重ね重ねめでたい。祝賀会だね。

 その話は古賀画伯がもう準備を始めている。いずれ案内があると思う。

 作品を見たいけれど、どこへ行けば・・・。

 東京の国立美術館だよ。

 東京か。

 お前、以前、銀座に行ったことがあるじゃないか。

 あの時の元気はなくなった。

 おい、おい、頼むよ。すっかり老け込んでしまって。

 すまん。・・・その話を聞いて少し元気が出てきた。

 じゃ、俺と一緒に東京へ行こう。

 ありがとう。・・・少し考えさせてくれ。

 ひと月だけの展示だ。早くしないと終わってしまう。

 うん。きっと行く。・・・自分を励ますように私はそう約束しました。


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負の重積地

2013-10-06 05:49:17 | 日記
負の重積地




「フラジョレットを吹く天使」( 1878 マージーサイド州立美術館・ギャラリー  リヴァプール  イギリス)


 ラファエル前派が次第に象徴主義への影響を高めていった時、バーン・ジョーンズは作品の神秘性を高めながら、装飾性にもこだわっていった。私は薬師寺東塔の飛天を連想し、芸術・宗教における和洋の共通性を思った。この作品はパステル画のような淡い色彩がまことに美しい。


 ご縁市場についての三者の契約がいよいよ大詰めになりました。契約書調印の日、劇団の幹部だけではなく里見オーナーも出雲に来ました。出雲市駅に到着したオーナーは市関係者と古賀所長たちの出迎えを受けました。オーナーは駅舎の中に阿国像が立っているのを見つけていたく感激していたそうです。そして調印式を終えた劇団の一行は観音山に登って劇場の候補地を眺めたそうです。・・・これもまた三朗からの連絡によって知りました。

 お義父さん、オーナーの第一候補地が決まりました。

 えっ、第一候補、・・・何のことだ。

 劇場の建設予定地ですよ。

 そんな大事なこと、私に話していいのか。

 ははっ、大丈夫です。関係者にもう連絡してあります。地権者には了解していただきました。それから古賀所長も賛成でした。ああ、岡田さんはがっかりしていましたが、理解していただきました。

 岡田さんががっかりしていた、・・・もしかして・・・。

 そのもしかして、ですよ。先日落雷した山です。

 あんな辺鄙なところがどうして・・・。

 ご縁市場に近いですし、それから・・・。

 何だ。

 観音山から眺めて、オーナーは何か強い確信を得たようで・・・。

 天啓だと言うのですね。あそこの山は落雷によって負と言いますか、陰と言いますか、何しろものすごいマイナスのエネルギーが集積しているという訳ですね。ご縁市場にとって悪いことが起きてはならないということで・・・。

 ・・・。

 負の集積は莫大な正のエネルギーを生む、あそこに神殿を作れば、発展は間違いない、と仰いました。負の乗数は天文学的な数になる、とも仰いました。

 さっぱり分からん。

 土地を整備し、道をつければ神殿は周囲どこからでも眺められる出雲の象徴になる、とも仰いました。

 旨くいくかね。

 私は素直に納得しました。他の幹部も平野部より高地に建てる方がシンボルとして効果がある、と言っていました。

 火の鳥が守ってくれるということも・・・。

 お義父さん、私はその場面を見ていませんが、後でその話を聞いて、火の鳥をはっきりイメージできました。

 それで、何時完成するんだ。

 2年後だと思います。

 ということは、相当計画が煮詰まっているということになるな。

 そうです。忙しくなります。
 
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