とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

バナナが国を救う日

2010-08-25 23:44:52 | 日記
バナナが国を救う日


 バナナと言えば、私たち日本人にとってありふれた果物である。しかし、この話は実ではなく、茎の話である。
バナナは樹木ではなく、草だそうである。その茎の繊維から紙が出来ることを初めて知った。実を収穫した後切って捨てていた茎が、意外な方面で再利用できるようになった。その研究を進めている人は、森島紘史教授(名古屋市立大学大学院)である。ある日一通の電子メールが届いた。「捨てているバナナの木を何かに利用できないでしょうか」。カリブ海の最貧国ハイチ共和国から発信されていた。
 森島氏は政府や製紙会社、和紙職人に働きかけてハイチに行き、現地で紙を作ることに成功した。それから、大量生産するためにバナナの繊維を日本の製紙工場に送ってもらい、機械生産を試み、印刷物に使えるバナナ・ペーパーが出来上がったそうである。このプロジェクトのメリットは大きい。第一に森林の破壊を食い止める。また、発展途上国を経済的に救済することができる。そして、何より、子どもたちの教育に欠かせない紙を供給することが出来る。
 実は、このバナナ・ペーパーの話は『ミラクルバナナ』(学習研究社・二〇〇一年初版)という絵本からの引用である。この本に逸早く注目し、その話を縦糸にして同名の映画づくりをした人が、あの『白い船』の錦織良成監督である。映画では、タヒチと間違えてハイチに行くことになった大使館の女性派遣職員が主人公となっている。
 今度の錦織監督の新作をこの十五日プレミア上映会で鑑賞した。監督の発展途上国に向けた温かい眼差しが心地よかった。(2006年投稿)


(追記)私はこの度のハイチの地震災害発生を知り、この映画の場面を思い出し、非常に驚きました。心からお見舞い申し上げます。その後、この映画のチャリティー上映会が各地で開催されました。この運動が全国に広がることを祈っています。

パスワード

2010-08-25 23:41:45 | 日記
パスワード




 パスワードについて、『パソコン用語事典』(技術評論社)ではこう説明してある。「データベースや情報サービスなどを利用する際に、利用者かどうか判断するために使用される文字列のこと」であり、ユーザーIDとともに用いられて、「正当なユーザーであること」を示す記号である。
 IDとパスワードを獲得すれば、ホームページやブログや掲示板などで情報発信することもできるし、ネットショッピングも楽しめる。また、メール交換もできる。だから、私にとっては、魔法の「文字列」である。
 私は、今までに幾つかのホームページや掲示板をそれによって取得して、会ったこともないようなたくさんの人たちとの「出会い」が実現した。しかし、長年親しんだホームページや掲示板を削除したこともあった。そのときは言葉に表せないような悲しさを感じた。せっかく作ったページを削除するときは、ネタに行き詰まった場合とか、読まれてまずいことを書き連ねた場合である。何しろ全世界からアクセスできるので、生き恥をさらすようなことになる。
 ところが、消したくても消せない掲示板が一つある。削除しようと思って、貰ったパスワードをいくら入力しても、やり直しの画面が出てくる。運営しているある会社のサポートセンターでパスワードを再確認しても、「あなたのパスワードは有効なのでやり直してください。パスワードは公開できません」と厳しい口調の返事がいつも返ってくる。
 私は、今、たくさんのパスワードを保有していることを反省している。パスワードの管理をおろそかにすると、とんでもないことが起こるからである。(2006年投稿)

ハクチョウとの再会

2010-08-25 10:50:53 | 日記
ハクチョウとの再会


 久しぶりに私の関心が外に向かっていた。宍道湖を見たい。そういう気持ちがしきりに湧いてきた。ある朝、出雲空港北側の堰堤(えんてい)まで車で行き、豪雨後の宍道湖を眺めた。湖は水位が下がり、いつも見ている穏やかな姿にもどっていた。
 ふと足もとの葦の繁みを見ると、白く動くものがあった。ハクチョウだった。しかも三羽。その後新建川から姿を消していたので、北の国へ帰ったものとばかり思っていた。あの鳥と違うかなという気もした。しかしよく見ると、その姿や人を怖がらない様子からしてあの鳥に違いなかった。同じ大きさの別の鳥が仲間に加わっているということは、ここにもある別のグループが以前からいたのかもしれない。
 事実関係は定かに分からないが、あのハクチョウにまた会うことができたことに感激した。それにしても、あの豪雨のときはどうしていたのだろうか、よくぞ無事で……、という気持ちでいっぱいになり、しばらく見つめていた。おや、以前の羽根の色とは少し違うな、と気づいた。羽根に泥のような色が染み付いていた。濁流の中で何かの陰に隠れていたのかもわからない。しかも、間近で見るととても大きい。コハクチョウではないかもしれない。しっかり確認できないが、くちばしの付け根にコブのようなものがあるような感じがする。コブハクチョウかも分からない。どちらにしてもこの鳥たちは宍道湖をついの住みかと思っているようである。
 眼を転じると、堤防の上から手を伸ばせは届くような位置に、豪雨時の水位を示す枯れ葦のかたまりが横に細長くひっついていた。皮をはいだ杉の大木も同じ位置に乗っかっていた。                              (2006年投稿)

ハード・ディスク

2010-08-25 10:48:27 | 日記
ハード・ディスク



 パソコンを長らく使っていると、依存症とも言える精神状態になる。そして、せっせとデータを集積する。結果として、パソコンが自分の分身のようになってくる。私も例外ではない。
 数年前のある日、OS(基本ソフト)のウインドウズが急に立ち上がらなくなった。慌てて出雲市の専門店に行って、ハード・ディスクを変えてバージョンアップしたOSを再インストールして貰った。
 その時初めて取り出されたハード・ディスクの本体を見た。銀色の丸い金属の板のようなものが数枚重ねてあった。それに時計の針のようなものが乗っかっていた。これがパソコンの心臓部か。何と冷たい輝きを放っていることか。私はそう感じた。すると、「壊れてて中のデータは取り出せませんね」という店主の言葉。私は過去を抹殺されるような不安を覚えた。
 「沖で待つ」。今度の芥川賞の作品である。作者は絲山秋子氏。この作品を読んでいて、私はその時の感覚が蘇った。
 「太っちゃん」と呼んでいる会社の男の同僚と女主人公の「私」との、恋愛とか異性感覚を超えた同期入社同士としての愛情がほのぼのと描かれていて温かいものを感じた。しかし二人は約束する。もしどちらかが死んだら、生き残った方が死んだもののパソコンのハード・ディスクに傷をつけて一切の保存データを消滅させようと。二人は死後、知られたくない過去を消去しようとしたのである。
 不幸は突然にやってくるものである。「太っちゃん」が不慮の死を迎えた。そこで「私」は約束通り、星形ドライバーを使って分解し、彼のハード・ディスクに筋を入れてパソコンが立ち上がらないようにする……。
 私は人ごとではないような気がした。私にもしものことが起こったらパソコンは……。ハード・ディスクの中味を消す手段は……。いや、分身だからそのまま残しておくべきか? さあ、どうする。(2006年投稿)

ネゴシックス

2010-08-25 10:45:20 | 日記
ネゴシックス



 数年前に、松江市で吉本興業の公演があった。私はその公演は見ていない。しかし、同じ日の夜に開かれたある会合に私が参加すると、その会のアトラクションとして「ネゴシックス」を招いた演芸会があった。「島根県初のお笑い芸人」と聞き、しかも安来市出身と聞いては興味が湧かないはずはない。私は演技を食い入るように見ていた。
 先ず感心したのは、数多くの小道具はすべて自作だということ。しかも同じネタは使わないという。その時は習字の作品をたくさん準備していた。書いてある言葉に一つひとつツッコミを入れた。しかも出雲弁まるだし。これがまたいい味を出していた。
 安来市といえば、安来節の本場である。私はあのドジョウ掬(すく)いを連想して見ていた。この人はこれから伸びるに違いないと思った。もともと、出雲人というと地味な感じで、ひょうきんな人が少ない。お笑い業界に進出する人がいるとは!
 その後、私はテレビの「エンタの神様」を注意して見ていた。すると、あの「ネゴシックス」がちょくちょく出演した。私は何だか嬉しくなってきた。
本名は根来川悟(ねごろがわ・さとし)。芸名はお母さんが、お前は六月生まれなので「ねごろく」がいいじゃないの、と言ったことをヒントにしたという。私は、初めは「シックス」だから六人出演すると思っていた。しかし、たくさんの手作りの小道具を用いた一人コント形式のネタを演じ続けている。
 出雲人は、「ネゴシックス」の芸人魂に学ぶべき点が多いと私は思っているのだが、……。
                                 (2006年投稿)