とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」(番外)第五話 夏の復興甲子園 ~出雲編~ 白築純

2020-03-31 23:22:06 | 日記
大学の同窓会に特別出演、それも二回。いや、あの時は嬉しかったです。元気でしたね。・・・それが、・・・、昨年お亡くなりになりました。このメッセージを聴きながら、CDを流しています。優しい歌声でした。癒されていました。ああっ、・・・哀しいです。感謝です。

第五話 夏の復興甲子園 ~出雲編~ 白築純


白築純さん
しらつき・じゅん
昭和45年、神奈川県相模原市生まれ。高校時代からさまざまなライブ活動を開始し、プロの道へ。
桐朋学園大学音楽学部声楽専攻に入学後、ジャズボーカリストや、CMなどを中心としたスタジオミュージシャンとして活動。
さらに作詞作曲家としてさまざまなアーティストやメディアに楽曲提供を行う。
平成15年、NPO法人地球緑化センターが行う「緑のふるさと協力隊」に参加して雲南市掛合町に1年間滞在し、平成17年に同町に移住。翌年結婚し、現在1男1女の母。(島根県のHPより)

いのちのちいのち

あちこち「SYOWA」673 Miki Matsubara - 真夜中のドア~Stay With Me

2020-03-25 07:33:57 | 日記
亡くなったお方のことを振り返ると、映像が自然と語りかけてきます。言い残したこと、したかったこと、いろいろあった・・・。
病気と闘った生涯だったのですね。お疲れ様。感慨無量です。

Miki Matsubara - 真夜中のドア~Stay With Me



松原 みき(まつばら みき、1959年11月28日 - 2004年10月7日)は、日本の女性歌手、作詞家、作曲家。大阪府堺市西区出身、血液型はO型。「真夜中のドア〜Stay With Me」のヒットで知られる。アニメ「Gu-Guガンモ」テーマ曲参加時は「スージー・松原」という芸名を用いた。

バイオグラフィ

デビューまで

1959年11月28日大阪府岸和田市に生まれ、堺市西区平岡町で育ち、幼少期を過ごす。
母親はクレージーキャッツと一緒に歌った事もあるというジャズシンガーで、3歳からピアノを習い始め、ジャズに親しんだ。1972年に堺市立平岡小学校からプール学院中学校に入学。国鉄阪和線を利用して通学していた。この頃よりロックに興味を持ち、ロックバンド「愚麗」に加入し演奏活動を始める。1975年プール学院高校に進学。「吉野家バンド」のキーボーディストとして京都のライヴハウス磔磔で活動。

1977年高3の時に歌手デビューのため単身東京へ行き、文化女子大学附属杉並高等学校に転校。米軍キャンプなど各地で演奏し、六本木のジャズスポット「バードランド」に飛び入りしたところを世良譲に絶賛される。
アルバイトによる疲労と精神的な不安のためか視力が急激に悪化したため、卒業試験は口頭試問で突破、その後手術で回復した。

デビュー以後

1979年11月5日にファーストシングル「真夜中のドア〜Stay With Me」でデビュー。複数の新人賞を受賞した。以降1991年1月21日までにカップリング曲を含むシングル17枚、ベスト盤を含むアルバム15枚を発表。全国各地で演奏活動を展開した。

歌手活動休止、作曲活動開始以後

1990年代以降は歌手としての活動を休止、当時バックバンドのドラマーの本城真樹(後に歯科医師)と結婚、CMソングやアニメソングなどを中心とした作曲家として活動した。特に、1997年にNHK『みんなのうた』で放送された國府田マリ子の『雨のちスペシャル』は話題を集め、2004年まで繰り返し再放送された。

2001年にがんを告知され、すべての音楽活動を休止し闘病生活を送っていた。2004年10月7日、子宮頸癌のため44歳で死去。

(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」672 スローなブギにしてくれ(I want you) 南佳孝

2020-03-23 00:04:35 | 日記
こんなに心に響く唄が歌える人は稀有。だのにあまり広く知られていない。私は世界的な実力を保持した歌手だと信じています。

スローなブギにしてくれ(I want you) 南佳孝



南 佳孝(みなみ よしたか、1950年1月9日 - )は、日本のシンガーソングライター、ミュージシャン。
東京都大田区出身。明治学院大学卒業。


略歴

子供の頃から兄や姉の影響で洋楽ばかりを聴いて育ち、中学時代には仲間とともにバンドを結成した。このバンドではジャンケンで負けたためドラムを担当したという。そして中学生の時点から既に「音楽で身を立てて生きていく」ことも決心していたという。また、明治学院大学在学中ジャズに傾倒していたことが後の曲作りに大きく影響している。

1972年にテレビ番組「リブ・ヤング!」(フジテレビ系)のシンガーソングライターコンテストで3位になり、翌1973年9月21日に松本隆プロデュースによるアルバム『摩天楼のヒロイン』でデビュー。この日、文京公会堂にて行われた“ラスト・ライヴを迎えたはっぴいえんど+α”のイベント「CITY-Last Time Around」への参加がデビューステージとなる。

その後、ティン・パン・アレーの『キャラメル・ママ』やムーンライダースの『火の玉ボーイ』などに参加するなどし、1976年には自身による全作詞・作曲のアルバム『忘れられた夏』を発表する。1979年に発売された『モンロー・ウォーク』を郷ひろみが『セクシー・ユー』のタイトルでカバーし大ヒットした。その後、他のアーティストへの楽曲提供やコラボレーション、プロデュース、映画音楽、CMソング、さらに音楽以外ではナレーションなどもこなす。

2019年3月、尾崎亜美とジョイントコンサートを行った。 (「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」671 倍賞千恵子 - 下町の太陽

2020-03-20 00:53:21 | 日記
下町という言葉がしっくり馴染んでしまった稀有な女優・歌手ですね。清楚、純粋。いやもっと言うと、透明感のある女性ですね。しかもしっかり者という感じ。すごいお方です。

倍賞千恵子 - 下町の太陽



倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年〈昭和16年〉6月29日- )は、日本の女優、歌手、声優。愛称は「チコちゃん」。
実妹は女優の倍賞美津子。弟は猪木事務所社長日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明。夫は作曲家の小六禮次郎。


映画・歌手デビュー

1961年、松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団し、『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1963年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演して以降、山田作品に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画・歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。

1963年に『下町の太陽』で歌手としてもデビューし、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも4年連続出場した(詳細は下記参照)。他のヒット曲に「さよならはダンスの後に」「おはなはん」「忘れな草をあなたに」(菅原洋一らとの競作)などがある。

山田作品の常連に

映画『男はつらいよ』シリーズでは渥美清演じる主人公車寅次郎の妹さくら役を演じ、人気を不動のものにした。『男はつらいよ』で共演した吉岡秀隆とは現在でも親交が深く、北海道野付郡別海町の倍賞の別荘に遊びに来た際には、(吉岡に)マッサージを頼むほどの仲である。

『家族』をはじめ、『男はつらいよ』シリーズの合間を縫って山田が発表したオリジナル大作にも出演。特に『キネマの天地』までは全て主演かマドンナ役である。『男はつらいよ』シリーズ開始前の初期山田作品のほとんどでも倍賞が主演を務めており、延べ60本以上の作品に渡って、海外にも類を見ないほどの緊密かつ長期の監督・主演(または準主演)女優コンビを維持した(それでいて私的な交際の噂が立ったことは一度もない)。逆に他監督作品への出演は非常に少なく、悪女役への意欲も口にしていたものの映画では実現していない。松竹歌劇団出身ということもあり、コンサートなどでは思い切ったモダニズム志向も発揮している。

『男はつらいよ』シリーズにおける「明るいが優しく淑やかなさくら」のキャラクターに比べると、プライベートでの倍賞はもう少しチャキチャキとしている。倍賞の陽性の側面を引き出す企画として、山田の愛弟子高橋正圀はNHKテレビドラマ『ぼくの姉さん』二部作を書き下ろした。これは文字通り「妹」さくらとの対照を成しながら共通点も非常に多い(両者の夫も工員と画家という異質な職業ながら、温厚なインテリという点で共通している)という、一種の変奏曲的な狙いとなっている。

渥美の死去は山田洋次から1996年8月6日の夜に電話で聞き、「しばらく信じられなくて、(作品は本人が)動いているから見るのがいやだった」と振り返っており、8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」では、弔辞の後に「さくらのバラード」を献歌し、山田監督には「話が支離滅裂になったって、かまわない、途中で泣いてしまっても構わない。とにかくあなたにとっての渥美さんへの思いを話せばいいんだから」と言われている。また、『男はつらいよ』48作で共演した三崎千恵子が死去した際には弔辞を読み、三崎が病床で聴いていたという「忘れな草をあなたに」を歌った。

『男はつらいよ』以後

2004年には、宮崎駿監督のアニメ映画『ハウルの動く城』ではヒロインであるソフィーの声を担当し、主題歌『世界の約束』を歌っている。
長年、松竹専属の映画女優であったこともあり、テレビドラマへの出演が同世代の女優と比べて少ないが、フジテレビのコント番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』に出演した折には『男はつらいよ』のパロディを演じ、重要な大ボケの場面を見事に決めて笑いを取ったり、コントの芝居上男装や不良役など普段の芸風からは想像つかない役柄も熱演しボケからツッコミまで幅広く対応したりするなど大女優らしからぬ気さくな一面と役どころの広い芝居ぶりを見せて視聴者からも好評で、回数こそ多くないがコントのオチを任されるほどの常連ゲストとして定着し『バカ殿』にもゲスト出演した。

映画『男はつらいよ』主演の渥美清逝去後は、音楽に重点を置いた芸能活動をしている。歌謡曲からポピュラー/スタンダード、童謡・唱歌まで幅広いジャンルを歌いこなすことに加え、よく伸びるソプラノと日本語の発音の美しさから歌手としての評価も非常に高く(藤山一郎も評価している)、現在でも精力的にコンサートを行っている。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」(番外)のん、映画「星屑の町」本編映像が公開

2020-03-12 01:27:33 | 日記
ほのぼのとして、、、何というか、今時の若い女性のいい点がすべて出ていて、何というか涙が出てきて。。。

のん、レトロワンピでスカートひらり オリジナル楽曲「シャボン玉」歌う 映画「星屑の町」本編映像が公開



のん(1993年7月13日- )は、日本の女優、ファッションモデル、歌手、芸術家。株式会社non代表取締役。本名および旧芸名は能年 玲奈(のうねん れな)。
現在の兵庫県神崎郡神河町出身。身長166cm。
デビューからレプロエンタテインメントに所属し本名の能年 玲奈(のうねん れな)で活動[注 2]、2016年7月より独立し、のんの芸名で活動する。


生い立ち

2006年、ローティーン向けファッション雑誌『ニコラ』(新潮社)のモデルだった新垣結衣に憧れて第10回ニコラモデルオーディションに応募し、グランプリを獲得。レプロエンタテインメントジュニア部「j-class」に所属し、2006年から2010年まで同誌専属モデル(ニコモ)を務めた。

俳優として

2010年、映画『告白』で生徒役として台詞はなかったものの女優デビュー。オーディション選考の基準としては中学生の話ということもあり15歳以下としていたが、当時16歳の能年が選ばれており、生徒の中では最年長である。中島哲也監督は「彼女は特別だから」と語っている。

2012年3月、カルピス「カルピスウォーター」の第11代CMキャラクターに起用された。また、同年11月公開の映画『カラスの親指』で第37回報知映画賞新人賞を受賞。本作はオーディションでヒロインを獲得し、能年は役作りのためにロングヘアだった髪を20cm以上切った。

2013年2月8日、公式ファンクラブ「くるぶし。」を開設。同年4月、オーディションで1953人の中から選ばれて、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』のヒロイン・天野アキ役を演じた。同作での演技により東京ドラマアウォード2013主演女優賞、第78回ザテレビジョンドラマアカデミー賞主演女優賞を受賞、また劇中のセリフ「じぇじぇじぇ」は2013年新語・流行語大賞の年間大賞を受賞した。12月31日に放送された第64回NHK紅白歌合戦では紅白PR大使を務め、「あまちゃん」“特別編”と題した企画ステージに出演した

2014年、映画『グッモーエビアン!』および『あまちゃん』によりエランドール賞新人賞を受賞。映画初主演した同年8月公開の『ホットロード』で第6回TAMA映画賞最優秀新進女優賞、第27回日刊スポーツ映画大賞新人賞、第38回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。
2015年4月、後述の事務所独立騒動が発生し、以降事実上の休業状態となった。

芸名改名後

2019年3月9日、「Non温暖化! こども壁新聞コンクール」表彰式にて
2016年7月より、芸名を「のん」に変更して活動することを表明。同月15日には映画『ホットロード』がテレビで放送され、久しぶりのテレビ出演となった。改名後の初仕事として8月8日に岩手県庁へ岩手県知事を表敬訪問、同月18日にはのんとして公式ブログとInstagramをスタートさせ、9月18日に行われる『あまちゃん』の舞台となった久慈市のイベント「久慈秋まつり」に3年ぶりにゲストとして参加する事を発表した。

2016年10月17日からLINE LIVEによる生放送を開始した。
2016年11月12日公開の『この世界の片隅に』で、片渕須直監督からの「のんさん以外のすずさんは考えられない」との熱烈なオファーにより主人公・すずの声を演じて劇場アニメ初主演、また改名後初の本格的な出演作品となった。SNSでの口コミ拡散により単館系作品として異例の大ヒットとなった同作での演技により、第38回ヨコハマ映画祭審査員特別賞、第31回高崎映画祭ホリゾント賞、第21回日本インターネット映画大賞主演女優賞およびベストインパクト賞、2016年度全国映連賞女優賞、第11回声優アワード特別賞]の各賞を受賞している。

2017年に入り非公表としていた出身地の兵庫県神崎郡神河町を公表、同年3月には「創作あーちすと」として生家や母校、子供のころの遊びなど思い出の地を巡って集めた写真などを含む初のアートブック『創作あーちすと NON』を太田出版より刊行、また同町内の観光名所を巡るPR動画(同年8月公開)に出演するなど同町の観光PRに務める。

2017年8月には、クラウドファンディングのCAMPFIREが立ち上げた「CAMPFIRE MUSIC」のサポートのもと、自ら代表を務める音楽レーベル「KAIWA (RE) CORD」(カイワ・レコード)を新たに発足。同月6日に東京・葛西臨海公園汐風の広場にて開催のライブイベント『WORLD HAPPINESS 2017』へのスペシャルゲストとしての出演を皮切りに音楽活動を開始し、同年9月6日より「KAIWA (RE) CORD」発足記念『オヒロメ・パック』のアナログ7インチEP盤をリリースした。

2017年8月6日、自身のファンクラブであるオフィシャルファンクラブ「NON KNOCK(のんのっく)」をオープンした。
2017年9月17日、久慈秋まつりにゲスト出演した。2016年に出演予定だったが、台風10号のため、まつり自体が中止になり出演できなかった。

2018年4月21日、内閣総理大臣が主催する「桜を見る会」(於:新宿御苑)に出席した。
2018年5月9日に1stアルバム『スーパーヒーローズ』を発表。先行アナログ盤として『わたしはベイベー』を5月2日にリリース。 (「Wikipedia」より)