とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 230 【1960年10月12日】 浅沼委員長、演説中に右翼少年が刺殺

2017-09-30 12:12:52 | 日記
この事件はどうしても伝えたい一心でアップしました。当時高校生の私は強い衝撃を受けました。今思い出しますと、これは特攻隊とか自爆テロにも通じるものがあると思えるのです。そう思うことは短絡的かもしれません。どうしてこういう行為に及んだのか。背景があるのかないのか。今でもそのことを考えています。

【1960年10月12日】 浅沼委員長、演説中に右翼少年が刺殺


浅沼稲次郎暗殺事件(あさぬまいねじろうあんさつじけん)は、1960年(昭和35年)10月12日に東京都千代田区にある日比谷公会堂において、演説中であった浅沼稲次郎日本社会党委員長が17歳の右翼少年・山口二矢に暗殺されたテロ事件のこと。

事件の概要

この日、日比谷公会堂では近く解散・総選挙が行われる情勢で、自民党・社会党・民社党3党党首立会演説会「総選挙に臨む我が党の態度」(東京選挙管理委員会・公明選挙連盟<現・(公財)明るい選挙推進協会>、NHK・日本放送協会が主催)が行われていた。会場は2500人の聴衆で埋まり、西尾末広民社党委員長、浅沼社会党委員長、池田勇人自民党総裁の順で登壇し演説することになっていた。
浅沼委員長は午後3時頃演壇に立ち「議会主義の擁護」を訴える演説を始めた。浅沼委員長が演説を始めた後右翼団体の野次が激しくなり、ビラを撒く者も出たので、司会を務めるNHKの小林利光アナウンサーが「会場が騒々しくなってきまして、お話を聞きたいという方の耳に届かないと思います。最前列には新聞など報道機関の方が取材に訪れていますが、取材の余地がないほど騒々しいですので、ご静粛願います」と自制を求めると、場内には拍手が起き、一瞬野次が止まった。それを見計らって浅沼委員長は自民党の選挙政策についての批判演説を続けた。

浅沼委員長が「選挙の際は、国民に評判の悪い政策は、全部伏せておいて、選挙で多数を占むると……」と言いかけた午後3時5分頃、山口が壇上に駆け昇り、持っていた刃渡り33センチメートルの銃剣で浅沼委員長の胸を2度突き刺した。浅沼委員長はよろめきながら数歩歩いたのち倒れ、駆けつけた側近に抱きかかえられてただちに病院に直行した。秘書官は浅沼委員長の体を見回し、出血がなかったことから安心したが、それは巨漢ゆえに傷口が脂肪で塞がれたために外出血が見られなかっただけのことであり、実際には一撃目の左側胸部に受けた深さ30センチメートル以上の刺し傷によって大動脈が切断されていた。内出血による出血多量によりほぼ即死状態で、近くの日比谷病院に収容された午後3時40分にはすでに死亡していた。側近によれば、浅沼委員長は運ばれる途中踊り場で絶命したという。この殺害行為の発生により、演説会はそのまま打ち切られた。

山口はその場で現行犯逮捕、取調べに対し山口は若年ながら理路整然と受け答えしていたという。11月2日夜、東京少年鑑別所の単独室で、白い歯磨き粉を溶いた液で書いた「七生報国 天皇陛下万才」(原文ママ)の文字を監房の壁に残した後自殺した。また、この事件で警視庁は山口のほかに「全アジア反共青年連盟」責任者・吉松法俊(当時32歳)を恐喝、右翼団体「防共挺身隊」の福田進隊長(同・32歳)を公正証書原本不実記載および強要、また大日本愛国党の赤尾敏総裁(同・61歳)を威力業務妨害容疑で、それぞれ逮捕した。
公党の党首に対する攻撃を防げなかったとして山崎巌国家公安委員会委員長が引責辞任し、この事件を機に刃物の追放運動が全国に広がるようになった。また要人警護の不首尾も問題となり、以降は警護の手法が“目立たないように”から“見せる警護”へと改められた。
(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 229 なごり雪 イルカさん

2017-09-28 17:29:20 | 日記
いろいろな人がカバーしていますが、滲み出る自然な哀調はやはりこの本人の歌声には叶わないと思います。・・・永遠の哀調です。

なごり雪 イルカさん



イルカ (1950年12月3日 - ) は、日本のフォークシンガー、絵本作家。本名は神部 としえ(かんべ としえ)、旧姓は保坂(ほさか)。


来歴・人物

東京都中野区出身。東京文化女子中学、東京文化女子高等学校を経て女子美術大学卒。芸名の由来は、女子美術大学のフォークソング同好会に在籍していた当時、皆がギターケースを持って帰る姿を見て「イルカの群れみたい」と言ったのがきっかけで、周囲からイルカと呼ばれるようになった。

1970年、シュリークスのメンバーとしてデビュー。
1974年、「あの頃のぼくは」でソロデビュー。
翌1975年から1976年に掛けて、かぐや姫のメンバー伊勢正三の作詞・作曲による「なごり雪」をカバーして大ヒットした。ほか1977年に「雨の物語」、1979年に「海岸通」(風・伊勢正三の作詞・作曲によるカバー)などもヒットした。
1977年から1980年にかけて、絵本『ちいさな空』全4巻を発表した。

1978年半ばから1979年初めに掛けて、長男(神部冬馬)産休の為に一時歌手活動を休業。
使用ギターはマーティン(1973年製D-35)、弦はエリクサーのコーティング済みのものを使っている。前はマーティンの弦を使っていた。
漫画家さくらももこ及びさくらが原作を手掛けるアニメ『ちびまる子ちゃん』でさくらももこの声を担当するTARAKOと声がそっくりである。それが縁で同作のエンディングテーマ『針切りじいさんのロケンロール』(歌・植木等)でTARAKOと共にコーラス担当した。
2004年より、国際自然保護連合の親善大使となった。また、テーマソングを提供している。
2010年、女子美術大学客員教授に就任。(Wikiより)

(番外)森麻季「慕わしい人の名は」

2017-09-28 00:26:29 | 日記
日本の誇りと言っていいような歌声です。何度も聴いて癒されました。しかし、このオペラは残酷な暗い物語なので複雑な心境になりました。

森麻季「慕わしい人の名は」


『リゴレット』(原語曲名:Rigoletto)は、ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した全3幕からなるオペラである。1851年、ヴェネツィア・フェニーチェ座で初演された。ヴェルディ中期の傑作とされる。

第1幕

第1場、幕が開くと公爵邸の大広間。舞踏会が催され、舞台裏のバンドが賑やかに音楽を奏でている。マントヴァ公爵は最近日曜日の度に教会で見かける美しく若い娘のことが気になっているが、まずはチェプラーノ伯爵夫人を今夜の獲物と定め、次から次へと女性を手玉に取る愉しみを軽快なバッラータ『あれかこれか』Questa o quellaに歌う。やがて伯爵夫人が現れ、公爵は言葉巧みに口説き落とし別室へと連れて行く。夫人の行方を捜し歩くチェプラーノ伯爵はリゴレットによって笑いものにされる。一方、リゴレットの娘ジルダの存在を嗅ぎ付け、それがせむし男リゴレットの情婦だと勘違いした廷臣たちは噂話を続けている。そこへ老人モンテローネ伯爵が、実の娘チェプラーノ伯爵夫人の名誉が傷つけられたとして抗議に現れる。リゴレットは彼もまた嘲笑の的にしようとするが、モンテローネは公爵とリゴレットに痛烈な呪いの言葉をかけ、リゴレットは内心恐怖に打ち震える。

第2場、家路へ急ぐリゴレットだが、モンテローネの呪いはその念頭を去らない。殺し屋スパラフチーレが現れ、「美しい妹が相手を誘い出し、自分が刺し殺す。半分は前金で頂き、残金は殺してから」と自分の殺し屋稼業を説明するが、リゴレットは「今は用はない」と彼を立ち去らせる。リゴレットは「俺はこの舌で人を殺し、奴は短剣で殺す」と、モノローグ『二人は同じ』Pari siamoを歌う。帰宅したリゴレットを美しい娘ジルダが迎える。彼女は父親の素性、亡くなったと聞かされている母親はどんな女性だったか、などを矢継ぎ早にリゴレットに尋ねるが、ジルダにだけは世間の醜さを見せたくないと考えるリゴレットは、教会に行く以外は外出するなと厳命して去る。リゴレットと入れ替わりに公爵が現れる。教会で見かけた娘はこのジルダだったのだ。彼は「自分は貧しい学生」と名乗り熱烈な愛情を告白する。初めは驚くジルダだったが、うぶな彼女は百戦錬磨の公爵の術策の前には無力、生まれて初めての恋愛感情に陶然とする。愛情を確かめ合う2重唱の後公爵は去る。

独り残るジルダは公爵のこしらえた偽名「グヮルティエル・マルデ」をいとおしみ、アリア『慕わしき御名』Caro nomeを歌う。この時リゴレット宅の周りには廷臣たちが集結していた。彼らはジルダをリゴレットの情婦と思い込んでおり、彼女を誘拐して公爵に献呈すればリゴレットに恰好の復讐になると考えていた。リゴレットもそこに戻ってくるが、廷臣たちは「今からチェプラーノ伯爵夫人を誘拐する」とリゴレットを騙し、言葉巧みにリゴレットに目隠しをしてしまう。彼が目隠しをとったときは既に遅く、ジルダは誘拐されてしまう。リゴレットは、自分にモンテローネの呪いが降りかかった、と恐れおののく。

第2幕

ジルダが行方不明になったとの報は公爵にも伝わり、いつもは単に好色な彼も、珍しく殊勝にもその身を案じるアリア『あの娘の涙が見えるようだ』Parmi veder le lagrimeを歌う。しかし廷臣たちが、若い娘を誘拐し、殿下の寝室に待たせております、と自慢話を始めると、それがジルダであると悟り浮き浮きと寝室に去る。入れ替わりにリゴレット登場、道化話で態度を取り繕いながら娘の所在を探し回る。公爵夫人の小姓と廷臣たちの会話を小耳にはさみ、ジルダが公爵と共に寝室にいると確信したリゴレットは、娘の返還を訴える劇的なアリア『悪魔め、鬼め』Cortigiani, vil razza dannataを歌う。ジルダが寝室を飛び出してきてリゴレットと再会する。彼女は、貧しい学生と名乗る男には教会で初めて出会ったこと、裏切られたと知った今でも、彼への愛情は変わらないことを父親に切々と訴える。一方リゴレットは、モンテローネに替わって自分こそが公爵に復讐するのだと天に誓う。

第3幕

ミンチョ河畔のいかがわしい居酒屋兼旅荘。中にはスパラフチーレと、騎兵士官の身なりをした公爵、外にはリゴレットとジルダ。公爵に対する未練を捨て切れないジルダに、リゴレットは「では真実を見るのだ」と壁穴から中を覗かせる。公爵は、女はみな気まぐれ、と、有名なカンツォーネ『女は気まぐれ(女心の歌)』La donna è mobileを歌う。スパラフチーレの妹マッダレーナが現れ、公爵の気を惹く。マッダレーナを口説く公爵、色目を遣ってその気にさせるマッダレーナ、外から覗いて嘆き悲しむジルダ、娘の名誉のため改めて復讐を誓うリゴレットの4人が、これも有名な4重唱『美しい愛らしい娘よ』Bella figlia dell'amoreを繰り広げる。リゴレットは娘に、この街を去りヴェローナに向けて出発せよと命令する。

残ったリゴレットはスパラフチーレに、公爵を殺し死体を自分に渡すことを依頼し、前金の金貨10枚を渡し去る。酔った公爵は鼻歌を歌いつつ居酒屋の2階で寝込んでしまう。外は嵐。公爵に惚れたマッダレーナは兄に命だけは助けてやってくれと願う。それは殺し屋の商道徳に反すると反対していた兄も妹の願いに不承不承従い、真夜中の鐘が鳴るまでに他人がこの居酒屋を訪れたら、その者を身代わりに殺すことに決定する。ヴェローナ行きの旅装に身を包んだジルダは公爵を諦め切れず再び登場、2人の会話を聞き、自分がその身代わりとなることを決断する。嵐が一段と激しくなる中、ジルダは遂に意を決して居酒屋のドアを叩き、中に招き入れられる。

嵐が次第に静まる頃リゴレットが戻ってきて、残金と引換えに死体入りの布袋を受け取る。ミンチョ川に投げ入れようとするとき、マッダレーナとの愉しい一夜を終えた公爵が(舞台裏で)あの『女は気まぐれ(女心の歌)』を歌いながら去るのを聞きリゴレットは驚く。慌てて袋を開けるとそこには虫の息のジルダ。彼女は、父の言いつけに背いたことを詫びつつ、愛する男の身代わりになり天に召される幸福を歌って息絶える。残されたリゴレットは「ああ、あの呪いだ!」と叫んで、幕。(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 228 新吾十番勝負 

2017-09-25 06:34:48 | 日記
昭和の美剣士といえば私は大川橋蔵を一番に挙げる。とにかく美しい。男もほれぼれする。殺陣もスマート。中村錦之助も好きだが、真の美剣士は橋蔵である。女性的な面立ちが魅力的です。後、銭形平次シリーズが大ヒットするが、その先駆けをこの葵新吾が作ったのだと思います。

新吾十番勝負 舟木一夫



『新吾十番勝負』(しんごじゅうばんしょうぶ)は、川口松太郎の小説。1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)にかけて朝日新聞に連載された。徳川吉宗の隠し子・葵新吾と周囲の人間模様を描いた作品で、映画化・テレビドラマ化がたびたびなされた。

映画版は東映で、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)にかけて4作のシリーズが製作された。また、1961年(昭和36年)から1963年(昭和38年)に続編となる『新吾二十番勝負』シリーズ、1964年(昭和39年)に番外編の『新吾番外勝負』が製作された。主演は大川橋蔵。全作カラー、シネマスコープ。


スタッフ

監督:松田定次(1・3・4)、小沢茂弘(2)
脚色:川口松太郎、中山文夫(3・4)
企画:中村有隣
撮影:川崎新太郎(1・3・4)、山岸長樹(2)
音楽:深井史郎(1・2)、富永三郎(3・4)
美術:川島泰三(1・3・4)、桂長四郎(2)

キャスト

葵新吾、松平頼方(若い頃):大川橋蔵
松平頼方:大友柳太朗
真崎庄三郎:岡田英次
お長、お鯉の方:長谷川裕見子
梅井多門:山形勲
お縫:桜町弘子(1)、大川恵子(2~4)
武田一真:月形龍之介
真崎備前守:高松錦之助

新吾十番勝負

綾姫:佐久間良子
安藤対馬守:大河内伝次郎
井上河内守:薄田研二
黒田綱政:三島雅夫
雪姫:花園ひろみ
井出市右衛門:徳大寺伸
黒田美作:上代悠司
黒田史郎:月形哲之介
俊太:堺駿二
平太:渡辺篤
嘉平:杉狂児
宮野辺貢:原健策
田部源蔵:小柴幹治
越前屋半六:明石潮
本多上総介:香川良介(Wikiより)

(番外)安室奈美恵「Hero」NHKオフィシャル・ミュージックビデオ

2017-09-23 00:52:53 | 日記
改めて聴くと素晴らしい歌手だということがよくわかる。引退とは寂しい限りです。高齢の私でもズンと響いてくるものがあります。

安室奈美恵「Hero」NHKオフィシャル・ミュージックビデオ


安室 奈美恵(あむろ なみえ、1977年9月20日 - )は、日本の女性歌手、ダンサー。本名同じ。身長158cm、血液型O型。愛称は安室ちゃん。所属レコード会社はavex、レーベルはDimension Point。所属事務所はstella 88。
2017年9月16日、デビュー25周年を迎えた。
2017年9月20日、「ファンの皆様へ」というタイトルで、2018年9月16日を以て芸能界を引退することを、所属事務所の公式Webサイト上で発表した。

人物

小室哲哉は第一印象について、「たまたま見た『THE夜もヒッパレ』でTRFの楽曲を歌っていた事から、『TRFの曲は楽勝で歌って踊れるんだ』とプレゼンしていると勝手に感じた」「イメージは『TRFの10代バージョン』でやったらすごくはまるだろうな、と考えた」「シャイな感じだけど『とにかく大きい所でコンサートをやりたい、ジャネット・ジャクソンみたいなブラックミュージックをやりたい、コーディネーションはこのスタイルでいきたい』と明確なイメージを一人で用意し、話せる子だった」と話している。
左腕の上腕部に子供の名前を入れ墨をしている。

影響力

1996年 - 1997年、茶髪のロングヘアー・ミニスカート・細眉・厚底ブーツなどといった彼女のファッションスタイルや髪型、メイクなどに憧れる若い女性たち、いわゆる"アムラー"が大量発生した「アムラー・ブーム」を巻き起こし、社会現象となった。
詳細は「アムラー」を参照
2008年7月にリリースされたベストアルバム『BEST FICTION』で、10代・20代・30代の3つの世代でのミリオンを達成し、再び返り咲いた(詳しくは#バイオグラフィを参考)。
ファン層に関しては、20代から30代後半までの半数となっていたが、現在では、老若男女問わず幅広い世代からの支持を獲得している。その為、ライブでは毎年開催される程、ほぼチケットは即売となり現在でも非常に入手困難となっている。(Wikiより)