とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

ありの実

2010-07-31 22:45:30 | 日記
ありの実



 十二月を迎えると、来し方一年を振り返りたくなってくる。と同時に「あゝ おまへはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私に云ふ」という詩人中原中也の「帰郷」の詩句の韻律が心の奥底に流れてくる。そして、中原家四男思郎氏の奥さん中原美枝子氏をすぐに思い出す。夫君が亡くなられた後、山口市湯田温泉の中原家を守ってこられたお方である。
 昭和五十八年の夏に高校の文芸部の生徒たちと文学散歩と称してアポなしで中原家を訪ねた。しかし、美枝子夫人は嫌な顔をせずに私たちを温かく迎えてくださった。母屋が焼けたため広い敷地の隅の平屋の小さい家に住んでおられた。そこの一室に我々を通し、「それではここにある物を全部お見せしますからね」と言って皮製の旅行鞄を持ち出し、惜し気もなく全部見せてくださった。詩作ノート、所持品、そして写真で見たことのある洋服等が所狭しと並べられた。まことに圧巻であった。



 特に印象に残っているのは、ノートに書かれた文字が女文字のように小さく丁寧で几帳面な感じがしたことだった。自由奔放に生きた中也の意外な一面を覗き見たような気がした。続いて、近くの高田公園にある「帰郷」の詩碑を見に行った。小林秀雄が書いたという黒御影石に刻まれた文字に一陣のさやかな風が吹いてきた……。
 島根に帰ってから、美枝子夫人に二十世紀梨をお礼に送ったところ、毛筆で書かれた丁重なお礼状をいただいた。「有の実は仏前に供えさすが名産と美味しく戴きました……」と書いてあった。「梨」とは書かれていなかった。私はさすがと思って美枝子夫人への尊敬の念を深めた。しかし、近年不帰の人となられ、あの敷地内には立派な中原中也記念館が建っている。
                             (2004年投稿)

上の画像は、Amazonから借用しました。多謝。

葛(くず)

2010-07-30 22:50:44 | 日記
葛(くず)



 押さえ付けるような陽射しが日に日に強さを増している。疲れが体の隅々までへばり付いていてとれない。だから、仕事のない日は気が緩んで、つい少し朝寝をする。寝床の中で今朝一番に考えたことは、東側のカイヅカイブキの生垣のことだった。空き地の方から垣根全体に葛の蔓(つる)が被さってきて、物干し場の屋根まで覆い尽くしている。時々「何とかしないと……」と言っていた妻の言葉がまた私に追い討ちをかけた。そこで、<よし、今朝征伐してやろう>と思い立った。





 と言っても、家には草刈り機などないので、刈り込み鋏(はさみ)を探し出して、身づく
ろいをして東の空き地を覗いた。ひどいものだ。セイタカアワダチソウやヨシをすべて隠して緑の大きな山が出来ている。私は瞬時ひるんでしまった。しかし、幸いまだ朝飯前なので比較的気温が低い。私は生垣の際を、蔓や草の茎を断ち切りながら進んでいった。私はすっぽりと草の山の中に埋もれてしまった。まるで密林の中に迷い込んだような気持ちになった。しかも汗が体中から吹き出てきたし、息も苦しくなりだした。何度かもう止めよう
と思った。しかし、意に反して手の動きは挑戦するように激しくなっていく。<戦いだ>
と心は叫んでいた。……やっと貫通した一筋の道。私はぐしょぐしょになった衣服を不快に思いながら、そこを吹いてゆく風の道を思った。「涼風の曲りくねって来たりけり」。一茶の句を清清しい気持ちで思い出した。
              (2004年投稿) 


  

無常を争ふ

2010-07-29 23:25:33 | 日記
無常を争ふ



 築30年以上も経つと、家には風雪に耐えた独特の風格が滲み出てきて愛着が増してくる。
それは、住人の心身の年輪が増えていくのと似ている。しかし、どちらとも無限に生きていくことは出来ない。鴨長明でなくても、家と住人とが「無常を争ふ」仔細は、その土地に生活しているものの実感として記憶が蓄積されていく。まさに家は人間と同体・同質である。衣食住というが、この順序は再考の余地があると思う。
 「地震がくれば、この家は東側に倒れる可能性大ですね」。家屋の強度の診断をしたある業者が言った。普段見えない屋根裏や床下をデジカメ写真で説明されると、説得力があった。梁の接合部が大きくずれているし、土台が基礎からはみ出して、辛うじて柱を支えている。しかもあちこち黴だらけ。
 震度5の地震、風速56mの台風、そして白蟻にも耐え、すっくと立っている我が家にいつも頼もしさを感じていた私は、がっくり。人間の体と同じで、外見だけで判断しては危険だということが身に染みて分かった。家の病巣は人間なら緊急入院させられるところまで広がっていた。だから、補強・消毒の工事に即座に取り掛かって貰った。私はふと自分の齢と重ね、まるで我が身が重態に陥ったような気持ちになったのである。
 どちらがより「無常」か。それは仏神のみぞ知る厳粛な真実である。
             (2004年投稿) 

うめぼし

2010-07-28 23:29:11 | 日記


うめぼし

 八月六日を迎えると何故だか胸が騒ぐ。原爆の日だから? いや、そのこともある。もっと燃えたぎったもの、例えば平山郁夫氏の「広島生変図」の原爆の火炎をにらむ不動明王のような情念である。炎は死に誘う。しかし、不動明王は生の象徴。その画面から「生きとる 生きとる」というかすれたお婆さんの声が聞こえてくる。それが人類不滅を語っているような気がして胸が熱くなるのである。
 「第二楽章」というCDがある。教室で子どもたちに聞かせた。すると、普段はざわつくこともある授業が不思議なほど静かになったのである。以来、毎年機会を見て聞かせた。反応は同じだった。このCDは原爆詩の朗読を録音したものである。読んでいるのは吉永小百合氏。一九八六年の反核平和集会で読んだのがきっかけになり、その後全国各地で大小の朗読会をした。請われてアメリカにも出かけた。「生ましめんかな」、「慟哭」などの劇的な詩の中に、「うめぼし」という地味で素朴な詩が挿入されている。作者は池田ソメさん。瓦礫(がれき)の中で三日過ごして体が極度に衰弱していた。ところへ、誰かが通りかかる。「この婆さんは死んでしもうたか/かわいそうに」という声が聞こえてきた。するとこのお婆さん、力の限り「生きとる 生きとる」と訴える。すると、誰かがうめぼしを口へ入れてくれた。それが生きる力になったのである。何とも切なく、しかも心が熱くなる話である。
                                 (2004年投稿)