とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

2 風の言葉 

2014-12-28 00:50:11 | 日記
帰 郷

中原 中也

   柱も庭も乾いてゐる

   今日は好い天気だ

        縁の下では蜘蛛の巣が

        心細さうに揺れてゐる


   山では枯木も息を吐く

   あゝ今日は好い天気だ

        道傍の草影が

        あどけない愁みをする


   これが私の故里だ

   さやかに風も吹いてゐる

        心置きなく泣かれよと

        年増婦の低い声もする


   あゝ おまへはなにをして来たのだと……

   吹き来る風が私に云ふ



 私という電信柱に囁きかけるのは、いつもの風の言葉。そうです。「あゝ おまへはなにをして来たのだ」と言うのです。私は何もこの詩人の詩句に酔い痴れている訳ではありません。毎日風に吹かれて突っ立っていますと、心の中で自ずと湧き上がってくるのです。野良犬が足元にしょんべんをかけて立ち去るときも、風は野面を吹き渡っていきます。ああ、寂しい。誰か私の友達になってくれないだろうか。おい、おい、お前は一人だからこそ電信柱でいられるのだ。二三本かたまっている電信柱なんて見たことがないぞ。内なる声が聞こえてきました。
 私には唯一の情報源があります。それは電線から伝わってくる誰かの声です。まるで糸電話のような感じですね。ああ、今も聞こえています。隣町の誰かが死んだようです。ああ、それから、赤ん坊が生まれたという便りも昨日聞きました。・・・美しい人に会いたい。今度はそんな他愛ないことも思って、耳を澄ましていました。

 
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花咲く電信柱 (連載第1回)

2014-12-22 23:17:31 | 日記
花咲く電信柱 (連載第1回)


 電信柱を侮ってはいけません。無能ののっぽが立っている。そう言って嘲笑している人たちを上のほうから却って笑っているのです。繋がっている電線を支え、強い風の中でもカラスたちに止まり木を提供しています。立派ではありませんか。何ですか。電信柱と電柱とは違う、ですって。いやはや細かいですね。私は昔の木製の柱のことを言っています。えっ、昔も二つを区別していた、ですって。いやそんなことどうでもいいのです。「電柱に花が咲く」でもいいのです。私自身が電信柱、いや、電柱、・・・ややこしいなあ、電信柱としましょう、私は実はその電信柱なんです。

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