とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 350 白線流し/酒井美紀

2018-05-31 22:30:38 | 日記
先日のNHK「あさイチ」を見ていてはっと驚いたのです。酒井美紀がゲストで出ている !!! 私は久しくこの女優を忘れていました。そうだった。大失敗だった。いや、大袈裟ですがそう即座に思いました。こういう女優は今は流行らないのでしょうか。私は「もう一人の」吉永小百合だとずっと思っていました。似てはいませんが、雰囲気がまことに清楚で昭和的なのです。私の中でかつての映像がぐわっと蘇ってきました。

白線流し(七倉 園子&長谷部 優介)


白線流し(はくせんながし)は、毎年、卒業式の日に卒業生たちが学帽の白線とセーラー服のスカーフを一本に結びつけ川に流す行事。例年3月1日に、岐阜県高山市にある岐阜県立斐太高等学校で、学校前を流れる大八賀川において行われており、昭和中期の一時期に中断があったものの復活し、70年以上行われている。

主要人物

大河内 渉(おおこうち わたる)
演 - 長瀬智也

松本北高校の定時制に通う青年。母親が出て行ったあと、父が癌で亡くなり、引き取られた親戚の家でも肩身が狭い思いをしたことから、中学卒業後は一人暮らしをしながら工場(相馬製作所)で働き、亡くなった父のように天文台で働くことを目指している。成績優秀で真面目な性格だが、不幸な生い立ちからひねくれてしまっており、他人に深入りすることを嫌い、誰に対しても距離を置くようなところがある。

卒業後は大学に合格するも辞退し、北海道初山別村のしょさんべつ天文台に就職するが、不景気のあおりを受け天文台が閉鎖。その後東京で園子と同棲生活を始めるも、ホストクラブで働いているところを園子にばれたのがきっかけで別れることに。そして青年海外協力隊の同僚だった美里と結婚(正式な夫婦ではない。)するも、死別。岐阜で美里と生活している時も天文の勉強をしていたようである。そしてついに「夢見る頃を」の最後では父の後を継ぎ、念願だった松本の小川天文台の仕事についた。

七倉 園子(ななくら そのこ)
演 - 酒井美紀

松本北高校3年生。明確な夢や目標を持てず、迫り来る進学に悩みを抱えている。現役時は信州大学を受験予定だったが、当日のハプニングにより受験せず、一浪を決意。

一年後、早稲田大学に入学し上京するも、卒業時に立てた教師になるという夢を見失い、卒業後は東京の小さな出版社でアルバイトとして働くことに。当初は苦労していたが、だんだんと仕事が楽しくなってきた矢先、故郷松本の高校の誘いを受け、松本白稜高校で臨時講師として働く。その後、教員採用試験に合格し、母校の松本北高校に教師として戻ってきた。シリーズを通して渉に恋心を抱いている。「二十歳の風」までは順調な交際を続けていた二人だったが、「旅立ちの詩」で別れることに。「二十五歳」では渉の結婚を知り、白線を流した川で号泣してしまう。「夢見る頃を」では優介と交際し、結婚するつもりだったが、渉への思いを捨てきれず別れを切り出した

酒井美紀

酒井 美紀(さかい みき、1978年2月21日 - )は、日本の女優。
静岡県出身。オフィスジュニアに所属していたが、現在はワタナベエンターテインメントに所属




来歴

1991年4月より、静岡第一テレビのバラエティー番組『JanJanサタデー』にマスコットガール兼アシスタントとして出演する。1993年4月21日、ビクターよりシングル「永遠に好きと言えない」で歌手デビューを果たす。
1995年、フジテレビ系単発ドラマ『東京的聖誕祭』で女優デビュー、同年の映画『ひめゆりの塔』『Love Letter』で、翌1996年の第19回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。

1996年からフジテレビ系ドラマ『白線流し』シリーズに出演。1997年の映画『誘拐』で、翌1998年の第21回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。1997年の映画『愛する』で、同年の第10回日刊スポーツ映画大賞新人賞を受賞した。
2007年から、途上国の子供たちを支援する国際NGO・特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパンの親善大使を務めている。
2008年10月19日に4歳年上の大学病院勤務の医師と結婚。2009年10月に公式ブログで第1子妊娠を発表し、2010年3月18日に長男を出産した。(「Wikipedia」より)



あちこち「SYOWA」 349 涙のリクエスト/チェッカーズ

2018-05-29 17:09:03 | 日記
甘くて深みのある声質が魅力的でした。・・・最後のリクエスト・・・。この歌詞も心をとらえました。忘れることができないです。

涙のリクエスト/チェッカーズ


チェッカーズ(THE CHECKERS)は、1980年代から1990年代前半にかけて活動した男性7人によって構成された日本のポップスバンド。福岡県久留米市にて結成。


略歴

デビュー前

1980年、郁弥と武内によりグループ結成。
1981年、ヤマハ・ライトミュージックコンテストジュニア部門で最優秀賞を受賞。受賞後すぐにデビューの話があったが、徳永と尚之の高校卒業を待ってから…と保留する。

前期(1983年 - 1986年上半期)・アイドル的人気の沸騰

1983年3月29日、上京。目黒区のヤマハ音楽振興会の寮で生活をはじめる。9月21日、メンバーたちの音楽的方向性とは異なる「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。

1984年、「涙のリクエスト」がヒット。オリコンチャートやランキング番組のベスト10内にこの楽曲と「ギザギザハートの子守唄」、「哀しくてジェラシー」の3曲が同時ランクイン。チェッカーズは社会現象化し、ファッションなどにも大きな影響を与える。第35回NHK紅白歌合戦初出場。以降解散まで9年連続で紅白出場する。

1985年、映画「CHECKERS IN TAN TAN たぬき」に出演。シングル「ジュリアに傷心」がオリコンチャート年間第1位に。ブロマイドの年間売上実績でも第1位を獲得した。同年所属事務所をヤマハ音楽振興会から個人事務所スリースタープロへ移籍。

中期(1986年下半期 - 1989年)・楽曲のオリジナル化とソロ活動の並行

1986年、初のメンバーオリジナルシングル「NANA」を発売。この曲はNHKで放送禁止になり、話題になった[要出典]。
1987年、全曲メンバーオリジナルのアルバム「GO」を発売。尚之がメンバー初のソロデビュー(シングル及び同名ソロアルバム「NATURALLY」発表)をし、これを機に徐々にメンバーのソロ活動が増えていく。一時期Cute Beat Club Bandとして活動。年末には日本人バンド初のセンターステージによるコンサートを行う。

1988年の夏、同年3月に新設されたばかりの東京ドームでコンサートを行う。12月に郁弥が出演したCM用に収録された楽曲「Mother's Touch」が自身のソロシングルとして発売される。しかし、チェッカーズのメンバーとして在籍している間はソロ活動(ライブ、音楽番組での歌唱など)をしないという理由で音楽番組からオファーがあっても出演を辞退し続けた。

1989年、鶴久、高杢が相次いでソロCDデビュー。

後期・末期(1990年 - 1992年)・ミュージシャン・グループへ、メンバーの相次ぐ結婚、そして解散

1990年6月、郁弥が結婚。同年12月に高杢が婚約者の妊娠を機に入籍。1991年には郁弥及び高杢にそれぞれ第一子が誕生。1992年の解散までの間にメンバー中、武内、鶴久を含む4人が既婚者となる。

1992年10月9日の「ミュージックステーション」内で、正式に解散を発表。12月にラストツアーを行い、12月31日の第43回NHK紅白歌合戦出場を最後に解散した。当初は白組トリおよび大トリでの出演が有力視されており、番組側もその方向で調整を進めていたが、それまでの紅白でグループでトリを取ったという前例が全くなかったこと(この前例もそれから11年後の2003年・第54回にてSMAPが白組トリおよび大トリを取ったことにより打ち破られた)が災いし、トリでの出演は見送られ、中盤での登場となった。

解散後・再結成

解散後、郁弥、武内、大土井、尚之は、所属事務所を退社。高杢、鶴久、徳永は所属事務所に残り、その後、それぞれソロで活動を続けた。(後日、所属事務所から3名も退社している。)
バンドの再結成については、徳永が亡くなっていること、また武内と郁弥が再結成について否定的な見解を表明していること[1][2]により、再結成は難しい状況となっている。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 348 おニャン子クラブ セーラー服を脱がさないで

2018-05-27 07:54:01 | 日記
歌詞の過激さに驚きました。ここまで言わせていいの、という素直な感想が先行しました。秋元康。ここから集団で出演するAKB時代が始まるわけですね。時代の流れはこういう方向に行くとは思いませんでした。


おニャン子クラブ セーラー服を脱がさないで


おニャン子クラブ(おニャンこクラブ)は、1985年にフジテレビのテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループ。

概要

1985年4月1日、フジテレビのバラエティ番組『夕やけニャンニャン』開始とともに番組内のアシスタントとして同時に芸能界デビューし、3ヶ月後の1985年7月5日に発表したデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がヒットしてブレイク。以降、おニャン子クラブとしてのグループ名義、メンバーのソロ名義、グループ内で作ったユニット名義などで、シングル、アルバム、ビデオソフト、写真集を絶え間なくリリースをしし続けてヒットさせ、1980年代中期のアイドルシーンを席捲していった。

しかし、1987年8月31日の『夕やけニャンニャン』の番組終了に伴い、翌9月に解散コンサートを行って、わずか2年半の期間でその活動が閉じられた。
2年半の間にメンバーの加入と脱退が頻繁に行われていたので、メンバーの顔ぶれは常に流動的であった。結成時は11人で、解散時は19人が在籍していた。

おニャン子クラブのメンバーには会員番号が与えられ、『夕やけニャンニャン』内であろうと他局の番組であろうとも、自己紹介の際には必ず名前の前に「おニャン子クラブ会員番号××番」を付けて名乗っていた。そのため、解散後も芸能界に残るなどした著名なメンバーは名前とともに会員番号もセットにして覚えられている。会員番号の振り分けは、結成時の11人はくじ引き順で、それ以後は加入順。脱退した者の番号については欠番とした。解散時、会員番号は52番まで行っていた。

おニャン子クラブのメンバーは生放送である『夕やけニャンニャン』の出演に際して、大半は高校生や大学生などの学生であったことから各々の定期試験中は番組出演を控えて欠席した。また、番組側が斡旋した仕事(ドラマ撮影など)で欠席する場合もあった。そのため、『夕やけニャンニャン』を含めて、おニャン子クラブ名義での活動は必ずしもメンバー全員が揃っていたわけではなかった。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」(番外)登美丘高校ダンス部、ついにハリウッド映画「グレイテスト・ショーマン」とコラボ! 制服姿で踊る 感動のPV完成 The Greatest Showman

2018-05-25 00:43:29 | 日記
こういう高校生が登場するとは思いませんでした。これから注目していきたいと思います。

登美丘高校ダンス部、ついにハリウッド映画「グレイテスト・ショーマン」とコラボ! 制服姿で踊る 感動のPV完成 The Greatest Showman



大阪府立登美丘高等学校(おおさかふりつとみおかこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Tomioka High School)は、大阪府堺市東区にある公立高等学校。
全日制普通科を設置している。高校の愛称は「登美丘高校」を省略し、「トミコウ」と呼ぶことが多い。

ダンス部 - 『夏の日本高校ダンス部選手権』全国大会において、2013年・2014年優秀賞、2015年・2016年全国優勝、2017年全国準優勝、『春の日本高校ダンス部選手権』西日本大会において、2014年・2015年・2017年・2018年優勝。平野ノラや荻野目洋子のバックダンサーとしても活動し、様々な音楽番組に出演。2017年の第59回日本レコード大賞特別賞を受賞し、同年の第68回NHK紅白歌合戦で郷ひろみのバックダンサーとして出場。2018年、関西元気文化圏賞・ニューパワー賞を受賞した。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 347 E-girls / Y.M.C.A. (E-girls version) Music Video ~歌詞有り~

2018-05-24 00:30:28 | 日記
西城秀樹さんの死去の報に接し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。貴方の唄はこうして限りなく唄い続けられていくと思います。

E-girls / Y.M.C.A. (E-girls version) Music Video ~歌詞有り~


E-girls(イー・ガールズ)は、日本のダンス&ボーカルグループ。LDH所属。レーベルはrhythm zone。

略歴

2011年
4月24日、イベント『E-Girls SHOW』を開催。LDHに所属する3つの女性グループ、Dream、Happiness、Flowerを中心に構成されるプロジェクトとして始動。

12月28日、シングル「Celebration!」でデビュー。

2017年
7月15日 - 7月16日、『E-girls LIVE 2017 〜E.G. EVOLUTION〜』をもってDreamが活動終了となり、3つのグループを中心としたプロジェクトとしては終了。11人組の1つのグループとして始動。

概要

グループ名について

E-girlsの“E”は、所属事務所の先輩であるEXILEに由来する。
グループ名の表記は1stから3rdシングルまでは「E-Girls」であったが、4thシングルから「E-girls」となった。「e-maのど飴」のタイアップ曲が「e-girls」となった時期があった。

活動方針について

3rdシングルから全員参加ではなくなった。
「VOCAL BATTLE AUDITION 3」の参加者で結成したEGDは2ndシングルから、合格者で結成したbunnyは3rdシングルから一部のメンバーがE-girlsに参加していった。4thシングルでbunny・EGDという表記が消えた。

2013年から2017年まで所属事務所運営のダンススクールEXPG内に、E-girlsの下部組織として育成・修行の場となるグループ、Rabbits(高校1年以上)、Bunnies(中学3年以下)を設けていた。2015年1月27日に正式に発表された。E-girls→下部組織→EXPGといった「E-girls Pyramid」に伴い、メンバーの構成は毎年見直され異動していた。

メンバー

SAYAKA(Happiness)
楓(Happiness)
藤井夏恋(Happiness)E-girlsサブリーダー(2017年 - )
YURINO(Happiness)
須田アンナ(元EGD、Happiness)E-girlsサブリーダー(2017年 - )
鷲尾伶菜(Flower)
坂東希(Flower)
佐藤晴美(Flower)E-girlsリーダー(2017年 - )
石井杏奈(元bunny)
山口乃々華(元bunny)
武部柚那(元bunny、元Rabbits)(「Wikipedia」より)