とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

男舞上演

2012-12-29 23:09:58 | 日記
男舞上演





 上村松園(1875年 - 1949年)「男舞」

 松園の作品の中でも異色だと私思っている。完璧な女性像を描き続けた一連の作品と比較して構図ががっしりしていて、しかもいかにも勇ましい感じの気迫が感じられるからである。阿国同様傾いている舞姿であると思う。


 ご縁劇場に私が出かけたのは、昼過ぎの公演でした。夜は寒いし疲れも溜まってしまうからです。私は長柄さんと出かけ、妻は佐山先生の奥さんと出かけました。会場は茣蓙席がほとんど満席でした。真ん中に通路がとってあるだけで残りの茣蓙には整然と観客が並んでいました。いわゆる来賓席らしきものは設けられていません。恐らく他の客と一緒に座っているのでしょう。
 知り合いの姿をたくさん見かけました。農園の岡田さんもいました。冴子さん夫婦も見かけて驚きました。お父さんは心眼できちんと仙女さんの姿を見届けられることでしょう。京子さんのお母さんも見かけました。郁子さんのお父さんもいました。報道関係のテレビカメラも数台持ち込まれていました。
 しかし、京子さん、笙子さん、郁子さんの姿は確認することができませんでした。郁子さんは今日の公演のスタッフ側なのでどこかで忙しく働いているに違いありません。しかし京子さん、笙子さんが来ないことはありません。不思議に思いましたが、私は探すのを諦めました。
 舞台のプログラム順は、和太鼓、神楽、そして出雲の阿国でした。和太鼓は開会の合図、神楽は演劇への導入という設定のようでした。
 阿国の劇は有吉作品の一つの山場、山三が登場する場面が公開されるという話を古賀所長から聞いていました。・・・その名に惹かれて見物に来た傾き者で名高い浪人の山三と阿国はたちまち恋仲となり、山三の奏でる笛とそれに合わせて踊る阿国はますます有名になって行く。つかの間の幸せに浸る阿国。ところが「天下一」の阿国と我が身を引き比べて鬱々とし始めた山三は、ある日姿を消してしまい、やがて殺されたことが伝わる。ショックを受けた阿国は、それさえも踊りの趣向に生かして行く。当初から阿国に想いを寄せていた傳介は、そんな阿国を痛ましく見守る。・・・という場面です。
 やがて舞台左端から司会らしい若い女性が登場し、マイクの前に立ちました。同時に場内のざわつきは静まりました。

 こんにちは。司会を務めさせていただきます瀬川と申します。どうかよろしくお願いいたします。年末のご多忙の中、このご縁劇場の初日公演にお出かけいただきありがとうございます。かつての小学校を利用したこの劇場を末永くご愛顧、ご支援いただきますよう最初にお願い申し上げます。私たちはこれからも皆様とのご縁を大切にして、皆様に愛される劇場を目指して誠心誠意努力いたします。これから上演いたします演目は・・・。

 長柄さん、なかなかはきはきしていていい司会者じゃないですか。もしかしてプロかも・・・、と私が耳元でそういいました。

 うちの娘だよ。フリーだよ、フリー。

 えっ、娘さんフリーのアナウンサーやってんの。すごいじゃないですか。

 家内が死んでから、仕事の合間にちょくちょく来てくれるよ。

 そう、いいねえ。私は温かいものを感じ、ご縁劇場にとても似合っていると思いました。・・・幕が開いて、揃いの法被姿の若い男女が太鼓の前に整列し、一礼すると和太鼓の大音響が響きわたりました。私の体も共鳴するかのような重々しい響きでした。出雲を代表する和太鼓のグループで、私はどこかでこの演奏を聞いたことがありました。続いて神楽の上演が始まりました。出雲神楽のヤマタノオロチは一匹なので石見神楽と比べて迫力がありませんが、原形に近い舞いで、私はより親しみを感じていました。そしていよいよ出雲の阿国の上演が始まりました。・・・幕が開くと、舞台右端に囃子方が並んでいて、奥には松と八雲を描いた幕が垂らしてありました。囃子方の演奏が始まると、舞台下手から若衆衣装の中村仙女と十名の踊り子が舞いながら現れました。すると、会場からどっと拍手の音が湧きあがりました。そして中央で輪を描きながら優雅に念仏踊りを舞いはじめました。役者は皆首に大きな数珠をかけていました。

 はい、なんもう、ひーいでん、おい、からかっとんで、からかっとんで、なーまみどー。・・・私はあでやかな舞い姿にみとれてしばらく恍惚とした気持ちになっていました。しばらく初めの踊りが続き、そして黒子が出て早変わりをし、次の踊りが始まると、花道から傾き姿の山三が姿を現し、ゆるりと一座のところへ近づいていきました。そして舞台の左端で立ち止まると、中心にいた阿国の舞いをじっと見つめる仕種をしました。すると、その姿に気づいた阿国が、はっと驚いたような恰好で見つめ返しました。

 いい場面だね、と長柄さんが呟きました。そのとき会場から、セン・・・、という掛け声が聞こえてきました。

 何と言ってるんですか。私が小声で聞きました。

 センニョだよ。センだけが聞こえるように言うのが贔屓の客の証なんだって。

 ということは追っかけが来ているという・・・。

 そうだね。前のかぶりつきはほとんど追っかけだよ。・・・やがて舞台は山三の死を知った阿国が狂ったように一人で彷徨う場面を迎えました。山三さま、山三、あなたは私を残していずこへ・・・。美しい顔に憂いをにじませさ迷い歩く姿が、また別の恍惚とした気分に誘い込みました。とそこに三人の若い踊り子が現れ、阿国を導くように舞い始めました。私は、はっと驚きました。
 
 三美神だ。長柄さん、あの三人ですよ。

 やっと出ましたね。私はどこで出るのか楽しみにしていました。

 貴方は知ってたんですか。

 フェニックス喜多川さんから密かに特訓を受けていたことは知っていたけど・・・。

 ひどいね。私にも教えてよ。

 いや、いや、・・・驚かせようと思ってね。

 しかし、旨いね。役者だよ、プロだよ。

 ご縁劇場への中村仙女さんからのプレゼントだよ。

 プレゼントね。私はそう言いながら何とも言いようのない思いが込み上げてきて、涙を催しました。そして、成功だよ、大成功、ご縁劇場万歳だよ、と呟きました。

 
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リハーサル

2012-12-26 23:56:26 | 日記
リハーサル



桃山時代の衣装に身を包んだ聖母マリアと朱色の袴を着けておかっぱ頭の幼子キリスト(長谷川路可作/イタリア「チヴィタヴェッキア日本聖殉教者教会」の壁画より)

 長谷川 路可(はせがわ ろか、1897年7月9日 - 1967年7月3日)は、大正・昭和にかけて活動した日本画家。カトリック美術家として宗教画制作に取り組んだ。日本におけるフレスコ・モザイク壁画のパイオニアとして知られている。こういう絵を見ていると、私は阿国の「傾(かぶ)く」というイメージを連想する。

 公演の前の日に体育館でリハーサルが出演の三団体揃って行われました。私はその様子を古賀さんや長柄さんたちと後ろの方で見学していました。

 古賀さん、坂本学芸員さんはずっと姿見ないですが・・・、と私は尋ねた。

 演劇はあまり分からないそうです。

 以前からそう仰っていましたが・・・、郁子さんが一生懸命活躍してる姿を見たくないのですかね。

 そりゃ、見たいと思うけれど・・・、気持ちがよく分からないですね。

 そうですか。

 古賀さん、古賀さん、年末の忙しいときにお客来てくれますかね。よっぽど暇な人しか来ないのではと・・・。今度は長柄さんが尋ねた。

 長柄さん、天下の中村仙女の劇が朝昼晩とセットしてあるんですから、その点は大丈夫だと思います。ここの広さでは茣蓙席で千人です。ですから私は三千人は来ると思っています。
 
 満席だと仮定してでしょう。

 ええ、事前の宣伝はチラシの新聞折り込みだけですが、チャリティ公演ということで入場料は相場の半額だし、・・・入りますよ。

 そうかなあ、・・・まあ、古賀さんがそう踏んでいるなら、そうしておきましょう。

 長柄さん、今にびっくりしますよ。すごいほど追っかけがいると聞いてますから。

 他から押しかけられたら、地元の者が入れなくなるんじゃ・・・。

 ですから、私は、それもこれも考えて、一回公演千人と踏んでいます。

 それから、前売り券の売れ行きは­­­・・・。長柄さんはしつこく質問をした。

 急な連絡で前売り券を販売する時間がありませんでした。

 ええ、前売り券なし・・・。

 そうです。ぶっつけ本番です。鬼が出るか、蛇が出るか・・・。

 古賀さん、ほんとに大丈夫ですか。

 大丈夫です。それより、舞台の前を見てください。すごい人が来てますよ。そう言われて長柄さんと私は改めてリハの舞台の真下を見つめました。白髪の中年の紳士がキャストに細かく注意していました。

 あの人はだれですか。私は古賀さんに尋ねました。

 フェニックスです。

 フェニックス。二人は同時に呟きました。

 そうです。演出の喜多川さんです。演劇界では、フェニックス喜多川と言われています。
 
 どうしてフェニックスですか。私は尋ねました。

 死から蘇らせるという意味です。

 死から・・・と言いますと。私は重ねて尋ねました。

 あの方自身も死に病から這い上がりましたし、たくさんの没落した芸人を立ち直らせたのです。仙女さんも一時舞台人としてにっちもさっちもいかなくなったことがありましたが、あの人が救いあげました。仙女さんの祖父母、両親とも舞台人でした。両親は最初は地方回りを主にしていました。相馬でたまたま地方公演をしていた時に仙女さんは生まれました。成長するに従いあの美貌と芸の筋の良さが買われて一躍有名になりました。全国のフアンが注目するほどになりました。しかし、その名声も長続きしなくて、芸の上で大きく躓いたのですね。

 ・・・。

 喜多川さんの力、ああ、それから他に陰で支えていた人もいたと聞きますが、そういうお方のお蔭でまた復活したそうです。・・・生まれた土地のご縁を大切に思い、この度の震災後も何度も相馬を訪ねて激励の公演をしたそうです。

 あの方が・・・。私は坂本さんの他に仙女さんを支えた人がいたことを知り、奥深い演劇の世界の舞台裏を垣間見たような感慨に耽りました。

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仙女の涙

2012-12-22 22:30:40 | 日記
仙女の涙




 出雲市大社町にある出雲の阿国の墓所

 有吉佐和子の『出雲の阿国』の大作が阿国の生涯をリアルにまとめているのでその姿が出雲の阿国の実像のように思われている。しかし、諸説があり、生まれたところや没したところの特定には確証がないというが真実のようである。有吉佐和子の著述による物語がベースとなった演劇や映画が作られると、創作性が強いとは言え、現在のところ物語としては大きな光を放っている。
 出雲の国から大坂に出稼ぎに来て、念仏踊りをしていた阿国たち一行は、秀吉の御伽衆の梅庵の目に留まり、来客の接待用に召し出される。梅庵の知人からお呼びが掛かって出向いたり、そうでなければ大坂や京の都で興行する生活。梅庵の指図で阿国たち一行の宰領を預かった三九郎の稽古や、同じく梅庵の許で知り合った傳介から流行りの小唄を教わるなどして、演出などにも工夫を凝らす。武家や富裕な商人から拝領の南蛮念珠を首にかけ、流行の傾き(かぶき)者を装ったことから、阿国歌舞伎として名を高めて行き、やがて女御前子から「天下一」とのお墨付きも与えられる。・・・前半はこのようにまとめられている。私はこの作品は名作だと個人的には思っている。墓所についても出雲と京都の二か所あるが、それはそれで謎めいていて面白いと思っている。


 中村仙女の一行が出雲に到着しました。出演者の中で主だった役者たちは最初佐田町の須佐神社で祈願し、その後、大社町の墓所に参りました。案内役は古賀所長と佐山医師が務めました。随行者は郁子さん、笙子さん、京子さん、それに冴子さん。私と長柄さんも後ろについて歩きました。
 墓所に着くと仙女さんと数人の女の役者が墓の前に整列しました。整列し終わると仙女さんの仕草に合わせて全員が合掌しました。そして、これから念仏踊りを奉納いたします、という仙女さんの声掛けに応じて全員が口々に念仏を唱えて踊りだしました。一回円を描いて踊り回ると、なあまみどー、と合掌して拝みました。そういうゆっくりとした動きを数回繰り返して、またもとの位置にかえって整列して深く頭を下げ、一同の礼拝は終わりました。私はその姿の華麗さにじっと見入っていました。傾き者という言葉からは想像もつかない美しさでした。

 これで長年の思いを叶えることができました。みなさん、ありがとうございます。仙女さんがそう言うと、古賀さんが、これから出雲大社にご案内致します。と一行を促しました。

 古賀さん、大社へのお参りは今日はご遠慮致します、と仙女さんが言いました。古賀さんはびっくりした感じで、仙女さんを見つめました。

 私はまだまだ芸の道半ば、各地を巡って修業しております。大社へのお参りは芸道を極めてから、・・・いや、その日が来るか分かりませんが、いずれ必ずお参りさせていただきます。

 あっ、そうですか、と古賀さん。

 私は、中村という歴史ある尊いお名前を引き継いでいます。阿国さんの姓と同じです。私はこの名前を頂いている限り、舞台の役者として道を深める大きな仕事が続きます。どうか、ご理解をいただきたいと・・・。

 わ、分かりました。

 墓前に立って一層中村という名前の重さを感じました。・・・私はこの地で阿国さんは亡くなられたと信じています。・・・ですから・・・ですから・・・私も・・・この大社の地を終の住処に致したいと思っています。仙女さんの目が潤んでいました。  

 


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舞台の準備

2012-12-18 22:27:19 | 日記
舞台の準備




 ご縁劇場舞台照明のテスト

 郁子さんの仲間たちと京子さん、笙子さん、それに古賀所長が加わって照明の調整作業が続いていました。私は、例年のごとく風邪をこじらせて佐山医院通いをしていました。そのためか、舞台の光が目に突き刺さるように感じられました。舞台の下で郁子さんがそれぞれの係りにしきりに指示を飛ばしていました。中村仙女の出雲の阿国の公演が年末にセットされたので、神楽や太鼓の方にも古賀さんが連絡しました。


 花道の照明は最初はスポットでやるので、後からの切り替えを旨くやってちょうだい。郁子さんが言うと、舞台の奥の方から返事の声が聞こえました。

 古賀所長、最近の照明器具はすべてパネルで操作するんでしょ。私は聞きかじりの知識をたまたまそばにいた所長にぶつけてみました。

 よくご存知ですね、畝本さん。でも、ここの場合、器具は借り物の寄せ集めですし、もともと体育館ですから照明用の配線がしてないので、専門家の郁子さんでも出来ないことがたくさんあるんですよ。でも、ここまでできればほとんど支障はないと思います。キャストの声も吊り下げのマイクでは拾えないこともありますので、床の隠しマイクもたくさんつけてあります。動き回る役柄の方にはピンマイクを付けて貰います。あと、追っかけがどのくらい来るかですね。フアンが多いですからね。

 そうですか、よく分かりました。で、役者さんは何人くらいですか。

 踊り子さんも含めて50人くらいを予定しています。

 大変な人数ですね。費用は莫大な額になりますね。

 ありがたいことに、すべてあちら持ちです。出雲の阿国の演劇を所縁の土地で行うことにすごい情熱を傾けていらっしゃるようです。この度の震災の後でも被災地で公演なさっています。

 被災地でも。

 そうです。仙女さんは相馬のご出身だそうです。

 えっ、相馬、・・・道理で。

 えっ、何かあったんですか。

 いえ、何でもないです。・・・ご縁はほんとに不思議ですね。

 そうです、そうです。古賀所長は納得したようにそう言いました。

 しかし、待ってください、古賀さん、仙女さんの生まれは諏訪ではないですか。私はかつての仙女さんの話を思い出しました。

 畝本さん、芸能人の出自はあれこれ言われるんですよ。特に有名になると関係する土地の人が何かと結び付けようとするんです。・・・諏訪ですか。・・・ああ、分かりました。諏訪は相馬の次の公演地です。生まれたばかりの仙女さんはすぐに諏訪に移っています。期間としては諏訪の方がが長いと思います。だから、後で思い出しても相馬と諏訪は結びつくんじゃないでしょうか。・・・しかしどうしてそんなに詳しいんですか。

 い、いや、・・・あの、誰かからそう聞いたような・・・。私は苦しい弁解をしました。

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思いがけない絵が・・・

2012-12-13 23:13:21 | 日記
思いがけない絵が・・・






 これは以前紹介した「相馬港」と題する油彩画である。制作は1999年と記してある。作者名はここでは一応伏せておく。画面のサインでは判読できないと思う。右側の船が「東栄丸」である。オークションに出ていた。売却代金の中から被災地への寄付金を出すということで、私は購入した。
 中央の木造の小屋がアクセントになっている。水平線を眺めていると、今にも津波が押し寄せてくるような気持ちになり、この穏やかな眺めが束の間の幻に思えてくる。この日、この画家も漁港の関係者も将来の悪夢を想像だにしていなかったと思う。
 ところでここでこうして停泊していた数隻の船はどうなったのであろうか。名前がはっきりしているのは右側の「東栄丸」だけである。沖に流されていても奇跡的に見つかるということもありはしないか。いや、だめだろう。
 もし、この船のことに関する情報が分かれば、持ち主が判明する手がかりとなる。私は未だその努力をしていない。・・・いや、どうしてもできないのである。
 もし、持ち主が判明すれば、持ち主、もしくは漁業関係者にこの絵を謹んで送呈したい。ほんとうにそう思っている。この絵は今玄関に掲げている。(ここまで再掲)


 私は初めて美術館の中に入りました。坂本学芸員が案内してくれました。仙女さんの出雲の阿国の舞台姿は風格があり、他の作品を圧倒していました。

 こうして間近で見ると、すごい迫力ですね。舞台人の気迫が伝わってきます。

 50号では物足りないようでした。100号を描きたかったのですが、何しろ狭くて・・・。

 そうですか。仙女さんのスケールの大きさを表すためにはそのくらいでも足りなかったでしょうね。

 大きければいいというものではありませんが、美術館では100号くらいの作品が欲しいです。

 天井が低いし、壁面も限りがありますからね。しょうがないですね。

 京子さん夫婦の作品も輝いて見えますね。

 温かい感じがいいですね。技術的にも次第にレベルアップしています。

 他の芸能人のお方の作品もそれぞれ個性が感じられます。

 これだけ集めている美術館は他にありません。美術関係の出版社からの取材依頼が数件来ています。

 そうですか。・・・では、奥の作品も見させていただきます。

 どうぞ。

 あれ、・・・これは・・・。

 ええ、そうです。畝本さんの・・・。

 どうしてここにあるのですか。

 えっ、ご存知なかったですか。奥さんが持って来られたんですが。

 いや、全然知らなかったですね。

 私はてっきりご相談の上でと・・・。

 いや、知りませんでした。

 確か笙子さんに頼まれたとか・・・。

 笙子さん・・・。

 そうです、確か。

 どうしてだろう。

 いや、これでいいです。今年は・・・ほんとに大変な年でした・・・。

 募金箱もここに・・・。

 これも笙子さんが・・・。

 そうです。

 よかった、よかった。・・・いや、これでいいです。これも素晴らしい。私は詳細に詮索しないようにしようと思いました。
 
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