とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

大樹のもとへ

2012-05-30 00:08:32 | 日記
大樹のもとへ




「糸杉」フィンセント・ファン・ゴッホ (1853年-90年 オランダ 後期印象派)

 糸杉を描いたゴッホはその時どういう思いでいたのだろう。こういうどっしりとした樹木というより霊樹を見ていると、人は、自然に心が安らぐ。そして仰ぎ見つつ畏敬の念を抱く。
 この作品は1889年5月から90年5月までサン・レミのカトリック精神療養院「サン・ポール」に入院していた時期のものである。それから彼は1890年5月21日にゴッホはオーヴェールに着いた。ゴッホはオーヴェール は実に美しいと絶賛している。ここで描かれた糸杉の樹は樹のエネルギーが凝り固まっている感じがする。あたかもゴッホの情念が凝り固まって渦巻いている思いがする。彼はイメージ上の糸杉の風景も描いている。しかし、このサン・レミ時代の作品は実景のような気がする。


 私は久しぶりに京子さんの家の近くの丘の上のお宮に行きました。祭神は「健御名方命(たけみなかたのみこと)」。『古事記』の国譲りの神話で登場する有名な神です。そこには、推定樹齢1千年の椋の樹が聳えています。ご神木です。遠くを眺めやると、出雲平野の築地松が美しく、斐伊川がゆったりと流れていました。
 樹はそういう風景を眺めつつすべての生業を見守ってきた霊樹です。そうだ、この樹の霊があの家族を再び引き戻したに違いない。私はそう思いました。
 冴子さん夫婦は、京子さんの家から数キロ離れた空き家を買い取って、店の看板を掲げました。看板には「出雲画廊」と記されていました。そして、京子さんの家には「ふるさと画廊」という看板が掲げられました。
 一度に二つの画廊が出来たことはこの静かな田舎の住宅街で噂のたねになりました。私はこの意外な展開を素直に喜んでいいものかとまどっていました。・・・とまれ、二つの家は、再生、復活に向けて着実に歩みだしました。

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まさかの坂

2012-05-17 23:25:24 | 日記
まさかの坂



クラムスコイ「 見知らぬ人」(1883年制作 トレチャコフ美術館、モスクワ)
 
 上り坂・下り坂・まさかの坂。・・・こんなことを誰が言いだしたか私は知らない。偉い外国のお方かも知れない。この中の三つ目の「まさかの坂」だが、これを悪い意味に理解するお方が多いようである。
 私の人生、というか今までの経験から考えて、この「まさかの坂」が随分多かったような気がする。世の中の動きを見ていても、評論家や学者、政治家、宗教家等があれこれ未来のあり方とか予想を論じるが、ぴったりその通りになったことがあまりない。要するに「まさか」が多すぎると思うのである。しかも悪い「まさか」も起きるが、いい意味での「まさか」が起きる確率もかなり高いと思う。
 不条理な出来事と言うが、不条理であるのが世の真実ではないだろうか。だから、私たちは悪い「まさか」が起きても何とか乗り越える知力・体力を備え持っていなければ生き延びられないと思うし、一方で救ってくれる「まさか」が起こる仕掛け・下ごしらえもしておかなければならない。・・・矛盾している? そうかも知れないが、私の経験からして、いい意味での「まさか」はタナボタ式ではないように思える。上の絵はそういう不条理とは関係はないが、絵の技法の上で「まさか」を実現させた名作である。この絵の女性の目線は下を向いている。従来の画家が試みなかったアングルである。しかし、下から描くという技法が悲しげで妖しげな表情を見事定着させた。

 古賀画伯からの連絡によりますと、驚いたことに冴子さんとお父さんが島根に帰る準備をしているとか。


 そりゃ、大変じゃないですか。京子さんの新しい出発がまた混乱することに・・・。

 ちょっと待ってください、畝本さん。冴子さんの気持ちは島根のどこかへ帰るということで、求めてかつてのごたごたを蒸し返すつもりではありません。

 といいますと・・・。

 はっきり言いますと、京子さんの新しい家庭といいますか、仕事も含めた再出発を支援したいそうなんです。

 といいますと・・・。

 京子さん夫婦、・・・そうですね、まだそうなっていませんでしたね・・・だから、その、あの二人はですね・・・。

 分かりやすく仰ってください。

 そうでした。・・・落ち着いて言います。・・・二人は事務所を開くようです、・・・美術制作の。

 事務所?

 そうです。事務所です。その名前はどうでもいいんです。要するに腰を据えて二人で本格的な画家としての出発をするということのようです。

 分かりました。で、冴子さんとお父さんが帰ってくることと・・・。

 ええ、その両者の関係ですね。

 そうです。

 冴子さん夫婦は京子さんの近くに住んでいて、冴子さんが画商的な仕事をするというのです。

 画商?

 そうです。商業ベースに乗せるための支援をするというのです。冴子さんならできると思います。

 で、京子さん、いや、二人はどういう気持ちですか。

 それが、随分乗り気なんです。

 古賀さん、それはまずいじゃないですか。

 どうしてですか。

 京子さんのお母さんを苦しめることになる。・・・それから、長柄さんはこのことを知っておられるんですか。

 お母さんはどうもそんなに悪く思っていらっしゃらないようです。それから、長柄さんも賛成のようです。

 そうですか。・・・私はあまりの急激な展開にしばらくぼおっとなっていました。

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作品完売

2012-05-11 23:10:02 | 日記
作品完売



「ロジェ・ジュールダン夫人の肖像」アルベール・ベナール (1849年-1934年)

 アルベール・ベナールはパリ生まれ。父親も画家で、アングルの弟子であった。17歳でパリの国立美術学校に入学。1868年、19歳でサロン初入選。1874年、ローマ賞を受賞し、4年間のイタリア滞在を果たす。1879年以降、サロン出品は無審査の資格を持っていた。1914年、ローマのフランス・アカデミー院長、1922年、国立美術学校校長、1924年、アカデミー会員に選出された。レジオン・ドヌール勲章グラン=クロワ賞受章と、華々しい活躍をした画家である。
 この絵のモデルについて調べたが少しも分からなかった。全体に気品というか清々しい気負いを感じさせる名品である。顔を極端に小さく描き、ドレスをゆったり描いていて安定感を感じさせる構図である。ドレスの色彩も黄色と白の重なり具合がリアルで、目の前に佇んでいるような雰囲気を漂わせている。額に入れて飾れば部屋が急に明るくなるに違いない。とにかく輝いている女性像である。
 

 連休が明けて、新聞を手にした私は驚いた。二人の写真入りで二人展のことが大きく取り上げてあった。作品が完売したことも書いてあった。二人の経歴・作風の解説などは勿論だが、展示会を取り仕切った長洲画伯、そして陰で支えた冴子さんのことも紹介してあった。


 長柄さん、大成功でしたね。私は即座に電話した。

 ええっ、大成功でした。これで画壇デビューへの足掛かりが出来ました。

 次は独立展ですね。

 そうです。二人とも挑戦するでしょう。

 でも、気がかりなことが一つありますね。

 なんでしょう。

 家に帰ったお母さんのことです。

 どうして・・・。

 新聞ご覧になったでしょう。

 ええ、見ましたが・・・。

 冴子さんのことを大きく取り上げていましたね。

 ああ、そう言えば。

 そのことですよ。お母さん心配していらっしゃるんではと・・・。

 どうしてですか。

 いえね。これから画家として進んでいくと、長洲さんと冴子さんにどんどん近づいていくことになる訳でしょ。

 まあ、そうですが、母親はそんなことは割り切っていると思いますよ。力を借りることはいい気持ちではないと思いますが、娘との生活を取り戻した喜びの方がずっと大きいですよ。

 そうですかね。

 そうに決まってます。冴子さん、これからは京子の家からどんどん離れて行きます。それにいつまでも頼って描いていたらだめになることは京子も知っている筈です。

 そうですね。これからが真の実力を試される正念場ですね。

 そうです、そうです。・・・私は長柄さんの話を聞いていて大きな力が湧いてくるのを感じました。

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絵の魔力

2012-05-05 22:59:27 | 日記
絵の魔力




「鉄道」マネ(1872年-73年制作 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)

 はじめに言葉ありき。・・・こういう言葉がある。「創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在するという意」らしい。(新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から)
 それでは、人間が意思の疎通を図るとき、初めに思いついた手段は何だったのだろう。言葉? 身振り手振り? はたまた呪術的な何かの方法? ・・・いやいや、私には分かりません。しかし、この絵に見入ると、その手段は素朴な絵ではなかったのかと思えてくる。
 左に母親、右に子ども。自然にそう思えてくる。ところが、子どもは後ろ向きである。画家が後ろ向きの像を描くことはあるが、それにしてもこの子どもと母親の仕草はちぐはぐである。
 母親は本を広げている。しかし、どうも読書に集中できていないようである。何だか表情に力がない。ところが、子どもは汽車に心を奪われている様子。今しも動き出そうとする汽車に。この対照が面白い。描きたかったのはそこにあるようである。うがった解釈だが、この子どもは遠い昔の母親自身かも知れない。この女性はかつての溌剌とした子ども時代を懐かしく思い出しているのかも知れない。作者はこの対照の中にごく普通の人間の瞬時の思いを定着させたのである。この微妙な心の状況は言葉とか文字では決して表すことはできない。


 私は、二人展がまだ終わらないある日、二人の家に出かけました。もちろん、家にはお母さんと孫が留守番しています。私は、お母さんと少し話がしたかったのです。


 お母さんが買われたあの佐山さんの絵は今どこに・・・。

 ああ、あの絵は京子の学生時代の友達の家に預けています。うちにはあんな大きな絵をかけておくところはありません。

 友達のところですか。

 そうです。もう立派なグラフィック・デザイナーです。

 油絵ではないんですか。

 ええ、でも、褒めてくれました。

 そりゃそうでしょうね。・・・思い切ったことをされましたね。

 もう、私が買わねばとずっと思ってました。

 そうですか。・・・お母さん、絵はお好きですか。

 いいえ、ちっとも分かりません。・・・主人がどんどん絵を買い込んでくるようになって、私、腹立てていました。

 そうですか。

 で、その絵はどうされたんですか。

 さあ、どうしたのか分かりません。・・・恐らく家を出るときに売り払ったんでしょう。

 そうですか。

 畝本さん、出て行った私がまた帰ったことを変に思ってませんか。

 えっ、どうしてですか。お父さんたちはもう帰らないと仰っているようですから・・・。立ち入ったことを言って申し訳ありませんが、私は三人の、いや四人の新しい家族と思っています。

 でも、世間が・・・。

 そう仰ると私は何とも・・・。

 ご免なさい。帰ることが出来たのは、京子と孫がいたからです。・・・いろいろとお世話になりました。

 いやいや、私は何にも・・・。

 あっ、畝本さん、孫を抱いてやってください。

 えっ、いいんですか。

 ぜひ・・・。そう言ってお母さんは奥から赤ん坊を抱いてきて、私に委ねました。

 おっ、案外重いですね。久しぶりですよ、赤ん坊をだっこするなんて。

 母親似ですよ。

 そうですね。眼のところなどそっくりですね。

 私は、そのとき嬉しいやら恥ずかしいやら、何だかこそばゆい気持ちがしました。暖かくて柔らかくて、何とも心地いい気分になりました。と、同時に奇妙な錯覚を覚えました。・・・自分が自分を抱いている、そういう気持ちになったのです。それから、その感覚は、全く異質な、甘い幻を抱いているような気分に変わりました。

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