とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

大樹

2010-08-15 15:49:47 | 日記
大樹



 「家には、見上げーやな樹が一本なけにゃの―」。子どもの頃、父の知り合いの人がしみじみとそう仰ったことをときどき思い出す。私は家を二回変わったが、三番目の今の家にもそういう大樹がない。それを寂しく思っている。
 炎天にそよぎをる彼の一樹かな           虚子
 最近の炎天下、ふとそういう句を思うときがある。その樹は私に生きる志を指し示すだろうし、憩いの木陰を作ってくれもするだろう。どこかの民家で亭々とそびえている老樹を見つけると、しばらく見上げて溜息をついている。
 しかし、今、家には伊豆から届いた「大樹」がある。カレンダーの絵である。描いたお方は村松仁氏。五月、六月の暦の上に、新緑をいただいた楡(にれ)か欅(けやき)と思われる大樹がどっしりと描いてある。私は、この絵にたくさんのことを教えられている。
 村松氏は、交通事故で体の自由が利かなくなった。だから、口で絵筆をくわえて描く。しかも、描く風景は記憶の底から湧きあがるイメージの山河や植物である。私はあの星野富弘氏の絵と比較して見ている。星野氏の絵は写実的で描線が驚くほどしっかりしている。それとは対照的に、村松氏の絵はコンテで描いたような柔らかい色調で微妙な味わいがある。どちらも好きだが、今は私の部屋の壁の大樹に心奪われている。心の奥底の風景をほとばしるように力強く描き、無言のうちに生きるとはこういうことだと私に教えてくれた。太い幹は意志。細い枝は情緒のたゆたい。新緑は朗らかさ……。
 知人から聞き知り、中伊豆リハビリテーションセンターでの労作を送っていただいた私は、村松氏の強靭(きょうじん)な精神力を感じ、ひ弱な心に鞭打たれた気がしたのである。(2005年投稿)

参考資料
村松さんに関するブログ

集中豪雨

2010-08-15 06:33:04 | 日記
集中豪雨

 空梅雨が一転し豪雨に……。意外な展開に私は天地の怒りの声を聞く思いがしている。豪雨と言えば思い出すことがある。それは学生時代のことである。
 「準急八雲は予定の時刻に発車しますが、島根県では水害のために途中で下車していただく場合がありますので、あらかじめご承知おきください」。小倉駅でアナウンスを聞いていた私は、どうにかなると甘く考えてその列車に乗ることにした。切符代しか財布には残っていなかった。確か昭和三十九年の集中豪雨のときだったと思う。
 益田に着いたとき、「宿泊されるお方は下車してください」とのアナウンス。数十円しか持っていない私はそのまま乗っていた。かくして、とうとう五十猛で列車はストップしてしまった。線路が流失していてもう進めないとのこと。
 私はしかたなく下車した。そして駅前のタバコ屋で電話を借りて自宅までかけたが断線していて通じなかった。もう夕方が迫っていた。途方に暮れて店先に座っていると、「学生さん、うどんで悪いけど食べませんか?」と言って奥さんが美味しそうな一杯のうどんを持ってきてくださった。私は涙が出るほど嬉しかった。そのときのうどんの味は終生忘れない。その上その奥さんは宿の紹介をして下さった。後に付いていくと、民宿だった。そこでもまことに親切にしていただいた。ご厚意に甘えて、折り返し運転のバス便が開通するまで二泊させていただいた。こんな見ず知らずの若造にこんなに親切にしていただく私は幸せ者だと、心の中で手を合わせていた。
しかし、この出来事については今でも一点のわだかまりが私の胸の奥にこびり付いている。それは、あのときあの列車に乗るべきではなかったかもしれない、という後悔に似た想念である。出発を遅らせるという心の余裕があのとき私にはなかったのである。
                                 (2005年投稿)