とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 216 落葉松╱森 麻季

2017-08-31 22:51:46 | 日記
落葉松と言えば北原白秋と思っていた私はこういう曲があることを知り驚きました。しかも作曲が小林秀雄。えっ、作曲もしたのか。小林秀雄は山スキーもするほど山を愛する人でした。北軽井沢の落葉松林を曲にするほど愛していたのだ。ちょっと私にとってすこぶる刺激的な発見でした。??? ・・・ええっ! 同姓同名。作曲家にも小林秀雄がいた !!! ああそうでしたか。無知でした。・・でも、この曲いい曲です。

森麻季が【(落葉松(からまつ)】を歌う



小林 秀雄(こばやし ひでお、1931年2月12日 - 2017年7月25日)は、東京府生まれの作曲家。

東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業。声楽作品(歌曲・合唱曲)及びピアノ曲を主に手がけ、特に独唱曲「落葉松」(詩:野上彰、のちに作曲者自身の手で混声合唱・女声合唱・男声合唱に編曲される)が有名である。
2017年7月25日、誤嚥性肺炎のため死去。86歳没。


森 麻季(もり まき、1970年8月19日 - )は、日本のソプラノ歌手。二期会会員。

来歴・人物

東京都生まれ。幼い頃よりピアノを習い、国立音楽大学附属小学校ピアノ科に入学。国立音楽大学附属中学校→国立音楽大学附属高等学校卒業。東京藝術大学音楽学部声楽科を経て、同大学院独唱専攻を修了。在学中に安宅賞受賞。

文化庁オペラ研修所修了後、五島記念文化財団オペラ新人賞を受賞し、文化庁派遣芸術家在学研修員としてミラノのヴェルディ国立音楽院(Conservatorio di musica Giuseppe Verdi)に留学。また、ミュンヘン国立音楽大学大学院(Hochschule fur Musik)を修了した。

2005年、イタリア人作曲家と結婚。2008年9月に長男を出産。

受賞歴

第26回イタリア声楽コンコルソ優勝、ミラノ大賞受賞。モーツァルトコンクール優勝。
1996年、第65回日本音楽コンクール第2位入賞(1位は森川栄子、同じ2位は浦野智行)、あわせて日本歌曲の最優秀歌唱者に贈られる木下賞を受賞。

1998年、カマイオーレ国際コンクールでオペラ部門と歌曲部門でダブル優勝。“Debut in Meran”(テアトロ・プッチーニで開催)において第2位。ドイツ歌曲最優秀歌唱者に贈られるベーレンライター賞及び観客の選ぶ最優秀賞を受賞。アルカモ国際オペラ・コンクールで第4位(Prize of the Critics)。プラシド・ドミンゴ世界オペラ・コンクール(Operalia)において第3位入賞。日本人として初めてワシントン・ナショナル・オペラに出演。ワシントン・アワードを受賞。

2000年度出光音楽賞受賞。4月ドイツ・ハノーファーにてInternational Singing Competition Orfeo 2000の第2位とバッハの演奏に対する特別賞受賞。

2001年度ホテルオークラ音楽賞受賞。(Wikiより)

(参照)

軽井沢ネット 軽井沢エッセンス


あちこち「SYOWA」 215 ザ・ベストテン 19810813

2017-08-30 15:38:34 | 日記
今の時代、どんな唄が歌われているか、ヒットしているのはどの曲か。歌番組が少なくなって寂しく思っています。若い頃はこんなに素晴らしい番組がありました。

ザ・ベストテン 19810813



『ザ・ベストテン』(英称:The Best Ten)は、1978年1月19日から1989年9月28日までTBS系列局で、毎週木曜日の21:00 - 21:54 (JST) に生放送されていたTBS製作の音楽番組。全603回放送。
1976年から1977年にかけて放送された『トップスターショー・歌ある限り』の後番組としてスタート。最高視聴率41.9%[1]を記録した。愛称は『ベストテン』『ベッテン』。第11回テレビ大賞優秀番組賞受賞。


歴代司会者

黒柳徹子は初回から最終回まで担当
初代:黒柳徹子・久米宏
1978年1月19日 - 1985年4月25日(第1回 - 第375回)
黒柳徹子・男性司会者輪番制(進行補佐として松宮一彦・生島ヒロシ・松下賢次)
1985年5月2日 - 1985年9月26日(第376回 - 第397回)
2代目:黒柳徹子・小西博之
1985年10月3日 - 1986年9月25日(第398回 - 第448回)
3代目:黒柳徹子・松下賢次
1986年10月2日 - 1989年1月5日(第449回 - 第565回)
4代目:黒柳徹子・渡辺正行・柄沢晃弘
1989年1月12日 - 1989年9月28日(第566回 - 第603回)

初回放送の前週に放送された『ザ・ベストテン前夜祭』(1978年1月12日)が黒柳・久米コンビの司会スタート。正式の最終回(1989年10月5日)は4代目の黒柳・渡辺・柄沢トリオが主に司会を担当した。
なお、上記の放送回数はランキング紹介を行ったレギュラー放送回についての通算回数を表記しており、この前夜祭と正規最終回の回数は含まれていない(これらを含むと通算放送回数は605回)。また、初代男性司会者の久米については前番組に当たる『トップスターショー・歌ある限り』のサブ司会を担当しており、それを含めたTBS木曜21時枠での通算司会期間は計9年7か月となる。(Wikiより)

あちこち「SYOWA」 214 細雪/吉永小百合・佐久間良子・古手川祐子・岸恵子

2017-08-29 16:18:25 | 日記
私はとうとうこの原作を読み通すことができませんでした。今からでも遅くはありません。読もうとは思っていますが・・・。今は映像で思い出しましょう。今の映画界、これほどの女優を共演させることができるでしょうか。

細雪/吉永小百合・佐久間良子・古手川祐子・岸恵子


『細雪』(ささめゆき)は、谷崎潤一郎の長編小説。1936年(昭和11年)秋から1941年(昭和16年)春までの大阪の旧家を舞台に、4姉妹の日常生活の悲喜こもごもを綴った作品。阪神間モダニズム時代の阪神間の生活文化を描いた作品としても知られ、全編の会話が船場言葉で書かれている。上流の大阪人の生活を描き絢爛でありながら、それゆえに第二次世界大戦前の崩壊寸前の滅びの美を内包し挽歌的切なさをも醸しだしている。舞台は阪神間だが、本質的には大阪(船場)文化の崩壊過程を描いている。

谷崎潤一郎の代表作であり、三島由紀夫をはじめ、多くの作家たちにより文芸評論・随想等で取り上げられ高く評価され、読書アンケートや名著選でも必ず近代文学の代表作に挙げられている作品である。『細雪』は〈天子様〉(昭和天皇)に献上されたが、通常は小説を読まない天皇が、この作品は全部読了したと谷崎は聞いたという。

あらすじ

大阪船場で古い暖簾を誇る蒔岡家の4人姉妹、鶴子・幸子・雪子・妙子の繰り広げる物語。三女・雪子の見合いが軸となり物語が展開する。

主な登場人物

蒔岡家
鶴子 - 長女、本家の奥様
辰雄 - 鶴子の婿養子、銀行員
幸子 - 次女、分家の奥様 -「ごりょうんさん」(船場言葉「御寮人さん」= 若奥様) 谷崎の妻・谷崎松子がモデル。
貞之助 - 幸子の婿養子、計理士
悦子 - 幸子と貞之助の娘
雪子 - 三女
妙子 - 四女 -「こいさん」(船場言葉「小娘さん」= 末娘)
その他
井谷 - 幸子たち行きつけの美容院の女主人
奥畑 - 妙子の恋人、貴金属商の三男坊 -「啓坊」「啓ちゃん」
板倉 - 妙子の恋人、写真師
三好 - 妙子の恋人、バーテンダー
瀬越 - 雪子の縁談相手
野村 - 雪子の縁談相手
沢崎 - 雪子の縁談相手
橋寺 - 雪子の縁談相手
御牧 - 雪子の縁談相手、子爵家の庶子



蒔岡家は大阪の中流上層階級の家である。姉妹たちの父親の全盛期は大阪でも指折りの裕福な家だったが、代が変わるころには財産は減ってしまい、船場の店も人手に渡っている。本家は大阪の代々の家に住んでおり、長女の鶴子、その夫で婿養子となって蒔岡の名を継いだ辰雄、その6人の子供の一家である。

分家は阪神間の閑静な郊外、芦屋にあり、次女の幸子、同じく婿養子となって蒔岡の名を継いだ夫の貞之助、幼い娘の悦子の3人家族である。鶴子と幸子には雪子と妙子という2人の未婚の妹がおり、妹たちは本家と分家を行き来している。
物語の冒頭では、今まで雪子にあった多くの縁談を蒔岡家の誇りから断ってきたために縁談が減ってきており、雪子は30歳にして未婚であることが語られる。さらに悪いことに、妙子と間違えられて雪子の名が地元の新聞に載ってしまったことがある。妙子は奥畑と駆け落ちをしたのだ。辰雄は記事の撤回を申し入れたが、新聞は撤回ではなく訂正記事を載せ、雪子に換えて妙子の名を出した。

記事は蒔岡家の恥となり、雪子のみならず妙子の名をも汚すことになった。辰雄の対処に不満を持ち、また辰雄の堅実一方の性格がそもそも気に入らないために、雪子と妙子はほとんどの時間を芦屋の家で過ごすようになった。新聞の事件の後、妙子は人形作りに慰めを見出すようになる。かなり上手で、人形は百貨店で売られている。妙子は幸子に頼んで仕事部屋を探し、そこで長時間人形を作って過ごすようになる。
井谷が幸子に瀬越という男性との見合いの話を持ってくる。井谷に急かされ、一家は瀬越について調査が済まないまま非公式な見合いをすることにする。一家はこの縁談に乗り気になるが、最後には断らざるを得なくなる。瀬越の母親が遺伝するという精神病を患っていることが判ったからである。

数か月後、幸子は女学校で同窓だった陣場夫人から縁談を持ちかけられる。相手は中年のやもめで野村という。幸子は外見が老けていることもあり特に良いとは思わなかったが、一応調査をすることにし、陣場夫人には決めるのに1〜2か月の猶予を求めた。一方で辰雄は勤務先の銀行の支店長として東京に行くことになる。辰雄一家は東京に引越すことになり、雪子と妙子も一緒に行くことになった。妙子は人形作りの仕事のためにしばらく芦屋に留まることを許されたが、雪子はすぐに行かなくてはならない。

雪子は東京では元気が無く、鶴子はしばらく雪子を大阪に帰らせようと提案する。幸子が雪子を呼び寄せる口実を考えているところに、野村について催促の手紙が陣場夫人から届く。縁談に乗り気ではないものの、2人は芦屋に雪子を連れ帰る口実として見合いに同意する。
見合いの直前に幸子は流産したため、野村との見合いは延期される。1週間後、幸子、貞之助そして雪子はようやく野村と会うが、幸子は野村があまりに老けて見えることに驚く。夕食後、一行は野村の家に招かれるが、そこで野村は亡くなった妻と子どもたちの仏壇を見せる。雪子は野村の無神経さに嫌気がさし、結婚できないと言う。蒔岡家は野村の求婚を断り、雪子はまた東京に送り返される。



妙子は人形作りに飽き、洋裁と山村舞に精を出すようになる。舞のお浚い会が芦屋の家で行われ、妙子も出演する。板倉という感じの良い若い写真師が写真を撮っている。板倉は妙子の人形の写真を撮っており、妙子と知り合いである。
1か月後、関西地方は大水害に襲われる。妙子は最も被害のひどい地域にある洋裁学院にいたが、板倉が妙子を救出した。板倉の勇気に感じ入り、妙子は好意を持つようになる。やがて妙子と板倉の関係は幸子に知られるが、幸子は板倉の低い出自のため反対する。それでも妙子は彼と結婚するつもりでいる。

妙子は洋裁の師匠と共にフランスに行って洋裁の勉強をしたいと思い、幸子に本家への口添えを頼む。師匠がフランス行きをやめることになると、妙子は洋服店を開くことに決める。妙子は本家に資金援助を依頼するため東京に行くが、板倉が病気になりすぐに大阪に呼び戻される。
板倉は乳嘴突起炎のため入院していたが、手術の合併症からくる壊疽のために亡くなる。板倉の死で、妙子が低い出自の男と結婚するのではという幸子の憂いはひとまず消えた。



6月、辰雄の長姉が幸子に縁談をもたらす。名古屋の名家の出の沢崎である。幸子、雪子、妙子と悦子は辰雄の姉を訪ねて大垣に行き、そこで雪子が見合いをすることになった。見合いはうまく行かなかった。幸子はいい印象を持たなかったが、結局沢崎の方から断ってきた。蒔岡家が縁談を断られたのはこれが初めてだった。

幸子は妙子がまた奥畑と縒りを戻したと聞く。ふたりの交際がだんだんとあからさまになり、貞之助は鶴子に報告する。鶴子は妙子に東京に来るよう申し渡すが、妙子は拒否し絶縁される。
井谷がまた縁談を持ち込む。この橋寺は魅力的な相手だったが、再婚の決心がついていないようだった。貞之助は雪子を連れて橋寺に会い、話を纏めようと奔走するが、雪子の引っ込み思案のために橋寺は縁談を打ち切ってしまう。
その後、幸子は妙子が奥畑の家で重い病気になっているとの知らせを受ける。妙子は赤痢と診断される。病状は次第に悪くなり、姉たちはよい治療を受けさせたい一方、妙子が奥畑の家にいることを知られたくないために悩む。結局妙子は一家の友人の病院に移され、そこで緩やかに回復する。

一方で、幸子は妙子が絶縁されて以来奥畑に頼って暮らしていたことを知る。また三好というバアテンと関係があるらしいとも聞く。幸子は驚くが、今や妙子と奥畑は結婚するしかないと考える。妙子が回復した後、幸子は奥畑が家族から満州行きを勧められていると知る。幸子と雪子は、妙子が一緒に行くべきだと考えるが妙子は同意しない。雪子は、妙子は奥畑から多くの物をもらっており借りがあると説得する。妙子は泣きながら家を出て2日間帰らなかった。奥畑は結局満州へは行かないことにする。

井谷が経営する美容院を売って渡米する予定だという知らせが蒔岡家に届く。出発前に井谷は幸子に、もう一つ縁談があると告げる。維新の際に功労のあった公家華族の御牧子爵の庶子で、45歳だという。姉妹が東京に行って御牧に会ってみると、その気さくな人柄にたちまち魅了される。東京滞在中に妙子は、三好の子を妊娠しており4か月だということを幸子に告げる。幸子と貞之助は妙子が有馬で秘密裏に出産するよう手配する。

蒔岡の家名を守るため、貞之助は奥畑に妙子の行状について他言しないよう求める。奥畑は妙子に使った金銭を補填することを条件に同意し、貞之助は2000円を支払う。結局妙子は死産し、三好と所帯を持つ。蒔岡家は御牧家から求婚への返答を求められる。雪子はそれを受け入れ、貞之助は本家に同意を求める手紙を送る。婚礼の日取りと場所が決まり、新居も決まった。雪子は婚礼衣装が届いても楽しげではなく、下痢が続き東京へ向かう電車でも止まらない。(Wikiより)

(番外)【MV full】 恋するフォーチュンクッキー / AKB48[公式]

2017-08-28 00:52:02 | 日記
視聴回数 119,020,743 回。何と驚異的な再生回数。「人生捨てたもんじゃないよね」。ここの言葉は痺れさせます。私も時々聴いて元気を貰っています。

【MV full】 恋するフォーチュンクッキー / AKB48[公式]


「恋するフォーチュンクッキー」(こいするフォーチュンクッキー)は、日本の女性アイドルグループ・AKB48の楽曲。作詞・秋元康、作曲・伊藤心太郎、振付師・パパイヤ鈴木。略称は「恋チュン」または「フォーチュンクッキー」。
2013年8月21日にAKB48のメジャー32作目のシングルとしてキングレコードから発売された。楽曲のセンターポジションは指原莉乃が務めた。

背景とリリース

楽曲は、2013年5月21日から同年6月7日まで投票が実施され、同年6月8日に開票結果が発表された『AKB48 32ndシングル選抜総選挙』の1位から16位までのメンバーによって歌唱されている。1位を獲得した指原莉乃(HKT48)が、AKB48のシングル表題曲で初めてセンターポジションを務めている。楽曲タイトルにある「フォーチュン・クッキー」は、その中に運勢を表記した紙片が入っている菓子で、「おみくじクッキー」とも呼ばれる。

楽曲のシングル盤は、Type A・Type K・Type Bそれぞれの初回限定盤と通常盤、劇場盤の7形態によって発売されている。また、『AKB48 32ndシングル選抜総選挙』で17位から32位、33位から48位、49位から64位に選ばれたメンバーがそれぞれアンダーガールズ、ネクストガールズ、フューチャーガールズとしてシングル盤のカップリング曲を歌唱している。
シングル盤のジャケット写真撮影はレスリー・キーによるものである[3]。また、Type A・Type K・Type Bのジャケットには、福岡県およびその周辺の名物が散りばめられている。

キャッチコピーは「“恋チュン”踊れば、嫌なことも忘れられる」。楽曲のシングル盤発売日である2013年8月21日には、コナミのアーケードゲームDance Evolution ARCADEへ配信され、ゲーム内のキャラクターが指原莉乃の衣装を着て踊るというコラボレーションが実施されている。

楽曲については、2013年6月8日にAKB48 32ndシングル選抜総選挙での指原の1位が発表された後、秋元康総合プロデューサーから指原にメールで、タイトルが「びっくり音頭」になったと伝えられたことを同月13日のHKT48劇場における公演で指原自ら公表していたが、これは1位になった指原が「調子に乗らないように」と秋元が仕掛けたサプライズであり、同月23日に指原が自身が司会を務める『AKB映像センター』内で正式タイトルを発表[5]。同月29日にTBSで放送された『音楽の日』で初披露された。2014年2月3日にフジテレビで放送された『SMAP×SMAP』では、SMAPとのコラボレーションで披露された。

リリースから2年後の2015年12月16日にフジテレビで放送された『2015 FNS歌謡祭 THE LIVE』で「アイドル・コラボ・メドレー」の最終曲としてSKE48、NMB48、乃木坂46、欅坂46、ももいろクローバーZ、私立恵比寿中学、チームしゃちほこ、モーニング娘。'15、℃-ute、アンジュルムといった10組女性アイドルグループとのコラボレーションで披露された。
2013年12月14日には、日本と東南アジア諸国連合 (ASEAN) の特別首脳会議にあわせ、帝国ホテルで開催されたガラディナー(祝宴)にて同曲が披露された。

また、文部科学省の留学促進キャンペーン「トビタテ!留学JAPAN」に賛同する形で、秋元康作詞による本曲の替え歌「トビタテ! フォーチュンクッキー」が制作され、2013年12月15日に早稲田大学で開催された「第1回 Go Global Japan Expo」のイベント内で披露された。
2014年1月10日、日本高等学校野球連盟によって、同年の『第86回選抜高等学校野球大会』入場行進曲に選定された。AKB48の楽曲が選抜高等学校野球大会の行進曲に使用されるのは、第84回大会の「Everyday、カチューシャ」以来2年ぶり2度目である。

『AKB48 リクエストアワー セットリストベスト200 2014』で「恋するフォーチュンクッキー」は3位になった。『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト1035 2015』では4位、『AKB48単独リクエストアワー セットリストベスト100 2016』では22位、『AKB48グループリクエストアワー セットリストベスト100 2016』では42位だった。

2016年1月20日、東京メトロが日比谷線秋葉原駅で発車メロディとして採用することを発表し、同年3月31日から使用開始した。
2016年10月にHMV限定・数量限定で12インチアナログ盤が発売された。(Wikiより)


あちこち「SYOWA」 213 Moon River - Breakfast at Tiffanys

2017-08-26 00:04:13 | 日記
「Moon River」と言えば「ティファニーで朝食を」ですね。元唄はヘップバーンだったですね。これも視ました。原作も読みました。

Moon River - Breakfast at Tiffanys



『ティファニーで朝食を』(ティファニーでちょうしょくを、原題: Breakfast at Tiffany’s)は、アメリカ合衆国の小説家トルーマン・カポーティによる中編小説。1958年にランダムハウスから出版された。ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きる女性主人公を描く。1961年にオードリー・ヘプバーン主演でパラマウント映画によって映画化された。

題名は主人公のいう「ティファニーで朝食を食べるご身分」というたとえで、ニューヨーク5番街にあるティファニーは宝石店であり実際には食堂はない。しかし映画版ではその題名を意識してか、冒頭でオードリー・ヘプバーンがティファニーのショーウィンドウを前に朝食を食べるシーンがある。(Wikiより)