とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」(番外) 映画『ちはやふる』主題歌 「FLASH」(Perfume)PV

2019-06-27 00:02:32 | 日記
綾瀬 千早(あやせ ちはや)<声 - 瀬戸麻沙美 / 演 ‐ 広瀬すず、久家心(少女時代)>と朝ドラの奥原なつをダブらせて視ていて、ふと、映画をアップしたいとおもいました。


映画『ちはやふる』主題歌「FLASH」(Perfume)PV



『ちはやふる』は、末次由紀による日本の少女漫画、およびそれを原作としたテレビアニメ、実写の映画。『BE・LOVE』(講談社)において2008年2号から連載中。競技かるたに没頭する少女の青春を描く。アニメ化及び実写映画化された他、現実社会の競技かるた浸透にも影響を及ぼした。


概要

競技かるたを題材とした少女漫画。本作の主人公は名人・クイーンを目指す少女・綾瀬千早であり、物語は千早がクイーンの座を賭けて争う場面から始まる。その後は千早が過去を回想する形で第6話迄は小学校編が、第7話から高校生編が描かれている。

個性的な登場人物が織り成すドラマと躍動感のある競技かるたの描写で人気を集めており、単行本41巻までの累計発行部数は2400万部を突破している。少年漫画に通ずる「熱さ」を有する作風から「熱血スポーツ漫画」と評されるが、同時に恋愛や友情、離別や再会といった青春ストーリーも描かれている。

制作背景

在原業平朝臣の和歌

本作は、末次由紀が漫画家活動を再開してから初めて手がけた連載作品である。末次によると、連載案を考えている時に担当編集者から「かるた漫画」を提案され、自身もかるたを経験していて親近感があった事もあり、本作を描き始めたという。

タイトルの『ちはやふる』は小倉百人一首の撰歌「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」に由来しており、末次は本作についてインタビューで「“勢いの強いさま”という“ちはやふる”の本当の意味を、主人公が知り表現していく物語なのだと思う」と発言している。なお、競技かるたでは「ちはやふる」は「ちはやぶる」と「ふ」を濁音にして発音するが、本作のタイトルはそのまま清音で発音する。(「Wiikipedia」より)


あちこち「SYOWA」(番外)三宅由佳莉さんが歌う「旅立ちの日に」

2019-06-23 16:18:48 | 日記
陸自ばかりではなく海自もすごいお方がいますね。・・・制服姿が凛々しい。この唄声で世界を平和にしてほしいです。


三宅由佳莉さんが歌う「旅立ちの日に」/Yukari Miyake sings "TABIDACHI NO HI NI (On the day to take off)"



三宅 由佳莉(みやけ ゆかり、1986年12月14日 - )は、岡山県出身の海上自衛官で、海上自衛隊東京音楽隊所属 のソプラノ歌手。


経歴

岡山県倉敷市出身。児童合唱団に属し、ミュージカル女優を志した。

岡山県立岡山城東高等学校普通科音楽系、日本大学芸術学部音楽学科声楽コースを卒業。渡辺馨・山田美保子に師事した。
大学の卒業前に大手百貨店への就職が内定していたが、海上自衛隊が音楽隊のボーカルを募集していることを渡辺馨の勧めで知り、自衛隊初となる声楽採用枠(1人)に合格して、2009年に海上自衛隊に入隊する。自衛官としての5か月間の基礎教育訓練の後、ソプラノ歌手として東京都世田谷区の海上自衛隊東京音楽隊に配属された。

2011年11月27日放送のSMAPの番組「ベビスマ」に出演して歌唱した。中居正広からは「紅白出れる」と言われ、また草彅剛からは「アンジェラ・アキもびっくり」と言われた。

2013年7月17日、東日本大震災をテーマにした『祈り 〜 a prayer(Piano version)』(作詞・作曲は東京音楽隊隊長の河邊一彦2等海佐)の配信を開始。動画がYouTubeにアップロードされると、ニュースでも取り上げられるなど反響を呼び、8月28日にファースト・アルバム『祈り〜未来への歌声』でユニバーサル・ミュージックからCDデビューした。同アルバムは、オリコンチャートのクラシック部門で2週連続1位を獲得したほか、第55回日本レコード大賞企画賞、第28回日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー、第6回CDショップ大賞クラシック賞の各賞を受賞した。

また、同年11月7日に東京オーチャードホールで開催されたギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団のコンサートに同音楽隊の太田紗和子(ピアノ)とともに出演し、『祈り 〜 a prayer(Piano version)』を共演した。また、同年にはプロ野球のクライマックスシリーズやラグビーの国際親善試合などのスポーツイベントで、国歌斉唱を行った。

2014年5月5日-12日、東京音楽隊がオスロを訪問してノルウェー憲法制定200周年記念日行事の軍楽祭「ミリタリー・タトゥー2014」へ参加(日本の軍楽隊としては初出演、東京音楽隊としてはヨーロッパで初演奏)し、三宅は和服を着て唱歌『ふるさと』を歌唱した。

2015年3月4日に発売されたセカンド・アルバム『希望~Songs for Tomorrow』が、オリコン週間アルバムランキングのクラシック部門で初登場1位を獲得した。これにより、『祈り〜未来への歌声』以来2作連続でクラシック・チャート初登場1位の獲得となった。
2016年3月30日発売のアルバム『響け!ブラバン・ヒーローズ』では、アニメソングを歌った。

2016年6月1日に、初のベスト・アルバム『THE BEST~DEEP BLUE SPIRITS~』が発売された。
2017年10月25日に、5枚目のアルバム『シング・ジャパン―心の歌―』が発売された。
2019年2月9日に放送されたBSテレビ東京の音楽番組「おんがく交差点」に出演。司会の春風亭小朝のインタビューに答え、隊歌『海のさきもり』を歌唱した]。(「Wikipedia」より)



あちこち「SYOWA」(番外) “陸自の歌姫” 鶫 真衣(ツグミ マイ) ♬365日の紙飛行機

2019-06-23 15:41:24 | 日記
実に清々しい。こういう人がいるなら私も陸自に入りたいと思いました。・・・勿論だめですね。歳です。・・・しかし、自衛隊のイメージが全く変わりました。

“陸自の歌姫” 鶫 真衣 ♬365日の紙飛行機 「たそがれコンサート2016-8-26」



鶫 真衣(つぐみ まい、1987年10月5日 - )は、陸上自衛官で、陸上自衛隊中部方面音楽隊所属のソプラノ歌手。石川県金沢市出身。



経歴

中学時代にNHK番組『おかあさんといっしょ』の「うたのおねえさん」にあこがれ、声楽を始めた。石川県立金沢辰巳丘高等学校卒業、国立音楽大学音楽学部演奏学科声楽専攻卒業、洗足学園音楽大学大学院修了。中村智子やウーヴェ・ハイルマンらに師事し声楽を学ぶ。

大学院時代に海上自衛隊東京音楽隊の定期演奏会で三宅由佳莉の歌唱に触れたこともあり、自衛隊のボーカリストに応募、2014年3月、中央音楽隊所属の松永美智子(松永は一般曹候補生、鶫は自衛官候補生で入隊)とともに陸自初の声楽要員として採用された。入隊後の陸士から、鶫が先に陸曹へ進んでいる。

プロ野球の国歌斉唱、西日本各地で音楽隊の公演を重ねている。地元紙によると、配属以来その歌声で演奏オファーが殺到しているという。

2016年12月に『ソプラノと吹奏楽のための 万葉讃歌』でCDデビューした。
AKB48の「365日の紙飛行機」を歌った鶫の動画が126万回再生され、レコード会社からCD制作のオファー受けるなど、三宅海曹と二分する人気となっていると2018年6月7日付けの藝能紙が報じる。

2018年6月27日に、アルバム『いのちの音』でメジャーデビュー。このアルバムで、鶫だけでなく中部方面音楽隊もメジャーデビューを果たした。これにより、オリコン週間アルバムランキングのクラシック部門初登場1位(7月9日付)を記録している。

首相が陸海空自衛隊員を閲兵する、自衛隊記念日観閲式で鶫三曹が国歌を独唱した(2018年10月14日)。東京近辺に勤務する歌唱音楽隊員を差し置き、中部方面音楽隊(伊丹)からの起用である。

鶫真衣効果なのか、平成30年度末(2019.3)に石川県からたくさんの人が自衛隊に入隊入校することになっているという。同じ石川県出身者として心強く誇らしいと語り、入隊入校者へ体験にもとづく励ましの言葉を述べている。

第2弾のアルバム『ハレオト~こころが晴れるうた』を2019年5月29日に発表。邦楽カバー曲と鶫自身の作詞によるオリジナル曲を収録する。 (「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」639 浅香唯 - C-Girl

2019-06-16 16:05:23 | 日記
昭和は長かった。ということもあり、限りないほどのスターが誕生しました。浅香唯もその中の代表的な人物の一人。この押してくる力は独特です。


浅香唯 - C-Girl



浅香 唯(あさか ゆい、1969年12月4日 - )は、日本の歌手、タレント、女優。80年代アイドル。本名、西川 亜紀(にしかわ あき、旧姓:川崎)。身長151cm、血液型A型。宮崎県宮崎市出身。デビュー時のキャッチコピーは、「フェニックスから来た少女」であった。


来歴


デビュー〜ブレイク前
1984年、『少女コミック』主催の「ザ・スカウトオーディション'84」に応募。同誌に連載されていた漫画『シューティングスター』(作:大山和栄)のヒロインの名を冠した”浅香唯賞”(グランプリ)を受賞。これにより、芸名が「浅香唯」となる。浅香自身は芸能界には全く興味がなかったが、受賞者に贈られる副賞“赤いステレオ”欲しさでオーディションに応募した。審査員を務めた漫画の作者は「『浅香唯』はこの子しかいない」と、浅香を一目見た瞬間から決めたという。浅香はステレオとグアム旅行[注釈 1]を手にするという目的を果たし、これで終わるはずだったが、数々の芸能プロダクションから次々とスカウトの電話が来る。

1985年3月、中学卒業と同時に上京した翌日からTBSの生放送番組『EXPOスクランブル』にレギュラー・アシスタントとして出演する。同年6月21日、シングル「夏少女」で歌手デビュー。キャッチフレーズは“フェニックスから来た少女”。約1年半の間にシングル5枚、アルバム1枚を発売するも、5枚目のシングル「10月のクリスマス」がオリコンチャート88位にランキングされた以外は、他のシングル・アルバムは100位以内にランキングされなかった。

スケバン刑事シリーズでブレイク

1986年10月、フジテレビ系連続ドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』に、主役の3代目麻宮サキ役で出演を果たした。
1987年1月発売の「STAR」が同ドラマの主題歌に起用され、オリコン9位にランクインする。以降、TBS系『ザ・ベストテン』、日本テレビ系『歌のトップテン』、フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』、テレビ朝日系『ミュージックステーション』等、多数の音楽番組に出演する。同年9月発売の「虹のDreamer」で、初のオリコンチャート1位を獲得。風間三姉妹(長女:大西結花、次女:中村由真、三女:浅香唯)として発売したシングル「Remember」でもオリコン1位を獲得、コンサート活動も行う。シングル発売時には松坂屋上野店等の屋上にてイベントを行った。『スケバン刑事III』は当初半年間の放映予定であったが、1年間放送された。
1988年、映画『スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲』に主演。

トップアイドル時代

1988年、ドラマ、映画、キャンペーン、コンサートと約1年半にわたる『スケバン刑事』関連の仕事が終了した後、4月には、カネボウ化粧品のCMイメージ・キャラクターに選ばれる。また、同CMのキャンペーンソングにシングル「C-Girl」がタイアップされ、大ヒット。オリコンでは2週連続(通算3週)1位、『ザ・ベストテン』では初の1位を獲得。続く「セシル」はノー・タイアップながら、オリコン1位、『歌のトップテン』でも1位を飾る。レコードがヒットし、映画、ドラマ、雑誌、ラジオ、そしてCMにも多数出演するようになる。各メディアからは「ポスト松田聖子」、さらに中山美穂、工藤静香、南野陽子と共に「アイドル四天王」と称され、日本一忙しいアイドルと言われた。

1989年1月発売の「TRUE LOVE」で4作目のオリコンチャート1位を獲得。4月には2作目の主演映画『YAWARA!』が公開される。階段で足のじん帯を損傷し、開催中のコンサートは2本延期されるが、程なくして復帰する。夏のコンサートツアー『YUI ASAKA SUMMER TOUR '89 ROCK'N ROLL CIRCUS』は24ヶ所48公演という、浅香にとって最も公演数の多いツアーとなったが、初日(7月29日)、東京厚生年金会館での公演中、風邪による高熱で倒れ、6曲歌ったところでコンサートは中断されるも、翌日の同会場でのコンサートは予定通り行われた。11月4日には、1989年締めくくりのコンサートとしてよみうりランドEASTにて『YUI DREAM POWER in EAST '89』を開催した。

1988年のコンサートでバックバンドの一員だったドラマーの西川貴博との交際が発覚し、写真週刊誌に掲載される。事務所は即座に釈明会見を手配するが、浅香は「お付き合いしています」と交際宣言をした。西川とはその後も交際が続き、2002年に結婚した。
別冊宝島の調査によると、1980年代の年間ベスト50位以内ランクイン曲数4曲と当時の女性アイドル中8位であった。
(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」638 愛が生まれた日/藤谷 美和子 - 優秀賞受賞 -

2019-06-15 16:30:16 | 日記
藤谷美和子。・・・というと先ず女優というイメージが浮かんできます。すごい演技で数々の賞を受賞。歌手としてもかなりなお方でした。しかし、下記の最後の記述が気になりました。本当でしょうか。


愛が生まれた日 - 優秀賞受賞 -



藤谷 美和子(ふじたに みわこ、1963年 3月10日 - )は、女優。東京都北区出身。本名 岡村 美和子(旧姓:藤谷)。2006年より芸能活動停止。現在無所属。血液型はA型。


来歴・人物

1977年にカルビーポテトチップスのCMに出演、1978年に放送された『ゆうひが丘の総理大臣』で、生徒役を演じる。以後、『あさひが丘の大統領』、『池中玄太80キロ』などに出演し話題になり1984年には、自身初の朝の連続テレビ小説、『心はいつもラムネ色』に出演し、平均視聴率は40.2%となる大ヒットともなり自身の代表作品ともなった。1994年には、『そのうち結婚する君へ』で自身初の連続主演ドラマが放送された。以後は、単発ドラマやバラエティー番組に出演するようになった。

1985年には、エランドール賞(新人賞)を獲得し、1984年には、『海燕ジョーの奇跡』、『地平線』が上映され、日本アカデミー賞で優秀主演女優賞を獲得し、1992年に上映された映画で『女殺油地獄』と『寝盗られ宗介』で日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞、ブルーリボン賞では助演女優賞、キネマ旬報賞では助演女優賞、毎日映画コンクールでは女優主演賞、報知映画賞では助演女優賞を獲得。

1994年に自身主演のドラマ『そのうち結婚する君へ』の挿入歌『愛が生まれた日』(大内義昭とのデュエット)でCDデビュー。132万枚以上を越えるミリオンセラーを記録した。この曲で、第9回日本ゴールドディスク大賞で、グランプリ・ニュー・アーティスト賞とベスト5ニュー・アーティスト賞を受賞し、日本有線大賞で新人賞と最優秀新人賞を、全日本有線放送大賞で新人賞と最優秀新人賞と大賞(グランプリ)を受賞し、嬉しさのあまり涙ながらに歌唱した。また、女優としての歌手セールスではこの当時1位を記録する。この年の暮れに放送された第36回日本レコード大賞では優秀作品賞を獲得し、第45回NHK紅白歌合戦に初出場する。

2003年6月26日には、皇居坂下門に突如タクシーで乗り付け、当時警戒中の警察官に開門を要求、開けようとしない警察官に「紀宮さまは私の妹。お会いしてお手紙を渡したいのです」と詰め寄り、その後1時間あまりタクシー内に立て籠もるという騒動を起こしている。この騒動の後、暫くの間表舞台から姿を消した。

2005年12月、演出家の岡村俊一と結婚。その後離婚を希望し、芸能界復帰の意思がないと一部のスポーツ紙は報じた。
2016年今何してるのか気になる女性芸能人をVenusTapが男女500人にアンケート調査をした所、3位にランクインされていた。
(「WIkipedia」より)