とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 (番外)カナダのシンディ・クラッセン Women's 1500M - 2006

2018-02-28 23:51:14 | 日記
あこがれの選手はカナダのシンディ・クラッセン。小平選手のあこがれ。・・・そうか、では、という訳で画像を探しました。すごいパワーのある選手ですね。なるほど、なるほど。

Klassen - Speed Skating - Women's 1500M - Turin 2006 Winter Olympic Games


シンディ・クラッセン(Cindy Klassen、1979年8月12日 - )はカナダの女子スピードスケート選手。マニトバ州ウィニペグ出身。


経歴

4歳の頃からアイスホッケーを始め、カナダ代表のユースチームに所属。1998年の長野オリンピックから実施された「女子アイスホッケー」のカナダ代表を目指していたが最終選考で落選し、18歳でスピードスケートに転向した。

すぐに才能を発揮し、2002年ソルトレークシティオリンピックの3000mで銅メダルを獲得。

その後、練習中に他の選手と衝突して右腕の腱を切るという大怪我に見舞われ、2003-2004シーズンを棒に振った。
2006年トリノオリンピックでは金1、銀2、銅2の計5個のメダルを獲得。1大会で5個のメダルを獲得した最初のカナダ人選手となった。またスピードスケート競技では、1980年レークプラシッドオリンピックで5個の金メダルを獲得したエリック・ハイデンに並ぶタイ記録となった。閉会式では旗手を務めた。

トリノオリンピックの後、カナダのアマチュア選手としては異例の約100万カナダドルでマニトバ・テレコム・サービス(MTS)とスポンサー契約を結んだ。さらにマクドナルドと契約した。2006年12月、カナダの年間最優秀スポーツ選手に与えられるルー・マーシュ賞を受賞した。

2010年バンクーバーオリンピックではメダルは獲得できなかった。2013年にソチオリンピック後の現役引退を表明したが、オリンピックには出場できなかった。2015年正式に現役引退した。

世界記録

2017年11月現在、以下の種目で世界記録を保持している。

  3000メートル競走
     3分53秒34
      2006年3月18日
      カルガリー

  スモール複合*
    154.580ポイント
     2006年3月18日-19日
      カルガリー

  ミニ複合**
    155.576ポイント
     2005年3月15日-17日
       カルガリー

*スモール複合の記録は500m、1500m、3000m、5000mの記録を500m単位に割って算出される。
**ミニ複合の記録は500m、1000m、1500m、3000mの記録を500m単位に割って算出される。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 (番外)オランダ語でインタビューに答える素晴らしい小平選手!

2018-02-27 23:22:01 | 日記
この映像は貴重です。小平選手の強さの原点を見た感じがしました。清水宏保選手を育てた信州大学の結城匡啓コーチにつき、そしてオランダに行って練習をしています。この間練習に専心する傍ら語学も熱心に学び話せるようになったのですね。真摯なこの学びが大きく結実するのですね。

オランダ語でインタビューに答える素晴らしい小平選手!Bravo~Nao Kodaira!


小平 奈緒(こだいら なお、1986年5月26日 - )は、長野県茅野市出身のスピードスケート選手。信州大学教育学部生涯スポーツ課程卒業。社会医療法人財団慈泉会相澤病院スポーツ障害予防治療センター所属。学位は学士(教育学)、資格は中高教員免許(保健体育)。その独特な言い回しから『氷上の詩人』と称される。

主要な戦績として、2010年バンクーバーオリンピック団体パシュート銀メダル、2018年平昌オリンピック500m金メダル・1000m銀メダル、2017年世界距離別選手権500m金メダル・1000m銀メダル、2017年世界スプリント選手権総合優勝、ワールドカップ500m15連勝(継続)。
世界記録は500m×2、1000m、スプリント複合で保持している。オリンピック記録は500mで保持している。

オリンピックで日本女子スピードスケート史上初の金メダル獲得。また、夏季・冬季を通じ女子初の1大会金を含む個人種目複数メダル、オリンピック日本選手団主将として女子初の金メダル、旗手として冬季女子初のメダル獲得。1大会で主将と旗手両方を務めるのは日本人初である。冬季日本人最年長で金メダル獲得(平昌、31歳8ヶ月)。

2018年平昌オリンピックの閉会式 では国際オリンピック委員会トーマス・バッハ会長より、フェアプレーと友好を世界に伝えた選手代表としてマルタン・フォルカードらと共に紹介され登壇した。


略歴

新谷純夫(新谷志保美の父親)を師とし、茅野市立北部中学校(2年)で500mの中学記録を樹立。
2001年(中学2年時)には全日本ジュニア(スプリント部門)で当時高校生の吉井小百合を破り、史上初の中学生王者に輝く。
伊那西高等学校(女子高)進学コース入学。インターハイで500mと1000mの2冠獲得、全日本ジュニアでも優勝を飾る。
高校卒業後に富士急行と三協精機から勧誘されたが、保健体育の教員になる夢を捨てず、清水宏保を育てた結城匡啓監督(現 教育学部教授)がいる信州大学教育学部へ進学。

1年時に第25回日本学生氷上競技選手権大会500mと1000mの2冠も達成。
2年時の2006年10月には全日本スピードスケート距離別選手権大会1000m優勝。
4年時の2008年10月24日、全日本スピードスケート距離別選手権大会1500m優勝。
この間、大学から履修へ特別な配慮は受けず、単位を取得した。

2009年、信州大学教育学部生涯スポーツ課程を卒業。卒論は『有力選手のカーブワーク動作解析の研究』。社会医療法人財団慈泉会相澤病院にスポーツ障害予防治療センターのスタッフとして採用される。実際には「長期出張」扱いとして競技に打ち込む傍ら、所属病院のスポーツ障害予防治療センターの医学面のサポートも受け2010年バンクーバーオリンピックを目指して選手としての活動を行う。

2009年の第16回全日本スピードスケート距離別選手権大会では500m、1000m、1500mの三種目で優勝した。中-長距離の3冠(1000m、1500m、3000m)は田畑真紀が第8回大会で達成しているが、短-中距離の3冠は小平が初めてであり、スピードとスタミナを併せ持つ選手との評価を得る。

2009年11月7日のISUワールドカップ・ベルリン大会で500m3位、1000m2位に入った。いずれも日本人選手最高位。
2010年2月、初の冬季五輪出場となったバンクーバーオリンピックで、500mは12位だったが、1000mと1500mでは5位入賞を果たした。女子団体パシュートでは、穂積雅子、田畑真紀とともに日本女子スピードスケート界史上初となる銀メダルを獲得した。小平は大卒初の女子メダリストとなった。

ソチオリンピックでは、500mで5位入賞、1000mでは13位だった。
ソチオリンピック後、相澤病院に籍を置いたまま、オランダに1年間の予定で練習の拠点を移した。ヘーレンフェーンに本拠を置くプロチーム「Team continu」で活動する。オランダに2年間滞在し、オランダ語を習得している。

2014年11月22日のISUワールドカップ・ソウル大会の500mでワールドカップ初優勝。参戦開始から9年目で達成した。
2015年2月に行われた世界距離別選手権の500mで3位入賞。この種目での日本人女子のメダル獲得は、2007年の大菅小百合以来8年ぶり。
2014/15シーズンのワールドカップ500mで総合優勝した。日本の女子選手がこの種目で総合優勝するのは島崎京子以来24年ぶり。
2017年2月に韓国・江陵で開催された世界距離別選手権で、500mを37秒13で優勝、1000mを1分14秒43でヘザー・リチャードソン・ベルグスマに次ぐ2位。500mでの37秒13は、ふたつの高速リンク(オリンピック・オーバルとユタ・オリンピックオーバル)で出た記録を除いた、世界最速の記録である。

2017年2月、カナダのカルガリーで行われた、スピードスケートの世界スプリント選手権、第1日の500メートル(36秒75)、1000メートル(1分12秒51)ともに日本新記録で総合首位、最終日も500メートルは1位、1000メートルは3位で総合優勝を果たした。
2017年3月11日、ノルウェーのスタバンゲルで行われた、スピードスケートのワールドカップ今季最終戦、女子500メートルで37秒14のタイムで優勝し、2季ぶり2度目の種目別優勝を果たした。

2017/18シーズン、11月10日から12日に行われたワールドカップ・ヘーレンフェイン大会で500mを37秒29(11月10日)、37秒33(11月11日)、1000mを1分13秒99(11月12日)のタイムで、いずれも優勝。ワールドカップでの1000mの優勝は、この大会が初めて。1000mでは高木美帆が2位に入り、日本人ワンツーフィニッシュ。

2017/18シーズン、11月17日から19日に行われたワールドカップ・スタバンゲル大会の初日、500mを37秒08、1時間後の1000mを1分14秒33のタイムで、いずれも優勝。ここでも1000mで美帆が2位に入り、日本人ワンツーフィニッシュ。500mでの37秒08は、ふたつの高速リンクで出た記録を除いた、自身が2017年2月に江陵で出した37秒13を100分の5秒上回る、世界最速の記録である。また、500mは全勝だった昨季からの国内外における連勝記録を19に伸ばした。ワールドカップ通算勝利数は岡崎朋美を超え、1000mと合わせ、日本女子歴代最多の14勝となった。

同大会の2日目の500mで、自身が前日に出した平地世界最高記録を100分の1秒上回る37秒07で優勝。1000mと合わせ、通算15勝目。
2017/18シーズン、12月1日から3日に行われたワールドカップ・カルガリー大会の2日目、1000mに出場したが、転倒により最下位に終わった。

同大会の最終日に行われた500mで、世界歴代2位となる36秒53で優勝。前日の転倒の影響が心配されたが、同走で2位に入った韓国の李相花に0秒33の差をつける圧勝だった。世界記録は相花が2013年11月16日にユタ・オリンピックオーバルで出した36秒36。
2017/18シーズン、12月8日から10日に行われたワールドカップ・ソルトレイクシティ大会の初日、500mで自己記録を100分の3秒更新する36秒50で優勝。翌日の500mでも36秒54で優勝、同走で2位に入った相花に0秒25の差をつける圧勝で、この種目ワールドカップ15連勝。

同大会の最終日に行われた1000mで、これまでの記録を0秒09更新する1分12秒09の世界新記録をマークして優勝、同走で2位に入った美帆に0秒54の差をつける圧勝だった。なお、日本の女子選手が個人単種目で世界新記録をマークするのは小平が初めてである。
女子500m・1000mの現日本記録保持者。
あこがれの選手はカナダのシンディ・クラッセン。(「Wikipedia」より)


あちこち「SYOWA」(番外)カーリングの新女王 イブ・ミュアヘッド

2018-02-26 00:39:04 | 日記
女子カーリング3位決定戦でラストショットを放ったイギリスのスキップはイブ・ミュアヘッド。この選手、実に素晴らしい選手だということを初めて知りました。・・・あの負けたと分かった直後、日本チームに駆け寄ってグラブを取って握手の手を差し伸べたのはこの人では、と思っています。他の人だったとしても逸早く負けを認め相手を称えるマナー。素晴らしい !!!と感激しました。

カーリングの新女王 イブ・ミュアヘッド



イブ・ミュアヘッド(Eve Muirhead、1990年4月22日[3] - )は、イギリスの女子カーリング選手。ミューアヘッド、ミューヘッドとも。2007、2008、2009年の世界ジュニアカーリング選手権チャンピオン。スコットランドのパース北部にあるダンケルド (Dunkeld) ・カーリング・クラブでプレーしている。

経歴

初めてカーリングの国際的な舞台に登場したのはエベレス(en:Eveleth, Minnesota)で行われた2007年の世界ジュニアカーリング選手権であった。サラ・ライドがスキップを務めたチームのサードとして金メダルに輝いた。
2008年のスコットランドのジュニア選手権で、スキップとしてチームを率いて全勝し世界ジュニアカーリング選手権への出場権を獲得した。エステルスンドで行われた世界ジュニアカーリング選手権ではスコットランドチームのスキップを務め、決勝でスウェーデン(スキップはセシリア・エストルンド)を12-3で破って優勝した。

バンクーバーで行われた2009年の世界ジュニアカーリング選手権にも出場した。会場はバンクーバーオリンピックのカーリング会場予定地であるバンクーバー・オリンピック・センターであった。決勝でケイトリン・ローズ(en:Kaitlyn Lawes)が率いるホームのカナダチームを8-6で破った。こうして3連覇を、スキップとしては2連覇を達成した。

バンクーバーオリンピックのイギリスチームのスキップに選ばれた。バンクーバーオリンピックでは日本代表と好勝負を繰り広げるも敗れる。しかしこの一戦が日本のテレビで実況生中継された結果、一躍日本で注目を集めることとなった。

人物

ミュアヘッド一族はカーリング一家で、父のゴードン・ミュアヘッド(英語版)は1999年の男子カーリング世界選手権の金メダリストで1992年のアルベールビルオリンピックにも参加している。また兄のグレン(英語版)と弟のトーマス(英語版)もカーリング選手で、イブは2世カーラーである。

イブ自身はカーリングのほかにもバグパイプでも世界選手権に4度の出場経験があり、またゴルフはハンディキャップ2を持つシングルプレーヤーである。

髪の色は元々黒であるが、ファッションのために金髪に染めており、バンクーバーオリンピックでは黒と金のツートンカラーで参戦していた。(「Wikipedia」より)

次の記事を読んで私は涙を禁じえませんでした。特にイギリスの監督のコメントはぐっときました。

【カーリング女子】イブ・ミュアヘッド痛恨のミスショット!「忘れるのに時間がかかる」とコメント!!



あちこち「SYOWA」 (番外)フィギュア最強国ロシア強さの秘密に迫る*アリーナ・ザギトワに密着

2018-02-25 15:47:04 | 日記
高木菜那選手金メダルおめでとうございます! 念願達成バンザイ !!!
そして、女子カーリング3位決定 !!! やりましたね。よかったです。みんなこの快挙に酔いしれています。そだねー。

私がびっくりしたテレビ番組紹介

そして、今大会の女子フィギュアでは怪物(!?)が現れました。15歳で完璧の演技。で金メダル。アリーナ・ザギトワ。この選手が今後の世界の女子フィギュア界の大きな目標となる、いや、これはあくまで私の拙い予想ですが、とにかく目が離せない、という感じです。その練習振りを記録した画像がありましたのでアップしました。


フィギュア最強国ロシア強さの秘密に迫る*アリーナ・ザギトワに密着



アリーナ・イルナゾヴナ・ザギトワ(ロシア語: Алина Ильназовна Загитова、ロシア語ラテン翻字: Alina Ilnazovna Zagitova、2002年5月18日 - )は、ロシア、イジェフスク出身のフィギュアスケート選手(女子シングル)。
2018年平昌オリンピック金メダリスト。2017年グランプリファイナル優勝。2017/2018欧州選手権優勝。2017/2018ロシア選手権 優勝。

経歴

5歳の時にスケートを始めた。
2015年のシーズンオフ、12歳で親元を離れモスクワに拠点を移し、エテリ・トゥトベリーゼ一派の門を叩いた。 2015-2016シーズン、ロシアジュニア選手権では9位となった。2016年ジュニアグランプリの派遣選考となる国内大会の一つでは、モスクワ予選で12位と予選敗退し、ジュニアグランプリへの出場が危ぶまれたが、結果的には出場した。

2016-2017シーズン、ジュニアグランプリに出場。1戦目のサン・ジェルヴェ大会は優勝で国際大会デビュー戦を飾る。2戦目のリュブリャナ杯では紀平梨花、本田真凜に敗れ3位だったものの、ジュニアグランプリファイナル進出を決めた。ジュニアグランプリファイナルでは、ショートプログラムとフリースケーティングでジュニアクラスの世界最高得点を出し、ジュニア選手として史上初の200点超えとなる207.43点で優勝した。初出場のロシア選手権では銀メダルを獲得。世界ジュニア選手権では、自身の持つFSと総合得点のジュニア歴代最高得点を更新し優勝した。

2017-2018シーズン、シニアデビュー戦のロンバルディア杯ではSPにてシャーロットスパイラル→カウンターからの2回転アクセルを試みるが転倒し3位と出遅れる。しかし、フリーで自己ベストで世界歴代4位となる218.46点を得点し逆転優勝した。グランプリシリーズに参戦し、中国杯、フランス杯に出場。2戦ともSPの3回転ルッツ-3回転ループの連続ジャンプで転倒し、表彰台圏外からスタートするも、FSで巻き返し連勝。グランプリファイナルも制し、続くロシア選手権も初優勝となった。

右足の怪我で休養していた絶対女王エフゲニア・メドベージェワとのシニア初の直接対決となったヨーロッパ選手権では、SP・FSともノーミスで1位となり、世界歴代2位の合計238.24点で初優勝した。それまで個人戦13連勝していたメドベージェワは合計232.86点で2位となり、絶対女王に約2年ぶりに土を付けた。

平昌オリンピックはOARの選手として15歳で初出場。団体戦はFSで滑走し、銀メダル獲得に貢献。個人戦のSPでメドベージェワが先に出した自らのSP歴代最高得点となる81.61点を、わずか20分後に82.92点で更新した。続くFSでは3回転ルッツ-3回転ループの連続ジャンプが単独になってしまうが、2本目の3回転ルッツに3回転ループを付ける驚異的なリカバリーを披露し、メドベージェワと156.65点で同点となる。SPとの合計得点239.57点でそのまま逃げ切り、オリンピック金メダルを獲得した。15歳9ヶ月での金メダル獲得は、1998年長野オリンピックで優勝したタラ・リピンスキー、2014年ソチオリンピック団体戦で優勝したロシアのメンバーであるユリア・リプニツカヤ以来史上3番目の若さ。

技術

2018年欧州選手権のFSでシャーロットスパイラルを披露するザギトワ
ショート、フリーともに基礎点が1.1倍になる後半に全てのジャンプ要素を固め打ちで跳ぶ変則的な構成が特徴。フリーにおいて全てのジャンプ要素を後半に跳んだ史上初の選手である。

2016年ジュニアグランプリサン・ジェルヴェ大会では女子選手として史上6人目となる3回転ルッツ-3回転ループ(3Lz-3Lo)のコンビネーションジャンプを成功させた。

また、片手や両手を上げながら跳ぶ"タノジャンプ"を跳ぶことができ、より多くの加点を得ることができる。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 (番外)「日本代表ロコ・ソラーレ」本橋麻里の決断!【カーリング】

2018-02-22 14:32:31 | 日記
本橋麻里氏。すごい組織力、牽引力、決断力。まさに素晴らしきリーダーであります。初めて私は知りました。だからこそ準決でせめて3位に届いて欲しいと思っています。

「日本代表ロコ・ソラーレ」本橋麻里の決断!【カーリング】


本橋 麻里(もとはし まり、1986年6月10日 - )は、北海道北見市(旧常呂郡常呂町)出身のカーリング選手。身長160cm。体重56.5kg。血液型A型。右利き。マリリンの愛称で知られる。趣味はバドミントン。2006年トリノ冬季オリンピック、2010年バンクーバー冬季オリンピック、2018年平昌冬季オリンピックカーリング競技女子日本代表。青森明の星短期大学卒、日本体育大学体育学部体育学科卒業、NTTラーニングシステムズ株式会社所属。


2008年

2月、第25回日本カーリング選手権優勝。同年3月に開催される第30回世界女子カーリング選手権の日本代表権を獲得した。
2月、軽井沢国際カーリング選手権大会2008準優勝。

3月、第30回世界女子カーリング選手権出場。最終順位は4位。
4月、アドミッションズ・オフィス入試により日本体育大学体育学部に入学。

2010年

2月、バンクーバー冬季オリンピックカーリング競技女子の部に出場(セカンド)。8位入賞。
3月、第32回世界女子カーリング選手権出場。サードスキップを目黒、フォースを本橋が務めることもあった。最終順位は11位。
5月1日、札幌市で行われたイベントで、2014年ソチ冬季オリンピックに向け現役継続を示唆した。

6月10日、自身の24歳の誕生日に所属のNTTラーニングシステムズと2年間の契約更新を発表し、2014年のソチオリンピックを目指す意思があることを明らかにした。

8月16日、記者会見にてチーム青森からの脱退を発表した。同時に新チーム『ロコ・ソラーレ(太陽の常呂っ子を意味する造語)』を結成すること明らかにした。チームは常呂町を拠点とし、メンバーにはいずれも常呂町のカーリングチームである「ECOE」の馬渕恵と江田茜、「ROBINS」の吉田夕梨花と鈴木夕湖の4人が参加する。

2013年

9月、どうぎんカーリングスタジアムで行われた全農カーリングソチ五輪世界最終予選日本代表決定戦の予選リーグで3勝3敗、タイブレークとなった中部電力との試合で2-10と敗れて、4チーム中3位となり、3大会連続のオリンピック出場を逃した。(「Wikipedia」より)