とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

まつぼっくり

2024-07-13 18:58:42 | 創作
まつぼっくり



                 瀬本あきら

 「お清、松の実を食べると体に精がつく。お前も食べなさい。最近、何か元気がない」

 秋も深まったある日、旦那さまが私に仰いました。自分の家の小庭にあるまつぼっくり

しか考えつかなかったので、私はヤニくさい小さい実、しかも羽が生えて飛んでゆく実の

ことを仰っているのだと思い込み、旦那さま、食べられるのですか、と聞き返しました。

 すると、表座敷の茶箪笥の中から小さい壷を取り出してきて蓋を開け、これだよ、と私

の目の前に近づけなさいました。玄米より一回り大きい木の実がぎっしり詰まっていまし

た。旦那さまはにこりと微笑んで、さあ、と私に勧めなさいますので、私は一粒つまんで

掌に乗せ、しばらくためらっていました。さあ、さあ、と旦那さまはまた私に勧めなさい

ました。怖々私が口の中に入れると、旦那さまはまた満足げに微笑まれました。前歯で二

つに割り、続いて奥歯で噛み砕くと、やはり、仄かなヤニの匂いがしました。それから、

じわっとしつこくない甘味が口中に広がりました。私も微笑むと、旦那さまは今度は、美

味しいかい、とお尋ねになりました。私は、ええ、初めての味です、と答えました。

 「お清、これは、中国から取り寄せた松の実だよ。もう、かれこれ、二十年も食べてい

る」

 旦那さまは、だから、六十路半ばになっても病気一つしたことがない、と付け加えて仰

いました。江戸時代から続いている呉服商の仕事はもうとっくの昔に若旦那に任せておら

れましたから、ご隠居の生活は私の目には安穏な日々に映りました。しかし、時々落ち着

かなくしておられることもありました。それはどうしてなのか。私の知るところではあり

ませんでした。私は勧められるままに松の実をほつりほつりと食べていました。そのうち

に、外は秋の夕暮れが迫っていて硝子障子越しに寂しげな光が差していました。

 「お清、今夜は泊まってくれないか。お前に話したいことがある」

 私は、久しぶりのその言葉に戸惑いました。しかし、話したいこと、とは何だろうとふ

と思いました。

 「……話したいこととは、……旦那さま、何でございましょう。お亡くなりになりまし

た奥さまのことと、もしや、関わりのあることでは……」

 少しも思い詰めたところがありませんので、亡くなったお方のことを言い出した私は、

後悔していました。旦那さまの眼を見つめていると、さもしいところもないようで、ただ

虚ろとしか言いようのないお顔でした。話したいこと。そう言えば、私にも話したいこと

がありました。私は、気づいていたのです。私のお腹の中のことです。旦那さまの子ども

が……。今夜はそのことをお話するよい機会かもしれない、と思いました。

 「……話したいこともあるし、してやりたいこともある」

 「……私に何を……」。私は、旦那さまが今更何を、といよいよ詮索したくなりました。

ところが、その気持ちを見抜いているように、素早く仰いました。

 「お前の部屋の手鏡だよ、お清。もう大分長い間、磨いてないね。器量良しがそんなこ

とではいけないよ」

 えっ鏡、と思わず口にしそうになりました。しかし、ぐっと言葉を呑み込みました。そ

う言えば、蒔絵の化粧箱にしまってはいましたが、手鏡の曇は気になっていたものの、長

らくそのままにしておいたのでした。それをよくご存知の旦那さまは、何度か出して見て

おいででしたのでしょうか。私は特に不愉快な気持ちにはなりませんでした、いつもの潔

癖症の所為だと思うことにしました。

 「いやね、ちかごろお前の口許に心なし精気が感じられないから、自然と思ったことな

んだよ」

 気にしないでくれ、と付け加えて仰った旦那さまの顔には、はにかみが見られ、心に浮

かんだままを仰っているように思えました。それにしても、あの化粧箱は、亡くなった奥

さまの形見。舶来の手鏡も、櫛も、笄(こうがい)も。そっくりお前にやるから、気に入

ったら使っておくれ、とどんと私の前に持ってこられた時、奥さんとの過去を断ち切るた

めの決意のようにも思えましたが……。私は躊躇しましたが、その箱を、結局使わせてい

ただくことにしました。

 身の回りのお世話は殊更厳しい仕事ではありません。食事はすべて台所方の皆さんがや

ってくれていますし、ただ私はお傍に居てお茶を淹れたり、布団を敷いたり、お召しかえ

を手伝ったりの毎日でした。夜になると、私には六歳と三歳の子どもがいますので、姑に

世話ばかり掛けてはいけませんから、暗くならないうちに帰らせていただいていました。

ところが、稀に、泊まってくれと頼まれ、月に何度か泊まることがありました。亭主はど

こに行ったか、皆目分かりません。そのことを私自身への口実にして、旦那さまに請われ

るまま夜伽をしました。これもお勤めだと思うようにしていました。そんな夜は、家には、

お玉さんが手土産を持って断りに行ってくれました。……しかし、明くる朝になると、最

初のうちはそれでも亡くなった奥さまや子どもたちのことを思ったりして、重苦しい気持

ちになりました。奥さまが生前私に仰っていたとおりになりつつあったからでした。

 「……お恥ずかしいことです。そこまでお気づきでしたか」

 私は、それ以上何も申し上げることができませんでした。

 「だから、今夜は、鏡と櫛と、それから、いろいろと私に掃除をさせておくれ」

 「もったいないことでございます。それでは、私は帰らせていただいても……」

 私が申しますと、いや、お前にいてほしいのだ、と仰いました。

 「そうでございますか。それではお言葉どおり……」

 そう言いながら、ふと不安が過ぎりました。実は、その化粧箱の底が二重になっていて

底の底には、奥さまの懐剣が隠されていたのです。私がそれに気づいたのは、一年前です。

きっちりとしていた底に、少しばかりの隙間が出来、何か布のようなものが見えました。

鋏の先でこじ開けてみますと、美しい袋に包まれた刀が出てきました。抜いてみますと、

少しばかり曇っているものの、冷たい光を放っていました。……もしや……。私は、旦那

さまがそれに気づいていなさるのでは……、と思い始めました。そうだとしても、旦那さ

まは、その懐剣をどうなさるお積りなのか、私には想像もつきませんでした。それが奥さ

まの守り刀だと知っているのは、旦那さまと私とお玉さんだけです。この老舗に奉公に上

がった当初、新参者の私に、女の使用人はすべて辛く当たりました。身に覚えのない言い

掛かりをつけられたり、汚い仕事は全部私に回されたりで、本当に気の休まる暇もありま

せんでした。おまけに、奥さまは、私に優しくして下さる旦那さまの振る舞いを毎日のよ

うにご覧になっていて、激しく嫉妬されているようでした。時々私をお部屋に呼びつけら

れ、お前が来てからこの家の女たちの働きぶりが悪くなった、それも、お前が旦那さまに

可愛がられていることが原因だ、だから、別の支店に行って貰ってもいいんだよ、と強い

語調で罵られ、仕舞いには奥さまは懐に手を入れ、お前がここから出て行かなければ、私

にも相当の覚悟がありますよ、と鋭く睨みつけなさいました。懐に短刀を隠し持っておら

れる。その時私は恐ろしさから、体が金縛りに遭ったようになりました。その後で、旦那

さまにも呼ばれ、とにかく辛抱してくれ、志乃には私がきちんと謝っておいたから、と言

われました。旦那さまに刀のことを申し上げますと、あれは、志乃がいつの間にか古道具

屋で買い求めたもので、私も実はしばらくしてから分かった、と仰いました。

 奥さまはそれからというもの、私のことを隈なく観察なさっていて、私は恐れを我慢で

きなくなっていました。

 「お清、お前は、私の代わりにこの家に納まろうってのかい。先刻お見通しだよ。そん

なことさせるものかい」

 そう言って、繰り返し私に迫ってきて、しまいには泣き出し、辺りのものを投げつけた

りなさるのでした。声を聞きつけて、旦那さまが駆け込んで来られ、おい、志乃、いい加

減にしろ、どうすれば気が済むんだ、と仰ると、奥さまは、追い出してよ、この小娘、と

叫ぶように仰るので、もうどうにも手が付けられない状態でした。私の心はどうか、と省

みてみますと、奥さまが仰る企てなど微塵もないという潔白さがやはり厳としてありまし

た。だから、旦那さまのお心にすがって奉公を続けることが出来たのです。

 それから数年経ちました。奥さまは次第に顔色が悪くなり、秋の陽が西の空に滑り落ち

るように命が危なくなりました。床についてしまわれた奥さまは、ある日、私に仰いまし

た。

 「お清、あの懐刀を持っておいで」

 「何になさるのですか」

 「お前が、私のとどめを刺してくれないと、私は死ねないよ」

 青ざめた顔で眼だけは鋭く輝かせてそう仰いました。その言葉は今でも忘れることがで

きません。

 「奥さま、そんなに私を憎んでおられるのなら、懐刀を持って参ります。奥さま、貴女

が私を刺してくださいませ。お願いでございます」

 「お前がそういう覚悟なら……」

 奥さまが起き上がろうとなさるので、看病していたお玉さんが止めに入りました。私は、

何時の間にか、奥さまを追い詰めた張本人になっていたのでした。奥さまが息を引き取ら

れたのは、それから間もなくのことでした。

 懐刀はどうなったか。日が経つにつれ、旦那さまにも私にも、探そうという気力が失せ

ていました。



 その日も、いつものとおりお玉さんが私の家まで使いに立ちました。私は、風呂から上

がり、家に居る時よりもずっと早い夕食の膳につきました。旦那さまのご飯をよそって差

し上げると、いつものとおり、にこりともせず受け取って、ゆっくりと食べ始め、ときた

ま咳払いをなさいました。私は、旦那さまが食べ終わるのをいつものとおりじっと待って

いますと、不意に私を横目でご覧になり、お前も一緒にお食べ、と仰いました。お世話を

するのが私のお役目でございますから、と申しますと、今夜は特別だから、と仰いました。

 「特別と仰いますと……」と私はすかさず尋ねました。

 「いや……、何となくそんな気がしただけだ」

 旦那さまはちらとまた私をご覧になり、小さい咳をなさいました。

 下座の私は、その「特別」という言葉に突き動かされて、食事を共にすることにいたし

ました。食べ終わると、片付けをし、床を並べて敷き、その化粧箱を持ち出して、姿を整

えました。

 手提げ行灯に火を灯し、その灯かりに照らされながら床に滑り込みました。ところが、

旦那さまは、入ろうとなさいませんでした。じっと光の中で私の顔を見つめておられたの

です。

 「お清、お前は、いくつになっても綺麗だ」

 「いや、旦那さま、歳は争えません」

 旦那さまは、思い出したように立ち上がって化粧箱を持って来られ、灯かりの下で開き

なさいました。

 「鏡、櫛……みんな綺麗にして上げるからね。……志乃のこと、お清は決して忘れてい

ないだろうね。悪い女だったね。恨んでいるだろうね。……しかし、お清、ほんとに悪い

のは私だよ。そのことを……、ちゃんと言いたかった。お前に……、それから、志乃にも」

 私は、起き上がりました。ちゃんと旦那さまと向かい合って、言葉をすべて漏らさず聞

きたかったのです。

 旦那さまは、古い布を懐から出して、鏡を丁寧に磨き始めなさいました。その手を見つ

めていると、昔、こうして奥さまが磨いておられた姿が蘇ってきました。そして、思いも

しなかった言葉が口を突いて出てきそうになりました。いやいや、旦那さま、一番悪いの

は、他でもない私です、奉公を止めてしまえば、こんなことにならなくてもよかった……、

それに子どもまで……。

 「旦那さま……」と私は、ほんとうに話しかけました。

 「おやおや、この曇はもう取れなくなっている」

 旦那さまには、聞こえなかったようでした。外は風が吹いていました。

 それから、しばらく磨いておられたその手が、ぴたりと止まってしまいました。

 「ああ、思い出した。あの刀、どこへ隠れてしまったのかね。今も志乃を守っているだ

ろうかね」。その言葉は、独り言のようにも聞こえ、私は返事を躊躇っていました。

 私は急に頭に血が上ってきて、混乱し始めました。旦那さまが、底を開いて、刀を取り

出しそうに思えたのでした。旦那さまのその日のご様子からしますと、刀を手にして何を

真っ先になさるのか、私には不思議と想像できました。その刀は、先ず私の胸を貫き、続

いて、旦那さまの喉笛を欠き切ってしまうでしょう。そうとしか、私には思えない雰囲気

でした。「特別」な日、という意味には恐ろしい覚悟が秘められているという直感があり

ました。私の過去のすべての罪障が襲い掛かり、死という償いを求めているような気持ち

で、私も最後の覚悟をしていました。

 「それからね。お前の連れ合いは、今どこで何をしているだろうかね。済まないことを

してしまったね。私が仲を断ち切ってしまった……」

 突然のことで、一層混乱しそうになりました。私の罪は限りなく湧き上がってくるよう

な気がして眩暈を催し、旦那さまの顔が、遠のいたり、また近づいたりしました。

 「旦那さま、私にお話しいただいたことはよく分かりました。もう、それでお仕舞いに

していただけませんでしょうか」と、私は咄嗟に懇願しました。すると、「ああ、そうだ

ったね。どうぼやいても、もう取り返しがつかないことばかりだからね」と仰って、また

鏡を磨こうとなさいました。私は、鏡を強く引っ張って取り、畳に置きました。すると、

驚いたような顔で私をご覧になります。私は、続いて旦那さまの両手を握りしめ、私の布

団まで力いっぱい引いて行こうとしました。旦那さまは、急に我に返ったような顔になり、

促されるまま私の布団の中に入り込んで、私を強く抱きしめなさいました。私は、先程の

妄念を振り切る思いで、旦那さまに身を預けていました。

 それから、しばらく経つと、旦那さまは、私の横で軽いいびきをたてて寝入りなさいま

した。私は、旦那さまと私の着物を直しながら、また、刀のことを思いました。

 隠しておこう。そう思い立って、化粧箱のところへ行き、中のものを取り出し、底を開

いてみました。すると、底には何も入っていません。私は、目を疑いました。もしや、旦

那さまがどこかへお隠しになったのでは、と思いました。

 私は、気づかれないように布団から抜け出しました。そして、違い棚の地袋や天袋、そ

れから机の引き出し、文箱などを探しましたが、どこにもありませんでした。ううっ、と

いう旦那さまの声がしましたので、私は慌てて旦那さまの布団の中に潜り込みました。す

ると疲れがどっと襲ってきて、いつしか私も寝入ってしまいました。

 ……暗い暗いところを私はさ迷っていました。そして、やっと我が家に辿り着きました。

戸を開けても、誰もいません。子どもたちは、お義母さんは、どこに行ってしまったので

しょう。仕方がないので、私は、一人布団を敷き寝ました。旦那さまの家で寝るのとは違

い、久しぶりに伸び伸びとした気分になりました。でも、私の体は子どものように小さく

なっています。屋根もトタンで覆ってあり、天井がなく、風の音が響いています。しばら

く私は寝入っていました。すると、コトンという音がしました。少し経つとまた、コトン

という音がしました。何だろう。確かめようと私は外へ出ました。暗かった空から月が顔

を出しました。地面を見ると、幾つものまつぼっくりが落ちていました。拾おうとすると、

聞き覚えのある声がしました。振り返ると、行方が分からなくなった佐市が私を見下ろし

ていました。お前は、どうして私を裏切ったんだ、あんな、じじいといい仲になりやがっ

て、と私を厳しく責め立てます。何とでも言ってください、仕事もろくにしなかった癖に、

暮らしていけたのは、あなたが憎んでいる旦那さまのお陰だよ、そりゃ、私は罪を犯した

極悪人だわ、でも、子どものことはいつも考えていた。善人ぶるなよ、その子どもが、何

の金で養って貰っていたか分かったとき、お前をどう思うかだ、胸が痛まないのか、そう

だ、俺の子どもとは限らないしな。私が足に取りすがろうとすると、すっと、佐市の姿は

消えました。また、まつぼっくりが一つ落ちてきました。……まつぼっくり。ああ、そう

だ。私は急に旦那さまがどうなったか不安になりました。お店に帰らなくては、早く帰ら

なくては。小さくなった体では、気が急くだけで足がはかどりません。私は走り続けて、

息が苦しくなりました。

 夢を見ていたのでした。ひどい汗をかいていました。旦那さまは……、と思い隣の布団

を見ると、誰もいません。私は縁側に出ました。

 ……ああ、旦那さまがこんなところに。出てみると、うつ伏せになって倒れていらっし

ゃいました。力を込めておこそうとしますと、血糊がべっとり手に着きました。ああ、旦

那さま。そう叫んで、右手を見ると、あの見えなかった刀を固く握り締めていらっしゃっ

たのです。

 「お玉さん。お玉さん」。私は必死で夜中の廊下を走って行きました。旦那さまを殺し

てしまったのは私だ。それから、奥さまも……。走りながら、そういう思いが胸を激しく

締め付けました。お玉さんの部屋の近くまで行くと急に腹が痛みだし、粘液のようなもの

を吐き出しました。そして、私は前のめりにどっと倒れてしまいました。気が遠くなって

いく私の意識の中に、お玉さんの声が微かに聞こえてきました。        (了)



パイナップル

2024-07-07 23:44:33 | 創作
パイナップル

                                 瀬本あきら

 終戦前後の話である。

 甘いものをあまり口にしたことのないぼくたち子どもは、お菓子と言えば、煎餅、ポン

菓子、煎り豆などを食べて、これがおやつというものだと満足していた。

 だから、バナナなるものを初めて食べたときの感激は忘れることができない。

 「おいおい、そげに、いっぺんに食べたらすぐなくなってしまーが」

 終戦直後、私たち兄弟に、真っ黒に変色した奇妙なくだものをくれた父の知り合いのお

じさんが、そういって注意した。

 「まずのー、先っぽをがじっと噛んで、たっぶり食べて、そーから、じわじわと食べー

もんだわや」

 二本目は、言われるままに初めはがじっと噛み、後では、しゃぶるように味わって食べ

た。独特のねっとりとした甘味が口中に広がった。こんな果物がこの世にあったのか。そ

う思って、子どもながら生きていてよかったと思った。

 戦争中のことは、昭和18年生まれのぼくには、あまり記憶にない。母から後になって

聞いたが、空襲警報のサイレンが響きわたると、どこにいても、とことこ歩いて帰り、防

空壕に隠れたそうだ。だから、戦争がどういうものであり、日本が終戦後どうなったか、

などという知識は、主に父から聞いていた。

 その父は、二回応召し、初めは浜田連隊で軍事教練を受けて、満州に出征した。なぜそ

の後帰還することができたのか、いつ帰還したのか分からない。二回目は、九州のある基

地に配属になったと聞いている。父の話では、あまり実戦の体験はなかったそうだ。主計

の試験に合格し、糧秣の管理をしていたそうだ。陸軍主計伍長。この言葉は、戦争の話の

ときには必ず出てきた。軍曹になりそこなったことを悔しがっていた。だから、前線では、

死線をさまよっている兵士が多い中、豊かな物資に取り囲まれて暮していた。考えられな

いことである。冬、ビールが凍って瓶が割れ、たくさんだめにした、という話も聞いてい

た。戦地にビールがあったなんて初めて聞いて驚いた記憶がある。それから、たくさんの

中国人の苦力(クーリー)を使っていたこともよく話した。

 終戦後は、その仕事の縁からか分からないが、地元の食糧営団に勤務していた。

 その父が二回目の応召から無事帰ってきたときの様子を今でもはっきり思い出す。とい

っても、これは、母から聞いた話を実体験の映像として記憶しているだけのことなのだが。

 昭和20年の何月ごろだか分からない。ぼくと母は、母の実家でしばらく泊まっていた。

ところへ、藁半紙にくるんだ包みが届いた。開けてみると、缶詰だった。紙も何も張って

ない。缶きりで開けてみると、ひまわりのような形をした丸い黄色なものが入っていた。

 「パイナップルだ」

 母は、叫ぶように言った。

 その言葉も、私は初めて聞く言葉であり、鼓膜の響きとして今も感覚に残っているよう

な気がする。パイナップル。これは、今は亡き母が発した言葉なのだが、なんだか天上か

ら響いてくるような澄んだ声なのである。

 皿に一枚乗せてもらい、滴るシロップとともに、口に運んだ。

 果肉が繊維質で、歯ごたえがあった。

 甘い。これは甘すぎる。途端にそう思った。

 栄養価のないものばかり食べていた人間が、突然、高濃度のカロリー源を与えられたよ

うな感覚で、食べ物という認識は生まれなかった。この独特の感覚も、後で食べたパイナ

ップルの味を、そのときの味にタブらせて記憶しているのであろう。

 そのとき、

 「お父ちゃんのお土産だよ」

という母の言葉を聞いた。

 「お父ちゃん」。何度となく母に尋ねた言葉である。そして、忘れかけていた言葉であ

った。その言葉を久しぶりに聞いたぼくは、咄嗟にその意味を理解しかねた。

 「お父ちゃんだよ」

 母は、もう一度繰り返した。ぼくは直感的に父親という存在が分かりかけてきた。「お

父ちゃん」。物まねのように繰り返して、顔の輪郭を形作ってみる。

 しかし、ぼんやりした形しか浮かんでこない。今でも、そのときの感覚を造形してみる

が、やはりはっきりしない形をしている。これは、当然のことである。しかし、この空想

の物語は、当時の私の存在証明となって心の深くに残っている。



 母と二人、帰り道を急いでいる。母は、ぼくの手を千切れんばかりに引っ張る。田舎の

川土手の路は、果てしなく続いている。ぼくが母と並んで歩けたかも分からないが、コス

モスか何かの花がたくさん土手には咲いているのである。ときどき遠くの国道を砂塵を巻

き上げて進駐軍のジープが走り抜けた。

 「お父ちゃん、家で待ってるから、早く、早く」

 母の顔は、なんだか怖そうに引きつっている。ぼくの中で造形された映像の物語は、こ

うしてほとんどの部分は鮮明に動いてゆくのである。

 そして、玄関に佇む母。こわごわ戸を開ける母。

 それから、最後の映像は、直立不動で敬礼する父の姿が映し出される。

 「陸軍主計伍長、瀬本幸吉、ただいま帰りました」

 初めて見る父の顔。輪郭だけの顔。

 ぼくの映像は、いつもそこで途切れてしまう。母が、そのときどう言ったか、ぼくは、

どういうふうにしていたか。まったく映像が作れないでいる。

 父帰る。その瞬間の感覚は、曖昧模糊としている。ときとして、そのときの父の顔が、

仏壇の中年の遺影とダブって見えるときもあった。

 それから、ぼくが、学校に通うようになってからも、パイナップルはそんなにちょくち

ょく食べたわけではない。

 ……バナナとパイナップル。その舶来の食べ物は、ぼくたち終戦直後に育った人には、

なにか特別の思いが貼り付いているのである。


笑み

2024-07-04 17:42:59 | 創作
笑み

                                  瀬本あきら

 七階の外科病棟の六人部屋で夜中寝ていると、地の底から湧きあがるような叫び声が聞

こえてきた。二月中旬のことである。

 見回りに来た看護師に、「あれはなんですか?」と尋ねた。

 すると、その人は「ああ、あの音ですか。トイレのドアの具合が悪いんですよ」と事も

なげに答えた。

 それにしても、重体の患者の呻き声にも似た不気味な響きであった。

 私は、ここの病室に横たわるまで、幾多の試練といっては大袈裟だが、何か大きな宿業

を乗り越えてきたという思いがしていた。

 一つは最初の腹切りの儀式への恐怖。二つ目は七階という高いところに閉じ込められる

という恐怖。三つ目は日常から抜け出す恐怖。こういう怖れに倒れそうな我が身を支えつ

つ、また、病院のスタッフに支えられつつ、何とか乗り越えてきたのだ。

 たいした手術じゃないよ、などと言って励ましてくれた家族や同僚の言葉は、最初私に

は全く通じなかった。何しろ私は極度に「閉所」を怖がっていたのである。それは病的と

言ってもいい。

 手術室に連れて行かれる同じような症状を持つ人の「手記」を読んでいたので、そのと

きの苦痛は十分予想できた。その人は泣き叫んだという。だから、もし手術中に不安発作

が起こったら命を失うことにもなりかねない。そういう予期不安が私にはあった。

 ……しかし、こうして、ここに、私は確かに生きている。傷口がひどく痛むのを除けば、

今までと少しも変わらない私という人間がまだここにいる。私は薄暗い病室の中を見回し

ながら、ありがたいことだ、と感じた。ここの部屋の私を除く五人は、それぞれ大手術を

経たものばかりで、見るからに気力が失せているように見えた。私は五十代半ば、他の五

人は私より十歳くらい年上に見えた。

 「ギャー、ギャー」とまた何度か音が聞こえてきた。もう眠れなくなった。

 夜中にトイレに立つ人の何と多いことか。私にはその音と音との間隔がほんの数分間に

思えた。

 私は、ある組織の現役メンバーの一人である。そのままの形で一時その組織から抜け出

してきた。すると、その組織の他のメンバーに多大なる負担をかけることになる。そのこ

とが辛い。しかも、抜け出して一時的にでも自由になったかと思うと、そうではなく、ま

た新たな組織に組み込まれて、そこの一員としてこうしてじっと耐えねばならない。これ

は生きている限り付きまとう永遠の宿命である。しかし、私の周囲の患者は私よりずっと

重い病と闘っている。このことも私を拘束した。比較的軽いものは息を潜めてしばらくは

じっとしていなければならない。下手にもがいたりすると、解放される日は遠のくばかり

である。この病棟の人のすべてが解放されるわけではない。無事退院の日が迎えられれば、

仏神の恩を感じねばならない。私はそう思った。

 「貴方は、軽くていいですねえ」

 同室の患者の家族が、見舞いの帰りにそう言いながら毎日のように私のベッドの前を通

り過ぎて行った。その度に早く退院したくなった。

 また、こんなこともあった。手術のあくる日、執刀した若い主治医がいないときに、代

理の中年の医者が診察に来た。その医者も手術の補助をしていた。病室に入るなり、私の

左のわき腹のガーゼを乱暴に取り除くと、まだ、完全に引っ付いていない傷口を両の親指

で力いっぱい押し始めた。私は激痛に耐えながら、この医者は気でも狂ったのかと思った。

 「おい、まだ歩かないのか。こんな傷で何日も寝ていては歩かれなくなるぞ。しっかり

歩け。今すぐにでも歩け」

 医者はそう言うと、さっさと出ていった。

 慌てて看護師が入ってきた。

 「ごめんなさいね。あの先生は少し乱暴だけど、本当はいい人なんですよ」

 そう言いながら包帯を変えて丁寧に手当てをしてくれた。

 私は怒りを抑えるのがやっとで、返す言葉が出て来なかった。

 思い返せば、このI市の総合病院にはかれこれ三十年も何やかやで通院していた。だか

ら、産婦人科と放射線科以外はすべてお世話になっていた。私と接した医者の数は数え切

れないほどいた。その中でも忘れることの出来ない医者がいる。Mという精神科医である。

私は三十代前半のころ書痙で苦しんでいたことがあった。何しろ右手で小さい字が書けな

いのである。最初は整形外科で色々な検査をして貰ったが何にも異常はないとの診断だっ

た。それで、精神的なものだろうということになって、M医師にカウンセリングやロール

シャッハ・テストなどの心理検査をして貰った。しかし、取り立てて異常はないとのこと。

そこで、私は尋ねた。

 「先生、治るでしょうか? 字が書けなかったら、仕事できないんです」

すると、M医師は答えて言った。

「左手がありますよ。訓練してみてください。一ヶ月くらいで書けるようになります。私

が知っているお方で、Yさんという人がおられるんですが、この方は両手が痙攣して、手

では書けなくなりました。色々治療しましたが、だめでした。するとYさんは右足の小股

に鉛筆を挟んで書こうとなさいました。二ヶ月くらいたつと足で書けるようになりました。

書けるようになると、不思議なことに右手が動き出したんですね。これには私も驚きまし

た」

 私は、その話を聞いているうちに、その医師の顔が輝いて見えた。そうだ、まだ私には

左手がある。そう心の中で呟くと、急に今までの苦労がすっと軽くなったような思いがし

た。言われた通り一ヶ月練習すると、何とか読める字が書けるようになった。都合原稿用

紙百枚くらい書いたころであった。そうして五、六年左手で書いていると、次第に右手を

使いたくなった。ある日、右手を使ってみると、なんと、書けるではないか。私は、M医

師に感謝した。

 歳を取るに従って、職場の人間関係からくる葛藤が心の奥に溜まって淀んでいた。その

ことだけが原因ではないかもしれないが、あるとき急に狭心症のような発作を起こした。

車での通勤途上だったので、危うく車もろとも数メートル下の田んぼに落ちそうになった。

運良く同僚が通りかかったので、近くの病院に連れていってくれた。医師は狭心症の疑い

あり、と診断した。そして、I市の総合病院に移された。内科での検査入院の結果は「異

常なし」。そこで、私はふとM医師のことを思い出した。

 「M先生はまだこの病院におられますか?」

 私が看護師に尋ねると、まだ勤務しておられます、という返事。私は嬉しくなって、早

速診察のお願いをした。

 「車の運転も出来なくなったのですね。それから、一人でいると不安に襲われる……」

 M医師は、カルテに記しながらときどき私を優しい眼差しで見つめた。半白の頭と額の

皺に二十年間という長い時間を感じさせた。

 「じゃ、三ヶ月ほどゆっくり休んでください。仕事のことが気にかかるでしょうが、こ

れは、天が与えた休暇です。ありがたいことです」

 「えっ、三ヶ月もですか」

 「そうです。でもね、あっと言う間に経ちますよ」

 私は、三ヶ月という時間が長すぎると思いながらも、内心はこの診断に感謝していた。

天が与えた休暇なのだから。

 ……あれから、また十数年たって、またここへ舞い戻った。私は、生得病院というとこ

ろと縁が切れないようだ。そう思いながら、またうとうととしていた。あの不気味な音は、

朝方しばらく途絶えていた。

 明くる朝、例のトイレのドアを開けてみた。ぐわっ、という間の抜けたような音が響い

た。「なんだ、油切れじゃないか」。私は確認してほっとした。朝日の中でぐわっと鳴る

ドアの響きはすこぶる滑稽でもあった。

 食事が終わってから、窓の下の庭園を恐々覗いてみた。すると、二十年近い前に内科に

入院していたときにスケッチした六角形の藤棚が、まだそのままの姿でどっしりと居座っ

ていた。藤の幹はずいぶん太くなっていた。私は退院するまでに、またスケッチしようと

思った。こういうときに、こういう場所で、新たな仕事が生まれたことが私にある力を与

えた。

 「おはようございます。よく眠れましたか? 検温ですよ」

 昨夜の看護師の明るい声が部屋中に響いた。とともに、別の看護師が慌てて駆け込んで

きた。

 「――さんの容態がおかしくなったわ。早く来てください!」

 部屋の他の五人はその声を聞いて、誰も起き上がった。

 二人の看護師は廊下へ飛び出して行った。

 「――さん、とうとう駄目か」。誰かがそう言うと、急に静まり返った。しかし、部屋

を出て様子を見ようという者はいなかった。妙な静けさが部屋中に染み渡り、私は息苦し

くなった。

 私が部屋を出て廊下を見渡すと、突き当たりの個室に医師や看護師が出たり、入ったり

していた。その人はどんな人か私にはわからなかったが、突然、一目見たいという気持ち

が湧き起こり、足だけが別の生きもののように動き出した。

 部屋の前まで行くと、その個室には面会謝絶の表示がしてあり、ドアが固く閉まってい

た。私はドアに耳を寄せて声を聞いた。中にはもう家族や親戚の人が幾人か来ているらし

かった。何か分からないが、ひそひそ話しているのが聞こえてきた。

 いきなりドアが開いて、看護師が顔を出した。私がいるのを咎めるような目つきをしな

がらドアを閉めた。その瞬間、その患者の横顔が見えた。たくさんのドレーンで繋がれた

体からは生きものとしての実感は湧かなかった。修理中のロボットのような気がした。し

かし、私には、その人の横顔が心なし微笑んでいるように見えた。安息の時間を迎えよう

とする喜びを最後の力で表現しているのだ、と思った。

 父も母も祖母も弟も笑みなど浮かべなかった。私は家族が死んでいったときの表情を思

い出していた。私はどういう顔をして最期のときを迎えるだろうか。せめてこの患者のよ

うに笑みを浮かべていたいものだ。そう思った。そして、私は自分の部屋にゆっくりと歩

いて行った。

 ベッドの横の物入れから盆と鉛筆と紙を取り出してコートを羽織ると私は部屋を出た。

そして、非常階段を一段一段降り始めた。エレベーターは禁物。中に一人でいると気分が

悪くなることがあった。

 外に出ると、寒さが体の芯まで染み込んできた。私は、藤棚の下のベンチに腰掛けた。

そして、盆を膝の上に乗せ、その上に紙を置き、デッサンを始めた。葉っぱのない藤の蔓

は虚空を掴み取るように空へ伸びているような感じがした。寒い、寒い、と心の中で呟き

ながら線を引いていった。どうしてこんなことをするのか。そういう反問も芽生えてきた。

仕事。仕事。今日の仕事。一人でそれに答えながら描き続けた。

 ふと、また、あの人の笑みが浮かんできた。あの人の笑みは、私の心の投影だったかも

しれないと思った。すると、どこからか藤の枯れ葉が一枚飛んできて、紙の上に描いた蔓

の上に止まった。                             (了)



ピアノ

2024-06-26 15:19:23 | 創作
ピアノ

芥川龍之介

或雨のふる秋の日、わたしは或人を訪ねる為に横浜の山手を歩いて行つた。この辺の荒廃は震災当時と殆ど変つてゐなかつた。若し少しでも変つてゐるとすれば、それは一面にスレヱトの屋根や煉瓦の壁の落ち重なつた中に藜(あかざ)の伸びてゐるだけだつた。現に或家の崩れた跡には蓋をあけた弓なりのピアノさへ、半ば壁にひしがれたまゝ、つややかに鍵盤を濡らしてゐた。のみならず大小さまざまの譜本もかすかに色づいた藜の中に桃色、水色、薄黄色などの横文字の表紙を濡らしてゐた。
 わたしはわたしの訪ねた人と或こみ入つた用件を話した。話は容易に片づかなかつた。わたしはとうとう夜に入つた後、やつとその人の家を辞することにした。それも近近にもう一度面談を約した上のことだつた。
 雨は幸ひにも上つてゐた。おまけに月も風立つた空に時々光を洩らしてゐた。わたしは汽車に乗り遅れぬ為に(煙草の吸はれぬ省線電車は勿論わたしには禁もつだつた。)出来るだけ足を早めて行つた。
 すると突然聞えたのは誰かのピアノを打つた音だつた。いや、「打つた」と言ふよりも寧ろ触つた音だつた。わたしは思はず足をゆるめ、荒涼としたあたりを眺めまはした。ピアノは丁度月の光に細長い鍵盤を仄めかせてゐた、あの藜の中にあるピアノは。――しかし人かげはどこにもなかつた。
 それはたつた一音(おん)だつた。が、ピアノには違ひなかつた。わたしは多少無気味になり、もう一度足を早めようとした。その時わたしの後ろにしたピアノは確かに又かすかに音を出した。わたしは勿論振りかへらずにさつさと足を早めつゞけた、湿気を孕んだ一陣の風のわたしを送るのを感じながら。……
 わたしはこのピアノの音に超自然の解釈を加へるには余りにリアリストに違ひなかつた。成程人かげは見えなかつたにしろ、あの崩れた壁のあたりに猫でも潜んでゐたかも知れない。若し猫ではなかつたとすれば、――わたしはまだその外にも鼬だの蟇がへるだのを数へてゐた。けれども兎に角人手を借らずにピアノの鳴つたのは不思議だつた。
 五日ばかりたつた後、わたしは同じ用件の為に同じ山手を通りかゝつた。ピアノは不相変ひつそりと藜の中に蹲つてゐた。桃色、水色、薄黄色などの譜本の散乱してゐることもやはりこの前に変らなかつた。只けふはそれ等は勿論、崩れ落ちた煉瓦やスレヱトも秋晴れの日の光にかがやいてゐた。
 わたしは譜本を踏まぬやうにピアノの前へ歩み寄つた。ピアノは今目のあたりに見れば、鍵盤の象牙も光沢を失ひ、蓋の漆も剥落してゐた。殊に脚には海老かづらに似た一すぢの蔓草もからみついてゐた。わたしはこのピアノを前に何か失望に近いものを感じた。
「第一これでも鳴るのかしら。」
 わたしはかう独り語を言つた。するとピアノはその拍子に忽ちかすかに音を発した。それは殆どわたしの疑惑を叱つたかと思ふ位だつた。しかしわたしは驚かなかつた。のみならず微笑の浮んだのを感じた。ピアノは今も日の光に白じらと鍵盤をひろげてゐた。が、そこにはいつの間にか落ち栗が一つ転がつてゐた。
 わたしは往来へ引き返した後、もう一度この廃墟をふり返つた。やつと気のついた栗の木はスレヱトの屋根に押されたまま、斜めにピアノを蔽つてゐた。けれどもそれはどちらでも好かつた。わたしは只藜の中の弓なりのピアノに目を注いだ。あの去年の震災以来、誰も知らぬ音を保つてゐたピアノに。

藜=あかざ

________________________________________

底本:「芥川龍之介全集 第十二巻」岩波書店
   1996(平成8)年10月8日発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:松永正敏
2002年5月17日作成
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

________________________________________

●表記について
• このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。


爪楊枝

2024-04-22 01:41:41 | 創作
     爪 楊 枝

                             瀬本あきら
     爪楊枝職人に新助という人がいた。
     
     この人が作る手作りの楊枝は、鋭くて、また、柔らかくて、そして、何より折

    れなくて、沢山の客がつくほど重宝がられていた。

     しかし、何しろ一本いっぽん作るのだから、たまったものではない。注文が多

    いときには、徹夜することも稀ではなかった。

     材質選びにも至極神経を使っていた。杉。こりゃだめだね。檜。こりゃ臭くて

    いけないね。欅。とんでもない。やっぱり黒文字だね。全国どこでも生えている

    し、香りがこたえられない。春に、山でこの木の黄色の花を見つけると、もう、

    天国だね。秋には黒い実がなる。庭木になんぞしているやつがいるが、どやして

    やりたいね。山のものは、山が一番だ。だから、いつも山登り。この歳になって

    も、若いもんにゃ任せられない。木には素性というものがあって、人間と同じで、

    根性が悪いのがいる。こいつに掴まっちゃおしまいだね。若いもんは、そこのと

    ころが分からない。息子に任せるときは、俺が山で死ぬときじゃ。それまで、息

    子に教えておきたいことがたくさんある・・・・・・。

     新助じいさんが話し出すと、際限がなかった。

     じいさんは、一日中仕事机に向かって、小刀で楊枝づくりをしていた。

     ときどき、若い、と言っても、三十台半ばくらいの女が出入りして、お茶を淹

    れていた。

     新助じいさんは、そのときだけ、ちらとその女を見て、微笑んだ。

     「ああ、ありがと。母さん」

     そして、そういう言葉でお礼を述べた。

    じいさんにとって、その女は、孫でもないし、まして、息子の嫁でもなかった。

    ただ、じいさんは、そう呼ぶことにしていた。そして、ゆっくりとお茶を飲み、

    その女の顔をしばらく見つめて、また、仕事を始めた。深夜になり体が疲れると、

    眼鏡をはずし、手を合わせて、「母さん」、と祈った。手先が小刻みに震えるよ

    うになり、仕事の能率は低下する一方だった。

     
     ある日の朝、木の皮剥ぎをしているときだった。その女が、また、お茶を淹れ

    にやってきた。

     「じいさん、今日限りにしていただきます」

     そう言った。

     すると、じいさんは、持っていた小刀を、ぽとりと落とし、口をもごもごさせ

    たが、言葉にならなかった。顔が次第に青ざめてきた。

     「再婚することになりました」

    女は、そう呟くように言った。

     じいさんは、一層青ざめて、今度は、わなわな震えだした。

     「・・・私は、あなたの母さんじゃありませんから」

     「・・・・・・」
     
     「近所にいて、貴方の仕事ぶりを見ていて、男所帯じゃ大変だろうと、そう思
    
    って、今までやってきました。もう五年になります。最初、突然、母さんと呼ば

    れて、正直びっくりしました。でも、不思議なもので、そのうち本当の母みたい

    な気持ちになりました」

     じいさんは、青ざめた皺だらけの顔で、目だけぎょろつかせ、女の言うことに

    耳を傾けていた。

     「でもね。ときどき、隣の町から来てあげますからね。いい仕事してください

    ね。」そう言うと、女の方も落ち着かなくなってきた。

     「章さんに、一度だけ、結婚してくれ、と言われました。でも、若い男が怖く

    なっていましたから、素っ気無く断りました」

     「章が、そんな・・・・・・」やっとのことで、じいさんがそう言うと、「え

    え、もう強引でしたので・・・・・・」と、女は、最後の言葉を呑み込んだ。

     「じいさんが、もっと若ければ、もしかして・・・・・・」

     そう言って、女は、大声で笑った。そして、立ち上がると、玄関に向かって出

    ていった。

     それきり、女は、長らく姿を見せなくなった。


     ところが、ある日、突然また仕事部屋に現れた。

     「長いあいだ、ありがとうございました。明日が結婚式です」

     両手をついて、丁寧に頭を下げた。

     「あれから、仕事が手につかなくて・・・・・・」

     新助じいさんは、すっかり元気を無くしていた。

     「また、来ますからね。元気出して仕事してくださいね」

     じいさんは、ごそごそと、紙に何かを包みこんでいた。

     「じゃ、失礼します」

     「母さん、ちょっと待ってくれ」

     じいさんは、紙包みを差し出した。
    
     「何ですか」

     「何にも、あげるものがないから、これ、爪楊枝じゃ。旦那にあげてください

    な」

     「これは、じいさんの形見。使いませんよ。自分で大切にしまっておきます」

     そう言って、女は、新助じいさんの体を力を込めて抱きしめた。


     仕事場で、ものを投げつける大きな音がしたので、息子が駆けつけて、覗いて

    みると、部屋中に爪楊枝が飛び散っていた。
  
     その部屋の真中で、新助じいさんが、蹲って泣いていた。

     息子は、どうすることもできなかった。              (了)