とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

両親の移住

2012-07-28 22:39:16 | 日記

「ヴェトゥイユのモネ家の庭」( クロード・モネ)

 この絵のような素敵な家ではありませんが、私のうちの父の工場を長年封鎖していました。目の不自由な父が、母と祖母の助けを借りて長年仕事をしていたところです。ウドンを作っていたこともあります。綿打ちをしていたこともあります。精米をしていたこともあります。
 思い出が詰まっているところで手放したくなかったのですが、長柄さんから紹介を受け、佐山さん、いや、もう名前は変わっていますが、そのお婿さんのご両親がぜひ使いたいということでしたので、止む無くお貸しすることにしました。佐山さんは跡継ぎ息子だったそうで、養子に出したので、少しでも息子の近くで住みたいということでした。
 お父さんは医者、お母さんは絵本作家です。お父さんは息子さんを医者の道に進ませたかったのだそうですが、佐山さんは頑として聞き入れなかったといいます。


 いやね、私は医者としてきちんと収入を上げて儲けたいとかいう気持ちは毛頭ありません。大きな病院に勤めていましたが、息子の結婚を機に、私も出雲に住み、息子を支えながら地域医療に貢献したいのですよ。妻も売れっ子の画家とは違いますから、細々としかも逞しく着実に仕事を進めたいようです。

 分かりました。ぜひ実現させます。ただ、気に入っていただけたかどうか・・・。

 いやいや、勿体ないくらいですよ。二階が居住スペースで、一階が仕事場。いい間取りじゃないですか。ありがたいです。

 そうですか。それでは住まいができるようにいろいろと準備しておきます。

 ・・・どんどん賑やかになっていけ!! 私はまたしても意外な展開に興奮していましした。

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父親のプレゼント

2012-07-21 23:51:30 | 日記
父親のプレゼント




 京子さんと佐山さんのうちわだけの結婚式が、氏神である諏訪神社で執り行われたという知らせを長柄さんから電話で聞きました。
 そのときのお父さんからのプレゼントはかつて手がけた竹製の折り畳みハンドバックだったそうです。上の写真がその貴重な作品です。そうです。「径」に描かれた竹籠です。

 
 お父さんの若い時の思いでが詰まっている品ですから、どんな高価なものより京子にとって嬉しかったに違いありません、と長柄さん。

 そりゃ良かったです。京子さんに気持ちばかりのお祝いを届けに行った時、真っ先にその手提げを私に見せてくれました。赤糸のものもあったのですね。

 ええ、あのモデルは当時アメリカに輸出していたようです。あちらでは買い物籠として使われていたと聞いています。

 輸出していた?

 そうです。特許を取って出雲で生産していた時期は輸出が多かったようです。後で近畿地方を拠点として生産し、日本でも一時流行していたそうです。

 ところで、冴子さんも式には参加されたでしょうね。

 いや、そのことです。招待されていても断るんじゃないかと心配していましたが、案外素直に受け止めていたようで、参加していました。

 そうですか。これであの家も安泰ですね。

 佐山もこれから姓を変えて、いっそう画業に打ち込むことと思います。

 次は独立展ですね。

 お陰様で着実に伸びてきてますから、取ってくれると思います。

 出雲から日本の画壇を背負っていくような画家が誕生するのも間近です。・・・畝本さん引き続きよろしくお願いいたします。

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森の恵み

2012-07-16 22:26:36 | 日記
森の恵み




 佐伯祐三の1922年(大正11)ごろの作品『秋の風景』。
個人蔵の作品のため、画集などに載せられることが少ない。私はかなりな衝撃を受けた。この色彩感覚! 一面の落ち葉、落ち葉が浮いている小川、黄色に染まった石橋、樹木の黒いシルエット。佐伯と言えば石壁、看板、広告塔、殴るように描かれた色彩の交錯、その反対の迫りくる暗色の建物のシルエット、そういうものを想像するが、こういう絵もあったのである。私は手前の少しばかり光っている水面がこの画面を引き締めていると感じた。


 私はほぼ出来上がった登り窯を見学したいと、急に思い立って山に出かけた。

 
 ああ、貴方が畝本さんですか。

 初めまして、すばらしい窯ですね。

 これから仕事しながら作り変えていきます。出雲焼はなにしろ初めてですから。出雲は人間国宝の原清さんの出身地、若手では三原研さんが独特の作品を作られました。このことも私には刺激的です。

 小室さんはこれからここを拠点としてご活躍されるわけですね。

 そうです。終の住処です。

 終の・・・。

 そうです。

 ありがとうございます。

 いや、貴方にお礼を言われるとこそばゆい。

 そうですか。

 私は出雲の風土と歴史に強い関心を持っていました。

 えっ、そうですか。具体的に・・・。

 そうですね。色合いです。伯備線に乗って出雲に着くと、独特の色彩が私を迎えてくれました。

 地元に住んでいますと気づきませんが・・・。

 そうでしょうね。・・・ちょっと言葉では言い表し難いですが、他にはない色合いです。この森でも他の森とは全く違う。・・・いずれ秋には色づくと思いますが、その色を想像していると楽しいです。その独特の色合いを器に出したいのです。

 器については全くの無知です。どうか私にもご指導をお願いしたいのですが・・・。

 本気ですか。師弟ということになると厳しいですよ。何しろ弟子は師匠を真似てはいけない。乗り越えなくてはいけない。弟子はいろいろな手段で自分がいかほど伸びたか試したくなる。私は師匠になりきろうと思って大失策をし、挫折した経験があります。

 ・・・。

 いや、ごめんなさい。冴子御嬢さんも近くにおられるので、これ以上は勘弁してください。・・・ほんとに長柄さんは温かいお方ですね。出雲のお方はどなたも親切ですね。

 どうも、ありがとうございます。


 私は、またすごい人物に触れた気持ちがしました。過去に拘っている自分が空しく思えました。

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森の中の窯場

2012-07-14 15:45:19 | 日記


浅井忠「グレーの洗濯場」(1901年 油彩・カンヴァス ブリヂストン美術館蔵)


 明治中期を代表する二人の画家、浅井忠と黒田清輝。ともに、フランスのグレーという場所の風景を描いた。彦坂尚嘉氏は、浅井作品を《透視平面》、黒田作品を《原始平面》と言った。そして彦坂氏は、黒田の作品は、浅井の画面全体の構成の巧みさによる空間の深みの描出には及ばないと断言する。浅井の風景画作品では、地面、人物、手前と奥の建物など、それぞれの相互関係が、画面全体の構成の中で調和しているとも言っている。
 黒田が西洋画の日本の先覚者のように言われているが、事実は浅井の方が古く、技術的にも勝っていたようである。この絵に於いても、背景の森、洗濯場、水面の構成・色彩が巧みで当時、いや今でもこの境地に到達した画家は稀であると言える。


 小室新之助の窯場の建設が日々進んでいるという話を長柄さんから聞きました。長柄さんの家の奥の古い炭焼き場と番小屋を提供したということでした。


 五人のお弟子さんが窯をついています。近々完成します。小屋を残しておいたので宿に使って貰っています。電気も水道も使えるようにして貰いました。

 へえー、そうですか。するとまもなく火入れですね。

 あんなところで仕事できるか心配だけど、相手はプロ、見通しは持っていると思います。ボロ小屋でも人が住むと急に生き返る。・・・ここでも実感しました。

 それにしても、どうして出雲なんですかね。

 師匠は以前から出雲焼に強い関心を持ってたようです。

 出雲焼。

 そうです。土も釉薬も全部地元で調達するそうです。

 新しい出雲焼ができるということに・・・。

 そうみたいです。

 楽しみですね。

 で、冴子さんはそのことをどう思っているんですか。

 作品を見れば、もやもやは吹っ飛んでしまいますよ。出雲画廊に師匠の作品が出る日がくるんじゃないですか。

 画廊に陶芸作品がですか。

 絵も器も一緒ですよ。

 はははっ。

 長柄さんの闊達さに私は参ってしまいました。

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初受賞

2012-07-06 23:51:33 | 日記
初受賞



「葡萄を持つ聖母」ミニャール (1612-1695 フランス バロック )

「ミニャールの聖母子像は、優美で甘美。そして、そういった聖母像はミニャルド(ミニャール風)と呼ばれた。愛らしく優雅な人を形容する言葉として今日でも用いられている。トロワに生まれた。兄ニコラは宗教画家であった。シモン・ブーエのアトリエで学び、その後20年以上、イタリアで過ごした。フランスへ戻ってからは、ル・ブランのライバルとして活躍する。」(ヴァーチャル絵画館)


 佐山さんに小室さんから電話があったそうです。銀座の二人展「永遠なる母子」の作品と企画が美術誌『芸術新風』主催の芸術新風賞の新人賞に推され当選したという内容でした。私は古賀画伯からそのことを知りました。


 えっ! 新人賞ですか! やりましたね。よかったです。

 権威のある賞ですから佐山さんも感激してました。

 でも、どうして佐山さんに・・・、京子さんではなかったですか。

 京子さんに話さなかったのには訳があるそうです。

 どういう・・・。

 小室さんの過去ですよ。冴子さんから聞いたでしょう。小室さんが冴子さんの店に来たことは私も聞いてました。

 ええ、とても怖がっていましたが・・・。

 そうなんです。小室さんは自分のお父さんのことをずっと思いつづけていたようです。お父さんは破門されてから随分苦しまれたそうです。で、佐山さんの贋作事件に強い関心をもっていて、自分なりに取材したりしていたそうです。そうしているうちに佐山さんとお父さんがダブって、どう言いますか、個人的な強い親近感を持ったみたいですね。それで、復帰したことを知って真っ先に島根や銀座の店を見て回ったそうです。

 じゃ、今回の受賞は小室さんの思い入れがあったんですね。

 でもね。畝本さん、歴史のある賞です。そういう個人の思いだけでは決まりませんよ。実力ですよ。それに京子さんの実力もあって、二人の受賞ということになったようです。だから、冴子さんがマスコミに前宣伝をしてたこともちっとも影響してません。才能ですよ、掛け値なしの。

 そうですか。ほんとによかったです。・・・でも、小室さん自身は冴子さんに何か特別な感情を持っているのでは・・・。

 いや、そんなに根の深いものではないと思います。この前冴子さんの店に来たのも別の作品を見たかったからでしょう。

 でも、お父さんの名前を冴子さんに言ったとか聞いてますが・・・。

 長年の思いがふと出てきたからだと思います。

 そうでしょうか。

 冴子さんをひどく恨んでいるということはないと思います。冴子さんのお祖父さんのことでしょう。

 まあ、そうですが・・・。

 小室さんのお父さんが出雲に来て、窯場を開くそうです。小室さんが勧めたそうです。小室さん、出雲の土地が気に入ったんでしょう。小室さんのお父さんはもう相当なお歳だと思いますが、陶芸の世界では相当の評価のあるお方です。

 えっ、そうですか。

 私は、意外な展開に内心小躍りして喜こびました。芸術村、芸術村・・・、いよいよ本格的なスタ-トだ。

 

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