とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

団欒

2013-02-28 23:26:47 | 日記
団欒




「幼少時代の牧歌(Childhood Idyll )」
ウィリアム・アドルフ・ブグロー(1825-1905年 アカデミズム)

19世紀フランスのアカデミズム絵画を代表するブグローは甘美なほど美しく描いた少女の肖像画を多く残している。


 私の家は千恵子の家族が来て、昔のような賑やかな家族団欒のひとときを過ごすことができました。日曜日に出雲の貸家を探しにやってきたのでした。お茶を飲みながら話がはずみました。


 志乃ちゃんは4年生から新しい学校だね。

 うん。

 友達できるといいね。

 うん。

 学校に行ってみた。

 うん。

 どうだった。

 小さかった。

 そうか・・・、でも、頑張ってね。

 うん。

 三朗くんも大変だね、掛け持ちで。

 毎日じゃないですから、出来ると思います。

 そんなに演劇が好きなの。

 ええ、演出家にと思ってたんですが、叶えられなかったので、いい機会を与えられたと思っています。

 あ、そう。・・・で、松江さんの助手ということで仕事をするの。

 そうです。まあ、映画でいう助監督みたいなものです。

 じゃ、ほんとはしょっちゅう側にいなくてはいけないのでは・・・。

 助手は他にもいますから大丈夫です。

 そういうものかね。

 お義父さん、難しく考えないでください。

 そうかね。

 千恵子はバレーでいい結果出していたけど、出雲にはそういうチームはないと思うけど。

 お父さん、ありますよ。と妻が口を挟んだ。

 えっ、どこに。

 ほら、あちこちにママさんバレーがあるでしょ。

 ああ、ママさんバレーか。

 軽蔑したような言い方をしないでください。

 いや、軽蔑なんてしてないよ。ただ、千恵子は社会人チームで・・・。

 お父さん、もうそのことはやめましょう。私には私の考えがありますから。

 そうか。ごめん。

 お義父さん、実はですね、脚本の長山さんから聞きましたけど、あの喜多川さんの指導でストーリーが大分変ったみたいです。

 ほほう、どういう風に・・・。

 開削の現場を指導していた武家の若者が村娘の里を見染めるということになったんです。

 村の男じゃない。

 そうです。

 すると、遂げられない恋とは・・・。

 当時の身分の違いという壁が・・・。

 へえー、よく分からないけど、その方が面白いかもしれないね。

 喜多川さんは、もっと思い切って朝日丹波が娘に恋をするという方向にしたら、とまで仰ったそうです。でも、松江さんは強く反対されて・・・。

 それで、武家の若者ということになったんだね。

 ええ、今はその脚本で進められています。その時三朗くんの携帯電話のベルが鳴りました。

 前田です、ああ鈴木さん、どうも・・・。今妻の里にいます。また、打ち合わせに行きますから・・・、あっ、郁子さん、どうも・・・。微力ですが、全力で取り組みます。えっ、千恵子ですか。今、変わります。

 えっ、私に・・・。千恵子はどぎまぎしていました。

 前田です、あのー・・・。言葉に詰まった千恵子を助けるように、郁子さんが続けて話している様子でした。えっ、えっ、と千恵子は返事ばかりしていました。

 
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故郷へ・・・

2013-02-26 22:33:02 | 日記
故郷へ・・・





 一枝の椿を見むと故郷に    原 石鼎 (昭和10年)

 原石鼎は母の病気見舞いのために昭和10年に故郷出雲に帰郷した。この作は塩冶(えんや)町の実家で庭の椿を見て作ったものである。一の谷公園には写真のような句碑が建立されている。


 岡田さんから電話があり、私は躍り上がらんばかりに喜びました。朗報です。


 うちの農園関係の会員の中で出雲に憧れている青年がいますけれど、その青年が出雲に住みたいと言いまして・・・。

 ええ、ええ。

 もともと出雲の生まれですけれど、父親の勤めの関係で小さいころに千葉に転居しています。次男で仕事がないのでうちの農園の管理にときどき来てました。その青年、名前は木村靖男と言いますけれど・・・。

 ええ、その木村さんが出雲に定住するわけですね。

 そうです。そうです。そういう予定です。そこで、私、冴子さんの話をしました。そしたら、画廊に住み込みたいと言いまして・・・、先日、冴子さんに伝えました。そしたら、養子に来て貰えないかということでした。

 養子。

 そうなんです。店を継がせたいようです。一度会って貰ったんですが、たいそう気に入って・・・、ぜひ話を進めて貰いたいということで・・・。

 そりゃ、いい話ですね。

 そうなんです。両親も賛成してくれまして、籍に入れる方向で今話が進んでいます。

 めでたい話ですね。

 きっと旨くいくと思います。

 ・・・私はその後で冴子さんに電話しました。

 いい話が進んでいるそうで・・・、岡田さんから聞きました。

 そうなんです。貴方から出雲に残ってほしいと言われて、私、正直一人では自信がなかったんですが、跡継ぎが出来ればこれに越したことはありません。

 出雲画廊は貴女一人のものではありません。京子さん夫婦にとっても必要なんです。これから画壇に出ていく後押しをするものは貴女しかいません。それから、郁子さんもこれから大舞台が待っています。心の支えは貴女です。

 畝本さん、そんなに私に背負わせないでくださいよ。

 いや、いや、ぜひ背負っていただきたい。

 貴方も強引ですね。

 いや、私のお願いです。

 ・・・ご縁というものは続いて来るものです。広島の千恵子から電話がありました。

 お父さん、出雲に帰ることになりました。

 えっ、どういうこと。

 うちのひと、出雲の支店に転勤希望を出したら、許可が出たんです。

 そりゃよかった。

 湖笛の松江さんの話をしたら、劇団の仕事をしたいと言い出して・・・。

 うん、うん。

 子どもの学校のことが心配だけど、まあ、次第に慣れると思う・・・。

 子どもはすぐ慣れる、慣れる。・・・私は少し無責任なそういうことを千恵子に話しました。話しながら千恵子の病気治療にとっていいのでは、と思いました。妻も大喜びでした。


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舞台稽古

2013-02-24 23:08:39 | 日記
舞台稽古





 「ベアトリーチェ・デステの肖像画」(1490年頃)
  ジョヴァンニ・ アンブロージオ・デ・プレディス

 西洋画で横顔を描いた肖像画のほとんどはこのように左向きの姿を描く。これは日本画でもそうで、深水は好んで左向きの像を描く。他にもたくさん挙げることができる。とまれ、この像は気品に満ち溢れていて清々しい。


 千恵子が久しぶりに帰ってきましたので、斐川公園に連れて行き、墓参りもしました。それから小学校を見たいというので、車で出かけました。妻も一緒でした。ちょうど湖笛の舞台稽古が始まったところでした。あのフェニックス喜多川さんも来ていて、監督の松江さんと舞台下で話していました。脚本の長山さんも来ていました。


 あっ、松江さんだ。千恵子が呟きました。

 えっ、松江さん知ってるの。

 うちの人の高校時代の同級生。うちの人も演劇やっていたからよく電話であれこれ演劇の話をしているわ。やあ、この劇団だとは知らなかった。

 松江さんと話ししている方はだれ。

 ああ、喜多川信夫さんだよ。仙女さんの劇団の最高指導者と言ってもいいベテランの演出家で、松江さんとしても湖笛を早く公演に漕ぎ着けたいし、二代目仙女を育てなければならないので、指導を受けているのだと思う。

 そう、大変ね。・・・郁子さんて、あの舞台の若い方。

 そうだよ。

 綺麗な方ね。さすが仙女さんの娘さんだけあって、若いのにオーラが感じられる。

 ああ、あの男の人が鈴木琢磨さん。婚約者だよ。

 へえー、じゃ、将来は郁子さんと一緒に仙女さんの劇団に・・・。

 いや、そこまで私は分からないよ。

 あ、そう。・・・千恵子がそう言うと、松江さんが千恵子を見つけて、こちらに駆けてきた。

 やあ、前田さんの奥さん、お久しぶりです。

 二代目養成で大変でしょうね。

 そうなんですよ。総力を挙げて取り組んでいます。・・・で、お願いがあるんですが・・・。

 えっ、何でしょう。

 ご主人に私の補佐をして頂きたいのですが、お伝えいただけませんか。この前の電話のときお話しすればよかったんですが。

 さあ、どう言いますか・・・、仕事がありますし、松江は遠いですよ。

 ごもっともです。日曜日とかにときどき来て頂ければ助かります。

 話してみます。あまり期待しないでくださいね。

 いや、期待しています。喜多川さんもご主人のことはご存知で、高く評価しておられます。

 買い被りじゃないですか、演劇関係の本にたまに投稿しているだけです。素人ですよ。

 いや、その文章が素晴らしい。相当なレベルですよ。

 ありがとうございます。後日お返事いたします。・・・千恵子がそう言うと、松江さんは喜多川さんのところへ帰っていきました。

 見込まれたね。私が言うと、千恵子は寂しそうに笑いました。

 あっ、校歌の額がまだかけてある。ステージの右の壁に校歌の額がかけてありました。千恵子は遠くから文字を目でなぞっていました。舞台では引き続き稽古が行われていました。千恵子はいつしか校歌のメロディーを小声で口ずさんでいました。私はその顔を見つめながら父親として何もしてやれない悔しさが込み上げてくるのを抑えきれずにいました。

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望郷

2013-02-22 16:57:38 | 日記
望郷





 出雲市斐川公園の梅林(2013.2.17)

 この日は真冬並みの寒風が出雲平野を吹き渡っていた。紅梅は五分咲きだったが、白梅はちらほらと咲いているだけで、いつもの一面の梅林という感じではなかった。白木蓮の大木の蕾は固かった。


 千恵子、おめでとう。新聞見たよ。がんばったね。・・・私は下の娘に久しぶりに電話をかけました。

 新聞見たの、ありがとう。

 佐山先生が教えてくれたときはびっくりしたよ。

 ああ、あの先生が・・・。

 先生もバレーやってたそうだよ。

 ああ、そう。

 体調はどう。

 元気、元気、優勝して一遍によくなった感じ。

 そりゃよかった。

 苦しい試合をしているとき、山の向こうの出雲のことを思い出すと元気が湧いてきた。

 そう。

 お母さんも元気。

 ああ、元気だよ。代わろうか。

 いい、いい。

 そうか。声が聞きたいと思ったけど。

 近いうちにそちらに帰ります。そのときゆっくり話します。

 そうか。

 斐川公園の梅はもうきれいに咲いてるでしょうね。

 ああ、ちょっと前に行ったけど、まだ五分咲きだった。

 そう。子どもの頃みんなと行ったときのことが心に残ってて、早く見たいとずっと思ってた・・・。

 よく公園には言ったね。梅、木蓮、桜、躑躅、いろんな花を見に行ったね。

 廃校になった小学校、大変なことになってるみたいね。

 ああ、今はご縁市場という名前が付いていて、美術館もある。

 中村仙女さんが来られたとか新聞で見たけど・・・。

 ああ、仙女さんの娘さんが最近から仲間たちとあそこで稽古してるよ。

 娘さん、確か郁子さんという・・・。

 そうだよ。

 私も卒業生だけど、あそこで校歌を歌ったときのこと、ときどき思い出す。いい校歌だった。♪・・・夢乗せて青田うるおす斐伊の水・・・。

 夢乗せて・・・ああそうだったね。同窓会を開いたら・・・。

 同窓会ね。それはいいね。

 実現したら、劇団の公演をお願いしてもいいよ。

 ありがとう。それが最後になるかも・・・。

 おい、千恵子、そんなこと言わないでくれよ。

 いや、ほんとに・・・そう思えて・・・。

 止めてくれ。これからよくなるよ。

 ごめん、ごめん。

 私はお前を我が家の誇りに思っているからね。決して気弱にならないように・・・。

 ・・・分かった。じゃ、梅を見にまた帰ります。

 
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千恵子のこと

2013-02-19 22:17:32 | 日記
千恵子のこと




 「D嬢の像」小磯良平(1962)

 端正で理知的な女性像を数多く描いた小磯作品の中でも、この女性像は何かしら憂いを帯びていて、私は好感を持っている。

 ある日曜日の朝、突然、佐山医師が私の家に来て、いやー、感激しました、と下の娘前田千恵子のことについて興奮して話し出しました。私と妻ははあっけにとられて聞いていました。


 今朝の新聞見ました。前田千恵子さん、お宅の下の娘さんでしょう。

 えっ、娘が何か・・・。

 岡山で監督なさっているんでしょう、社会人バレーの。

 ええ、そうです。それが何か・・・。

 新聞で大きく取り上げられていました。

 えっ、そうですか、何新聞です。

 中国日報です。

 中国日報、・・・うちはその新聞とってないんですが・・・。

 あっ、そうですか。じゃ、すぐ持って・・・。

 先生、後で取りに伺います。で、何が・・・。

 すごいですねえ。優勝ですよ。中国大会で。

 えっ、そうでしたか。近く試合があるとは言ってましたが・・・、それはよかった。

 娘さん監督ですか。いえね、私も若いころ大学でやってました。万年補欠でしたけれど。

 へえー、先生もやってらした・・・。

 もう、すっかりご無沙汰ですけどね。

 ・・・。

 娘さん、苦労なさったんですね。感心しました。

 どういうことでしょう。

 いえね、病気を乗り越えてチームを優勝に導いた女性監督、とか書いてありましたので・・・。

 あっ、そんな風に取り上げてあったんですか。

 そうです、そうです、だから・・・。

 で、病名も書いてあったんですか。

 書いてありました。

 何と書いてあったんですか。

 乳がんを乗り越えて、と・・・。

 そんなことまで書いてあったんですか。

 担当記者の文章が旨かったのかも知れませんが、私は医者ですから、ぐっと来るものを感じました。

 結婚して、子どもが出来てから病気が分かりました。産むのを止めようかと思ったこともあったようです。

 そうですか。

 でも、先生、医学のお蔭です、何とか子どもを授かり、選手を止めて監督としてバレーを続けることができました。

 よかったですね。立派な娘さんですね。

 いや、気が強いのがとりえの娘です。・・・私は妻の方をちらと見ました。ずっと下を向いていました。

 これから私は娘さんのチームを応援します。・・・佐山先生の明るい表情が私を勇気づけました。

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