とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 418 WINK - 愛が止まらない

2018-08-31 16:27:27 | 日記
可愛い顔して・・・。という唄からは感じられなかったビジュアル系のパフォーマンスが厚みを増してきました。この曲も視ても楽しめる曲として大きな位置を占めていると思います。


WINK - 愛が止まらない



Wink(ウィンク)は、1980年代後半から1990年代中期にかけて活躍した、日本の女性アイドル歌謡ユニット。鈴木早智子と相田翔子の二人組。1996年3月31日を以って活動停止。



経歴

二人はともに、ワニブックス社の雑誌『UP TO BOY』が開催したミス・コンテストであるミス・アップの入賞者(鈴木は第7代グランプリ、相田は第9代グランプリ)。1988年にWinkを結成し、同年4月27日の『Sugar Baby Love』発売を以ってデビューを果たした。同期には、高岡早紀、西田ひかる、田中律子などがいる。グループ名は当初、oz(オズ)やTwinkle(トゥインクル)などが候補として挙がっていたが、最終的には事務所のマネージャーが提案したWinkに決定した。

1989年、フジテレビ系ドラマ『追いかけたいの!』(1988年10月26日~12月21日放送)の主題歌に使われた「愛が止まらない 〜Turn it into love〜」が、オリコンチャート年間第5位となる売上62.95万枚のヒット。この年、同曲により7月8日放送の『第22回全日本有線放送大賞』(日本テレビ系)で上半期グランプリを受賞、また、「淋しい熱帯魚」により、12月14日放送の『第22回全日本有線放送大賞』(日本テレビ系)で年間グランプリ、12月31日放送の『第31回日本レコード大賞』(TBS系)で大賞を受賞し、同日、この曲で『第40回NHK紅白歌合戦』への出場を果たした。

1992年になると、二人が別々にCDをリリースしたり、ドラマに出演したりと、ソロ活動が目立つようになってくる。
1996年3月31日をもって8年間(正確には7年11か月)に及ぶ活動を停止。その後はタレント、歌手、女優などとしてそれぞれ活動している。

Winkは解散したのではなく、あくまでも「活動停止中」であると鈴木と相田がテレビ番組等のメディアで何度か言明しているが、事実上の解散状態となっている。活動停止後には、これまでに何度かテレビの年末特別番組、および単発の特別番組等で「一夜限りの」といった主旨で2人揃って歌を披露している。以下はその実例。

1998年12月29日放送 『祝!日本レコード大賞40周年記念スペシャル』(TBS系)
1999年12月30日 - 2000年1月1日放送 『超える!テレビ』(TBS系) 12月30日の歌のリクエストコーナー
2008年12月30日放送 『第50回日本レコード大賞』(TBS系) メモリアルアクト・日本レコード大賞50周年記念特別企画
2018年8月18日放送 『第50回思い出のメロディー』(NHK総合、NHKラジオ第1)

その他、二人がそれぞれ単独でWink時代の楽曲を番組・ライブイベント等で歌うこともある。
2018年はデビュー30周年であり、全アルバム再発や、アルバム購入者特典招待トークイベント『Special To Me』開催などのアニバーサリー企画などが行われている。 (「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 417 スローなブギにしてくれ(I want you) 南佳孝

2018-08-29 23:35:10 | 日記
「スローなブギにしてくれ」は片岡義男の小説のタイトル。・・・何と小説もかわったなあ、と私は感慨無量でした。それに唄が出来た。これも驚きでした。・・・しかし、カッコイイです。聞きほれます。

スローなブギにしてくれ(I want you) 南佳孝


南 佳孝(みなみ よしたか、1950年1月9日 - )は日本のミュージシャン


略歴

東京都大田区出身。子供の頃から兄や姉の影響で洋楽ばかりを聴いて育ち、中学時代には仲間とともにバンドを結成した。このバンドではジャンケンで負けたためドラムを担当したという。そして中学生の時点から既に「音楽で身を立てて生きていく」ことも決心していたという。また、明治学院大学在学中ジャズに傾倒していたことが後の曲作りに大きく影響している。

1972年にテレビ番組「リブ・ヤング」(フジテレビ系)のシンガーソングライターコンテストで3位になり、翌1973年9月21日に松本隆プロデュースによるアルバム『摩天楼のヒロイン』でデビュー。この日、文京公会堂にて行われた“ラスト・ライヴを迎えたはっぴいえんど+α”のイベント「CITY-Last Time Around」への参加がデビューステージとなる。

その後、ティン・パン・アレーの『キャラメル・ママ』やムーンライダースの『火の玉ボーイ』などに参加するなどし、1976年には自身による全作詞・作曲のアルバム『忘れられた夏』を発表する。1979年に発売された『モンロー・ウォーク』を郷ひろみが『セクシー・ユー』のタイトルでカバーし大ヒットした。その後、他のアーティストへの楽曲提供やコラボレーション、プロデュース、映画音楽、CMソング、さらに音楽以外ではナレーションなどもこなす。

「都市生活者」や「男性のクールな心情」をテーマにした楽曲も多く、「アーバン・ポップ」の旗手として若い世代のアーティストにも影響を与えている。近年は趣味でもあるジャズ・ボサノヴァ・ラテンの要素を取り入れた音楽活動も行っており、声も磨かれ、経時的な音楽的止揚が明らかである。

『スローなブギにしてくれ』は、片岡義男の小説、またそれを原作とした日本映画。映画の主題歌として南佳孝による同名の歌も作られた。

あらすじ

夕暮の第三京浜をオートバイで走る青年は、白いムスタングから放り出された子猫と若い女を「拾う」。福生の旧米軍ハウスで男2人、女1人の奇妙な共同生活を送っているムスタングの男には、別居中の妻と子供がいた。ある日突然、同居男性が急死したことから、辛うじて保たれていた微妙なバランスが崩れていく…

小説

角川書店の文芸誌『野性時代』1975年8月号に発表され、野性時代新人文学賞を受賞、直木賞候補にもなった片岡義男の短編小説である。奔放な少女に振り回される男たちの弱さと優しさを描いた、作者の代表作のひとつである。1976年3月に角川書店から、本作を表題作とした短編集『スローなブギにしてくれ』が単行本として出版され、1979年6月には角川文庫版が刊行された。その後、絶版となったが、2001年7月に加筆・修正を加え、再編集した同名の短編集が角川文庫より再び出版された。

(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 415 コスモス街道/狩人

2018-08-24 23:36:28 | 日記
一昨年、『あずさ』という電車の実物を松本駅で見ました。感激一入でした。私的にはこの『コスモス街道』の方が好きです。メリハリの利いた歌声はキリツとしていて気持ちが爽快になります。

コスモス街道/狩人



狩人(かりゅうど)は日本の歌手グループ。兄・加藤久仁彦(デビュー時を含む一時期、本名の邦彦名義で活動。1956年9月19日 - )と弟・加藤高道(1960年1月21日 - )の二人による兄弟デュオ


概要

2人は愛知県岡崎市の出身。名前の由来は、2人の恩師である作曲家・都倉俊一から、「いつまでも大ヒットという獲物を狙い続けるハンター(狩人)であれ」といわれて名付けられたもの。なお、グループ名の有力候補として“みつばち君”なるものがあったといわれる。
1977年3月25日発売の『あずさ2号』でデビュー。同曲はいきなり大ヒットを飛ばし、また同年暮れの第19回日本レコード大賞など数々の新人賞を受賞、人気を得る。同曲でサンレモ音楽祭などにも出場。以降も『コスモス街道』『若き旅人』『アメリカ橋』などのヒットで、スター歌手の地位を築いた。年末恒例のNHK紅白歌合戦には1977年・第28回(あずさ2号)、1978年・第29回(国道ささめ雪)に2年連続で通算2回の出場を果たす。当時の所属事務所の意向もあって、若手の歌手としては珍しく、物静かなトーンで売り出していた。なお同期デビューには、当時「フレッシュ三人娘」と呼ばれた高田みづえ・榊原郁恵・清水由貴子のほか、清水健太郎、太川陽介などがいる。

NHK総合テレビ・レッツゴーヤングでは、デビュー時の1977年4月~翌1978年3月迄サンデーズの一員として、1978年4月~翌1979年3月迄司会者として、ほぼ毎回出演していた。
以降は大きなヒットには恵まれなかったが、ドラマやCMに楽曲が採用され特に1994年歌謡バラエティー番組THE夜もヒッパレ出演で再ブレイク。翌年、『あずさ2号(ニュー・ヴァージョン)』をリリース。その後二人は歌手以外に自らの才能のテリトリーを広げようという意図から、それぞれ歌手・舞台俳優としてのソロ活動も行うようになる。

煙草のポイ捨て撲滅運動に参加し、キャンペーンソング『どんポイ!(Don't Poi!)をリリースし、ヒットした。また初のレギュラーラジオ番組として『狩人 ときめきの扉』などにも出演。
2006年3月19日には、デビュー30周年コンサートと、プロ野球OBチームマスターズリーグとの野球試合を東京ドームで開催し、主催者側発表で2万人の観客を集めた。岡崎友紀、伊藤咲子、三善英史らと“青春コンサート”と銘打った懐メロコンサートで全国を回る。
しかし2007年4月26日、同年12月31日をもって狩人を解散することを発表。一旦解散の後、兄の久仁彦は(アマチュア)ボクシングとソロ歌手活動を行い、弟の高道はソロ歌手活動も含めた人材派遣業を行っていた。

2010年11月、久仁彦が森田公一の抜けたトップギャランにリードボーカルとして加入し、「加藤久仁彦&トップギャラン」としての活動を開始。同年12月25日には、狩人として愛知県のホテルトヨタキャッスルにて「クリスマスディナーショー」を開催。翌2011年1月、久仁彦が所属事務所「夢グループ」を移籍。同年5月25日には加藤久仁彦&トップギャランがシングル青春紙風船(カップリング曲として『青春時代』を収録)を発売した。

2012年7月18日、5年ぶりに再結成する事を発表。同年8月18日放送のNHK「思い出のメロディー」に出演して『あずさ2号』を歌唱し、同年11月6日の「NHK歌謡コンサート」では『コスモス街道』を歌唱。現在兄弟二人は個別の歌手活動をこなしながら、狩人としても並行して再活動中である。
2018年7月頃、久仁彦の所属事務所である(株)トップカラーに移籍。(「Wikipedia」より)



あちこち「SYOWA」 414 湖愁  松島アキラ

2018-08-24 03:53:39 | 日記
私と同い年。星由里子もそうでした。こういう甘い歌声は青春歌謡と呼ばれていました。ああ、私はいい時代に生きていた訳ですね。

湖愁  松島アキラ



松島 アキラ(まつしま あきら、1944年(昭和19年)7月5日 - )は日本の歌手。愛称はスピッツ。


経歴

東京都中央区京橋出身。本名:松島重彦。作曲家の渡久地政信にスカウトされ、1961年9月5日、ビクターレコードから『湖愁』でデビュー。主に青春歌謡を歌う。

1962年12月31日、「第13回NHK紅白歌合戦」に『あゝ青春に花よ咲け』で初出場。
タレントとしても活躍し、「シャボン玉ホリデー」「私の秘密」「ジェスチャー」「ザ・ヒットパレード」などに出演。

映画でも、「命みじかし恋せよ乙女」「歌う明星 青春がいっぱい」「十代の河」「泣くんじゃないぜ」に出演する。
1998年2月1日には、25年ぶりとなるシングル『白い慕情』を発売している。

2008年7月、原宿クロコダイルで俳優の浜田光夫とジョイントライブを行った。
2009年3月10日-15日、博品館劇場で『銀座ACBへようこそ』に出演。

2010年10月27日、東京・五反田のゆうぽうとで開催された第37回日本歌手協会歌謡祭に五月みどり、ペギー葉山、雪村いづみらと共に出演した。
2012年10月10日、ゆうぽうとで開催された「秋の歌謡フェスティバル」に出演。(「Wikipedia」より)