とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

鉄板とアサリ

2010-09-30 11:41:35 | 日記
鉄板とアサリ



 NHKの朝ドラが代わって、「てっぱん」となった。舞台は尾道。
 「ゲゲゲ・・・」はやや地味なシーンが多いスタートだったが、今回は激しいやりとりが飛び交う動きに富んだシーンが多い。視聴率もいいようである。
 私は島根県人の一人として気を入れて「ゲゲゲ・・・」を見守ってきた。そして、近年にない傑作だと思っていた。だから、あまり新番組に期待していなかった。しかし、出だしからなかなか魅せる。キャストもいいし、脚本・演出もいい。主人公も新鮮な感じで好感を持っている。撮影はスタジオではなく、尾道で行われている。これもいい。
 私は尾道が好きで何度も訪れている。家族旅行や学校の部活での取材旅行等であの坂道を何度も上り下りした。林芙美子ゆかりの土地で、関係の小学校や高校を生徒たちと歩いて回ったこともある。志賀直哉が「暗夜行路」の構想を練ったという家もあった。文学者が愛した町である。
 「あんたたちはどこから来んさった」
 生徒たちと向島(島の民宿に泊まっていた)へ行く渡し舟の船着場で舟をまっていると、地元の人が声をかけた。
 「島根です」。「島根といっても広いから分からんが・・・」。「宍道湖の近くです」。そういうと、突然その初老の男の人は「宍道湖のシジミはまだ採れるんか」と訊いた。「ええ、年によって差はありますが、まあ、ずっと舟は出てますよ」。私がそう答えた。すると、「シジミ汁よりアサリ汁が旨いけえのお」と言った。私は、その言葉の真意が分かりかねたので黙っていた。すると、その方は、尾道で採れる魚の説明をながながと始めたのである。
 私の記憶に残っている魚はアナゴである。尾道の焼きアナゴの話は以前テレビで見たので、私は肯きなから聞いていた。聞きながら、この土地の人の温かい人情が伝わってくるのを感じた。
 私は、朝ドラの「てっぱん」を見ながら、そのことをダブらせて思い出していた。主人公の家族の会話のトーンに張りがあり、表情がいきいきしている。特に主人公の「あかり」という少女は新人ながらシャキシャキと動いている。海に飛び込むシーンでも何だか胸に迫るものを感じた。これは伸びる。いい役者になる。私は、そう思った。

憎いドット

2010-09-28 23:29:08 | 日記
憎いドット



 私はこの数年間、地元で開かれる大小の美術展はほとんど見た。古美術商の店もたくさん訪問した。また、ネット・オークションの画面では数え切れない作品を見続けてきた。テレビの「開運!なんでも鑑定団」は毎週欠かさず見ている。
 その間に私の絵に対する動物的な「勘」が形成された。真贋に関する目も大分鋭くなったと思う。また、私の絵に対する好みも分かってきた。
 ただ一番厄介なことは工芸画と肉筆の見分けがなかなかつかないことと、ネット・オークションの場合のディスプレイ上の画面に旨く誤魔化されることである。
 前者は、例えば油彩画の場合、画面のデコボコまで再現されるのでますます巧妙になってきている。水彩画などの場合、手彩色が施してあるのはますます見分けがつかなくなる。これは有名な逸話だが、彼の大観でさえ自分の作品の工芸画と真筆の見分けができなかったという。
 後者の場合、例えば「水彩画」としてあっても、画面上の写真だけでは真筆か印刷かの判別がつかない場合がある。書き込みで尋ねても、真筆だという返事が返ってくる。リトグラフ以外の所謂印刷ものは、二十数倍のルーペで見ると規則正しいドットが浮かび上がってくる。どんなに精巧な印刷でもたちどころに判別がつく。ところがディスプレイ上の写真ではルーペをあててもドットが出てこない。
 以前素晴らしい絵柄の水彩画を只同然の値で落札した。しかし、送られてきた絵をみてがっくり。ルーペの中に無数のドット。してやられた!! 安物買いの銭失いのことわざ通りの結果になってしまった。
 「写真を見て自己判断する」というのがネット・オークションの取り決めになっている。これは出品者の旨い言い逃れとなっている。「自己責任」という言葉が入札者の上に重々しくのしかかってくる仕掛けになっているのである。後でどこかへ訴えても恐らく犯罪として成立はしないだろう。第一そんな面倒な手続きをする落札者はいないだろう。
 心がけたいことは、自分の「勘」で判断し、曖昧な要素が少しでもあれば入札を避けることである。ドットはまことに憎い。
 
 
 

おだんごのヘアスタイル

2010-09-26 22:14:18 | 日記
おだんごのヘアスタイル



 ベルナール・シャロワの絵を見ていて、おやっ!! と思ったことがある。
 愛くるしい表情の女性画が多いのだが、ヘアスタイルにおだんごがよくあることに気づいた。
 シャロワは、1931年フランス、ロレーヌに生まれ、 1953年にはモンマルトルのアトリエ・ド・ジョワに入り、デッサン、油絵、リトグラフを3年間学んでいる。1957年頃から主として、ポスター、本や雑誌の挿絵の制作を行い、 1959年に世界的に注目され、ヨーロッパ、カナダ、アメリカの大雑誌に続々と、彼のイラストや政治家の肖像画が掲載された。
 すると、彼が活躍した1950年代、1960年代にはフランスでかなり流行っていたと思われる。ということで、このヘアスタイルについて少し調べてみた。
 シニヨンというヘアスタイルは、17世紀にはすでに存在しており、当時は後頭部で丸くまとめてピンでとめる簡単なものであった。18世紀ではシニヨンを大きくしてボリュームを持たせたものが多くなり、この頃のフランスではあまり上の方に作られていない。19世紀になると、高い位置で作ったシニヨンを広げるスタイルも見られるようになる。1920年代にはポピュラーな髪型となっていて、いくつかのバリエーションをみせている。しかし20世紀中頃にはスポーツが一般的になるにつれ、髪をショートにする女性が増えたため長い髪が必要なシニヨンの数は以前よりも減っていった。1960年代後半から1970年代初頭には、エトワーディアンスタイル(胸を強調して。ウエストを絞って、ふわっと広がったスカートのドレス)の流行によって、それに似合うヘアスタイルという形で再びシニヨンも脚光を浴びた。ファッションショーでは衣装を目立たせるために、髪が衣装にかからないシニヨンが多用されるようになっていく。また、浴衣や和服と合わせることも多い。
 現在では、ヘアピースを使ってショートでもできる手軽なものや、シニヨンにリボンなどで飾りつけるという楽しみ方も出てきており、一般的な髪型のひとつになっている。シニヨンを包む布飾りをシニヨンキャップ、根元の周囲に巻き付ける飾りをシュシュ(chouchou)などと呼び、どちらも手軽に装着できるようにゴムを入れたタイプの既製品が販売されている。(Wikiより)
 なるほど、なるほど。シャロワの時代と一致する。私はすごく合点してしまった。
 しかし、明治生まれの今は亡き祖母もおだんごをしていた。日本髪でも用いられていたことはどう解釈したらいいのだろうか。フランス、いや広く西洋から入ってきたものか。それとも偶然に日本独自な形で出来上がったものか。
 私は、女性の髪のことにはあまり関心がないのだが、不思議となんだかファイトが湧いてきたのである。どうでもいいことに拘るのが私の悪い性癖である。こまったことだ。

モネの家

2010-09-25 22:56:33 | 日記
モネの家






 クロード・モネ(1840年 - 1926年)は日本人にも広く親しまれている「印象派」を代表するフランスの画家である。「光の画家」の別称があり、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家であった。
  晩年彼はジヴェルニーに定住する。そこはパリの北西およそ80キロ。ノルマンディー地方に抜ける道の途中にある。私はモネの画集で花が咲き乱れる自宅の絵を見たことがある。
見た途端、私はそういう家にすごく憧れるようになった。
 上の絵はモネの家ではないが、私の好きな絵の一つである。
 咲き乱れているのは、タチアオイの花のような感じがする。それともバラだろうか。違っていてもいい。それは問題ではない。私は、こういう家に一日でもいいから住んでみたいと思っている。
 家の周りにせっせと花を植えているのもそういう夢の表れである。もちろん絵のような花を楽しむには植物の管理という大変な労働が必要となる。私はちっともそんなことは厭わない。
 こういう家でのんびりしたいのかというと、そうではない。バリバリ仕事がしたいのである。作物を作り市場に出したいし、近所の子どもたちを集めて塾のような活動もしたい。孫が通学するのに遠くて苦労するかもしれない。娘夫婦の通勤、買い物にも不便だろうと思う。でも、別居はしたくない。反対を押し切って移り住みたいのである。
 この絵は水彩画である。淡い踊るような色彩に溢れ、限りなく私を手招きする。 

白い彼岸花

2010-09-22 22:25:02 | 日記
白い彼岸花





 秋分の日の今日、妻と孫娘を車に乗せてススキを採りに新建川の河口付近に出かけた。今日は猛暑を打ち消すかのような爽やかな秋の日差しが降り注いでいた。孫と娘がお月見の団子を作ったので、家でお月見をしようということになったのである。
 川面から涼しいというより少し肌寒い風邪が吹き上がってきた。土手の下には白いソバの花が一面に咲いていてなかなかの風情だった。目的のススキを数本採って土手を見渡すと、吾亦紅(ワレモコウ)の大きな株があった。小豆色の地味な花がたくさん咲いていた。
 こりゃちょうどいい。ススキに添えて生けようということになり、三本ほど摘んで車に乗った。車中から眺めると、すでに稲刈りがしてある田んぼもあって、私はいままでの猛暑をしばし忘れて秋を体感していた。
 すると、妻が言った。「何だか物足りないねえ」。私はその言葉の意味が分からなかった。「どうして」。すると妻は「今年は田んぼのへりに彼岸花が咲いてないね」と言う。
私は目を凝らしてあたりを見た。なるほど少しも赤い花の色が見当たらない。私もそのことに気づいて、少し寂しく感じた。
 今年の異常な暑さはいろいろな方面に影響を与えている。自然の運行が大きく狂ってしまっているのである。
 刈り取りが終わった田んぼのへりに咲く彼岸花。その赤い色が心に染みこんで秋の訪れを感じる 。そういう情緒が今年は消えていたのである。
  

 墓地までの道しるべなり曼珠沙華   桑垣信子


 私は、帰ってから彼岸花の句を調べていて、ふとこういう句に引き込まれた。
 私の今の心境を代弁してくれている。徐々に墓場への距離が短くなってきている。そうか、道しるべか、旨い表現だ。私は一人で感心していた。
 いや、この作者はもっと前向きなのかもしれない。私はそう思い直した。作者は恐らく彼岸の墓参りに出かけたのであろう。久しぶりの墓参。その道の両側に歓迎するかのように赤く咲いている彼岸花。作者は恐らく嬉しかったに違いない。
 それにしても、その彼岸花が咲いていないのは寂しい。私は無性にその花が見たくなった。それから、検索サイトで彼岸花の画像を探し出し、拡大して楽しんでいた。
 たくさん見ているうちに、白い色の花の写真を発見した。
 白い彼岸花 ??
私は、そういう花があることは知っていたが、実物にお目にかかったことがなかった。じっと見ていると、不思議な花のように思えてきた。何か、あの世から舞い降りた花のように思えたのである。
 もし、上の句の作者が見た花が白い色をしていたら・・・。
 まさかと思いながら、白い「道しるべ」の花が咲き乱れている光景を夢見心地で想像していた。・・・こりゃ間違いなく天国への道だ。
 私は、夜、孫たちと縁側でお月見をしながら、月の色と白い花の色を重ねて見て、一人だけ幻想的な気分になっていた。