とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

「母」と会う

2013-12-29 23:22:55 | 日記
「母」と会う




  天の橋立


大江山いく野の道の遠ければ
      まだふみもみず天の橋立

      小式部内侍 (『金葉集』雑上)


 ある日小式部内侍は歌合に招かれたが、その頃、母の和泉式部は夫とともに丹後国に赴いており不在だった。そこで、同じ歌合に招かれていた藤原定頼が、意地悪にも「歌は
如何せさせ給ふ。丹後へ人は遣しけむや。使、未だまうで来ずや」と尋ねた。つまり「歌会で詠む歌はどうするんです? お母様のいらっしゃる丹後の国へは使いは出されましたか? まだ、使いは帰って来ないのですか」と、皮肉ったのである。そこで、小式部内侍が即興で歌で切り返したのがこの有名な歌である。


 私は母が天橋立の近くに移り住んだことを聞き、あちこち訪ね回って、やっとのことで住まいに辿りつきました。広い庭があって、玄関は奥まったところにありました。私は落ち着いてチャイムを押しました。すると中から例の執事が出ました。お疲れ様でした。どうぞお入りください。執事は丁重に私を奥の座敷に通しました。ところで、ご用件の向きは・・・、と尋ねました。

 お願いがあります。どうか、母に会わせていただきたいのですが・・・。

 申し訳ございません。先生は生憎体調が悪く、いかなるお方ともお会いになりません。

 私の一生のお願いがあって参りました。ぜひ直接お話ししたいのですが・・・。

 お願い、・・・先生はその件はもうご存知だと思います。生野劇団の団長との仲をとりもって欲しいということだと推察していらっしゃいますが、間違いありませんね。

 そ、そうです。ですから直接お会いして・・・。

 何度も申し上げますが、先生はどなたともお会いになりません。

 しかし、どうしてもこのまま帰る訳には・・・。

 そうですか、では、先生に伺ってきます。もしかして、何か準備しておられるかも知れません。・・・そう言うと、執事は廊下に出て行きました。しばらくすると帰ってきて、私の前に座り、何やら手紙のようなものを座卓の上に置き、読み上げました。

 先生の伝言です。これから読み上げます。この手紙はお渡しは出来ませんので、しっかり聞いて頂きたいと思います。

 親愛なる我が息子へ。ようこそはるばる来ていただきました。これからの私の言葉は遺言だと思って聞いていただきたい。私はもう僅かな命。最後の力を振り絞って貴方に伝えたい。私は貴女の母とともに生まれてきた諏訪の女です。貴方の母といままでずっと話し続けてきました。しかし、私も遠くへ旅立つ時が近づいています。最後に、貴方の悩み、願いに応えたいのですが、あちらの劇団に行く力はありません。いや、行かなくても何かしら私に出来ることがあります。それはひたすら念じることです。それしか私にはできません。貴方の思いは私の念じる気の中に封じ込められています。だからといってすべて成功する訳ではありません。それは決して私でも予測できません。しかし、私は、以前貴方に対して念じたウラヤスという言葉が通じたと同じように向こうの座長にも通じるはずです。これは確かなことです。しかし、それをどう受け取るか、受け取ってどういう動きに出るか、これは分かりません。ウラヤス、そうです、ウラヤスにウラヤスで応えるようであれば事態は急速に好転します。ですから、これからウラヤスの気を一斉に送り続けていただきたい。好転するかどうか・・・、じっと待っていただきたいのです。
 最後に、親愛なる貴方に告げておきたい。私がこと切れるとき、その瞬間に貴方に何かの力が生まれます。何か、それは言えません。大きな霊力。・・・うぬぼれてはいけません。そんな便利なものではない。場合によっては邪魔になるものかもしれません。しかし、この世の中で持っていて無駄なものは一つもありません。使い方次第でいかようにもなります。・・・私がこときれるとき。そのとき何かが・・・。

 以上でございます。

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私に出来ること

2013-12-27 21:49:42 | 日記
私に出来ること



「天使と格闘するヤコブ」(1855)ギュスターヴ・ドレ(1832-1883)フランスロマン派


 ギュスターヴ・ドレはストラスブール生まれ。13歳でリトグラフを制作し、15歳ですでに、パリの『ジェルナル・プール・リール』紙に挿絵を発表、16歳でサロンに素描で入選。早熟の挿絵画家である。素描家としてだけではなく、油彩画家としての活動もしていた。聖書、タ・フォンテーヌの寓話、ダンテの組曲などの挿絵を制作した。多作の画家でもあり、1856年だけで、700点もの挿絵を制作している。
 故郷へ帰ることになったヤコブ一行がヨルダン川の支流、ヤボクの渡しで一夜を過ごしていたとき、天使が現れてヤコブと格闘した。ヤコブが勝った。その時に「イスラエル(神が守る人)」と名のるがよい、と神からの祝福があった。(「ヴァーチャル絵画館」より)


 お義父さん、遅くなってご免なさい。やっと、金閣寺に帰ってきまました。綾乃さんも一緒です。今どこに居るんですか。・・・三朗が電話してきました。

 諏訪神社に居る。京都にもタケミナカタは祀られていた。諏訪町にあった。出雲と同じ御射山というところもあった。

 お義父さん、観光に来た訳じゃありません。慎重に行動してほしいです。

 いや、大事なことだ。諏訪のタケミナカタの命が佐久良を護ってくださっていることが分かった。諏訪は不滅だ。

 いや、それは分かりますが、不用意な行動はどうかと・・・。

 慎重さが足りないということか。分かっている。

 じゃ、そちらにこれから行きますから、動かないでいてください。

 いや、その必要はない。私は綾乃さんとは帰らない。

 えっ、どうしてですか。

 もう少ししておきたいことがある。

 えっ、どういうことですか。

 母に会って、今度のことを相談することにした。電話で事情を話したら、向こうの事をよく知っていた。座長とも会ったことがあるそうだ。・・・私にはそういうことしか出来ない。

 こんなときに直截的な行動はどうかと・・・。

 いや、母なら大丈夫だ。婉曲的にきっと旨く話してくれると思う。母と話をするのは今度が最後になるかも知れない。

 そうですかねえ。

 いや、大丈夫だ。・・・だから、ちょっと綾乃さんと代わってくれないか。

 そうですか。・・・じゃ、代わります。

 畝本さん、綾乃です。この度はお世話になりました。

 ごめんなさい。コーディネーター失格です。・・・で、どうでした。佐久良との話は。

 いや、ここでお話しはできません。舞台をご覧ください。すべて分かると思います。

 秘策があるということですか。

 ええ、まあ・・・。表向き敗走ということになるかも知れませんが・・・。

 敗走。いや、よく分かりました。さっき三朗にも話したんですが、これからは別行動ということでお願いします。私は、私にしかできないことがあるような気がしてきました。

 そうですか。分かりました。

 劇団としての統一行動が成功することを祈っています。私は側面的に援助したいと思います。

 ありがとうございます。私も体を張って舞台を務めたいと思います。

 貴女もいずれきっと新阿国座の看板になります。健闘を祈ります。

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美神の密約

2013-12-19 23:19:22 | 日記
美神の密約



 金閣寺

 「鹿苑寺は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺。建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣、舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺として知られる。相国寺の山外塔頭寺院である」(「Wiki」)たったこれだけの説明でも恥ずかしながらいくつか初めて知ったことがある。相国寺の塔頭だったのだ。何度も訪れたがそういう知識は全くなかった。そして、私たちが金閣寺と呼んでいるこの写真の建物は正式には金閣と呼ぶことも初めて知った。


 えっ、佐久良に会いたい!! 私は綾乃さんから電話を受けてとまどってしまいました。どうして私に電話したのですか。私が尋ねると、三朗さんからその後の事をきっと聞いていらっしゃると思ったからです、という返事。いや、何も知りません。そう私は何度も言いましたが、諦めようともしませんでした。じゃ、どういう用件ですか、と尋ねると、代役として出演するからには直接細かく伺いたいことがたくさんあるんです、という答え。私は参ってしまって、古賀所長に電話しました。すると、やっぱりそうですか、貴方なら何か情報を掴んでいるはずだと思ってました、と疑うような言葉が返ってきました。いや、私は何も知りません、ただ、仲立ちくらいは出来ると思います、三朗に問い合わせます。私は苦しまぎれにそう答えました。すると、所長は、それもコーディネーターの大事な仕事です、じゃ、尾辻綾乃さんの付き添いで出張してください、その方が彼女も心強いと思います、と言いました。思わぬ方向へ話が展開しました。・・・かくして私は三朗と連絡を取って、京都に出かけることになりました。


 もしもし、あっ、三朗?

 そうです。お義父さん、どういう用事でしょうか。

 ひとつお願いしたいことがあるんだけど・・・。あの代役の綾乃さんが佐久良にぜひ会いたいと言うんだよ。

 どうしてでしょう。打ち合わせなら電話でも出来ると思いますが・・・。

 いや、そこのところがよく分からない。何か芸の上での秘策があるのかも知れない。

 秘策ですか。・・・ええ、分かりました。それじゃ、こちらで段取りをしておきます。お義父さん、この前も言いましたように極秘で行動してください。こちらでこの度の事件の対応策として打ち出した統一行動のことは伝わっていると思います。まだその統一行動は全く動き出していません。向こうさんも出方を密かに伺っていると思います。ちょっとした躓きが大きな火種になることもありますから。

 うん、それはよく分かっている。それじゃ、明日の午前の飛行機で、・・・ああ、そうか、俺は飛行機だめなんだよ。・・・じゃ、八雲で。

 分かりました。二人で事務所に直行してください。絶対に他には立ち寄らないようにしてください。

 うん、分かった分かった。・・・そういう遣り取りをして、いよいよ二人は出かけることになりました。特急八雲で岡山まで行き、そこから新幹線に乗り換えて京都で下車。二人はすぐタクシーに乗りました。その間、二人はあま言葉を交わしませんでした。綾乃さんの表情がかたくて、入り込む隙がありませんでした。何かを思いつめているようでした。金閣寺の近くの事務所に着きました。三朗が奥の方から出てきました。

 じゃ、早速行きましょう。すぐ私の車を出します。・・・まもなく紺色の大型の外車が
玄関に着きました。ドアを開けて二人を乗せると大通りに出ました。

 そうですね、十五分くらいはかかります。・・・車は急に小さな道に入りました。私は、突然降りたくなりました。

 ちょっとここで降ろしてくれないか。

 どうしてですか。

 いや、私はただの付き添い、秘密の場所に行くことはちょっと・・・。

 口の堅いお義父さんですから、信じています。

 いや、いや、ほんとに・・・私は・・・行くべきではない。あの、金閣寺の池の辺りで待ってる。何時間でも待つからゆっくり話してきてくれ。

 遠慮なさらなくてもいいですよ。

 遠慮じゃない。行くべきではない。とんでもないことになるかもしれない。

 そうですか。では・・・。・・・そう言うと三朗は車を停めて、私を降ろしました。私は車を見送ってから、ゆっくりと金閣寺まで引き返しました。久しぶりに金閣寺の建物を間近に見ました。そして池の周りをゆっくり歩き、池に映った黄金の建物を見つめました。しばらく佇んでいると池の面にさまざまな姿が映りました。死んでいった家族の顔、私の命を支えてくれた医者たち、妻、娘とその家族、長柄さん、その他ご縁市場のたくさんの人たち、劇団のたくさんの役者たち・・・。

 今までありがとう。このまま池に飛び込んでもいい。・・・私は呟きました。そう呟くと、俄かに佐久良のあの事件のときのひきつった顔が浮かび上がりました。そして、綾乃の顔も。

 佐久良には翼がよく似合う。・・・そうだ、綾乃の話はそのことと深い繋がりがあるに違いない。・・・私は、その場にいるように、二人の会話が聞こえてくるような気がしました。
 
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天の声

2013-12-12 23:22:29 | 日記
天の声



 山川秀峰 「汐汲」



 同 「序の舞」


 山川秀峰は明治31年京都に生まれ、鏑木清方と池上秀畝に師事。秀畝に花鳥画を、清方に美人画を学んでおり、伊東深水、寺島紫明と共に、清方門下三羽烏と呼ばれた。昭和14年(1939年)、伊東深水たちと共に青衿会を設立、美人画家として活動している。版画の作品は少ないが、気品のある美人画を残した。代表作に「素踊」、「序の舞」、「羽根の禿」などが挙げられる。木版画になったものでは「舞踊シリーズ」があり、そのうち、「さらし女」の構図が卓抜で印象的である。他には「赤い襟」、「東京駅」、「信濃路の女」なども優れている。昭和19年(1944年)12月29日没。47歳。門人に志村立美がいる。「きいちのぬりえ」で有名な蔦谷喜一は山川秀峰に憧れて画家となった。(Wiki)
 没後50年経過したので掲載させていただいた。まことに端正な作品を描く画家である。私はこの画家の名前を聞くとすぐ「序の舞」を思い出す。上村松園の「序の舞」と比較して見て、あまりの違いに驚いているのである。どちらも好きな作品ではあるが。日本画の伝統的様式美を素直に感じることができる。


 勤務の日、私は、何かに導かれるようにご縁美術館に行きました。あそこで何か出来事が起こっているという予感がしたのです。美術館に入ると、事務員が、ああ、畝本さんお久しぶりですね、と言ってくれて嬉しくなりました。坂本館長も笑顔で迎えてくれました。しかし、何か雰囲気がいつもと違うので、展示室を覗いてみてびっくりしました。舞台衣装がずらりと並んでいたのです。

 坂本さん、これは・・・。

 ええ、私も作品がたくさん持ち込まれたときは驚きました。全部里見多歌さんの作品です。すごい意欲です。今度の出し物、二人の阿国の物語を衣装で知ることができます。

 圧巻ですね。・・・こういう衣装を見ていると、今度の事件が一層悔やまれます。

 里見多歌さんも気にしておられるようです。

 オーナーもでしょうね。

 もちろんだと思います。その点は、三朗君がよく知っていることと思います。

 三朗からこの前話を聞きました。全面戦争とか言ってました。

 そうなるかも知れませんね。私も不安です。

 配役を変えたり、稽古場の警備を厳重にしたりして対応しているみたいだけれど、ほんとに何が起こるか分かりません。

 ああ、その件で根上顧問がご縁市場のスタッフを集めて緊急集会を開くとか聞いてますが・・・。

 ええ、所長から聞いています。お昼休みのはずです。

 何を話されるんでしょうか。

 みんな動揺していますから、鎮めるために・・・。

 訓話ですか。

 いや、根上さんのことだから、すごいことを言いそうな予感がします。・・・そういう話をして私は美術館を出て、事務室に帰りました。所長とともに昼食をとっていました。すると、どこからともなく誰かが話をするような気がしました。事務室には私たち以外はだれもいません。・・・ウラヤス、ウラヤス、ウラヤス、・・・。どなたですか。私は心の中で呼びかけました。返事はありません。突然、私は所長に言いました。

 所長、浦安の舞いです!!

 えっ、浦安・・・。あっ、あの舞いですね。

 そうです、浦安です。戦争ではなく、浦安です。タケミナカタの敗走です。笙子さんにお願いしましょう。戦争ではなく、退却です。・・・私はそう言いながら劇場に行きました。場内は静まり返っていました。まもなく根上顧問が壇上に上がり、スピーチを始めました。

 緊急にお集まりいただき、ありがとうございます。ご存知のようにこのご縁市場始まって以来の緊迫した事態に遭遇いたしました。こうなったからには団結してあらゆる方策を講じて事故を未然に防がなくてはいけません。警察は毎日パトロールしています。しかしそれだけではいけません。不審者が入らないように全員が警戒をしなくてはいけません。各部署に於いて交代で警備員を配置してください。私たちは最大限の情報収集に努め、何かを掴んだら即座に伝達します。・・・それからむやみに恐れるのもいけません。お客さんへの対応がぎくしゃくしてはいけません。こういう時だからこそサービス向上に努めていただきたいと思います。万事に於いて冷静に対処していただきたいと思います。それから、本部事務局とオーナー、両劇団の代表者は連日会合を開いて対応策を練っています。ご安心ください。素晴らしい案が出来上がりつつあります。目には目を、ということではなく、劇団の総力を挙げて安らぎの舞台を作り上げます。ここの劇場も加わります。あらゆるメディア、マスコミにも連絡して、放送、報道していただく予定です。その案を申し上げます。・・・浦安の舞いです。京都のすべての神社にも協力していただく予定です。

 所長、これです !! 嬉しいです。ウラヤス、ウラヤス、・・・。・・・私は所長の手を握り締めました。

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