とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

明けない夜もある

2013-03-30 16:25:49 | 日記
明けない夜もある




 廃川地新川を見下ろす山の上にある斐川公園、2013年3月22日に訪れたところ白木蓮の花が満開でした。ああ、今年も見ることができた。そして、私は、今年も思いました。亡父にこの花を見せたい。父の眼は、終戦直後に光を失いました。私はその時3歳でした。しかし、私は不思議とその時の様子が分かるのです。記憶のずっと奥にしっかり生きています。
 ある朝、父は目覚めてもまだ周りが暗いことに気づき、ほんとに夜が明けたのか、と母に尋ねました。びっくりした母は、お父さんどうしたの、こんなに明るいのに、と問い返しました。すると父は、真っ暗で何も見えないと言いました。祖母も驚いてとんで来て、あんなに止めたのに・・・と言いながら泣き崩れました。・・・止めた? 私は言葉の意味が分かりませんでした。しかし、後で知らされました。父たち数人が私の家で・・・、ああ、これ以上ここで言うことはできません。
 父はそれから長い間入院生活をしました。母も付き添っていました。私も病院で寝泊まりしていたような気がします。祖母は眼病にご利益がある一畑薬師にほとんど毎日お参りして祈りました。しかし、少しも回復しませんでした。それから五十で死ぬまで視覚障がい者として不自由な生活を余儀なくされました。祖父が早死にしたので、母と祖母が商売をほそぼそと続けながら私たち兄妹を育ててくれました。
 木蓮の花は、そういう出来事を知っているのか知らないのかよく分かりません。ただひたすら咲き誇っていました。


 あっ、笙子さん、・・・写生ですか。・・・私は驚きました。笙子さんが山のてっぺんのお宮のところで盛んに下の風景を描いていました。

 今年も木蓮が綺麗に咲いたので、舞台の背景画にしようと思って描きに来ました。

 あっ、そうですか。京子さんも何か描いていましたけど・・・。

 そうですか。二人で分担しました。

 分担ですか。

 そうです。京子さんが黄泉の国、私が現世、ということで描いてくれと頼まれました。

 喜多川さんでしょう。

 そうです。喜多川さんから頼まれました。

 今日はお休みですか。

 いいえ、休暇を取りました。

 ああ、そうですか。

 郁子さんに少しでも協力しなくてはと思っています。・・・あっ、話は違いますが、治子さんの絵を父が随分評価していました。それで、父が治子さんにお願いをして、個展の準備をして貰っています。・・・銀座の画廊です。

 えっ、銀座。

 そうです。冴子さんも協力していただきました。

 えっ、冴子さんも・・・。私は千恵子の先日の笑い顔を思い浮かべて、複雑な気持ちになりました。

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母の声が聞こえる

2013-03-26 21:56:24 | 日記
母の声が聞こえる




 出雲市の北方、日本海に面した猪の目海岸にある「黄泉の穴」



 洞窟の内側から写した妻と治子のシルエット


 随分昔の話ですが、昭和40年代の夏、『出雲国風土記』に登場する「黄泉の穴」とされる洞窟がある旧平田市猪の目町の海岸に出かけました。『中国新聞』の企画シリーズ「島根の詩」の取材が目的でした。
 現場に到着して大きな横長の洞窟を発見したときは、はっと息を呑みました。思ったより規模が大きく、日本海に向かって吠えている獣の口に見えたからです。
 この地は昭和23年に漁船の船置き場として工事をした際、堆積土を取り除いたときに発見された洞窟で、その堆積土から遺物が発見されたといいます。弥生時代から古墳時代にかけての人骨が十数体。腕には貝輪がはめられ、稲籾入りの須恵器などの副葬品が埋められていたそうです。また古代の生活が分かる木器、貝類、獣骨、灰なども見つかっています。また、1700年前の女性の白骨が状態よく発掘されたそうです。洞窟は幅30m、奥行きは30m位。奥へ行くと天井が低くなっています。入り口付近は船着場になっていて、その先は狭く暗くなっています。奥からは水が滴るような音もしてきます。折口信夫の「死者の書」の冒頭の場面を髣髴とさせます。
 『古事記』には「黄泉比良坂(よもつひらさか)」と言われるあの世とこの世との境目を示す地名が出てきます。出雲の国に黄泉の国がある。私はこのことに若いころから強い関心を持っていました。

      黄泉の洞穴

  地に
  地虫が穴を穿てば
  黄泉の国に雫をもたらす
  地層は
  太古のままの横穴
  海人部の原始の火は
  絶えず紅い
  巌から垂れる闇の血の
  したたりをうけ
  洞穴がにわかに蘇る朝
  そこに海洋の神々の
  末裔が
  終わりを知らぬ
  舞いを始める
  風と
  波と
  雲を忘れた
  濃密な空洞の中
  幾千のさんざめきが
  湿地を這う


 海に向かっている洞穴だから海洋の神々との関係があると言われていたので、自然とこういう詩になりました。今改めて読み返しても私は違和感を感じません。
 そういうこともあって、京子さんが描いていた大道具の絵が私をひどく神秘的な世界にまた導いていきました。そして、その夜、不思議な夢を見ました。暗くて奥が深い洞窟の中で彷徨っている夢です。そして、漆黒の闇の中でふわっと浮き上がった人間の姿を見ました。若い女性のような感じでした。盛んに私を手招きします。顔をよく見ると、死んだ母によく似ていました。その顔がいろいろに変わっていきました。母だと思っていたら、京子さんの顔になったり、郁子さんの顔に変わったり、そして笙子さんの顔に見えたりしました。私は思わず「お母さん」と呼び続けました。しかし、その幻はどんどん奥に入っていきました。私は追いかけながら猶も叫び続けました。

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鍵を返さなくては・・・

2013-03-23 22:27:16 | 日記
鍵を返さなくては・・・
 



 浅井 忠「Morning Sun」


 披露宴が終わってからしばらくの間、私はすべて成し終えたというような虚脱感にとらわれていました。数日後、変なというか、ちょっとしたことを思い出しました。それは長柄さんから受け取った合鍵を返していないことでした。これは失態、大切なことを忘れていた。そう言えば、京子さんの家に長らく行っていない、そうだ、久しぶりに・・・。そう思うと私は何かに後を押されるような気持ちになり、ある朝、京子さんの家に車で出かけました。ところが・・・。

 
 家が消えている。確かここに門があって・・・、そのすぐ奥に玄関があったはず・・・。・・・草地を朝日が照らしているだけだ。場所を間違えたかもしれない。・・・いや、確かにここだ。そうだ、椋の木が目印だ。・・・ない、木もなにもない。草だけだ。私は今まで夢を見ていたのかも知れない。京子さん、長柄さん、冴子さん、笙子さん、郁子さん・・・、どこへ消えたのか。私は何をしてきたのか、夢だとしたらずいぶん長い夢だ。悪夢。いやそうではない。すばらしい夢を見ていたと思いたい。・・・しばらく佇んでいて、そうだ、長柄さんに電話しよう、と思いました。

 ああ、長柄さん、今京子さんの家のとこにいるんですけど、なんにもなくなっていて・・・、あの、大事なこと忘れてました。鍵です。鍵を返しにきたんですけど・・・。

 分かりました。すぐそちらに行きます。・・・しばらくして長柄さんが近づいてきました。

 鍵ですか。ごめんなさい、貴方に話していませんでした。引っ越しました、四人で。

 ええっ、引っ越した。

 そうです。

 どこへ。

 統合した新しい小学校の近くです。

 新築したんですか。

 いやね、空き家を買い取って改築したんです、アトリエを広くとってね。

 壊すこともないと思うけど・・・。

 いやね、更地にして不動産屋に引き取ってもらったみたいです。

 不動産屋。

 そう。でないとなかなか買い手はつかない。

 今まで夢を見ていたかもしれないと思って呆然としていました。

 夢。

 ええ、いい夢ですよ。

 貴方はまだ早合点の癖が抜けないね。

 安心しました。・・・ところで、二人の仕事は・・・。

 最近は、舞台の大道具の絵を描いてます。すごい大きな絵で、てこずっているみたい・・・。

 子どもさん大きくなったでしょうね。

 いやー、もう、あちこち動き回るもんで、婆さんも大変。

 会いたい・・・。

 あっ、そう。じゃ、これから・・・。そう言うと長柄さんは私の車に乗り込みました。十分くらい国道9号を走ると、長柄さんが前の大きな家を指さして、ああ、あそこ・・・、と言いました。二人は車を降りて、玄関に立ちました。すると、お母さんが孫を連れて出てきました。

 やあ、いい家ですね。京子さんたちは仕事ですか。

 ええ、見てやってください。・・・私たちはアトリエに案内されて入っていきました。
思ったより大きな絵で、暗色系の色彩で塗ってあるので、私は脚本に対して抱いていたイメージが変わりました。

 京子さん、これはどういう場面ですか。

 黄泉の国です。

 えっ、黄泉。

 そうです。

 ということは・・・。

 そうです。ストーリーが大きく変わりました。喜多川さんの指導が入って・・・。

 喜多川さん・・・。

 そうです。あの方の発想はすごいです。

 具体的にどう変わったんですか。

 いや、まだお話ししない方が・・・。私は絵を見ていて、暗い空間に体が吸い込まれていくような感じがしました。

 
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二つの結婚式

2013-03-17 23:34:35 | 日記
二つの結婚式




 「花の洗礼」藤田嗣治

 藤田嗣治は西洋画と日本画の融合を試みた画家と言われている。この作品も仔細に見ると、描線が繊細で、色彩が淡い。人物の表情や仕種にも日本画的な雰囲気を感じる。ごく個人的な印象だが、釈迦三尊像を念頭に置いて描いたような感じもする。


 私のところに二通の招待状が届きました。郁子さんと笙子さんの結婚披露宴の招待状でした。開いてみると、日時、会場が一致していました。会場はご縁市場の体育館でした。いよいよかと思い、長柄さんに連絡すると、彼にも届いていました。古賀所長に連絡して確かめると、詳細な内容が明らかになりました。郁子さんは出雲大社で、笙子さんは氏神様でそれぞれ式を挙げ、二組が合同で披露宴をするということでした。古賀さんは「三美神の活動拠点が定まりました」と言って喜んでおられました。会費制で質素に行うことも案内状から分かりました。それから、どちらもご両親が出席されるということも分かりました。すると、出雲大社の方はマスコミや見物人が押しかけてごったがえすだろうし、笙子さんの式はひっそりと行われるだろうと私は想像していました。式の前日電話があり、治子も千恵子も招待されていることを知りました。
 挙式の当日、私と妻は興奮を抑えきれないまま披露宴の会場に向かいました。ご縁市場に着くと、駐車場にはもうたくさんの車が止めてありました。タクシーもひっきりなしに出入りしています。受付には顔見知りのお方がたくさん手伝いしていました。体育館に入ると、暗幕を下ろして照明効果を計算し、ほどよい明かるさが雰囲気を醸し出していました。湖笛の照明スタッフのプロの技術を感じました。並べられたテーブルには「寿」とか「愛」とかの表示がしてあり、ホテルの結婚式場を思わせました。すでに座っている人もありました。私たちは「幸」というテーブルで、名札を見ると、長柄さんや治子、千恵子、そして三朗の名前もありました。料理は豪華とは言えないもののお祝いのおもてなしの気持ちが籠ったメニユーでした。舞台には花で飾られた二組の新郎、新婦の席が準備してあり、左端と中央にマイクが設えてありました。・・・しばらく妻と雑談していると、長柄さんが座り、私たちのテーブルもすべて揃いました。「千恵子、子どもはどうしたんだ。」私が聞くと、「悪いけど姉さんの旦那さんとこに・・・」と言いました。「そうか、大変だな。」と言いながら、私は、関係者だけに絞らないと人数が膨らむだけだからしかたがないかと内心思いました。やがて舞台左端のマイクに進行係の女性が立ちました。見ると、今回もまた長柄さんの娘さんでした。録画スタッフやテレビ局の関係者がカメラを担いで前の方へ動き出しました。


 ただいまより、鈴木、坂本ご両家、および遊木、小仲ご両家の結婚披露宴を開催いたします。ご多忙の中、ご出席いただきありがとうございます。それでは、新郎、新婦の入場でございます。盛大な拍手でお出迎えください。・・・私たちはエスコートされ舞台に立ち現れた二組の新郎、新婦を注目しました。すべて洋装でした。豪華にドレスアップしているとは言えない雰囲気の目立たない服装でした。それを見て、私は却ってぐっと込み上げてくるものを感じました。これでいい、これでいい。私は何度も心で呟きました。長柄さんも涙ぐんでいる様子でした。

 それでは新郎、新婦のご両親のお礼のご挨拶をお願いします。・・・すると、下手から合計8名のこれまた洋装のご両親が現れ、舞台中央のマイクの前に整列しました。私は、最初おやっと思いました。順序が全然違うのでは・・・。しかし、両親の挨拶を先にした理由が挨拶を聞いて理解できました。

 最初に遊木、小仲ご両家を代表して、ご新郎のお父様、お願いします。

 この度はこのような盛大な会を催していただき、ありがとうございます。本来なら私共がおもてなしをしなければなりませんが、ご縁市場のそれこそ尊いご縁によって結ばれた夫婦でございますので、皆様のお気持ちに甘えさせていただきました。私たちは地元でございますので、これから一層皆様のお世話になることと存じますが何卒よろしくお願いいたします。二人はこれから一層修業し、神に仕える心構えを磨きますので将来ともに温かく見守っていただきたいと思います。簡単でございますが、ご挨拶に代えさせていただきます。

 ありがとうございました。続きまして鈴木、坂本ご両家を代表して、ご新婦のお父様、お願いいたします。

 こんにちは、私はご縁美術館でお世話になっています坂本でございます。郁子に出雲の地にご縁をいただき大変感謝しています。また、先般中村仙女の公演をこの会場で行いました折には多数ご来場いただきありがとうございました。今日は仙女もこの目出度い席に馳せ参じております。後程皆さんへのお礼と新郎、新婦へのお祝いの気持ちを込めて日舞をご披露いたします。すでにご披露いたしておりますように郁子はいずれ2代目として独り立ちいたします。その日までこの劇場でみっちり修業いたします。どうか皆さんのお力で一人前にしていただき、本格的に舞台に立たせてやっていただきたいと願っています。長くなりましたが、これから夫婦が力を合わせて舞台芸を磨きますので、何卒よろしくご支援のほどお願い申し上げます。このような立派な祝宴を設けていただきありがとうございました。

 ありがとうございました。それではご両親は宴席にお付き下さいませ。・・・ええ、そういたしますと、乾杯に入らせていただきます。では、乾杯の音頭を古賀所長にお願いいたします。みなさんご準備ください。・・・よろしいでしょうか。では、古賀所長さんよろしくお願いいたします。

 僭越でございますが、乾杯の音頭をとらせていただきます。・・・新郎、新婦、また、ご両家とご参加いただきました皆様のご発展を祈念し、乾杯をいたします。・・・乾杯!!

 ありがとうございました。・・・それではこれから祝宴に入ります。いろいろな催し等お楽しみいただきながらお時間の許すかぎりごゆっくりお楽しみください。・・・会場は急にざわついて、むせ返るような熱気に満ちてきました。・・・まもなくすると和楽器の音が流れ、舞台下手から中村仙女を先頭に一座の踊り手が踊りながら登場しました。すると会場から大きな拍手が湧き上がりました。能の「鶴亀」を日舞にアレンジしたものだと説明されました。・・・それが終わると、小学校の校歌のメロデイーが流れてきました。ご起立くださいとのアナウンスがあり、配られた校歌の歌詞の紙を見ながら全員が歌い始めました。すると千恵子が舞台に上がり、歌いながら手で拍子をとりだしました。会場のお客は少しも奇異に思わない様子で手の動きに合わせて歌っていました。私は、じっと千恵子の顔を見つめていました。笑顔が輝いていました。
  
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生きる道

2013-03-14 00:26:12 | 日記
生きる道



 「輪転」青木 繁(1903年 石橋財団石橋美術館)


 治子と話したことが気がかりで、私なりに千恵子の生き方を考えました。三朗君と一緒に仕事をする道はないか。しかもスポーツで身につけた特技を生かして。私はこういう点
からいろいろと考えました。そこで思いついた仕事が俳優の体力づくりを担当するという分野でした。舞台に立って演技を続けるにはそれ相当の体力を養っておかねばならないと思ったからです。劇団には不可欠です。そこで、千恵子に連絡してみました。最初は気乗りがしないようでしたが、スポーツを裏方と結びつけた考えに関心を示したので、私はすぐに湖笛の松江監督に電話で連絡しました。すると、自分もそういうことを考えていたのでぜひお願いしたいという返事をいただきました。

 
 畝本さん、喜多川さんもそういう体力づくりに力をいれていらっしゃいます。私たちの劇団でも我流の体力づくりをしていたのではいけないなと思っていました。

 そうですか。千恵子もいろいろなことがありましたが、これからこういう仕事が出来ると前向きになってくれると思います。

 お父さん、あ、ご免なさい、畝本さん、治子さんも相当心配なさっていましたので、事情はよく分かっています。

 子どもがいますので、お手伝い出来る時間は限られると思いますが、負けん気が強い娘ですので、頑張ってくれると思います。

 基礎的なことを教えていただければ、団員は自分でやってくれると思います。ただ、私たちの劇団にはトレーニングの用具がありませんので、その点は工夫が必要かと思います。

 そのことは千恵子も分かっていると思います。

 ああ、ちょうど郁子さんが来ましたので、代わります。

 郁子です。治子さんから伺っていました。大変ですが、千恵子さんのキャリアがどうしても必要です。どうかよろしくお願いいたします。

 貴方にそう仰っていただくと嬉しいです。

 喜多川さんが近いうちに来られますので、そのときに詳細な打ち合わせをしていただきます。

 喜多川さん直々ですか。千恵子も喜ぶと思います。・・・どうか、どうか、よろしくお願いいたします。

 承知しました。期待しています。
 

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