とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

日本の少女

2011-12-29 23:02:43 | 日記
日本の少女




ゴッホ Vincent van Gogh(1853-90) オランダの後期印象派
 「ラ・ムスメ」(1888年) <ワシントン・ナショナル・ギャラリー>



 日本の女性を描いた画家は他にもいるが、私はこの絵に親しみを感じる。服装とか顔立ちはどこそこ外国人を感じさせる点もあるが、トータルに見ると、やはり日本人である。浮世絵を模写した作品もあるところから相当の日本通であったようだ。東洋的なものに憧れていたのである。
 ミレーは、ゴッホが最も賞賛した画家だったという。宗教的な主題を直接描くのではなく、働く農民に尊厳を与えるその手法は、聖書の世界に深く関わっていると考えたからである。また、1886年、ゴッホはパリの弟テオのところに同居したが、初めてそこでモネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどを目の当たりにした。印象派の影響で、ゴッホの絵はくすんだ色彩から、一気に生き生きした色彩へと変貌した。1888年南フランスへ行ってからは、作品は外見以上に深いものを主題として求め続け、ゴッホの心情を表現するようになり、ますます個性的になっていったという。そういう時期の作品である。

 えっ! 学芸員?

 そうです。言い忘れていました。・・・長柄さんである。いつものように突然電話してきたのである。

 学芸員を・・・。それで、資格をとったのですか。

 大学は芸大で、油彩を勉強していたとか聞いています。しかし、とったかどうかよく分かりませんね。

 油絵を・・・、道理でたくさんの画集を持っていたわけだ。

 そうですね。娘さん相当の情熱を持っていました。

 知らせてくれてありがとうございます。・・・しかしですね、貴方が娘さんと呼ぶのはおかしいですよ。名前を教えてください。あわせて両親の名前も。

 こりゃ失礼しました。えー、娘は京子、父は昌三、母は綾子です。

 それから、上の名前は・・・。

 菅田です。

 そうですか。菅田京子さんですね。

 そうです。

 で、この前のアトリエの件、何か名案でもありますか。私は叱られはしないのか気がかりなんですけど、・・・。

 怒ってもいいじゃないですか。あんなにいい家を空けておくのはもったいない。・・・いやね、京子さん学芸員の道を志していたのですから・・・、代わりに私たちか真似ごとでもしてやれば、・・・。

 それでですね。ご両親はそのこと、いや、アトリエじゃなくて学芸員になることを、・・・どう思っていたのですか。

 ああ、そのことですか、私はそのことについてはいろいろと聞いてました。

 どんなことですか。

 うーん、言いづらいのですが、ある画家が関わっているんですね。

 その画家、男でしょ。

 そうです。

・・・私はまた知ってはならない世界に足を踏み入れたと思った。とまれ、あそこへ年末の煤払いに行こう。私は身支度した。


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画家との出会い

2011-12-26 22:42:13 | 日記
画家との出会い




モネ「散歩、日傘をさす女」(1875)<National Gallery of Art, Washington, DC>

 こういう絶品の名作をこういうページに載せることにためらいを感じる。それほどほれぼれするような作品である。女性と子どもの表情はぼかしてある。ただ逆光に浮かび上がるシルエットとその背景としての空の色彩を描きたかったのである。
 印象派の代表的な画家のモネはこういう場面と構図で別の作品も手がけている。別の作品には女性の顔が全く描いてない。それほど光と影そして風を描きたかったのである。私はモネの最高傑作だと思って一人で合点している。こういう絵が家にあれば・・・、などと他愛ないことを思うことがある。こういう絵なら心中してもいいと思う(?)
 さて、次の作品である。この作品は私の家にある。
 この作品をここに登場させることは著作権に関わる問題が生じるのではないかと思いつつもとうとう出してしまった。多謝。
 画伯は彼の詩人千家元麿の次男である。名家の出であるにも関わらず名前は島根県内ではあまり知られていない。千家潔という。



 この画家は1919年生まれで、立教大学を卒業している。美術団体に属することを好まず、1994年に75歳で亡くなられるまで在野の作家として活躍したという。ギリシャ神話や日本の神話を主なモティーフとして描いたと聞く。
 さて、この絵をじっと見ていると、モネに通じるものがあると気づく。印象派の筆法を旨くとり入れているのである。
 長柄さんがアトリエの話をしていたが、もし現在ご存命ならあの空き家で活動して貰いたいと思う第一のお方である。そうだ、その後長柄さんとは話をしていないが、あの話はどうなっただろうか。


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風景画の誕生

2011-12-24 00:17:54 | 日記
風景画の誕生



『アレクサンドロス大王の戦い』



 風景画に目を転じてみよう。
 西洋画としての風景画は何時ごろ誕生したのか。私は強い関心を持っている。
 
 「アルブレヒト・アルトドルファー(Albrecht Altdorfer, 1480年頃‐1538年2月12日)は、16世紀前半に活動したドイツの画家。ドナウ派の代表的画家であり、西洋絵画史において、歴史画や物語の背景としての風景ではない、純粋な『風景画』を描いた最初期の画家と言われている。絵画のほか、建築、写本挿絵、版画なども手掛けた。(「Wiki」より)」

 上の絵は、現代の我々の感覚から見ると、風景画とは言いがたいものであるが、そう言えば戦いよりもそれを取り巻く風景が大きく描いてあって、人間の戦いという熾烈な営為が空しく感じられる。こういう鳥のような視点からものごとを眺める心を常に持っていると、人間の世界はもっと住みよくなっていくかも知れない。

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もう一本いかがです?

2011-12-21 23:16:15 | 日記
もう一本いかがです?



 ゴトン、ゴトン、という音がして、私が出てきたものを取り出すと、「もう一本いかがです?」という声が聞こえた。私は慌ててボタンを押した。するとまた、ゴトン、ゴトン、という音がした。取り出すと、「ありがとうございます。」という爽やかな女性の声か流れてきた。
 自販機で追加サービスを当てたのは初めてだった。私は子どものように嬉しくなった。「もう一本いかがです?」。素晴らしくいい響きの声。私は内蔵された自販機の女性の音声に癒されて至福の気分を味わった。機械に癒される?!。まことに寂しい話であるが、肉声より数段心の奥に染みこんだのである。バーチャルなものに癒されるということは、それだけ孤独の度合いが深化しているということか。いや、また難しい話になりそうなので止めるが、ここのところ滅入っていた私が元気になったことは事実である。



 例えばこのような絵を見ても大変癒される。これはだれでもそうだろう。
 誰の絵?? モネ??
 いやいや、フランス印象派のモリゾ(1841-1895)である。ブールジュ出身の女流画家。マネの弟ウジェーヌと結婚し、しばしばマネの作品のモデルにもなっている。
 そんなことを考えていたら例の長柄さんから電話があった。

 例の空き家の活用について名案は、・・・いやね、これは向こうの家族には話していないんだけど、何かあそこで活動をすればどういうリアクションがあるだろうかと思いましてね。

 えっ、活動ですか。

 そうです。

 すると私は、つまり、追い出されるんですか。

 いやいや、一緒にやりましょう。

 貴方の気持ちがよく分かりませんが。

 古民家の活用ということが今流行ってますね。

 ええ、それはそうですが。

 だからね。貴方と彼女の共通の趣味である絵画に関したことでも、・・・。

 ・・・。

 アトリエとして使ってもらい、絵の展示スペースとして活用するとか。

 アトリエ!!

 ええ、例えばです。私は長柄さんのこの前の「試す」という言葉の意味が少しずつ分かりかけてきたような気がした。

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女性絵描き

2011-12-18 23:55:57 | 日記
女性絵描き



 女性の絵描きは現代にはたくさんいるが、次の絵の作者が修業していた時代は稀だったようだ。私はこの画家の生涯と画風を初めて知って衝撃を受けた。



アルテミジア・ジェンティレスキ(1593年 - 1652年 17世紀イタリア、カラヴァッジオ派の女性画家)
「絵画の女神としての自画像」1630年代作(王室コレクション、ウィンザー)

 彼女の前半生はありのまま書くにしのびないほど過酷で熾烈である。
 父は絵描きだった。娘に望みを託した父はある男性の画家をつけて個人指導をさせる。ところがこの画家に何度も陵辱されたのである。たまりかねて教会に訴えるが信じて貰えず却って過酷な仕打ちをうけ、その加害者は無罪放免となる。
 悲しみに打ちひしがれていたが、結婚を契機に次第に本来の力量を発揮していく。そしてフィレンツェに移り住み、そこでメディチ家の援助を受け、すばらしい絵画の世界を築いていく。
 1616年、女性で初めて正式なアカデミーの会員となった。後にナポリに移り、そこで過去の代償とも言えるまことに平穏な日々を送ったという。 彼女は肖像画家として知られていたが、歴史絵画、宗教絵画が評判になり、並外れた女性画家としての名を残した。上の絵から画業に打ち込む並々ならぬ気魄を感じ、私はもう何も言えなくなった。
 繭篭りの家の彼女もこの画家のことは知っているに違いない。


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