とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」723 どうぞこのまま

2021-06-30 01:03:45 | 日記
雰囲気がいい。キャリアを感じます。

どうぞこのまま



丸山 圭子(まるやま けいこ、1954年5月10日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身のシンガーソングライター、作詞作曲家。洗足学園音楽大学客員教授。


人物

1954年5月10日、埼玉県浦和市岸町(現:さいたま市浦和区)出身。

3歳からピアノも習っていたが、中学に入ってフォークソングが盛り上がりをみせていく中、友達のギターを借りて、ジョーンバエズから始まって、五つの赤い風船、ベッツィー&クリスなどを弾き語る。その頃はまだ音楽よりもスポーツが中心の毎日だった。

高校に入り、あるときにどうしてもギターが欲しくなり、丸井でローンで買ったギターを自宅に持って帰ったら、母親はびっくりしたという。友達3人で「サンデースプリング」というバンド名で練習していくも、当時はフォークギターを持つだけでも、問題視される時代で、職員室に呼ばれたという。カバー中心で練習して、遊びでオリジナル曲を作る程度の活動だった。そんな中、ニッポン放送主催「VIVA唄の市」に出場するも、落選して諦めていたところ、「再度挑戦しませんか?」というハガキが来た。受験について悩んでいた時期で、バンドも活動していなかったので、個人で当時流行っていたフランス語の「ただ愛に生きるだけ」でオーディションを受ける。次の予選までの間に、「オリジナルで出たほうがいい」というアドバイスから、真剣に曲作りをして、「しまふくろうの森」を完成させる。1972年7月の予選当日は雪が降って、風邪を引いて体調も悪く、会場では友達がたくさん来てくれて、会場票の影響もあって入賞したのかと本人は思っていたが、実際は曲がよかったとの評価だった。そのまま全国大会でも入賞。

同年11月、エレックレコードよりアルバム「そっと私は」、シングル「心の中の」を出す。その後、ピピ&コットに参加。解散後は、キングレコードに移籍し、1976年3月に「ひとり寝のララバイ」をリリース。同年7月にリリースした「どうぞこのまま」が翌年にかけてロングヒットした。

1993年に二人目の子どもを授かった辺りは、夫の佐藤準も忙しい時期で、子育てと仕事の両立を目指すもうまくいかず、そういった関係から夫婦中もぎくしゃくして、離婚調停が続いていた。1995年頃、ひどい貧血と、月経の際に大量の出血があるなど続き、地元の病院で診てもらったら、卵巣嚢腫であることがわかった。即入院の上、手術を受ける。無事に手術は終わり、入院期間中に知り合った同室の女の子に音楽を教えることになり、そこから口コミで生徒が増えた。父も母も教育関連の仕事をしており、そこで育った環境から、「教育者の遺伝子」が覚醒したのかもしれない。

2009年12月31日、『第42回年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京)に生出演。

その後アーティスト仲間からの誘いで、音楽専門学校の講師に就任し、洗足学園音大の客員教授として、作詞作曲などを講義する。2018年にはアルバム「レトロモダン~誘い」を発売し、ライブ活動も行っている。
                                             (「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」722 潮風を待つ少女 ☆ 安達明

2021-06-24 00:57:17 | 日記
安達明。甘く切ない声。青春です。恋です。女学生です。私、サユリストです。・・・ところで、今どうしていらっしゃるのですか。えっ、亡くなった !!!!!!

潮風を待つ少女 ☆ 安達明



安達 明(あだち あきら、本名:長田 晴夫。1948年9月4日 - 2011年5月20日)は、日本の歌手である。

経歴
福岡県北九州市八幡出身。 恩師である遠藤実作品で1964年5月「潮風を待つ少女」にてデビューし、続いて8月に発売された2作目の「女学生」が大ヒットを飛ばした。女学生のアイドルとして人気が爆発したが、人気絶頂でありながら、デビューから3年で芸能界を引退。

所属していた日本コロムビアでは、未発表曲を含み34曲が録音された。引退後は銀座のスナック等で弾き語りをしていた。また、しばしばテレビ出演し、歌を披露していたが、2011年5月20日に亡くなった。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」721 アン真理子 / 悲しみは駆け足でやってくる

2021-06-17 04:06:01 | 日記
心の中でいつも流れているメロディーです。今の心境でもあります。明るく生きよう。でも、時々・・・。そんな感じで。

アン真理子 / 悲しみは駆け足でやってくる


アン 真理子(アン まりこ、1945年 - )は、日本の歌手、作詞家、女優である。本名は佐藤ユキ(さとう ユキ)。

来歴・人物

日劇のダンサー兼コーラス員としてデビューの後、平岡精二クインテット等のソロ歌手となる。
1966年、東京ヒルトンホテルのスター・ヒル・プラザに出演していたときに、出門ヒデと「ユキとヒデ」を結成。翌1967年デビューシングルをリリース。

ユキとヒデとしての活動と平行して、ソロ歌手藤ユキ(ふじ ユキ)としても活動。前者デュオはポリドールだが、後者ソロではビクター所属であった。

1968年、ユキとヒデ解散。藤ユキ名義の活動は続行。ヒデは同年、ヒデとロザンナを結成。
1969年、ソロ名義もアン真理子と改称、再デビューを果たす。
アン真理子、佐藤由紀(さとう ゆき)名義で作詞家として活動した。

1975年、映画『冒険者たち』(監督臼井高瀬、製作冒険舎)に娼婦役で出演。
1976年、週刊プレイボーイ(集英社)でヌードに。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 720 夢追い酒 渥美二郎

2021-06-05 17:01:38 | 日記
カラオケでこれを唄うと大変受けた時期がありました。声質が透明で高音がよく響くので、真似ようとしてもだめでした。しかし、この唄を聴くと若いころの二次会の思い出が新鮮に蘇ります。いい時代でした。

夢追い酒 渥美二郎



渥美 二郎(あつみ じろう、本名:渥美 敏夫、1952年8月15日 - )は、日本の演歌歌手。血液型はAB型。

来歴・人物

東京都足立区出身。駒込高等学校中退後、地元・北千住で流しの歌手として活動を始めるが、渥美本人はこれを“演歌師”と呼ぶ。大山倍達が名付け親となり「渥美健」の芸名で、1975年の東映映画『けんか空手 極真拳』の主題歌『空手道』で、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)から発売。1976年『可愛いおまえ』でソニー・ミュージックエンタテインメントからデビュー。1978年発売の『夢追い酒』は、翌1979年~1980年に掛けて約280万枚の大ヒットとなり、渥美の代表曲となった。ほか、1979年『忘れてほしい』、1981年『他人酒』、1983年『釜山港へ帰れ』などのヒット曲がある。

1989年にはスキルス性胃がんと診断されるが、克服する。2001年に日本コロムビア(2002年10月から2010年9月まではコロムビアミュージックエンタテインメント)に移籍。

2016年には歌手生活40周年を迎え「〜最後の演歌師〜」と題した記念コンサートを浅草公会堂で開催。ギター、ピアノなど複数の楽器を弾いてみせた。

2017年には演歌師時代から歌い続けて50周年を迎えたことから「演歌道50周年記念コンサート」を開催するなど精力的な活動を行った。

『愛のデュエット』を皮切りに「千寿二郎(せんじゅ・じろう)」の名で作詞・作曲も手掛けるようになる。(「Wikipedia」より)