とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」(番外)潮騒のメモリー (NHK連続テレビ小説『あまちゃん』挿入歌)

2020-05-31 17:12:35 | 日記
この朝ドラは別格。とにかくわくわくさせました。今でも残像が頭の中を駆け巡っています。この映像も元気の源。消さないで !!!

潮騒のメモリー (Shiosai No Memory)



「潮騒のメモリー」(しおさいのメモリー)は、小泉今日子が天野春子(小泉今日子)名義で2013年7月31日にリリースしたシングル。


制作

小泉にとっては、1999年8月4日に発売した「for my life」以来約14年ぶりとなるシングルリリースとな]。名義の天野春子は、2013年上期のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』内で小泉が演じている役名で、主人公・天野アキ(能年玲奈)の母親という役柄であり、このドラマの挿入歌として製作された楽曲である。

劇中では女優・鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の出世作であり、鈴鹿が主演を務めた1986年の正月映画「潮騒のメモリー」の主題歌として大ヒットした楽曲という設定で、第7週「おらのママに歴史あり」より使用されている。劇中では長らく鈴鹿の持ち歌として紹介されていたが、第16週「おらのママに歴史あり2」において、レコード化された「潮騒のメモリー」は音痴だった鈴鹿の影武者(代役)として若き日の春子が歌っていたことが明かされている。

この他、アキとアキの親友・足立ユイ(橋本愛)によるユニット「潮騒のメモリーズ」の持ち歌として、お座敷列車でのイベントや海女カフェでのイベントで披露されている。番組の最終盤では、鈴鹿ひろ美が2012年6月30日に海女カフェで行った復興支援チャリティーリサイタルで自らの声で披露した上で、2番歌詞の一部を変更している。この歌詞の変更は、北三陸鉄道開通式典終了後のアキとユイのお座敷列車でも採用されている。ドラマの脚本と作詞を担当した宮藤官九郎によれば、歌詞の変更は最初から考えていたものではなく、「鈴鹿ひろ美だったらこのまま歌わないだろうな」と思って、最終週の台本を書いている時に決めたという。なお、オリジナルのキーはCマイナー(ハ短調)だが、薬師丸は全音高いDマイナー(ニ短調)に移調したバージョンで歌った。伴奏はピアノ江藤直子、ギター大友良英、チェロ笠原あやの、ヴァイオリン丸山明子による四重奏で、事前に演奏した録音に合わせるのではなく、ドラマ撮影の一部として生演奏だった。

この曲は制作時点からドラマの全編にわたって重要な位置づけが与えられる楽曲として設定されており、ドラマ放送開始前の2012年9月から2013年にかけて制作された。宮藤は、ドラマのストーリーに繋がる「タクシー」「17」「北」などのキーワードを盛り込んだ上で「小泉さんが切なげに歌う表情を思い浮かべ約5分で書きました」と語った。小泉も「楽曲の世界観を大切に、もう全力で17歳のマーメイドな気分で歌いました。」とコメントしている。

この歌詞に曲を付けたのは、ドラマの音楽を担当している大友良英と、サウンドトラック製作に参加しているSachiko Mの共同作業によるもの(楽曲の骨格の部分、約7割ほどはSachiko Mが担当した)。大友とSachiko Mは1980年代のアイドルソングを研究しつつ「若い子が歌ってもかわいくなるように」といったドラマの演出担当からの注文も踏まえながら数か月にわたり試行錯誤(最終的にデモ音源ができあがったのは、年が明けた2013年1月1日[8])。レコーディングに入る前の段階で、大友とSachiko M、ストリングスアレンジの江藤直子 (Giulietta Machine) に歌唱の小泉とレコーディングや演出スタッフが加わってNHK放送センター506スタジオで最終的な作曲の打ち合わせが行われ、その際に、最後まで残った二つのバージョンの中から現在のバージョンが選ばれた。

さらに「波のように」は江藤のアイディアで、サビ前の「はげしく」の歌い上げや、終盤の「好きよ、嫌いよ」のフレーズほか細かいニュアンスに小泉のアイディアも盛り込みながら楽曲が仕上げられていった。また、このときに『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』の収録に来ていた坂本龍一が合間にスタジオを訪ね、エレピを使い十数分ほど皆で音を出しながら作曲打ち合わせに参加している。

「つかまえて」の部分のメロディは坂本によるもの。ここで決定した曲の完成形をもとに大友が全体のアレンジを、江藤がストリングスのアレンジを担当し、最終的にはビクターのスタジオで2日間にわたり録音が行われた。なおコーラス部分のアレンジは、高瀬"Makoring"麻里子を中心にサンズリバーズのメンバーが録音時にいくつものバージョンをつくり、最終的に現在のバージョンが選ばれた。

レコーディング時点ではストリングスやコーラスパートも加わった完全生演奏で行われたが、ドラマ内ではストーリーの展開上、この音源を元にギタリストの高井康生がアレンジしたオリジナルカラオケ音源が先に公開され、NHKのドラマスタッフが作成したカラオケ映像と共に公式サイト内で公開されている。

2013年12月31日放送の第64回NHK紅白歌合戦では「あまちゃん」のコーナー企画が行われ、潮騒のメモリーズ(能年・橋本)、天野春子(小泉)、鈴鹿ひろ美(薬師丸)によるリレー形式で本楽曲を歌唱した。なお、正式な出場歌手ではなくドラマの役名での歌唱ではあるものの、小泉は1988年(第39回)以来25年ぶりの出演で、薬師丸は歌手としては紅白初出演となった。(「Wikipedia」より)





あちこち「SYOWA」681 ビッグショー古関裕而

2020-05-23 17:04:01 | 日記
この映像も消されるのかな、と、びくびくしながら共有させていただきました。今の朝ドラの背景を知る素晴らしい映像です。

ビッグショー古関裕而



古関 裕而(こせき ゆうじ、 1909年〈明治42年〉8月11日 - 1989年〈平成元年〉8月18日)は、日本の作曲家。本名は古關 勇治(読み同じ)。1969年(昭和44年)、紫綬褒章受章、1979年(昭和54年)、勲三等瑞宝章を受章。

概要

福島で生まれ旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に通いながら仙台に通い、金須嘉之進に師事して、1929年、チェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選、日本人として初めて、最年少で国際的コンクールの入選履歴を得た作曲家である。

それを機会に山田耕筰の推挙で東京の楽壇に進出する。クラシック畑からポピュラー畑に転身、数多くの流行歌・歌謡曲や軍歌の作曲を手掛け、音丸の「船頭可愛や」、「露営の歌」、伊藤久男の「暁に祈る」、霧島昇・波平暁男の「若鷲の歌」、戦後には「とんがり帽子」や、二葉あき子の「フランチェスカの鐘」、藤山一郎の「長崎の鐘」、伊藤久男の「イヨマンテの夜」、織井茂子の「君の名は」、岡本敦郎の「高原列車は行く」ほか、数多くの大ヒット曲を生み出した。

他方で、中央大学応援歌「あゝ中央の若き日に」、早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」、東京農業大学応援歌「カレッジソング」、名城大学応援歌「真澄の空に」、三重県立四日市高等学校応援歌「希望の門」、 全国高等学校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの球団歌「大阪(阪神)タイガースの歌(六甲おろし)」、読売ジャイアンツの球団歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」、中日ドラゴンズの初代球団歌「ドラゴンズの歌(青雲たかく)」、東京五輪の「オリンピック・マーチ」、NHKスポーツ中継テーマ「スポーツショー行進曲」など、実に数多くの応援歌、行進曲の作曲を手掛け、和製スーザと呼ばれた。

気品ある格式高い曲風で知られ、現在でも数多くの作品が愛されている。古関が作曲した曲は5千曲に及ぶという。また、作曲の作業には楽器を一切使わずに頭の中だけで行ったといわれる。 (「Wikipedia」より)
 

あちこち「SYOWA」680 桜

2020-05-22 01:15:39 | 日記
桜                        瀬本あきら


 じいさんの腰は、直角に曲がっている。
 今年で数えの九十歳になる。
 しかし、ばあさんとの二人暮しなので、毎日の山行きが唯一の収入源である。
 その日も水平になった背中に、少々の薪を背負い込んで帰り道を急いでいた。ただ、急
ぐといっても、気持ちだけの早足であった。藜(あかざ)の杖をついている。
 「この薪を、酒屋の伸介じいに売って、魚と野菜を買い込んで、ばあさんに渡さねば・
・・・・・」
 ばあさんの喜ぶ顔が、じいさんの生きがいであった。
 ぐいぐいと背中の荷が、胸と腹を締め付ける。
 「・・・・・・こんなことでへこたれたら、二人とも飢え死にだ」
 じいさんは、地面にへたりこみそうになる自分の体をかろうじて支えていた。
 「○○じい、手伝ってあげようか」
 通りかかった子どもが声をかけた。じいさんは涙がでそうになった。しかし、断った。
 「いい大人になるぞ、坊は」
 きょとんとして子どもは立っていた。
 「いいから、いいから。母さん待ってるぞ。早くお帰り」
 子どもは、その言葉で諦めて、わき道の方へ駆けて行った。
 捨てる神あれば、拾う神ありか。そうじいさんは呟いた。そして、また家路を急いだ。
 後ろから車の音がした。あっという間にじいさんの脇を通り過ぎた。風圧でじいさんは
少しよろめいた。
 捨てる神あれば、拾う神ありか。じいさんはまた呟いた。そして、アスファルトの道の
表面を見つめた。
 「あれ、桜だ」
 本当に、白い花びらのようなものがちらちらと舞っていた。じいさんは、上目遣いで山
を見上げた。
 「まさか、桜の時期はとっくに過ぎている。葉っぱだらけの山だ」
 じいさんは、自分の目を疑った。もうろくしてからに・・・・・・。
 しかし、確かにちらちらと白いものが舞っている。じいさんはそのちらちらに近づいて、
じっと見つめた。
 「なんだ、やっぱりちがう。紙切れだ。しょうもない」
 気がつくと、すたすたとまた歩き出した。
 
 家が近づいてきた。腰には魚の藁苞(わらづと)がぶら下がっていた。
 すると、何故かまた目の前をちらちらと舞い上がるものが見えた。じいさんは、また思
い返した。紙切れだ。紙切れだ。
 「……しかし、待てよ。もうろくしたから、あれは本当の桜だったかもしれん。遅咲き
の」
 もう、じいさんは、どちらとも区別がつかなくなっていた。ただ、ちらちらと、ちらち
らと白い花弁が頭の中を舞っているだけだった。

同人誌「座礁」より転載

あちこち「SYOWA」(コロナに負けないで !!! )「負けないで」 (What a beautiful memory 〜forever you〜)

2020-05-11 23:15:58 | 日記
今の時期これが一番。撃退、コロナ !!!!ああ、涙が出てきました。いい唄です。

負けないで (What a beautiful memory 〜forever you〜)



「負けないで」(まけないで)は、ZARDの6作目のシングル。1993年1月27日発売。


概要

制作

前作「IN MY ARMS TONIGHT」から約4ヶ月ぶりのシングル。当初はB-Gram RECORDS第1弾作品として発売される予定だったが、b.gramとの契約関係の都合により、8cm CDとカセットテープの2形態で発売された。そのため、規格品番「BGDH-1001」は欠番になっている。

現行盤の規格品番「BGDH-1031」はB-Gram RECORDS設立後の1994年1月1日に発売権が移管された上で再発売されている。
作曲は2作ぶりに織田哲郎が手掛けた。クレジット表記はされていないが大黒摩季がコーラスで参加していることが坂井逝去後に明かされている[1]。元々は織田哲郎のアルバム用の楽曲だったが、坂井の詩をつけて歌ってみたところ非常に好評でシングル化された。織田の曲は特にイメージや設定もなく、自然に出てきたメロディーだったが、坂井の歌詞がはまった瞬間、プロデューサーの長戸大幸は「これは売れる!」と確信したという。

長戸によれば、この曲の歌詞は恋よりも夢を選んで遠くへ行ってしまう相手を応援する「遠距離恋愛」の歌だった。ディレクターの寺尾広は「このメロディーはこの言葉を言っている。そうとしか聞こえない」という話を坂井から聞いた。どこまで本当の話か尋ねてみると、微笑みと共に「秘密です」と返されたという。

坂井はレコーディング中に”最後まであきらめないで”から”最後まで走り抜けて”と歌詞を書き換えており、この楽曲について「当時、何作かずっと恋愛の詞ばかり書いていたので、今度は違うタイプの詞も書きたいなと思っていた矢先でしたので、このテンポ感のある曲を聞いたときに"応援歌っぽいな"ってすぐにイメージが湧いてきて一気に書き上げました。いつものシングルに比べてすごく自分でも楽しみながら書けた一曲です。」と語っている。当時のスタッフも「発売された時期的にも団塊ジュニア世代の受験生に向けてというコンセプトでした」と語っている。

ミュージック・ビデオは日本青年館で撮影された。 (「Wikipedia」より)