とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」705「悲しき天使 QUELLI ERANO I GIORNI」ジリオラ・チンクエッティ

2021-02-23 00:02:37 | 日記
ジリオラ・チンクエッティ。うわー,いたいた、こんなに美しかったんだ。学生時代が蘇りました。

「悲しき天使 QUELLI ERANO I GIORNI」ジリオラ・チンクエッティ GIGLIOLA CINQUETTI



ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti, 1947年12月20日 - )はイタリアのポピュラー音楽の歌手。イタリア・ヴェローナ出身。20ヶ月年上の姉がいる。

略歴

チンクェッティは、1963年のカストロカーロ新人コンテストで優勝。1964年、16歳の時にサンレモ音楽祭で「夢みる想い」 (non ho l'età) を歌い優勝、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1964 に同じ曲で臨み、イタリアからの出場者としては初の優勝を果たしたことにより一躍有名となった。またユーロビジョン・ソング・コンテスト勝者としては初めてUKトップ75にチャート・インした。

1966年には「愛は限りなく」 (Dio, come ti amo) が世界的ヒット。当時、カンツォーネ・ブームの日本では、ボビー・ソロと共に本国イタリアを凌ぐ人気となり、日本語の録音も残している。また、伊東ゆかり、弘田三枝子などの日本人歌手が彼女の曲をカヴァーしている。1979年に結婚、翌年二人の男の子の育児に専念するため引退してローマに転居した。その後、1989年のサンレモ音楽祭に出場を契機に完全に復帰、1990年にはデビュー25周年ツアーを欧州で行った。1991年、復帰後初のアルバム「Tuttintorno」を発売。以後も1993年に来日コンサート開催、1995年「Giovane vecchio cuore」でのサンレモ出場など、積極的に活動した。

2017年11月に、24年ぶりとなる来日公演を行った 。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」703 ビリー・バンバン / また君に恋してる(ビリー・バンバン ヴァージョン)

2021-02-17 22:51:47 | 日記
ソフトで温かい。この歌は永遠の魂です。

また君に恋してる(ビリー・バンバン ヴァージョン)




ビリー・バンバン(Billy BanBan)は、日本の音楽グループ。菅原孝、進の兄弟2人によるフォークデュオ。ハブ・マーシー所属。

メンバー

兄:菅原 孝(すがわら・たかし、1944年8月7日 - ):ボーカル・コントラバス担当。東京都国立市出身、慶應義塾大学卒業。
弟:菅原 進(すがわら・すすむ、1947年9月21日 - ):ボーカル・ギター担当。東京都国立市出身、青山学院大学中退。
特色として、兄弟デュオであるが、弁舌さわやかな兄の孝と、口下手な弟の進という対照的な2人のコンビとなっている。また、2人兄弟と思われがちであるが、長兄がおり3人兄弟の次男と三男の兄弟デュオである。

歴史

デビューから解散まで

1966年に当時青山学院大学の学生であった進が友人達四人組のバンドとして結成。翌年メンバーチェンジが行われ、孝とパーカッションの中野光雄(後のせんだみつお)の三人組のバンドとなる。

その頃から、アマチュアバンドに物凄い腕前の持ち主がいるとの噂が音楽業界関係者の間に広まり、浜口庫之助の指導を受け、紆余曲折を経てビリーバンバンは孝と進による兄弟デュオとして、「白いブランコ」でキングレコード(SEVEN SEAS)よりメジャーデビュー、20万枚を超える売上となり、一躍フォークシンガーの代表的存在として人気を得る。この曲は当初「星空のハプニング」のB面曲として発表される予定であったが、ニッポン放送のディレクター井村文彦のアドバイスにより、発表直前にA面とB面が入れ替えられたというエピソードがある。レコーディングで曲の冒頭にトランペットが勝手に入れてあり、これに怒った進がスタッフに抗議したという話がある。一方の孝は、与えられた曲を歌えばいいという考えで特に何も言わず、進のフォローに回ることが多かった。

その後人気は低迷するものの1972年、テレビドラマ『3丁目4番地』(日本テレビ)の主題歌である「さよならをするために」が約80万枚[2][4]の大ヒット、その年の『第23回NHK紅白歌合戦』にも出場。当時のフォークシンガーは、自分の手で作詞、作曲をし、それを歌う物という風潮が強く、石坂浩二作詞、坂田晃一作曲の曲に対して進は躊躇しレコーディングを当日にすっぽかしたという逸話が残っている(後に進は本当はいい曲だったと語っている)。この頃から、お互いの考え方に違いが生じ始め、1976年に解散。孝は司会者として、進は歌手・作曲家として己の道を行くこととなる。

再結成

進がソロで「琥珀色の日々」をヒットさせるなど、2人はそれぞれの道を歩んでいたが、ビリーバンバンの復活を求めるファンの声は根強く、1984年に再結成、以降は、個人での活動と並行しビリーバンバンとして活動を行う。

現在では、十年以上にわたり手がけている麦焼酎・いいちこのCMソングでも有名(進のソロ曲が使われたこともある)。「さよならをするために」もCMで使われており、今では何の躊躇もなく歌っている。

2014年7月、孝が脳出血で緊急入院し、出演予定だった生放送『THE MUSIC DAY』(日本テレビ)には進がソロで「白いブランコ」を披露した。病状では左半身麻痺が残り、声もうまく出せなかったが、リハビリを続けた結果、2015年5月、『大沢悠里のゆうゆうワイド』へのゲスト出演から仕事復帰を果たす。その出演の際、進が大腸がんを患い、孝が倒れた時はその手術が終わったばかりだったことを明かした。2017年7月には兄弟揃って『THE MUSIC DAY』に生出演した。

2020年1月、進がゲーム『アイドルマスター』の楽曲「薄紅」を歌唱した動画をYouTube、ニコニコ動画に投稿。これは有志が作成したビリー・バンバンの音源を編集することで同楽曲を歌っているようにした動画[9]を進自身が確認したことが発端となっている。余談として、薄紅の歌い手である小早川紗枝(声 - 立花理香)は「また君に恋してる」をカバーしている。後日同じように有志が作成した『アイドルマスター』の楽曲「はなしらべ」を進が歌唱した動画を2020年3月にYouTube、ニコニコ動画に投稿した。他にも、カバー楽曲(主にアニメ・ゲーム楽曲)やビリーバンバンの楽曲を新録したものを、YouTube、ニコニコ動画に不定期に投稿している。

(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」(番外) BLACKPINK - '붐바야'(BOOMBAYAH) M/V

2021-02-01 18:07:24 | 日記
『美しいものが全てではない』。・・・・素直に入り込みました。




BLACKPINK(ブラックピンク、韓: 블랙핑크、様式化: BLΛↃKPIИK)は、韓国の4人組ガールズグループ。YGエンターテインメント所属。2016年8月8日にシングルアルバム『SQUARE ONE』でデビュー。略称はブルピン(韓: 블핑)。公式ファンクラブ名はBLIИK(ブリンク、韓: 블링크)。

グループ名の「BLACKPINK」は、最も綺麗な色として表現されるピンク(PINK)と、それを少し否定する意味で黒(BLACK)を前に付けて、『美しいものが全てではない』ことを表している。また、特別なものの前に「BLACK」という名称が付けられるように、『スペシャルな女性グループ』という意味も込められている。

メンバー同士が練習生時代から親しい友人であることから、グループリーダーを決めていない。(「Wikiipedia」より)