とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

ノーネクタイ

2010-08-11 23:18:54 | 日記
ノーネクタイ



 退職しても朝になるとワイシャツを着て、ネクタイを締めて、鞄を持って、「行って来まーす」と、かつての勤務校へ出かけようとするんじゃないのか?
私は、退職前にそんな風になることを一番恐れていた。しかし今のところそういう症状が出ることもなく、何とか普通の生活をしている。しかもネクタイから解放されたことを喜んでいるのである。ネクタイとスーツを躰から外すと、何とも涼しい。見た目はラフだが、鎧(よろい)を脱いだような爽やかさを感じる。しかも省エネの時流にもうまく合致している。
 環境省のホームページによると、「クールビズ」というファッションは、地球温暖化防止「国民運動」の一環として推奨されているという。そして、冷房温度の設定、節水の励行、エコ商品の購入、アイドリングの停止、ゴミの減量、節電の励行という六つの方面からアクションを起こそうと計画しているそうだ。私は一つ一つチェックして、まあまあ実践しているなあと気分をよくしていた。
 しかし、この六月の猛暑と水不足は何とも不気味で息苦しい。七月から九月にかけて例のない異常気象が日本を襲ってくる可能性を予測させる。この自然の厳しい現実は、そういう運動が手遅れで生ぬるいということを物語っている。
私はノーネクタイの運動を初めとした六つのアクションを私個人の今の生活と重ね合わせてみて、一連の運動に沿って努力しているような気分になっていた。だが、孫や曾孫の時代になると地球はどうなっているのかと思うと、自らの責任を感じ、何だか居ても立ってもおられないような暗い気持ちになってきたのである。(2005年投稿)

なんじゃもんじゃ

2010-08-11 10:03:57 | 日記
なんじゃもんじゃ






 「なんじゃもんじゃ」という名前は、今まで見たこともない珍しい木だったから自然に付いたもののようである。実名は「ヒトツバタゴ」と言う。その花を見に、八日の日曜日、松江城山へ数人で出かけた。
 私は名前が面白いのでどんな花が咲くのか以前から興味を持っていた。三年前だったか、初めて見てなるほどと思った。新緑に覆われた大木に綿雪が降り積もったような感じで、桜などとはまた違う風情だった。
近づいて一つひとつの花を観察すると、四枚の白い花弁は細長く繊細だった。それが房状にいくつもぶらさがっていた。遠くから見るとふわっとした白い大きな塊(かたまり)に見える。しかし、一つの花はまことにか細いのである。その対照を見極めてから改めて少し離れて見ると、また違った美しさを現すことに気づいた。
 その花の美しさにまた今年も巡り合えたのである。これほど嬉しいことはない。生きていればいい巡り逢いが必ず訪れるものである。しかし、樹木の寿命は百年単位。私たちは十年単位。だから、各地の古木はその土地の有為転変の仔細を上から見下ろして知り尽くしている。私たちは、その樹木を見上げながら畏敬の念を抱く。樹木信仰は原始的だが、我々は素直にそれを受け容れることができる。私は古木、老木、名木と言うと、ふっと溜息が出てくる。人間の力では如何ともしがたい生命力、霊力を感じるからである。まして不思議な花を付ければその巨木は一層愛しくなる。
 優曇華(うどんげ)の花というものがあるという。辞典で調べると、三千年に一度だけ咲くそうだ。本当は花は咲くが外から見えないだけのようである。しかし、この世には誰も見たことのない花がまだ他にあるかも知れない。私がその花に会う最初の人になるとしたら……。そう思うと、もっと長生きしたくなってくる。(2005投稿)


お金の話

2010-08-11 09:59:45 | 日記
お金の話




「金は天下の回り物」とも言うし、「金は片行き」とも言う。ことわざは単純には割り切れぬ世の複雑さを物語っている。
先日、初めての確定申告をした。多少緊張気味であらかじめ指定された相談会場に入ると、名札を付けた係員がてきぱきと書類を処理し、即座に手続きが完了した。「○○円戻ってきます」との返事を聞いて、私は思わぬ臨時収入に大喜びをした。そしてお世話をいただいた係員のお方にお礼を言った。
 これもまた先日のこと。日本テレビのドラマ「87%―私の5年生存率―」を見ていてどきっとした。保険の外交員をしている女性主人公は初期の乳がんに罹っていた。信頼できる医者に巡りあえて、自分の命を預けようと決意する。しかし、最先端の医療を受けるには相当のお金が要ることを知り、お金持ちは助かる可能性が高いと考える。そこで医者に言う。「それって不公平じゃないですか」。医者は言う。「もちろん不公平です。でも、与えられた環境の中で最良の方法を考えるしかないのです」。私はこの言葉を素直に納得すべきかしばらく思案していた。
退職後いつも頭から離れない不安は、やはりお金のことである。何百億というお金を自由に動かすことのできる人。私のようにわずかの還付金でも喜ぶ者。この差は埋めようがない。しかし、命が金に左右されるという事実は是認したくない。また、「金は三欠くに溜まる」ということわざにも嫌悪を感じる。その三つとは「義理・人情・交際」である。
(2005投稿)