とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

木を植えた人

2010-08-04 23:01:51 | 日記
  木を植えた人




 その夜もNHK「ラジオ深夜便」の「こころの時代」をイヤホンで聴いていた。内容は作家井出孫六氏の「水を運んできた人・木を植えた人」という講演だった。寝ぼけているので話の全体は掴んでいない。ただ軽井沢の落葉松は植林したものであるという事実だけを起きてからもはっきり記憶していた。

次の画像は下記のサイトからお借りしました。多謝
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 すると北原白秋が見た軽井沢の落葉松林の木は植えられたものであるということになる。私は「木を植えた人」の辛苦ということを想像した。そして、真偽はともかくフランスの荒廃したプロヴァンス地方の山々に木を植えた男がいた話を彷彿(ほうふつ)とさせた。
 軽井沢は寒冷地であったため農地には適さなかった。加えて浅間山の噴火で樹木が育たず、湿地や草原が広がっていた。軽井沢が避暑地として拓け始めたのは明治の中ごろである。その頃から植林が始まったようだ。「からまつの林を過ぎて/からまつをしみじみと見き/からまつはさびしかりけり/たびゆくはさびしかりけり・・・・・・」。この白秋の詩は大正10年に講習会の講師として訪れた時の印象をもとに作られたという。私はその落葉松の林は自然林だと今まで思っていてしみじみと感動していた。しかし、そういう歴史的な事実を知ってからその林を作り上げた人々の労苦を考えるようになった。
 文学が成立する「背景」の真実を知ってしまうと、時に作品のイメージ、情感に微妙な変化を来たすこともあると思った。これは作品にとってプラスになるか? マイナスになるか? (2004年投稿)