とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

合同葬儀

2014-02-16 23:19:32 | 日記
合同葬儀




「第22回アンデパンダン展への参加を呼びかける自由の女神」 (アンリ・ルソー作  1905-6年 国立近代美術館蔵)

 1844年生まれ。フランス出身の画家。元々はパリの税関に勤めていたが、仕事の余暇を利用して絵画制作に打ち込み、独学で画法を習得した。この作品のタイトルになっている「アンデパンダン展」とは、無審査で誰でも出品できる展覧会のことで、ルソーは毎回この展覧会に出品していた。作品の右手前の方で手を握り合っている二人の人物のうち、右側がルソー本人である。一見素朴に見える作品の底にゆったりとした世界が広がっているのを感じさせる。


 佐久良が舞台で飛んだ場面はテレビで放映されて、新聞、雑誌などで大きく取り上げられました。超人的な舞台女優現る、とかいうタイトルで写真まで掲載されました。しかし、そういう記事はすぐに姿を消し、演劇界の巨星墜つ、という記事が大きく組まれ、里見オーナーの葬儀の記事が新聞の第一面を占めていました。私はと言うと、園田に導かれるようにして葬儀会場に来ました。そして、末席に座って夥しい会葬者の様子を見ていました。進行役は私を労わってくれた事務局の女性でした。声音もよく通り、しかもテキパキとした進め方にはプロの技を感じさせました。祭壇中央の遺影の周りには白菊の花がぎっしりと飾ってありました。読経の後、焼香の列が続き、地元京都の名士が最初に並んでいました。その中に中村仙女や市川翠園の姿もありました。それから両劇団の団員、彩湖の会のメンバー、ご縁市場の代表者たちの姿も見られました。三朗と千恵子、志乃は親族の席に座って葬儀の進行を見守っていました。


 私はお母さんの死に際を見ていない。一言お別れを言いたかった。こうしてここに座っていると、里見さん以上に影響力を持っていたことを思い出す。一人で逝ってしまった。
園田、私にはお母さんみたいな影響力がない。

 影響力ですか、先生。私は春子先生に長年仕えてきましたが、先生はそういうことから超越していらっしゃいました。ただ、ひたすら天からの声を聞いていらっしゃいました。

 天に口なし、人をして言わしむ。ということもある。

 先生は人の言葉が気になりますか。

 私はどちらも気にしている。

 先生、先生は里見さんの声が聞こえてきますか。

 三朗の心の声が聞こえてくる。

 どう仰っていますか。

 光を、光を、と言っている。

 そうですか。まだまだ迷っていらっしゃるようですね。先生、これから陰に陽に導いてあげてください。先生には出来るはずです。

 あっ、また視野が暗くなった。

 先生、里見さんの声が聞こえる前兆です。

 そうだ。そうだと思う。

 私がここに居ますから、ご安心を。しっかり聞いてあげてください。

 多歌、多歌。・・・そんな風に聞こえる。

 お嬢さんのことを気遣っていらっしゃるようですね。多歌さんはここに来ていらっしゃいます。

 園田、私の掌をしっかり握っていてくれ。怖い。

 はい、承知しました。

 ありがとう。この怖さが消えるといいのだが。

 いずれなくなります。春子先生も最初はそうでした。

 ああ、聞こえてきた。・・・幕を早く開けろ、幕を。そう聞こえる。

 分かりました。里見さんは、メイン劇場の今後の事をご心配のようですね。

 園田、翼の音がする。

 翼、ですか。・・・ああ、佐久良さんが今焼香をしておられます。新阿国座の将来は佐久良さんの人気に左右されるということでしょう。

 園田、頭が痛い。なんとかならないか。

 先生、しばらくの辛抱です。もうすぐ楽になりますから。

 ああ、耐えられない。

 大丈夫です。園田がここに居ます。

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初回公演の日

2014-02-07 23:13:49 | 日記
初回公演の日




「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」(オーギュスト・ルノアール 1789年 ピュルレ・コレクション  チューリヒ スイス)


 この有名な絵のモデルの名前はイレーヌ・カーン・ダンヴェール(1872 - 1963)。当時は8歳だったと言う。この幸福そうな美少女のその後の運命は波乱万丈だった。
 裕福な銀行家の家に生まれ19歳で同じく銀行家に嫁いだが、結婚生活は10年で破局。翌年、イタリア人の伯爵と結婚。この結婚も20年あまりで破局。そして、彼女が60代の終わりにさしかかる頃、第二次世界大戦が勃発。ユダヤ系であった彼女の家族の中でも次女のエリザベスもナチスに捕えられ、収容所に行く途中で死去。
 イレーヌがホロコーストから免れたのは、イタリアの伯爵と結婚した際にユダヤ教からカトリックに改宗して、名前もイタリア風の名前になっていたからである。そして、イレーヌの肖像画はナチスの略奪に遭い、将校ヘルマン・ゲーリングの所有となる。彼は党の美術品のコレクターだった。
 戦争終結後、ナチスの略奪品は返還される。1946年パリのオランジュリー美術館はナチスから返還された美術品を展示。その中にはイレーヌの肖像画もあった。彼女は所有権を主張し、無事肖像画は彼女の元に。この時、すでにイレーヌは74歳になっていた。後に印象派のコレクター、エミュール・ビュールレがイレーヌ本人から買い取り、肖像画はスイスへ。1963年、イレーヌは91歳で波乱に満ちた生涯を終えた。
(http://tarot-bibouroku.blog.so-net.ne.jp/ のHPより引用させていただきました。この絵とモデルの運命を初めて知り、この絵が一層好きになりました。一部文体を変えています。多謝)


 地元の町通りに公演のポスターが貼られていることはずっと前から知っていましたが、時間の感覚が麻痺してきたのか、出勤して古賀所長から言われるまでは公演当日だとは気付きませんでした。コーディネーターとしてぜひすべて鑑賞してください。そう言われて、長柄さんにも連絡しましたが、生憎彼は急用があって来られないということでした。しかたなく私は一人でご縁劇場に向かいました。観音山に参ったり、ご縁神社にも成功を祈願していましたので、気持ちは落ち着いていました。廊下を歩きながら雪月花すべての組が稽古の成果が発揮出来るようにひき続き祈っていました。
 ところがまた異変が起きました。私が後ろの座席に座ると軽い眩暈が起き、続いて視野が塞がれました。すでに舞台では演劇が始まっていました。確かに役者の声が聞こえてきましたが、誰が何を演じているか分からなくなりました。京都の仮設の小屋で阿国一座が何かを演じているということは分かりました。お囃子の音、唄のメロディーだけは聞こえていました。劇中劇の進行は感覚的には明るい雰囲気でした。舞台上の観客の掛け声も聞こえてきました。しかし、私の頭は舞台の声ではなくて、ずっと遠くから聞こえてくる声を聞こうとして全神経をそこに傾注していました。・・・分かりました。分かりました。私はその声をしかと聞き分けることが出来ました。・・・そうですか。近く誰かが亡くなる。・・・えっ、そのお方は里見というお方。分かりました。すぐに関係者に告げます。

 せ、先生。園田です。予感がしましたので駆けつけました。・・・何かお告げがありましたか。

 あっ、園田さん。ありがとう。

 先生、呼び捨てで結構です。園田と呼んでください。

 園田、大変だ。里見オーナーが近くお亡くなりになる。すぐ、三朗に連絡してくれ。

 三朗さんだけで結構ですか。

 そうだ。三朗に言えば関係者すべてに連絡してくれる筈だ。

 先生、申し訳ありませんが、場外へお導き致しますので、ご自分で電話をお掛けになった方がいいではないかと・・・。

 どうしてだ。

 お身内ですから、先生のお声の方が三朗さんも喜ばれるのでは・・・。園田にそう言われたので、私は支えられながら外の廊下に出ました。携帯を取り出して、園田に呼び出して貰い、携帯を受け取りました。

 ああ、三朗、・・・残念だ。オーナーがお亡くなりになる。覚悟して万事手ぬかりなく手配してくれ。

 お義父さん。ありがとうございます。万事慎重に手配いたします。・・・湖笛の公演中だと思います。劇団関係のみんなには終わるまで何も言わないように・・・。

 分かっている。勿論だ。では・・・。・・・私は園田にまた支えられながら劇場に帰っていきました。また座席に納まって、舞台の声に耳を傾けました。チャリン、チャリンという金属音が響いてきました。殺陣だ!!

 誰と誰が戦っているんだ。・・・園田に聞きました。

 阿国ともう一人の阿国です。・・・二人の阿国の気合を入れる声や舞台上で見ている観客のざわめきや怒号が聞こえてきました。長い殺陣が続いていました。そのうち、私は、次第に疲労が増してきて、いつの間にかうとうとしていました。・・・どれほど眠ったのか分かりません。ひどい耳鳴りのような声で意識を取り戻しました。また、何かを私に継げようとしているようでした。そ、園田、どこにいる。私は小声で呼びました。

 先生、お目覚めですか。私は隣りにずっと・・・。
 
 そうか。お亡くなりになったようだ。

 そうですか。里見さんもいよいよ・・・。

 そうだ。残念だ。・・・ああっ、園田、次は、近くで、そうだ、ここで、何かが起こる!!

 ここの舞台でということですか。

 そうだ。

 あっ、吊り下げのシーンです。後ろからロープ伝いにもう一人の阿国が飛び出しました。大きな翼を背中に着けています。舞台では阿国たちが優雅に踊っています。ああっ!! 飛んだ!! ローブから離れて飛んだ!!・・・あれは、佐久良さんです。確かに佐久良さんです。ロープから離れて、自分で宙を舞っています。まるで陶酔しているように。舞台の阿国の上を悠々と飛んでいます。踊りを競い合っているみたいです、上と下で。・・・私にはその姿がかすかに見えました。佐久良と綾乃がここで入れ替わった。もう一人の阿国は鳥になった。佐久良は鳥になった。やはり翼がよく似合う。私は心の内でそう呟きした。

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娘の家で

2014-02-04 23:11:44 | 日記
娘の家で





「ヴァイオリンを弾くジュリー」( 1894年 モリゾ作)

 モリゾの作品はリアルそのもので、ウォーターハウスのような物語性はない。しかし、この少女像にしてもすばらしい存在感があり、弾くヴァイオリンの音色が聞こえてくるような雰囲気がある。すらりとした細身の肢体も大人びていて、立派な音楽家のような感じさえする。絵は化ける。この絵からも私は魔力を感じている。


 私はある夜、ひどく酔っ払って千恵子の家を訪ねました。あっ、お祖父ちゃんだ、と言う声が聞こえて、志乃が駆けだしてきて私を出迎えましたが、臭い、お酒飲んでる、と私をすぐに退けました。
 三朗が帰っていました。ああ、お義父さん、どうしたんですか。そう問われたのですが、どうして娘のうちに行く気持ちになっのか分かりません。ただ、自然に足がそちらに向かっていました。お父さんがこんなに酔っ払うなんて珍しいことね、と千恵子が私を支えて座敷に入れてくれました。

 おい、千恵子、か、体大丈夫か。・・・どたっと座り込んだ途端にそう言いました。

 大丈夫ですよ。簡単に死にませんよ。

 そうか、・・・でもな、里見さんの家の子どもということになると大変だぞ。

 大変なのは三朗さんです。私は、そんな、苦労はしません。

 志乃、お前は、お前は、・・・もう、お祖父ちゃんとこの孫ではなくなるなあ。

 お父さん、そんな言い方は子どもの前では止めてください。

 そうか、いや、・・・ご免、ご免。お祖父ちゃん酔っ払い過ぎた。・・・おい、三朗、工事現場はどうなんだ。里見さんの具合が悪くて大変だな。

 ときどき見に来るだけですよ。もう、外装は済んで、これから進入路の工事と内装です。順調ですよ。心配しないでください。

 そうか、そうか、・・・すると、今年中には完成だな。

 ええ、そういう見通しがたちました。

 よかった。・・・これで、私も安心して死ねる。

 お父さん、止してください。お父さんこそもっと気を強くもって・・・。

 気を強く・・・、そうか、そうか、分かってる。しかし、俺は父と母に呼び出されて、一緒にこれから生きねばならなくなった。

 お義父さん、それは考えようですよ、偉そうなことは言えませんが、必要とされてるんです。ご縁市場の皆さんに。

 普通じゃない俺でもか。

 普通ですよ。私たちにとっては今までと同じ人・・・。

 うん、うん、ありがとう。・・・でもな、悔しいときがある。普通の爺さんでいたかった。

 だから、お父さん、普通のお父さんですよ。しっかりしてください。お母さんにまた叱られますよ。

 分かってる。

 寝床敷きますから、ゆっくり休んでください。

 ありがと、ありがと。・・・私はそう言いながら涙を流しました。

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職場復帰

2014-02-01 23:47:07 | 日記
職場復帰




  「シャロットの女」(1888年 ウオーターハウス作 テイトギャラリー蔵)

 19世紀のイギリスの詩人アルフレッド・テニスン(1809-1892)の作品に登場する姫の話である。
川の中州にシャロット姫は住んでいた。シャロット姫は、外の世界を直接見ると、死ぬ、という呪いをかけられていた。川岸には、凛々しいランスロット卿の住む、キャメロット城がある。シャロット姫の部屋には、鏡があり、それを通してしか、外の世界を知ることができない。シャロット姫は、来る日も、来る日も、織物(タペストリ)を織りつづけている。恋愛を楽しむ恋人たちの姿を鏡を通して見るにつけ、シャロット姫は、鏡に映る影の世界に退屈し始める。
 ある日、ランスロット卿が、川のほとりで歌う。その歌声に惹かれ、シャロット姫は、織物の手をとめ、外の世界を覗いてしまう。とたんに、呪いが現実となってしまう。織物は飛び散り、その糸はシャロット姫に巻きつき、鏡には端から端まで、ひびが入る。ランスロット卿を追い、舟に乗り、岸まで行こうとしたシャロット姫だが、キャメロットの岸に舟が着いたときには、息絶えていた。(「ヴァーチャル絵画館」より引用 多謝)



私が闇を彷徨っているとき、執事の園田がご縁広場の事務局を訪れました。そのことは古賀所長から後で知らされました。新阿国座職員宿舎の一室を借りて、私が退院するのを待っていました。
 私が久しぶりに事務局に顔を出すと、所長が、畝本さん、良かった、良かった、どうなることかと思ってました、しかし、・・・貴方も偉くなったねえ、と皮肉げに言いました。どういうことです。私が尋ねると、いやね、秘書と名乗る方が何度も来まして、これから貴方のお世話をしますのでよろしくお願いします、と言って、何度も頭を下げて・・・。ああ、あの方ですか、私は一人で何とかしたいと思ってますが、どうしてもというか、母の遺言のようでして・・・、と私が言うと、当の園田が入り口から姿を現しました。


 ああ、ご退院ですね。おめでとうございます。

 これからずっと私に付きまとうつもりなのか。

 畝本さん、・・・いや、先生、貴方には私が必要なのです。

 先生だと、止めてくれ。気持ちが悪い。

 いえ、遺言です。・・・いつ、どこで、暗闇にお入りになるか分かりませんから。

 暗闇。・・・一人でなんとかする。

 いえ、私がお導き致します。前兆をひらりと感じ取るのは私しかいません。

 暗闇に入る前兆。

 そうです。以前の先生もそうでしたが、軽い眩暈がして、視界が突然奪われます。だからどうしても私が・・・。

 ・・・。

 佐久良さんが今どこでどうしているか、どういう思いでおられるのか、先生なら知ることが出来ます。

 いや、まだ、まだ分からない。でも、でも、うん、・・・聞こえてくるような気がする。いや、これは私自身の思いかも知れない。

 どういう・・・。

 出してくれ、出してくれ・・・と。

 どういう表情ですか。

 懇願するような。
 
 そうですか。

 先生は、出しておやりになりたいのですね。

 というか、翼を付けてやりたい。

 古賀所長さん、佐久良さんは、これから、舞台には立たないのですか。

 貴方にそんな質問をされるとは思ってもみなかった。

 いや、これは、先生のお気持ちでもあります。

 じゃ、正直に言いましょう。私は、全く予想は出来ません。代役の綾乃さんが練習に励んでいますから。

 そうですか。分かりました。・・・じゃ、先生、私は今日はこれで失礼致します。非常時にはいつでもとんできます。

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