とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

印税一円

2010-08-27 16:59:10 | 日記
印税一円



 鉛筆一本で勝負し、印税で生活する。これは私の若いころからの夢だった。しかし、齢(よわい)六十代前半になっても実現していない。
 文学賞に何度応募しただろうか? 多すぎてすぐには浮かんでこない。いいところまで行くこともあるが、最後の一歩を進めるのが至難の業である。だから自費出版をしたこともある。これは生活を苦しめるだけで、全くの収入には結びつかない。しかしそれでも書きたいという願望を抑えきれないまま今日を迎えているわけである。
 昨年ある出版社の短編小説賞に応募した。結果は見事落選。応募状況の詳細を知り、当然だと合点した。短編だからということもあるが、数千作の応募があったそうである。しかし、その出版社からアンソロジーに載せたいので、共同出版という形で参画しないかとの誘いがあった。具体的には、編集・出版・販促などに関わる費用の何割かは自己負担して欲しいということらしい。私は迷った末、ページ数も少ないし、負担金も驚くほど多額ではなかったので、その話に乗ることにした。
 見積もりの詳細を見ていて、不満なことが一つあった。私が憧れていた印税が、一冊当たり一円だと書いてある。苦情を言ったが、そこは堅くかかっているスペシャリストである。「出版したという実感を味わっていただく」ことが目的だと言う。「実感」? これは言葉として選択ミスだと思った。「実感」するにはあまりにも少額ではないか!
 先日、預金通帳を確認した妻から、M社から千八百円振り込みされていると聞いた。販売会社のサイトで確認すると、同じシリーズの中では私の作品が載っている本がランキングのトップであった。トップで千八百冊? まあいいか。初めての印税収入があったのだ。「実感」としては、まんざらでもない。(……こりゃ、救いようがないな。)(2006年投稿)

一番美しく

2010-08-27 16:26:52 | 日記
一番美しく


 黒澤明(脚本・監督)の『一番美しく』というモノクロ映画のビデオを借りて来て観た。幾度となく観ている。この映画はいわゆる国威発揚、戦意高揚のために制作されたものである。作られたのは敗戦色濃い昭和十九年。私が生まれた年である。
 女子挺身隊として平塚の精密機械の軍需工場に徴用された若い女性たちが、献身的にお国のために働く姿をドキュメンタリータッチで描いている。挺身隊が担当していたのは兵器のレンズを作る作業である。主人公渡辺つるはその隊長として信頼されている責任感の強い女性である。その主役は矢口陽子さんが演じている。のち、彼女は黒澤明氏と結婚する。
 ある日、隊長は、隊員の報告により、一枚の未点検のレンズがあることを知る。その日他の隊員と一緒に点検したレンズは夥しい枚数である。責任感を感じた隊長は工場の者が止めるのも聞き入れず、一人で再検査を始める。疲労困憊する体に鞭打って、徹夜してその一枚を探そうとするのである。
 「美しい」のは集団に支えられた一途な責任感である。一枚でも焦点の狂ったレンズが戦闘機や兵器に取り付けられれば、大切な戦闘手段を失うことになるし、兵士の命を奪うことにもなる。その一枚を探すことがお国のためになる。だから、時間との闘いだし、我が女の命を燃やし尽くす覚悟を生む。そうした熱情が観ている者の胸を打つ。
次の場面では「若葉」という唱歌を夜宿舎の前で隊員たちが斉唱する。「あざやかなみどりよ、あかるいみどりよ、鳥居をつつみ、わら屋をかくし、かおる、かおる、若葉がかおる」。我々の世代には懐かしい歌詞の歌である。
 もしかして、黒澤明氏は豊かで平和な国土への回帰の願いをこの歌に密かに託していたかもしれない。しかし、それは戦争を知らない世代に属する私の憶測にすぎない。いい作品はいつ観てもいい。(2005年投稿)