とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

公演近し

2013-04-29 22:14:18 | 日記
公演近し





「フォリー=ベルジェール劇場のバー」(エドゥアール・マネ 1881 - 1882)

 この作品は広く知られているが、よくよく見ると、バーで働いている若い女性の表情がやや沈んでいる。賑やかな周囲の雰囲気に馴染めないような感じがする。そういう一瞬を定着させたのであろうか。これからこの人は元の明るい表情に返るのだろうか。そんなことを考えました。(私は千恵子と重ね合わせて見ていたのかも知れない)


 久しぶりにご縁市場の辺りを見回すと、「湖笛」の公演が近づいているらしく、ポスターがあちこちに貼られていました。私は体育館に入ろうとしました。すると、関係者以外立ち入り禁止と書いた貼り紙がしてありました。しかたなく私は所長室の古賀さんとこれまた久しぶりに話をしました。


 いよいよ本格的な仕上げに入りましたので、申し出があり非公開としました。

 分かります。

 仕掛けが数回出てくるようで、稽古にも気迫がこもってきました。

 前売り券はもう販売しているでしょうね。

 もちろんです。500を見込んでいます。

 500ですか。半分ですね。

 そうです。この前の仙女さんとは違ってローカルな劇団ですからね。

 それで、仕上がりはどうですか。特に郁子さんは・・・。

 ははっ、・・・郁子さん、郁子さんと言いますと、他のメンバーが可愛そうです。

 あっ、ご免なさい。つい、名前が出てしまって。

 千恵子さんも随分活躍されました。

 えっ、千恵子が・・・。

 ええ、体調管理のスケジュールを作っていただいて、一人ひとり指導していただきました。お蔭で全員体調はいいようです。

 千恵子がそんな・・・。

 ええ、ありがたいことです。佐山先生も陰でアドバイスして貰っています。

 佐山先生も・・・。

 そうです。畝本さん、演劇は総合芸術ですよ。私も皆さんの様子を見ていてそう感じました。

 嬉しいです。

 ああ、それからですね、この演劇が終わると、耐震工事が始まります。・・・市の関係者もこのご縁市場の活動を支援してくれるようになりました。朗報です。

 そりゃよかったですね。

 順調に進展しています。・・・観音さんのお蔭だと思っています。

 ええ、守護仏ですね。

 そうです、そうです。


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夫婦神と流鏑馬

2013-04-27 23:16:40 | 日記
夫婦神と流鏑馬


 声の主はは治子でした。この数日、行く先も告げず、あちこちを彷徨っていた私を気遣って探してくれたのでした。私は、娘に支えられながら車に乗せられました。私の車は稲佐の浜の入り口に置いたままでした。走り出した車の中で私は寝言のようなことを呟いていました。

 治子、ありがとう。

 お父さんは夢中になると見境がつかなくなるから、・・・いい歳をして・・・心配かけないでよ。

 ごめん、ごめん。

 もう一人ででかけるのは止めて。

 分かった。

 ほんと。

 ほんとだ。

 うそでしょう。また、出かけるんでしょう。

 ・・・。

 ほら、今も何か考えてる。

 個展行けなくてごめん。

 お母さんが来てくれたから嬉しかった。

 それで、どうだった。

 冴子さんと坂本さんがお世話してくださって、思ったよりたくさん・・・。

 そりゃよかった。

 治子、旦那と仲良くするんだぞ。

 ああ、分かってる。

 治子、これから斐川の佐支多神社に参ろう。あそこは健御名方命の奥さんの八坂豆売命も祀られている。これは全国的にも珍しい。参ろう。夫婦を守ってくださる。

 いや、行きません。・・・お父さんを家まで送り届けます。

 分かった。それじゃ、後できっと・・・。

 いや、参りません。

 どうしてだ。

 神頼みみたいなことはあまり好きではありません。

 そうか・・・。私は未練な気持ちを残したままそれから家に着くまで黙っていました。



 出雲市斐川町荘原の佐支多神社(さきたしんじゃ)

 祭神は健御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂豆売命(やさかとめのみこと)の夫婦神である。出雲市斐川町神庭の諏訪神社と関わりが深く『出雲国風土記』で取り上げられている社である。
 「御射山」という地名がここには残っている。この佐支多神社の前身が「神庭諏訪神社の御射山社」で今でも参道の両側には馬場の地形が残っていて、そこで弓引き神事(流鏑馬)を行ったという話が伝えられている。詳細は次のHPを参照ください。
佐支多神社と神庭諏訪神社の関係

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薗の長浜を流離う

2013-04-25 17:03:37 | 日記
薗の長浜を流離う


「繰るや繰るやに」、「もそろもそろに」、「国来!国来!」。これは『出雲国風土記』冒頭に記されている八束水臣津野命が国引きをする場面に出てくる言葉である。前二つが縄を引き寄せる様を表している。「国来!国来!」はその時に叫んだ言葉である。下の写真はその舞台となった薗の長浜(出雲市)である。その海岸線が引き寄せるときに使った綱、遥か向こうに見える佐比売山(三瓶山)はその綱を結んだ杭と言われている。




 国引き神話は、出雲国に伝わる神話の一つである。『古事記』や『日本書紀』には記載されておらず、『出雲国風土記』の冒頭、意宇郡の最初の部分に書かれている。当初、作られた出雲国は「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」によれば「狭布(さの)の稚国なるかも、初国小さく作らせり、故(かれ)、作り縫はな」という失敗作であったという。「狭布」すなわち国の形は東西に細長い布のようであったという。そこで、八束水臣津野命は、遠く「志羅紀(新羅)」「北門佐岐(隠岐道前)」「北門裏波(隠岐道後)」「高志(越)」の余った土地を裂き、四度、「三身の綱」で「国」を引き寄せて「狭布の稚国」に縫い合わせ、できた土地が現在の島根半島であるという。国を引いた綱はそれぞれ薗の長浜(稲佐の浜)と弓浜半島になった。そして、国引きを終えた八束水臣津野命が叫び声とともに大地に杖を突き刺すと木が繁茂し「意宇の杜(おうのもり)」になったという。(「Wiki」より)

 この何日間も私は出雲各地を訪ねて小旅行を繰り返してきました。『古事記』、『出雲国風土記』等の所縁の地を確かめるように、最後の旅になるかも、という気持ちに急かされながら流離ってきました。

 今日は薗の長浜。・・・ここは海岸を、息が続く限り歩こう。佐比売山まで・・・。佐比売山は出雲と石見の「境い目」の山、境い目山が次第に佐比売山となったとか・・・、いやいや、違う、かつて東大のある文学部長が仰っていたように「たひめやま」に通じると私も思っている。「田比売山」なのだ。田の姫神が降りられ山なのだ。「さくら」は「田くら・田座」なのだ。田の神が降りられる花。そう考えて初めて桜の美しさは深まる。・・・八束水臣津野命の国引き神話は出雲の国づくりの独自性を主張した話なのだ。国生みではなくて、国引き。そこの点を理解しなくてはいけない。
 
 新雪の佐比売は遥か曇りゐて神話の国は暮れやすきかな

 私がかつて作って新聞に投稿して採用された歌である。今は冬ではないが、佐比売山が遠くに見える。私は海岸を車から降りて随分長らく歩いてきた。どうして歩いたのか。・・・それにしても疲れた。ああ、もう止めよう。

 そう思った途端、私はふらふらっとして、海岸の砂の上にどっと倒れました。・・・もうこのまま死ぬのかも知れない。・・・私はじっとそこに臥せっていて、砂の冷たさを感じるようになりました。

 オトウサーン。・・・誰かが私を呼んでいるような・・・。誰だろうか。私はそのままその声の主を想像していました。
 
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日沈の宮のある日御碕

2013-04-23 22:28:26 | 日記
日沈の宮のある日御碕




    日御碕     

 何を求めて車を連ねるのか
 ロングヘアーが潮風にゆらぐ
 御碕の岩に站って
 「神話」を呼吸した 男と女
 永劫の愛を
 夢見たというだろう
 七曲がりのスリルと
 海の紺青に虚ろにふくらむ
 愛の形は ウミネコの翼に
 しぶく波の色 灯台の媚びに
 おもねるサングラス
 フィーリングでは
 だめなんです
 出雲の祖神の霊屋を訪うには
 半島一帯に根の国を嗅ぎ
 常世から風の使者を迎え
 渺茫の海へ小舟を放つ
 旅人がいたとしたら……
 国引きの神話を考えるがいい
 海をせめぐ山塊に
 オミズヌノ神の雄叫びが
 聞こえないか
 ディスカバー・ジャパンの
 若者よ 御碕の岩の
 偽笑を買って帰るな

     (昭和49年2月16日 中国新聞掲載)

 岬上には1903年(明治36年)初点灯の出雲日御碕燈台が立っている。海抜63m、光達21海里で、灯塔は43.65m。石作りの灯台としては日本一の高さを誇り、白亜の姿が美しい。見学も可能である。



 日御碕神社の下の本社(日沈の宮・日沉の宮、ひしずみのみや)は天暦2年(948年)、村上天皇勅命により祀り、上の本社(神の宮)は安寧天皇13年(紀元前536年)、勅命により祀られ、総称して日御碕大神宮とされた。「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社である事による。祭神は下の本社の日沈の宮は天照大御神、上の本社/神の宮は素盞嗚尊である。東の伊勢神宮、西の日御碕神社(出雲大社)という構図には壮大な政治的な意図が隠されている気がする。



「日沈の宮」はもともとウミネコの去来地である経島のてっぺんにあった。この写真でも小さな祠を確認すことができる。(以上「Wiki」から引用)

 私の根の国彷徨は、島根半島の海にまで到達しました。海を眺めていると古代人の原始信仰の形を見る気がしました。ご縁市場のこと、演劇のその後のこと、治子の個展のことも気になっていましたが、私はしばらくここの地を離れることが出来ませんでした。海はいい。すべてを許してくれる。包んでくれる。
 
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お祖母さんと天神さん

2013-04-19 22:55:01 | 日記
お祖母さんと天神さん





菅原天満宮は、菅原道真公の誕生の地と言われる、島根県松江市宍道町菅原にある。「鼻繰御神梅」「野見宿禰の墳墓」など古くからの言い伝えがあり、のどかな出雲の田園に囲まれ訪れる人を神話の世界にいざなう。



菅原道真公家系図。この図から道真公は野見宿禰の子孫だということが分かる。大宰府に左遷の折、山陰道を通って九州に行かれたことは、出雲がご先祖ゆかりの土地だからだと言われている。



 野見宿禰像。相撲の始祖であり、殉死を廃止し、代わりに埴輪を墳墓に埋めることを提唱したとも言われている。(Wikiより)


 夢うつつで根の国を彷徨っている私は、春祭の際、祖母に連れられて兄弟、従兄弟たちと歩いて参拝に出かけたことを鮮やかに思い出しました。

 おいおい、そんなに急いでは崖から落ちるぞ。落ちても婆さんは知らん顔して行ってしまうぞ。・・・そんなことを言いながら祖母ははしゃいでいる私たちを笑顔で見守ってくれました。弁当を途中で食べるのも楽しみの一つでした。天神さんに着くと、露店がずらりと立ち並んでいて、私たちは目の色を変えて歩き回りました。

 店参りは後にしなさい。ちゃんと拝んでおかんと頭がよくならんぞ。・・・祖母はいつもそう言いました。

 ここの梅はな、 鼻繰梅と言って、種に穴があいているそうだ。お前たち分かるか。道真さんは子どもの頃、梅の種に穴をあけて糸を通して遊んでいたそうだ。そういうことが元で今も種に穴が開いているそうだ。・・・祖母は私たちにそう説明してくれました。私は不思議な話として今もよく覚えています。私はいつも祖母の横で寝ていました。祖母の長男が若死にして悲しんでいたところへ私が生まれたので、息子の生まれ変わりだと言って可愛がってくれました。叱られもしましたが、養ってくれた母以上に大きな存在でした。
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