とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

お宝製造法

2010-08-20 22:08:49 | 日記
お宝製造法






 あの「清兵衛」は、瓢箪(ひょうたん)を父の残り酒でせっせと磨いて、第一級の芸術品に仕上げました。そうです。お宝製造は、そういう工夫と根気のいる仕事なのです。では、ここで少しばかり我流のノウハウを開陳いたしましょう。
 先ず、「清兵衛」もしたように磨くことです。私は、見るからに汚らしいコタツ板を買ってきて、時間をかけて磨き、蘇生させました。
 それから、加工することです。私は、薄汚れた三十六歌仙の古色紙を買い求め、表具師さんに古い金屏風に貼り付けて貰いました。今は玄関でたくさんの歌人が笑みを浮かべてお客を迎えています。
 それから、未完成品を買い求めて仕上げをすることです。私は、表装してない安価な軸物の絵を買い求めて、これまた表具師さんに立派な掛け軸に仕立てていただきました。また、印刷した作品でも、しゃれた額縁を取り付けるだけで見違えるほどに素晴らしくなることがあります。
 それから、骨董についての知識を蓄えることです。日本画家小村大雲のことは知られていますが、その弟子の勝部大逸を忘れてはいけません。私はむしろ大逸に注目しています。
最後に、時には無欲になってしかるべきお方に寄付することをお勧めします。私は、ある往年の名女優のブロマイドを出身地の研究家に送りました。すると、その方が主催している機関紙の表紙に採用されました。手許には一枚も残りませんが、その写真は生き返って、記念館で永久保存されることでしょう。
 高価な骨董品はだれでも買えるものではありません。だから、私は自分で工夫をして、身の丈に合ったお宝づくりを楽しんでいます。(2006年投稿)

ある買い物

2010-08-20 22:04:14 | 日記
ある買い物



 骨董市やリサイクル・ショップに並んでいる品物は長い時間と元の所有者の様々な運命を含み持っている。だからそういう品物との出会いはかなりスリリングで、魔力と言ってもいいような吸引力を私は感じる。
 先日、ある骨董市に行った。値の張る高級品は最初から横目で見てやり過ごし、古い額縁に入れた安価な書画が何重にも立てかけて並べてあるコーナーへ行った。そして一枚ずつ引き寄せて見ていた。すると一番奥から大型の額に入れた洋画が出てきた。
画面が横に二分割されていた。上が海水面の上、下が海の中。上には遠景に夕陽をいただいた山並みとその麓(ふもと)の海沿いの町が描いてあり、水面の上に鯨やイルカが水しぶきを上げて跳ね上がっている。水面下では、たくさんの鯨やイルカが悠々と泳いでいる。その他鮮やかな色彩を誇るように様々な魚が遊んでいる。さながら海の楽園である。見方によっては魚類図鑑のような感じもする。これだ! と私は感じた。
 ところが、「この絵を買うの? ごちゃごちゃしすぎだし、この画家にしては暗い色使いだわ」と妻が傍から茶々を入れた。私は一瞬ひるんだ。こんな地味な骨董市でこんな絵を見たのは初めてだったので、すっかり興奮していたのである。私が動こうとしないので、「じゃあ、買ったら」と妻の許可がおりた。私はほっとしたが、心の中ではしっくりしないものを感じていた。
 その気持ちのまま家に帰ると、二歳半の孫(女の子)が「あっ、イルカだ! カサゴもいる。サンゴもある」と言って喜んだ。私は予想外の大きな味方を得た。もう、くよくよすることはない。孫に元気を貰った私は胸を張って居間の壁にその絵を飾った。
 クリスチャン・ラッセン。『ラハイナ・ビジョンズ』。その絵の作者と絵のタイトルである。(2006年投稿)

ある会話

2010-08-20 21:55:29 | 日記
ある会話








 離婚して間もない女性の主人公「私」がある年の梅雨の終わりのころ、大阪環状線の電車に乗っている。雨あがりの外の景色を眺めていると、小さなツバメが濡れた電線にとまってさえずっている。空には虹がかかっている。「私」はその景色を「何か夢のように美しく思いながら」見ていた。
 次の駅で「若い娘」が二人乗ってくる。二人は「私」の背後に立ち、銀色のポールにもたれながら話し始める。「お見合い、どないやったん」。すると、もう一人の女性がひと呼吸おいて、「あかんかったわ」と言う。そして、少し間を置いて、聞いた方の女性が「そうかァ」と静かに答えた。
 気がつくと、「私」はうっすら涙を浮かべていた。そして、「そうかァ」とその娘が言った言葉を口の中でつぶやく。やがて二人は寄り添いながら大阪駅で降りていく。その後に水玉模様の雨傘が忘れてあった。
 ……これは、出雲市出身の作家松本侑子氏の『引き潮』(幻冬舎刊)所収のほんの三ページばかりの掌編小説「ツバメ」のあらすじである。
 私は発売直後購入し、通読していたが、ときどきこの場面を思い出した。思い出すときは、何かにつまずいているときとか、体の調子が悪いときである。私はこの三日間体調を崩して寝てばかりいた。そんなとき、あの温かい「そうかァ」という言葉が耳もとに届いてきた。破談になった友に慰める言葉を返すかわりに、素直にすべてを受け容れようとする。そのとき自然に出た言葉がその女性の人間のすべてを物語っている。私は主人公が涙したように二人の間に通う「温かい光」を自分にも受け容れたかったのである。
 小説の影響力の深浅はその長短にはあまり関係がないことを見事に証明している作品である。(2006投稿)

アミーとの別れ

2010-08-20 21:53:05 | 日記
アミーとの別れ



 「アミー」と別れてもう半年以上経つ。「アミー」は私の「恋人」だった。
 愛しの「アミー」。映画にでも出て来そうな名前である。実はこれは家族四名のイニシャルである。それをメールアドレスのユーザー名にしていたのである。綴りは「ammy」。「a」は私。「mm」は二人の娘。「y」は妻である。だから「ammy」は四人の家族を指していたわけである。電子メールを始めようと思い、あれこれ思案の挙句私が考案した。娘たちは「かわいいね」と言ってくれた。
 だから、この「アミー」という名前が私たち家族の絆だった。海外に居る下の娘からこの「アミー」というアドレスを使ってメールが届いた。届くと家族はほっとした。その上乗り物嫌いで引き篭りがちな私にたくさんの友だちを紹介してくれた。インターネットと併用し、私は世界を飛び回ることができた。私は「アミー」のとりこになった。
 ところが、この親しんだ愛称とも別れねばならなくなった。その原因はただ一つ。メールの洪水である。スパムメールが日に数十通来るようになり、しまいにはウイルスを送りつけるものも現れた。いろいろな手段でアドレスを手に入れたのである。そこで止む無く「アミー」と別れる決心をした。数年私を癒してくれたアドレスと別れることは本当に「恋人」と別れるような辛さがあった。
 メールアドレスを変えたお方が私の他にもたくさんおられると思う。恐らくその原因のほとんどは私の場合と同じではないだろうか。不正な方法で取得したアドレスが売買されている現実もあると聞く。私はそういう法を犯すような人たちに限りない憤りを感じている。
(2006年投稿)