とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」598 八神純子/みずいろの雨

2019-01-31 00:08:21 | 日記
タイトルはセンチメンタルだが、声量のあるスケールの大きい唄い方は、雨の日の限りない奥行きを感じさせます。名曲として後世に残ると信じます。


みずいろの雨



八神 純子(やがみ じゅんこ、出生名同じ、結婚後の本名:スタンレー純子、1958年1月5日 - )は、愛知県出身の日本のシンガーソングライター。ジューン・スタンレー(June Stanley)名義での活動もある。アメリカ合衆国在住。


歌手デビュー

1974年12月10日に、シングル「雨の日のひとりごと」で、キャニオン・レコード / AARD-VARKよりプレ・デビュー。1975年2月10日に2枚目のシングル「幸せの時」もリリースされた。

高校卒業後は音楽の道に進み、プロデビュー前の1976年からデビュー後の1980年まで文化放送で霊友会提供の帯番組「デデと純子のミュージックトリップ」にデデこと川村尚と出演していた。

1978年1月5日、20歳の誕生日にディスコメイトレコードより「思い出は美しすぎて」でプロ歌手として本格デビューを果たす。デビュー当初からネム音楽院出身の選りすぐりメンバーで構成された専属バックバンドメルティングポットを率いていたのは当時としては画期的なことだった。このデビュー曲はオリコン最高位25位、売上12万枚のヒットとなったものの、ポプコンのグランプリ曲をカバーしたセカンド・シングル「さよならの言葉」はオリコン最高位67位、売上1.9万枚だった。なお、同カップリング曲の「恋人同志」は「ロッテ 歌のアルバム」のテーマソングに使われた。

八神は作品づくりに迷っていたとき、東京・原宿の歩道橋で不意に曲想を得て「みずいろの雨」を作曲することになる(作詞は三浦徳子が手掛けた)。この曲を同年に3枚目のシングルとしてリリースしたところ、有線放送やラジオ番組を中心に八神のリクエスト回数が増え始め、オリコンチャートの順位も上がっていった。TBS系で1978年1月放映開始の音楽番組『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」に出演したことで全国区に知名度を上げ、一夜にして大ブレイクした。オリコン最高2位、売上60万枚のヒット曲となる。なお、「みずいろの雨」で1978年12月にライオンリスナーズグランプリ・FM東京最優秀新人賞を受賞した。


リスナーズグランプリ受賞

1978年10月1日 八神純子ファンクラブ結成。会報「はろーあんどぐっばい」刊行。
その後も八神は「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」「Mr.ブルー 〜私の地球〜」などのヒット曲をとばした。なお、『ザ・ベストテン』の司会者だった久米宏からは、八神が毎回登場する度に自身の体型や衣装の話などでよくからかわれ[注 1]、八神も久米のコメントにずっと困惑していたという。

八神は1980年4月から54日間、アメリカのロサンゼルスに渡り、一般人家庭にホームステイした。帰国後発売した「パープルタウン 〜You Oughta Know By Now〜」がオリコン最高位2位、売上60万枚の大ヒットとなり、暮れの『第31回NHK紅白歌合戦』には同曲で初出場した。八神はこの頃、郷ひろみとの交際が週刊誌に取沙汰されたこともあったが、八神の話によると郷は映画や食事に行く程度の友人に過ぎず、恋人ではなかったという。

1983年には全曲英語のアルバム『I WANNA MAKE A HIT WIT-CHOO (恋のスマッシュヒット)』をブルックス・アーサーをプロデューサーに迎えアメリカで製作・発表するも出来映えに満足できず、英語での表現に自らの限界を感じて、いつか英語で音楽や映画を楽しめるようになりたいと海外移住の夢が生まれた。同時にデビュー当時から所属していた財団法人ヤマハ音楽振興会を離れる。

渡米後

1986年2月7日、八神は2歳上のイギリス人の音楽プロデューサーJohn Stanley(ジョン・スタンレー)と結婚、ハワイで挙式した。秋に渡米し、生活の拠点をロサンゼルスに移した。そしてカリフォルニア州シミバレーのウッドランチに在住。1989年に長女を、1993年に長男を出産した。

1990年から八神は毎年、帰国してコンサートやディナーショーを行うも2001年以降、日本でのライブ活動は見られなくなった。
2010年8月21日放送の『思い出のメロディー』と、後日放送された『SONGS』(共にNHK総合テレビ)に出演し、久々に日本のテレビで歌唱を行った。

本格的復帰

2011年、八神は同年3月に発生した東日本大震災を受けて5月には『トランス・パシフィック・キャンペーン』を自身で企画し、被災地となった岩手県の陸前高田市や宮城県の南三陸町での支援活動をその後継続して行った。同年11月2日には、約10年ぶりとなる日本公演を東京・渋谷のSHIBUYA-AXで行って成功、公演翌日にはgoogle検索ワード第1位になるほどの注目を集めた。

2012年1月25日にはアルバム『VREATH -My Favorite Cocky Pop-』とシングル「さくら証書」を発売、同年2月15日より25年ぶりとなる全国ツアー『翼 -私の心が聞こえますか。-』が奈良県文化会館 国際ホールを皮切りに行われた。
2013年2月24日、『NHKのど自慢』(滋賀県大津市・大津市民会館で開催)に初出演し、「さくら証書」をピアノの伴奏で歌う。
2013年3月11日、東北支援チャリティーシングルCD「翼/かれ木に花を咲かせましょう」を発表。

4月12日の東京国際フォーラムCを皮切りに全国ツアー『Here I am』がスタート。
6月5日、21世紀初めてのオリジナル・アルバム『Here I am 〜Head to Toe〜』を発表。
2015年9月21日、YouTubeにて、同年の12月に2年半ぶりにアルバム『There you are』をリリースすると発表[10]。
11月20日、アルバム『There you are』の詳細が発表され、12月18日にハイレゾにて先行配信され、翌年の1月13日にCDにてリリースされると同時に、ソニー・ミュージックダイレクト内に自主レーベル「Listen J Label」を発足されると発表した。
2016年1月16日、八神純子オフィシャルファンクラブ「Key of J」を再開。 (「Wikipedia」より)



あちこち「SYOWA」 (番外)RUI / 月の雫。

2019-01-28 15:45:56 | 日記
この不思議な幻想的な神秘的な唄声は何だ !!!!
おっ、「黄泉がえり」の中の唄だ。RUI ??? ・・・柴咲コウだ !!!。無知でした。こんないい唄かあったなんて。できたら出雲で続編を撮影して欲しい。

亡くなった家族が一日でもいいから黄泉がえってきたとしたら・・・、告げたいことがたくさんありすぎる。

月の雫。



『黄泉がえり』(よみがえり)は、1999年に発表された梶尾真治の小説、2003年に映画化された。本項では、同じモチーフのテレビゲーム作品についても扱う。


主題歌

RUI「月のしずく」
作詞:Satomi 作曲:松本良喜
同シングルCD収録の3曲とも、本作の劇中でRUIが歌っている。


概要

タイトルは、死んだ人が黄泉(よみ)から帰って来るという意味。熊本市およびその周辺で突如発生する、死んだはずの人が蘇ってくるという超常現象をベースに、人々の絡み合いを描く物語である。小説は『熊本日日新聞』土曜夕刊に、1999年4月10日から2000年4月1日まで連載された。作者が熊本出身・熊本在住だということもあり、作品中には熊本市内の実在の地名が数多く登場する。新聞連載時にはSF色を排除した構成になっているが、これは一般夕刊紙であることを意識したものと考えられている。単行本(『黄泉がえり』 新潮社 2000年10月 ISBN 4-10-440201-X)として刊行される際に、「彼」に関する記述が加えられた。

同じ状況設定で別の視点による短編として「黄泉びと知らず」がある。こちらは「詠み人知らず」の語呂合わせ。また、台湾の出版社より『黄泉歸來』のタイトルで中国語訳が出版されている。2017年7月1日から「熊本日日新聞」土曜夕刊で、続編「黄泉がえりagain」が連載開始。2016年に発生した熊本地震後の熊本都市圏を舞台に「パワーアップした黄泉がえり」が起こるという設定である。挿絵は村井けんたろうが担当。

「黄泉がえり」には、「益城町下を走る布田川活断層の熊本市寄りの地域」で「震度7の揺れ」が起きるという、まるで2016年に発生した熊本地震を予言したかのような設定がある。作者も周囲の人たちから予知だったのではと言われて「自分でもぞくっとした」が「でも偶然だよ」とのこと。なお、梶尾が続編執筆を考えたきっかけは、熊本地震だった。前作のラストでは黄泉がえった人たちが地震を止めるが、「あの人たちがいたら、今回の熊本地震は起きなかったかも…」と考えたという。

劇場映画版は2003年に公開された。原作小説と同じ超常現象を扱いながらも、視点が異なる。また、同名キャラクターでも設定が異なっていたり、似たような設定のキャラクターでも名前が異なっていたりする
(以下略)。


柴咲 コウ(しばさき コウ、1981年8月5日 - )は、日本の女優、歌手、実業家(Les Trois Graces〈レトロワグラース〉代表取締役CEO)。日本国外向けの歌手活動名義はMuseK(ミュゼック)。本名非公開。東京都豊島区生まれ。スターダストプロモーション所属。

歌手として

歌手活動を始めるきっかけはニッポン放送「グローバーのウラナイ!」での「柴咲コウ 夢の印税生活」というコーナーが元であり、デビュー曲の歌詞はリスナーから募集したものだった。

ユニバーサルミュージックから2002年にシングル「Trust my feelings」でデビュー。
2003年、RUI(ルイ)の名義でリリースした映画『黄泉がえり』の主題歌「月のしずく」が100万枚(ミリオン)を超える大ヒット曲となる。オリコンチャートでは最高位1位、年間チャートでも5位を記録した。

翌2004年には、ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』の主題歌「かたち あるもの」(最高位2位)が60万枚を超える大ヒットを記録し、年間チャートでもトップ10入りした。
ほとんどの曲は柴咲自身が作詞を担当しており、「影」(最高位2位)や「invitation」など、本人による歌詞は原作の内容をよく理解して作られており、作詞に関する評価も得ている。

2008年、初のベストアルバム『Single Best』『The Back Best』を2枚同時リリース。オリコン初登場1位を獲得した。
2007年には福山雅治とのユニットKOH+として、福山と共演した『ガリレオ』の主題歌「KISSして」、2008年には同じく福山と共演した映画『容疑者Xの献身』の主題歌「最愛」をリリースした。2011年11月23日にはDECO*27とTeddyLoidと共にgalaxias!としてミニアルバムを発売した。

2011年7月号の『音楽と人』で、「甘美な孤独 呟くが如く」という連載がスタートしている。彼女にとっては初の雑誌の連載である。
2014年8月5日、VOCALOID技術を用い、柴咲コウの声をベースとした歌声合成ソフトウェア「ギャラ子NEO」がヤマハより発売された。

2014年8月27日発売のシングル「蒼い星」より、レコード会社をビクターエンタテインメントへ移籍した。
2015年6月17日、初のカバーアルバム『こううたう』を発売。
2018年、全世界向けに英語詞の楽曲「Blessing」を制作し、国外活動の際のアーティスト名としてMuseK(ミュゼック)を名乗ることを発表した。(「Wikipedia」より)




あちこち「SYOWA」 597 雨(三善 英史)

2019-01-28 00:06:11 | 日記
声が澄んでいて癒されます。いつまでも唄っていたい曲の一つです。



雨(三善 英史)



三善 英史(みよし えいじ、本名:田村 照彦(たむら てるひこ)、1954年9月2日 - )は、日本の演歌歌手である。東京都渋谷区出身。相洋高等学校卒業。

経歴

円山町の芸者の息子として生まれる。端正な顔立ちとプロポーションが目を引き渋谷でスカウトされ、歌手となる。1972年、デビュー曲『雨』がいきなりの大ヒットを飛ばし、同年、第14回日本レコード大賞・新人賞、新宿音楽祭・銀賞、第3回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞を獲得。

翌1973年、『円山・花町・母の町』でNHK紅白歌合戦に初出場し、以後1975年まで出場を果たす。ちなみに『円山・花町・母の町』では当初の約束ではシングルとして発表しないことになっていたにもかかわらず、本人の出生のことがプロモーションの一環として利用されたことが不本意らしく本人から好んで話すことは多くない。

俳優やタレントとしても活動している。
2008年、元ちゃらんぽらんの富好真とお笑いコンビ「みよしとみよし」を結成、同年のM-1グランプリにも出場している。結果は2回戦敗退。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 596 花咲く乙女たち 舟木一夫

2019-01-25 16:41:46 | 日記
「高校三年生」。この唄には驚きました。橋幸夫の「潮来笠」とほぼ同じ時期だったと思います。ズバリ高校三年生。このタイトルはぐっと心をとらえました。「学園広場」もよかったですね。「修学旅行」も・・・。そしてこの唄。花の喩えは珍しくないのですが、その花がきえてしまった、という発想が哀しさを誘います。


花咲く乙女たち 舟木一夫




舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸、1944年12月12日 - )は、日本の歌手、タレント。橋幸夫、西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれている。学生服と八重歯がトレードマークで、デビュー当時は、学園ソングとよばれる、高校生活をテーマにした歌が多かった。血液型はO型。身長172cm。


デビュー

1963年6月5日、デビュー曲は恩師遠藤実作曲、日本コロムビア専属だった丘灯至夫作詞の「高校三年生」と決定した。4月で高校を卒業していた舟木だったが、「学生服で行け」という遠藤実の指示で、歌謡界異例の学生服デビューとなった。なお、「高校三年生」のレコードジャケットで舟木が着ているのは当時の母校の制服である。

「高校三年生」は、発売1年で100万枚の大ヒットを飛ばし、舟木は第5回日本レコード大賞新人賞を、丘は作詞賞を受賞した。デビューから2ヵ月後、本人が主演した同名映画も大ヒットし、舟木は一躍スター歌手になった。それに続き、学園三部作と言われた「修学旅行」「学園広場」もヒットした。
1964年3月には初のワンマンショーを東京・浅草国際劇場で行う。当日には、地元・一宮市から東京駅まで国鉄がワンマンショー観覧客のための特別列車を運行させ、東京駅から浅草国際劇場まではパトカー先導の元で観光バス19台で移動するというほどまでになった。

スター歌手に

1970年前後には、こうした青春ソング以外にも時代モノ、民謡調などの歌にも独特の持ち味で数々のヒットを飛ばした。テレビ時代劇『銭形平次』のテーマソング「銭形平次」も、番組のロングランもあって舟木の歌としてよく知られるところとなった。

また特に詩歌、文学をモチーフにした叙情歌謡と呼ばれるジャンルでは持ち前の歌唱を活かして第一人者的存在となり、「絶唱」「夕笛」「初恋」などがヒットし、1966年には「絶唱」で第8回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。

このジャンルとしてはその集大成ともいうべきアルバム『その人は昔』がある。これは作家松山善三の長編抒情詩を正味1時間すべて舟木の歌唱で埋めるという、前代未聞の作品であり舟木の歌唱力が最大限に発揮されている。更にこの作品はLPとしては当時記録的な売上となり、後に舟木と内藤洋子の主演により映画化もされた。そしてこのLPおよび映画が劇画作家ながやす巧に大いなる影響を与え、その代表作『愛と誠』を生むきっかけとなった、という事実は、コミック界では有名なエピソードである。(「Wikipedia」より)


あちこち「SYOWA」 595 小比類巻かほる Hold On Me

2019-01-21 16:59:10 | 日記
小比類巻という名前が印象的で、そこから初め入っていった。「Hold On Me」を聴いていて、歌謡曲に耳が馴れていたので、この曲調は新鮮でした。「目を閉じて」。ここが痺れるポイント。


小比類巻かほる Hold On Me



小比類巻 かほる(こひるいまき かほる)は、女性ミュージシャンである。生年月日及び出身地は非公表。



概要

愛称の「Kohhy名義でプロデュースや、楽曲提供も行っており、プリンス、モーリス・ホワイト、ジェリー・ヘイ等にも英語で認められた数少ないアーティストである。
1980年代後半から1990年代後半にかけて、R&B、ゴスペルなど洋楽のテイストを取り入れた楽曲とソウルフルなボーカルで脚光を浴びており、特に1980年代後半には小比類巻が当時所属していたエピックに於ける同じレーベルのアーティストである佐野元春、鈴木雅之、大江千里、渡辺美里、TM NETWORK、大沢誉志幸、岡村靖幸等と共に同レーベルの稼ぎ頭としても活躍していた。

代表曲に「Hold On Me」(日本テレビ系ドラマ『結婚物語』主題歌)、「TONIGHT」(日本テレビ系ドラマ『新婚物語』主題歌)、「City Hunter〜愛よ消えないで〜」(アニメ『シティーハンター』のOP曲)、「TOGETHER」「DREAMER」(TDKCMソング[注釈 2])などがあり、2014年現在ベストアルバム含むアルバム26枚、シングル35枚を発表している。(「Wikipedia」より)