アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記214・喪に服する記者たち

2022年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム
   

 英エリザベス女王の死去を伝えた9日朝のNHKニュースで、現地特派員は黒のネクタイを締めていた。東京のスタジオの国際部デスクも黒い服だった。同日の「ニュース9」のキャスターも黒ずくめだった。喪に服したのだ(写真)。

 NHKだけではない。10日の報道特集(TBS)でも、現地特派員は黒のネクタイだった(見ていないだけで他局も同様だったかもしれない)。

 これはジャーナリスト(ジャーナリズム)としてあるまじきことだ。

 喪に服することは、故人へのなんらかの敬意なくしてはありえない。きわめて個人的な内心の行為だ。記者がプライベートで喪に服するのはもちろん自由だ。しかし、記者として放送に登場するのは言うまでもなくプライベート活動ではない。

 エリザベス女王は「国家元首」、すなわち国家権力の頂点に位置する人物だ。喪に服した姿を公共の電波で流すことは、その「国家元首」への敬意を公に示すことになる。ジャーナリストとしてやってはならないことだ。

 岸田政権はあくまでも「安倍国葬」を強行しようとしている。このまま強行されれば、当日(27日)、日本にどんな光景が表れるのだろうか。学校や企業での「弔意」の実質的強制がおおいに心配される。

 なかでも危惧されるのは、メディアの有様だ。特番はもちろん、さまざまな形で「国葬」を大きく扱い、事実上その後押しをすることは目に見えている。記者やキャスターが喪に服した姿で登場する可能性はきわめて大きい。エリザベス女王に対してさえこうなのだから。

 それは国家権力を監視する役目の記者・メディアの自己否定であり、国家権力への拝跪にほかならない。

 暉峻淑子(てるおか・いつこ)氏(埼玉大名誉教授)は日本ジャーナリスト会議の機関紙「ジャーナリスト」(8月25日号)に、「戦後77年目、メディアの課題」を寄稿しこう指摘している。

「私は15年にわたるアジア太平洋戦争の中で育ったから、国家とメディアが共同で煽った愛国心や敵愾心なるものの実態を知っている。
…今、私たちは、地球レベルでの人類存亡の危機に直面している。そこから誰も目をそらすことはできない。それなのに、国家権力に対する監視・批判者であるメディアが弱体化していることは、メディア自身の存在理由さえも失わせる結果となっている。
 現在は報道倫理の規定よりもさらに根源的なところで、ジャーナリストの良心が問われている危機の時代なのである」

 ジャーナリストへの警告であるとともに、日本社会・日本人全体への警鐘と受け止めたい。
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