「6・23沖縄慰霊の日」の「追悼式典」における翁長雄志知事の「平和宣言」に対し、琉球新報は社説(24日付)で、「米国との軍事一体化に前のめりで、憲法に抵触する集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法を成立させた安倍晋三首相の『積極的平和主義』の対極にある」と絶賛しました(沖縄タイムスの同日の社説も手放しで評価)。
これは翁長氏のこれまでの言動や「平和宣言」に盛り込まれた事実を無視した恣意的な「翁長賛美」と言わねばなりません。
そもそも、翁長氏は「集団的自衛権の行使」にも「安保関連法(戦争法)」にも反対していません。日本共産党などが県議会で再三見解を求めても、翁長氏は「議論が十分ではない」など手続き上の問題は指摘しましたが、集団的自衛権や戦争法自体には反対せず、事実上容認してきました。
「平和宣言」はどうでしょうか。翁長氏が「6・23平和宣言」を行うのは今回が3回目ですが、実はこの過程で重大な内容の変更が行われています。該当個所を比較してみましょう。
● 2015年6月23日の「平和宣言」…<沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。>
● 2016年6月23日の「平和宣言」…<沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべきであります。>
● 2017年6月23日の「平和宣言」…<沖縄県は、日米安全保障体制の必要性、重要性については理解をする立場であります。その上で、「日本の安全保障の問題は日本国民全体で負担してもらいたい」と訴え、日米地位協定の抜本的な見直しや米軍基地の整理縮小などによる、沖縄の過重な基地負担の軽減を強く求め続けています。>
一目瞭然です。「国民全体で負担すべき(負うべき)」ものとして、16年には15年になかった言葉が挿入されました。「日米安全保障体制の負担」です。さらに今年は、新たな一文が付け加えられました。「沖縄県は、日米安全保障体制の必要性、重要性については理解をする立場であります」。これはきわめて重大です。
「日米安全保障体制」とは言うまでもなく日米安保条約による日本とアメリカの軍事同盟体制です。翁長氏の持論が日米安保条約(体制)賛成・擁護であることは周知の事実ですが、それが「慰霊の日」の「平和宣言」に盛り込まれたのです。しかも、翁長氏自身の考えとしてではなく「沖縄県」の「立場」として。沖縄戦の「慰霊の日」の「平和宣言」で沖縄県民が日本とアメリカの軍事同盟の「必要性、重要性」を「理解」しているという「宣言」が行われたのです。
沖縄県民はけっして日米安保体制を「理解」などしていません。
琉球新報と沖縄テレビ(OTV)が昨年行った県民調査(2016年6月4日付琉球新報)では、「日米安保条約」については、「平和友好条約に改めるべきだ」42.3%、「破棄すべきだ」19.2%、「維持すべきだ」12.0%という結果です。軍事同盟である日米安保には県民の61.5%が「ノー」と言っているのです。
翁長氏の「平和宣言」はこうした県民の意思を無視し、自分の政治信条を「沖縄県」全体のものにすり替えたものです。
さらに、翁長氏は「平和宣言」の中で、先日亡くなった大田昌秀元知事の名前を出し、その遺志を継承するかのように言いました。テレビのインタビューでも、「大田さんの思いが私の政治の中に入ってきている」(25日BS―TBS「週刊報道LIFE」)などとも述べています。
しかし、米軍基地・平和に対する大田さんと翁長氏の姿勢には天と地ほどの違いがあります。大田さんは一貫して「沖縄からの米軍基地撤去」を主張し続けました。1995年の米軍による少女暴行事件に抗議する県民総決起集会でも「米軍基地撤去」を強調しました(写真右)。
ところが、翁長氏は絶対に「米軍基地撤去」とは言いません。今年の「平和宣言」でも上記の抜粋の通り「米軍基地の整理縮小」です。それどころか、昨年、米軍属による女性殺害事件が起こり、抗議の県民大会で「海兵隊の撤去」が決議されたにもかかわらず、翁長氏は「平和宣言」であえて「撤去」を「削減」に変えたのです(昨年6月24日のブログ参照http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20160624)。この一事をとっても、翁長氏と大田さんの違いは歴然です。
あれほど大田さんに敵対していた翁長氏が、手のひらを返したように「後継者」を装うのは、辺野古埋立の「承認撤回」をあくまでも回避し、批判が強まっている中で、少しでも支持を繋ぎ止めたいということでしょうか。
翁長氏は安倍氏と「対極」どころか、日米安保体制=軍事同盟を擁護・維持する点で本質的になんら変わりはありません。
琉球新報、沖縄タイムスには、翁長氏に関して、事実に基づいた冷静な報道・論説が求められます。