アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「安倍国葬」に秋篠宮を参列させる政治利用

2022年08月29日 | 天皇制と政権

   

「政府が9月27日に行う安倍晋三元首相の国葬に、皇族が参列する方向で宮内庁が調整を進めていることが関係者への取材でわかった。…吉田(茂)氏の国葬と同様に、皇太子待遇の皇嗣である秋篠宮さま、紀子さまが参列する方向で調整が進んでいるという」
 27日の朝日新聞デジタルが、独自記事としてこう報じました。

 同記事によると、「吉田国葬」では当時皇太子だった明仁・美智子夫妻はじめ9人の皇族が参列。天皇裕仁と香淳皇后がそれぞれ生花を贈り侍従を遣わして拝礼しました(写真左は「吉田国葬」に参列した皇太子夫妻=当時)。

 また、中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬(2020年)には、秋篠宮夫妻をはじめ皇族8人が参列。徳仁天皇・雅子皇后と上皇夫妻がそれぞれ侍従を遣わして拝礼し、天皇・皇后が生花を贈りました。

 今回も、「天皇、皇后両陛下や上皇ご夫妻は侍従を遣わして拝礼し、両陛下は生花を贈る可能性がある」といいます。

 「国葬」に多くの反対がある中で皇族が参列することについて、宮内庁幹部は、「政府から願い出があれば、ご都合がつく限り参列される。参列しないとなれば、皇室は『国葬に反対』というメッセージに受け取られかねない」(同朝日新聞デジタル)と述べています。

 しかし、「安倍国葬」に出るかどうかは、意見が分かれている問題でどちらにつくかという問題ではありません。なぜなら、多くの人が「国葬」に反対し、学者・弁護士グループなどが差し止め訴訟まで起こしているのは、それがさまざま点で憲法に違反しているからです。たんなる意見の相違ではありません。「国葬」に参列することは、明白な憲法違反行為に加担することに他なりません。

 「安倍国葬」に秋篠宮を参列させたり、生花を贈ったり、侍従を遣わすことは、政権(国家権力)による明白な天皇・皇族の政治利用です。

 しかも単なる政治利用ではありません。そもそも「国葬」と天皇制は切っても切れない関係にあります。

 「国葬」の原点は、1878年の大久保利通の葬儀です(喪主は大久保家でしたが、費用は国費で賄い多くの政府職員を動員した準国葬)。それにはこんな背景がありました。

葬儀を主導したのは、大久保の後継者の伊藤博文らでした。明治維新から10年余り、当時の政府は盤石ではありませんでした。前年の1877年には、大規模な士族反乱である西南戦争が起きています。…さらに自由民権運動も盛んになり、伊藤らは危機感を抱いていました。天皇が関与する形で大久保の葬儀を盛大に営み、政府に逆らうことは天皇の意思に背くことだ、ということを明確にしようとしたのです」(宮間純一・中央大教授、14日の朝日新聞デジタル)

 「国葬制度」を法的に決めたのは、天皇の命令(勅令)としての「国葬令」(1926年)でした。
 太平洋戦争中の1943年には連合艦隊司令長官・山本五十六の「国葬」が行われました(写真中=朝日新聞デジタルより)。

「当時の首相、東条英機は、国葬に際して山本の精神の継承を訴えています。戦局が厳しくなる中、より一層、国民を戦争に動員し、戦時体制の強化と戦意高揚を図るという目的がありました」(宮間氏、同)

 敗戦によって天皇の政治権力は喪失し、「国葬令」は47年に失効しました。その後、「国葬」についての法律は何もつくられていません。

国葬は、かつて天皇制のもとに国民を統合し、戦争に動員するなど危険な装置として用いられたことのある儀式です。それを何の検証もなく、ルールもなく、現代の民主主義社会によみがえらせ、前例としてしまうことに大きな疑問を感じます」(宮間氏、同)

 民主主義を数々蹂躙し、戦争法を強行し、戦時体制づくりの先頭に立ってきた改憲論者・安倍晋三氏の「国葬」は、帝国日本の侵略を先導した大久保利通や山本五十六のそれに匹敵するといえるでしょう。

 その「安倍国葬」を権威付け、政権への批判を抑えるために、戦前同様、天皇・皇族が利用されようとしているところに、「象徴天皇制」の今日的危険性が端的に表れています。

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