アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「ビキニ核被災」をめぐる知られざる沖縄差別

2017年08月22日 | 沖縄と日米安保・米軍・自衛隊

     

 21日始まった米韓合同軍事演習は「核攻撃を想定」(22日付共同配信)して行われています。在日米軍が集中している沖縄は、「核戦争」の脅威の最前線に置かれていますが、沖縄の「核被害」はそれだけではありません。

 沖縄はかつて、日米両政府によって、核・放射能被災で露骨な差別を受けた歴史があります。アメリカによる太平洋・ビキニ環礁での水爆実験による核被災、いわゆる「ビキニ核被災事件」(1954年3月1日)です。

 その「知られざる過去」が、2人の研究者・運動家=北上田源沖縄平和ネットワーク事務局長、山下正寿ビキニ核被災検証事務局長の論考(沖縄タイムス7月11、12、13日付)で明らかになりました。要旨を紹介します。

 ビキニ被災では第五福竜丸事件が知られているが、その他にも全国で漁船を中心にのべ992隻の船が汚染マグロを廃棄した。
 
 当時米軍の占領下にあった沖縄では、米軍が騒動の火消しに躍起になった

 フィリピンの南方でマグロ漁に出ていた銀嶺丸大鵬丸が那覇港に戻ると、米軍が検査を行い、「放射能はない」と断定した。当時沖縄で放射線を測定する機器を持っていたのは米軍だけだった。

 全国的には沖縄近海でとれた魚から放射線が検出され廃棄されているにもかかわらず、沖縄では近海でとれた魚は放射能検査の対象にならなかった
 当時沖縄で暮らしていたほとんどの人々が、放射能に汚染された未検査の魚を口にしていたことが予想される。

 銀嶺丸と大鵬丸の乗組員らを調査したところ、元乗組員68人中17人が40歳代半ばから50歳代で亡くなり、そのうち11人の死因ががんだった。

 この時期の沖縄における放射性降下物の数値は、本土の各地点に比べて平均で約2倍高くなっていたが、その事実は住民に知らされなかった。米軍が沖縄に迫る放射能の脅威を確実に把握しながら、沖縄の人々には安全性を強調する二重基準で対応していたことは明らかだ。

 50年代に米軍は沖縄に原子力発電所を建設する計画を立てていた。そうした状況において沖縄の人々が身近に迫る放射能の脅威を知ることは、米軍にとって都合が悪かったのだろう。

 55年1月、本土では米政府が法的責任を問われる代わりに被災した乗組員に総額200万㌦(7億2000万円)の慰謝料を支払ったが、沖縄は対象から外された

 「米軍基地が集中する沖縄では、ビキニ核被災の後にも原子兵器(核兵器)の配備、原子力潜水艦の寄港、劣化ウラン弾の問題など、放射線の脅威がさまざまな形で県民生活を蝕んできた。そう考えるとビキニ核被災は決して過去の問題ではない」(北上田氏)

 「米民政府下でビキニ事件の情報コントロールがなされ、日米政治決着による慰謝料支給からも外された。ビキニ事件でも最も「棄民政策」が徹底したのが沖縄である。
 日本政府に沖縄のビキニ被災の追跡調査を求め、アメリカ政府に対してなんらかの損害賠償請求を検討すべきである」(山下氏)

 ビキニ核被災事件はまだ終わっていません。「核兵器禁止条約」が採択されたいま、それにそろって背を向けたアメリカ政府と日本政府の、沖縄に対するビキニ事件の責任を追及することは、わたしたち全ての責務ではないでしょうか。

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