アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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NHKが触れなかった松田優作の“アナザーストーリー”

2023年06月14日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

   

 9日のNHK「アナザーストーリーズ」は、「松田優作「ブラック・レイン」に刻んだ命」と題し、松田優作(1949~89)が末期がんを周囲にも知らせず、映画「ブラック・レイン」(リドリー・スコット監督、マイケル・ダグラス・高倉健主演、1989年)に賭けた思いを描きました(写真)。

 「命をとるか、映画をとるか」と主治医に言われ、後者を選択した俳優魂は壮絶で、同じ病気を持つ者として引き込まれました。しかし、そうであるからこそ、同番組の致命的欠陥を指摘せざるをえません。

 それは松田優作が、韓国人(在日1世)の母と、妻子ある日本人男性の間に生まれた在日韓国人だったことにまったく触れなかったことです。

 番組では、優作が下関市に生まれ、「女手一つで育てられ…孤独な少年時代を送った」こと、母親が優作の意に反し強制的にアメリカの高校に留学させて弁護士にしようとしたことを紹介しました。しかし、その背景に在日に対する日本社会の過酷な差別があることには触れませんでした。

 優作の元妻でノンフィクション作家の松田美智子氏は『越境者・松田優作』(新潮社2008年)でこう回想しています。

「(優作が中学の時、運動会に義姉がチマチョゴリを着てきたことがあった)同級生たちに国籍を知られたくなかった優作にとって、チマチョゴリを着た義姉の姿は、裏切りにも思えた。義姉になんの悪気もないことはわかっていても、ただただ恥ずかしかったという」

「かね子(母)が可愛がっていた優作をあえて手元から切り離し、アメリカへ送り出そうと思ったのには、複雑な理由があった。…外国人登録法には満16歳になった者は本人が申請して証明書を受け取る決まりがある。当時は、その際に指紋押捺が必要で、外国人登録証明書は常時携帯が義務付けられていた。…アメリカなら、日本より簡単に弁護士の資格が取れるし、長く住んでいれば国籍をくれる、と考えた」

「彼が私と同棲中に「俺をおまえの家の養子にしてくれ」と頼んだのは、日本国籍を取得したいという強い希望があったからだった。在日というだけで差別され、色眼鏡で見られる状況から、なんとか抜け出したいとあがき続けていた」

 俳優生命ばかりか身体的生命をも賭けて挑んだ「ブラック・レイン」のオーディションに合格し、その迫真の演技が高く評価され、ハリウッドの次回作でロバート・デニーロとの共演オファーまで受けながら、40歳の若さで世を去った松田優作。

 彼の人生には生まれた時から在日韓国・朝鮮人への差別がつきまとっていました。そんな日本社会から抜け出し見返してやるという気概が「ブラック・レイン」を足掛かりにハリウッドへ進出するという熱情につながったのではないでしょうか。

 さらに、優作がハリウッドに挑戦したのは、当時(今も?)ハリウッドにあった日本人にとっての「3つの壁」の1つ「差別・偏見の壁」(他の2つは「言葉の壁」「俳優組合の壁」―NHK同番組)を自ら打ち破ろうとしたのではないでしょうか。その根底には、在日として受けた差別・偏見への怒りがあったと思われます。

 俳優・松田優作、人間・松田優作を語る上で、彼が在日韓国人であったことは最も大きな要素と言っても過言ではないでしょう。それこそが松田優作の“アナザーストーリー”ではないでしょうか。

 それに触れようとしなかったNHK。それは在日差別の隠ぺいであり、差別と闘い続けている在日の人々への冒涜と言えるのではないでしょうか。
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