アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「ハンセン病患者に人体実験」軍隊と天皇制の裏面史

2023年06月24日 | 天皇制と差別・人権・民主主義
   

 6月25日はかつての「救らいの日」。政府は現在、同日を含む週を「ハンセン病を正しく理解する週間」としています。

戦中のハンセン病患者人体実験 解明に向け検証開始 熊本の療養所
 こんな見出しの記事が先月京都新聞(5月18日付)に載りました。「戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に投与されていた薬剤「虹波(こうは)」に関し、恵楓園が事実解明に向けて検証作業を始めたことが分かった」

 「虹波」。初めて聞く単語でした。同記事によれば、京都新聞と熊本日日新聞が昨年12月、恵楓園が開示した関連資料をもとに「9人が死亡」と報じたスクープが発端でした。

 恵楓園が開示した資料は両紙が情報公開請求したもの。「同園での人体実験で死者が出たことは知られているが、1次資料の全容が明らかになったのは初めて」(2022年12月5日付京都新聞)。以下は同記事の要点です。

「虹波」とは、写真の感光剤を合成した薬剤で、防衛研究所戦史研究センター所蔵の旧陸軍資料によると、その研究目的は「戦闘に必要なる人体諸機能の増進」「極寒地作戦における耐寒機能向上」とされている。実験は機密軍事研究の一環だった。

 1944年5月の報告では、37歳の男性患者が注射約10時間後に「全身の血管に針の差入した様な」痛みや頭痛を訴え、けいれんを起こした末に意識が混濁し死亡した例が記載されている。

「虹波人体実験」を主導した宮崎松記同園園長、第7陸軍技術研究所嘱託だった波多野輔久・熊本医科大教授、遺体を解剖した鈴江懐・熊本医科大教授はいずれも京都帝大(現京大)医学部出身。

 吉中丈志・京大医学部教授は、「強制収容所という閉鎖空間で人体実験を行ったことは、中国人捕虜らに生物化学兵器開発のため人体実験を行った陸軍731部隊とも共通する」と指摘する。(731部隊を創設した石井四郎軍医中将も京都帝大医学部出身―私)

 藤野豊・敬和学園大教授は、「虹波」を巡る実態が歴史の闇に埋もれることを懸念し、「虹波の治験という非人道的な行為が、隔離された療養所という環境の中で行われた。新たな人権侵害として国の責任が問われるべきだ」と訴える。(写真中は「虹波」、右は開示された資料)

 恐るべき歴史です。恵楓園入所者自治会の太田明副会長は「関連資料はほかにも膨大にある。明らかになっていない事実はまだ多くあるはずだ」と話しています。事実の徹底究明と国の責任追及が急務です。

 見落としてならないのは、ハンセン病療養所内人体実験の背後にある権力構造です。入所者はなぜ人体実験(注射・薬)を拒否できなかったのか。
 
 入所者自治会の志村康会長は「園長の言うことは絶対で、反対すれば監禁室に送られる時代だった」と言います。療養所の園長には「らい予防法」によって「懲戒検束権」が与えられていたのです。

 それだけではありません。

 なぜ6月25日が「救らいの日」とされ、それが「理解する週間」として今に継承されているのか。それはこの日が大正天皇(嘉仁)の妻・貞明皇后(節子=さだこ)すなわち裕仁の母の誕生日だったからです。

 貞明皇后は1930年に手許金24万8000円を全国の療養所に寄附。この一部をもとに翌年「らい予防協会」が設立され、同協会が患者隔離を主導しました。全国の療養所には貞明皇后の歌碑が建てられました。

貞明皇后は「救らい」の象徴となっていく。…ハンセン病療養所は限りなく「皇恩」がもたらされる場、というイメージが作られていった。(中略)「皇恩」や「御仁慈」は、絶対隔離政策を正当化する思想的支えとなると同時に、病者にも隔離を受容させ、療養所に入ることが国家的使命と意識づける役割を果たした」(吉川由紀・沖縄国際大非常勤講師「皇室とつれづれの碑」、『入門沖縄のハンセン病問題 つくられた壁を越えて』2009年所収)

 ハンセン病患者に対する軍事目的の人体実験。その土壌をつくった人権蹂躙の隔離・収容。それを「皇恩」「御仁慈」で納得させた皇族・皇室の役割。
 これは軍隊と天皇制の隠された暗黒の裏面史といえるでしょう。その歴史を究明し責任を追及することこそ「ハンセン病の正しい理解」ではないでしょうか。
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